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11話
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結婚式から数日後。
春の光がまだ柔らかい朝、侯爵邸には、これまでにない静かで温かな空気が流れていた。
寝室のカーテン越しに差し込む光が、ジョアンナの頬を淡く照らす。
目を開けると、隣でルカが穏やかな寝息を立てていた。
夢を見ました。貴方の夢を。いつからだろう貴方を男として見ていたのは……。
青年になった彼は、すでに堂々たる体つきになっているが、寝顔には十年前と変わらない優しさとあどけなさが残っている。
(幸せ、というものが形を持つのなら、きっと今のような瞬間を言うのだわ)
ジョアンナはそっと身を起こそうとした。
しかしその手首を、暖かな指がそっと掴んだ。
「もう少し、このままでは駄目ですか」
低く掠れた、眠りの余韻を残した声。
振り返ると、ルカが半分眠ったままの目で、ジョアンナの手を離すまいとするように指を絡めていた。
「ルカ、朝ですよ?」
「知っています。でも、夫婦になったんですからこういう朝があってもいいでしょう?」
甘く囁くような声に、ジョアンナの心臓が少しだけ跳ねた。
「困った方ですね。貴方は昔から、甘えるのが上手です」
「貴女にだけです。あとほんの少しだけ」
ジョアンナの胸に、柔らかな熱が広がる。
十年間、彼を導くため、母のように、師として、そして時に厳しく接してきた。それでも今、こうして隣にいる青年は、彼女が選んだ『夫』であり、対等な人生の伴侶だった。
ルカはゆっくりと身体を起こし、ジョアンナの肩を抱いた。
「ジョアンナ。僕は今、とても幸せです。きっと今まで生きてきて一番と言えるほどに」
「それは私も同じです。貴方となら、どんな未来でも歩いていけるわ」
「はい。必ず一緒に。そして貴女がこの十年、僕にしてくれたすべてを、今度は僕が返していく番です」
その言葉は誇り高い侯爵ではなく、ただ一人の女性を愛する夫のものだった。
「ルカ、貴方は目を離すと、すぐに無茶をします。無理はしても無茶はしないで下さいね」
「その言葉、そのまま貴女にお返しします」
その会話にジョアンナは微笑み、彼の胸に額を寄せた。
「では、まずは朝食をご一緒しましょうか。新婚らしく、ゆっくりと」
「はい。……でももう少しだけ」
そう言ってルカは、まるで大切な宝物を扱うように、ジョアンナの手にそっと口づけを落とした。そして今度は後ろから抱きしめて彼女の肩越しに顔を埋め首筋に口づけをする。
「駄目です。ルカ、そんなところにキスをしたら服で隠れません、見えてしまいます!」
「大丈夫です。見えないぎりぎりのところです」
少し意地悪に笑った。その仕草に、ジョアンナの頬がわずかに紅潮する。
(この子が……いえ、この人が私の夫になったのね)
胸の奥深くから込み上げる幸福は、ゆっくりと、しかし確実に彼女を満たしていった。
その頃、領地外れの古い館では、前侯爵とクリスティアナが、ひっそりとした新生活を始めていた。
館の窓から差し込む朝日は、侯爵邸の華やかさとは違い、どこか質素で寂しげである。
「こんな場所、信じられない」
クリスティアナは吐き捨てるように言い、窓辺で腕を組む。
前侯爵はゆっくりと椅子に腰を下ろし、静かに答えた。
「ここが私たちの、罰であり、償いの場所だ」
「貴方の、ではなくて?」
「……そうかもしれないな」
クリスティアナは悔しさに唇を噛み締めた。
しかし、もう侯爵家へ戻る道など、どこにもない。
その現実だけが、冷たく二人に残された。
この先ずっと愛のない二人がここで一緒に暮らしていく。それこそがきっと罰なのかもしれない。
一方、侯爵邸では、春の新しい朝と、甘く穏やかな幸福の中で、ルカとジョアンナが並んで朝食の席へ向かっていた。
手を取り合い、寄り添う姿は、まさに未来の侯爵家を象徴するように美しかった。
その背中を見送りながら、執事のジョゼフは静かに頭を下げた。
「ようやく、真のご夫婦がこの侯爵邸に誕生しましたな」
侯爵家には、確かな愛と共に本当の春が訪れていた。
ジョゼフは呟いた。
『来年あたり、この侯爵邸には新しい命が誕生しそうですな。きっと賑やかになりますな。それまで、まだまだこの爺も頑張らねばなりますまい』
そう言って、コホンとひとつ咳をした。
完
春の光がまだ柔らかい朝、侯爵邸には、これまでにない静かで温かな空気が流れていた。
寝室のカーテン越しに差し込む光が、ジョアンナの頬を淡く照らす。
目を開けると、隣でルカが穏やかな寝息を立てていた。
夢を見ました。貴方の夢を。いつからだろう貴方を男として見ていたのは……。
青年になった彼は、すでに堂々たる体つきになっているが、寝顔には十年前と変わらない優しさとあどけなさが残っている。
(幸せ、というものが形を持つのなら、きっと今のような瞬間を言うのだわ)
ジョアンナはそっと身を起こそうとした。
しかしその手首を、暖かな指がそっと掴んだ。
「もう少し、このままでは駄目ですか」
低く掠れた、眠りの余韻を残した声。
振り返ると、ルカが半分眠ったままの目で、ジョアンナの手を離すまいとするように指を絡めていた。
「ルカ、朝ですよ?」
「知っています。でも、夫婦になったんですからこういう朝があってもいいでしょう?」
甘く囁くような声に、ジョアンナの心臓が少しだけ跳ねた。
「困った方ですね。貴方は昔から、甘えるのが上手です」
「貴女にだけです。あとほんの少しだけ」
ジョアンナの胸に、柔らかな熱が広がる。
十年間、彼を導くため、母のように、師として、そして時に厳しく接してきた。それでも今、こうして隣にいる青年は、彼女が選んだ『夫』であり、対等な人生の伴侶だった。
ルカはゆっくりと身体を起こし、ジョアンナの肩を抱いた。
「ジョアンナ。僕は今、とても幸せです。きっと今まで生きてきて一番と言えるほどに」
「それは私も同じです。貴方となら、どんな未来でも歩いていけるわ」
「はい。必ず一緒に。そして貴女がこの十年、僕にしてくれたすべてを、今度は僕が返していく番です」
その言葉は誇り高い侯爵ではなく、ただ一人の女性を愛する夫のものだった。
「ルカ、貴方は目を離すと、すぐに無茶をします。無理はしても無茶はしないで下さいね」
「その言葉、そのまま貴女にお返しします」
その会話にジョアンナは微笑み、彼の胸に額を寄せた。
「では、まずは朝食をご一緒しましょうか。新婚らしく、ゆっくりと」
「はい。……でももう少しだけ」
そう言ってルカは、まるで大切な宝物を扱うように、ジョアンナの手にそっと口づけを落とした。そして今度は後ろから抱きしめて彼女の肩越しに顔を埋め首筋に口づけをする。
「駄目です。ルカ、そんなところにキスをしたら服で隠れません、見えてしまいます!」
「大丈夫です。見えないぎりぎりのところです」
少し意地悪に笑った。その仕草に、ジョアンナの頬がわずかに紅潮する。
(この子が……いえ、この人が私の夫になったのね)
胸の奥深くから込み上げる幸福は、ゆっくりと、しかし確実に彼女を満たしていった。
その頃、領地外れの古い館では、前侯爵とクリスティアナが、ひっそりとした新生活を始めていた。
館の窓から差し込む朝日は、侯爵邸の華やかさとは違い、どこか質素で寂しげである。
「こんな場所、信じられない」
クリスティアナは吐き捨てるように言い、窓辺で腕を組む。
前侯爵はゆっくりと椅子に腰を下ろし、静かに答えた。
「ここが私たちの、罰であり、償いの場所だ」
「貴方の、ではなくて?」
「……そうかもしれないな」
クリスティアナは悔しさに唇を噛み締めた。
しかし、もう侯爵家へ戻る道など、どこにもない。
その現実だけが、冷たく二人に残された。
この先ずっと愛のない二人がここで一緒に暮らしていく。それこそがきっと罰なのかもしれない。
一方、侯爵邸では、春の新しい朝と、甘く穏やかな幸福の中で、ルカとジョアンナが並んで朝食の席へ向かっていた。
手を取り合い、寄り添う姿は、まさに未来の侯爵家を象徴するように美しかった。
その背中を見送りながら、執事のジョゼフは静かに頭を下げた。
「ようやく、真のご夫婦がこの侯爵邸に誕生しましたな」
侯爵家には、確かな愛と共に本当の春が訪れていた。
ジョゼフは呟いた。
『来年あたり、この侯爵邸には新しい命が誕生しそうですな。きっと賑やかになりますな。それまで、まだまだこの爺も頑張らねばなりますまい』
そう言って、コホンとひとつ咳をした。
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