14 / 42
14話
しおりを挟む
あれからの数週間、領地経営は活気に満ちていった。
わたくしは、家令のレイモンドさんを隣に置き、エドガー様と三人で領地の新たな青写真を描き始めた。
わたくしの育った侯爵家の英才教育で培った領地知識は、経験豊富なレイモンドさんの実務能力と結びつくことで、驚くほどの速度で形になっていった。
「奥様、この土地の土壌は確かに水はけが良い。その上、奥様のご提案に従ったお陰で保水性も良くなり有機物を多く含んだ土壌となりました。よって、付加価値の高い薬草の栽培に切り替えるのが最善でしょう。流通のルートもすぐに確保いたします」
「素晴らしいわ、レイモンドさん。貴方がいてくださると、物事が十倍速で進みますわね」
レイモンドさんは
「奥様の慧眼あってこそ」
といつものように控えめだが、その有能さは疑いようもない。
エドガー様も畑の周囲を歩きながら、領民たちと自ら話し、特産品への転換を熱く語りかけた。
その真摯な姿と、平民出身だからこそ領民に寄り添える温かさが、皆を奮い立たせた。
領地は生まれ変わりつつあった。その様子を見るたびに、わたくしとエドガー様の間に流れる空気も、より親密で確かなものへと変わっていった。
「初めてこの土地に来た時、不安でしかなかったが……今では、未来が楽しみでならないよ」
夕食後、執務室でそう語るエドガー様は、自信に満ちた、まさに領主の顔をしていた。
その時だった。
屋敷の静寂を切り裂くように、馬の蹄の音と、慌ただしい伝令兵の怒鳴り声が響いた。
レイモンドさんが急いで戻ると、顔色を失くし、硬い声で報告した。
「ご主人様。陛下から緊急の王命でございます」
「王命?」
エドガー様の顔から血の気が引く。わたくしの胸も、予感めいた不安で冷えた。
「北方国境で情勢が急変、大規模な戦線が再開した模様です。ご主人様、直ちに軍を率いて戦線へ向かうよう、陛下からのご要請です!」
戦線。
それは、エドガー様が最も輝く場所であり、わたくしが最も恐れる場所。
エドガー様は、ぎゅっと唇を結び、王命が書かれた書状を睨みつけた。
「……すぐに準備を」
彼はわたくしの方を向いた。その瞳は、迷いと、妻を残していくことへの申し訳なさで揺れていた。
「ミリアン……」
わたくしは一歩も引かず、エドガー様の前に立った。その場で、一瞬にして感情を押し殺し、領主の妻の顔になった。
「心配はご無用ですわ、エドガー様」
わたくしは、彼の頬にそっと触れ、まっすぐに見つめた。
「準備をなさいませ。あなたが軍人として呼ばれたのであれば、行くべきです。領地のことは、わたくしとレイモンドさん、そして、この土地に生きる皆が必ず守り抜きますわ」
彼の不安を、すべて受け止め、打ち消すように、静かに、しかし力強く告げる。
「どうか、迷わずに戦ってきてください。この領地の土壌の知識ならわたくしに敵うものはいません。あなたの帰る場所は、わたくしが盤石にいたします」
わたくしは彼の分厚い手を握りしめ、強い決意を込めた。
「ですが、一つだけ約束してください。あなたが戦場で皆を守ったように、わたくしは領地を守ります。だから……」
わたくしの声は、わずかに震えそうになったが、最後まで笑顔で言い切った。
「どうか、あなたは無事に戻って来てください。それが、わたくしの唯一の願いなのですから」
エドガー様は、目を見開いたままわたくしを見つめ、やがて力強く頷いた。
「ああ、わかった。必ず、無事に帰る」
彼はわたくしを強く抱きしめた。その腕の力強さが、彼の決意の固さを物語っていた。この土地と、そしてこの妻を守るために、戦場へ向かうのだ。
二人は、夜の闇が帳のように深く覆い始めた屋敷の中で、固い誓いを交わした。
エドガー様が出立するまで、わたくしは一滴の涙も見せずに、彼の戦いの準備を整えた。
彼の不安を消し去るため、領地経営の具体的な方針をすべて立て、レイモンドさんと完璧な策を講じ、彼に伝えた。
そして、夜明け前。
領地の門で、エドガー様はわたくしを抱きしめ、そして振り向かずに軍馬に乗った。
その背中が領地の門をくぐるのを見届けた後、わたくしはレイモンドさんに言った。
「さあ、レイモンドさん、わたくしたちの戦いはこれからですわ」
わたくしは、家令のレイモンドさんを隣に置き、エドガー様と三人で領地の新たな青写真を描き始めた。
わたくしの育った侯爵家の英才教育で培った領地知識は、経験豊富なレイモンドさんの実務能力と結びつくことで、驚くほどの速度で形になっていった。
「奥様、この土地の土壌は確かに水はけが良い。その上、奥様のご提案に従ったお陰で保水性も良くなり有機物を多く含んだ土壌となりました。よって、付加価値の高い薬草の栽培に切り替えるのが最善でしょう。流通のルートもすぐに確保いたします」
「素晴らしいわ、レイモンドさん。貴方がいてくださると、物事が十倍速で進みますわね」
レイモンドさんは
「奥様の慧眼あってこそ」
といつものように控えめだが、その有能さは疑いようもない。
エドガー様も畑の周囲を歩きながら、領民たちと自ら話し、特産品への転換を熱く語りかけた。
その真摯な姿と、平民出身だからこそ領民に寄り添える温かさが、皆を奮い立たせた。
領地は生まれ変わりつつあった。その様子を見るたびに、わたくしとエドガー様の間に流れる空気も、より親密で確かなものへと変わっていった。
「初めてこの土地に来た時、不安でしかなかったが……今では、未来が楽しみでならないよ」
夕食後、執務室でそう語るエドガー様は、自信に満ちた、まさに領主の顔をしていた。
その時だった。
屋敷の静寂を切り裂くように、馬の蹄の音と、慌ただしい伝令兵の怒鳴り声が響いた。
レイモンドさんが急いで戻ると、顔色を失くし、硬い声で報告した。
「ご主人様。陛下から緊急の王命でございます」
「王命?」
エドガー様の顔から血の気が引く。わたくしの胸も、予感めいた不安で冷えた。
「北方国境で情勢が急変、大規模な戦線が再開した模様です。ご主人様、直ちに軍を率いて戦線へ向かうよう、陛下からのご要請です!」
戦線。
それは、エドガー様が最も輝く場所であり、わたくしが最も恐れる場所。
エドガー様は、ぎゅっと唇を結び、王命が書かれた書状を睨みつけた。
「……すぐに準備を」
彼はわたくしの方を向いた。その瞳は、迷いと、妻を残していくことへの申し訳なさで揺れていた。
「ミリアン……」
わたくしは一歩も引かず、エドガー様の前に立った。その場で、一瞬にして感情を押し殺し、領主の妻の顔になった。
「心配はご無用ですわ、エドガー様」
わたくしは、彼の頬にそっと触れ、まっすぐに見つめた。
「準備をなさいませ。あなたが軍人として呼ばれたのであれば、行くべきです。領地のことは、わたくしとレイモンドさん、そして、この土地に生きる皆が必ず守り抜きますわ」
彼の不安を、すべて受け止め、打ち消すように、静かに、しかし力強く告げる。
「どうか、迷わずに戦ってきてください。この領地の土壌の知識ならわたくしに敵うものはいません。あなたの帰る場所は、わたくしが盤石にいたします」
わたくしは彼の分厚い手を握りしめ、強い決意を込めた。
「ですが、一つだけ約束してください。あなたが戦場で皆を守ったように、わたくしは領地を守ります。だから……」
わたくしの声は、わずかに震えそうになったが、最後まで笑顔で言い切った。
「どうか、あなたは無事に戻って来てください。それが、わたくしの唯一の願いなのですから」
エドガー様は、目を見開いたままわたくしを見つめ、やがて力強く頷いた。
「ああ、わかった。必ず、無事に帰る」
彼はわたくしを強く抱きしめた。その腕の力強さが、彼の決意の固さを物語っていた。この土地と、そしてこの妻を守るために、戦場へ向かうのだ。
二人は、夜の闇が帳のように深く覆い始めた屋敷の中で、固い誓いを交わした。
エドガー様が出立するまで、わたくしは一滴の涙も見せずに、彼の戦いの準備を整えた。
彼の不安を消し去るため、領地経営の具体的な方針をすべて立て、レイモンドさんと完璧な策を講じ、彼に伝えた。
そして、夜明け前。
領地の門で、エドガー様はわたくしを抱きしめ、そして振り向かずに軍馬に乗った。
その背中が領地の門をくぐるのを見届けた後、わたくしはレイモンドさんに言った。
「さあ、レイモンドさん、わたくしたちの戦いはこれからですわ」
41
あなたにおすすめの小説
隣国のモフモフ騎士団長様、番ではない私でよろしいのですか?
こころ ゆい
恋愛
ジャスミン・リーフェント。二十歳。
歴史あるリーフェント公爵家の一人娘だが、
分厚い眼鏡に地味な装い、常に本を読んでいる変わり者。皆が自分のことをそう言っているのは知っていた。
モーリャント王国の王太子殿下、コーネル・モーリャントとの婚約が王命で決まってから十三年。王妃教育を終えても婚姻は進まず、宙ぶらりん状態。
そんな中、出席した舞踏会でいつも通り他の女性をエスコートする王太子殿下。
それだけならまだ良かったが、あろうことか王太子の連れた女性が事件を巻き起こす。その最中で言い渡された婚約破棄。
「....婚約破棄、お受けいたします」
そのあと、ジャスミンは一人旅に出てある人物と出会った。
これは、婚約破棄された女性が獣人国で知らぬうちに番と出会い、運命に翻弄されていく物語。
行き遅れのお節介令嬢、氷の公爵様と結婚したら三人娘の母になりました
鳥柄ささみ
恋愛
お節介焼きで困っている人を放っておけないシアは、数多のご令嬢達から人気の令嬢だ。毎日ファンレターが届き、社交界に出れば令嬢に取り囲まれるほどである。
けれど、それに反比例するように男性からの人気はなく、二十七だというのに嫁の貰い手もないため、毎日母から小言をもらっていた。
そんなある日のこと、突然公爵家から縁談の話が。
シアは公爵家がなぜ自分に縁談など持ち掛けるのかと訝しく思いつつ話を受けると、なんと公爵の後妻として三人の娘の母代わりになれと言われる。
困惑するも、自分へ縁談を持ちかけた理由を聞いて、お節介なシアは嫁ぐこと決めたのだった。
夫になるレオナルドはイケメンなのに無表情で高圧的。三人の娘も二女のアンナを除いて長女のセレナも三女のフィオナもとても反抗的。
そんな中でもお節介パワーを発揮して、前向きに奮闘するシアの物語。
※他投稿サイトにも掲載中
ブスすぎて嫁の貰い手がないから閨勤侍女になれと言われたので縁を切ります、完全に!完全縁切りの先にあったのは孤独ではなくて…
ハートリオ
恋愛
ルフスは結婚が決まった従姉の閨勤侍女になるよう父親に命令されたのをきっかけに父に無視され冷遇されて来た日々を終わらせようとブラコン父と完全に縁を切る決意する。
一方、従姉の結婚相手はアルゲンテウス辺境伯とのことだが、実は手違いがあって辺境伯が結婚したいのはルフス。
そんなこんなの異世界ファンタジーラブです。
読んでいただけると嬉しいです。
25番目の花嫁 ~妹の身代わりで嫁いだら、冷徹公爵が私を溺愛し始めました~
朝日みらい
恋愛
王都の春。
貴族令嬢リリアーナ・エインズワースは、第一王子ライオネル殿下との婚約を一方的に破棄された。
涙を見せないことが、彼女に残された唯一の誇りだった。だが運命は、彼女を思いがけない方向へ導く。
「氷の公爵」と呼ばれる孤高の男、ヴァレンティーヌ公爵。
二十四人の花嫁候補を断り続けた彼の元へ、「二十五番目の花嫁」として赴いたリリアーナ。
家の体裁のための結婚――そう割り切っていたはずなのに、氷のような瞳の奥に垣間見えた孤独が、彼女の心に小さな炎を灯してゆく。
姉の陰謀で追放されました
たくわん
恋愛
魔力なしと断じられ、姉の陰謀で侯爵家を追放されたリディア。辿り着いた辺境の村で絶望の淵に立った時、彼女の中に眠っていた「聖癒の魔法」が目覚める。
傷ついた村人を救ったリディアは、冷酷無慈悲と恐れられる辺境伯ルカの目に留まり、専属治癒師として城に迎えられる。凍てついた心を持つ辺境伯との出会いが、リディアの運命を大きく変えていく――。
英雄の番が名乗るまで
長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。
大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。
※小説家になろうにも投稿
で、お前が彼女に嫌がらせをしている理由を聞かせてもらおうか?
Debby
恋愛
ヴェルトが友人からの手紙を手に辺境伯令嬢であるレィディアンスの元を訪れたのは、その手紙に「詳細は彼女に聞け」と書いてあったからだ。
簡単にいうと、手紙の内容は「学園で問題を起こした平民──エボニーを妻として引き取ってくれ」というものだった。
一方その話を聞いてしまった伯爵令嬢のオリーブは動揺していた。
ヴェルトとは静かに愛を育んできた。そんな自分を差し置いて、言われるがまま平民を妻に迎えてしまうのだろうか。
そんなオリーブの気持ちを知るはずもないエボニーは、辺境伯邸で行儀見習いをすることになる。
オリーブは何とかしてヴェルトを取り戻そうと画策し、そのことを咎められてしまう。もう後は無い。
オリーブが最後の望みをかけてヴェルトに自分を選んで欲しいと懇願する中、レィディアンスが静かに口を開いた。
「で、そろそろお前が彼女に嫌がらせをしている理由を聞かせてもらおうか」
「はい?」
ヴェルトは自分が何を言われたのか全く理解が出来なかった。
*--*--*
覗いてくださりありがとうございます。(* ᴗ ᴗ)⁾⁾
★全31話7時19時更新で、全話予約投稿済みです。
★★「このお話だけ読んでいただいてもOKです!」という前提のもと↓↓↓
このお話は独立した一つのお話ですが、「で。」シリーズのサイドストーリーでもあり、第一弾「で、私がその方に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?」の「エボニーその後」でもあります(あるいは「最終話」のその後)。
第一弾「で、私がその方に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?」
第二弾「で、あなたが私に嫌がらせをする理由を伺っても?」
第三弾「で、あなたが彼に嫌がらせをする理由をお話しいただいても?」
どれも女性向けHOTランキングに入り、特に第二弾はHOT一位になることが出来ました!(*´▽`人)アリガトウ
もしよかったら宜しくお願いしますね!
【完結】婚約解消を言い渡された天使は、売れ残り辺境伯を落としたい
ユユ
恋愛
ミルクティー色の柔らかな髪
琥珀の大きな瞳
少し小柄ながらスタイル抜群。
微笑むだけで令息が頬を染め
見つめるだけで殿方が手を差し伸べる
パーティーではダンスのお誘いで列を成す。
学園では令嬢から距離を置かれ
茶会では夫人や令嬢から嫌味を言われ
パーティーでは背後に気を付ける。
そんな日々は私には憂鬱だった。
だけど建国記念パーティーで
運命の出会いを果たす。
* 作り話です
* 完結しています
* 暇つぶしにどうぞ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる