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数日後の朝、食事を取るため、本宅に行くと、屋敷は珍しく慌ただしかった。
理由を尋ねると、どうやら旦那様がマーガレットさんを社交界のお茶会に同伴するらしい。まるで自分が正妻のように装って出席するつもりなのだとか。
わたくしは食卓に座り、スープをいただきながらひとりごとを言った。
『愛人を連れてお出ましとは、よほど恥を知らぬ方ね』
とはいえ、そんな愚か者たちに時間を割くなんて勿体ないわ。
今日は離れでニールと静かに過ごすつもりだったのに。
そういえば、今朝からニールの姿が見えないのよね。
「奥様、大変です!」
メイドのアンナが息を切らして飛び込んできた。
「旦那様のお召し物が!」
案の定、何かやらかしたらしい。
急ぎアンナについて行くと、玄関先で旦那様が怒鳴っていた。
「どういうことだ! なぜコートがこんなことに!」
見ると、旦那様の高価な外套の裾が、見事にずたずたに裂かれている。
しかもそこには、ニールが堂々と座っていた。
「黒猫だ! だ、誰かこの猫をなんとかしろ! こんな不吉な猫、何処かへ捨ててしまえ!」
旦那様が大声で叫ぶと、使用人たちがざわめいた。
旦那様の顔は真っ青。マーガレットさんは袖で口を押さえ、わざとらしく震えながら叫んだ。
「いやだわ、やっぱり不吉な猫よ!」
わたくしはゆっくりと歩み寄り、裾の裂けたコートを観察した。
黒い毛が少し付いているのを見て、わざとらしく微笑んだ。
「まぁ、なんてこと。けれどご安心を、旦那様」
「な、何が安心だ!」
「ニールは賢い子ですの。気に入らない匂いにだけ、牙を立てるのです。きっとニールなりに何かを感じてこうしたに違いありませんわ」
静まり返る空気の中、コック長が小声で言った。
「確か、そのコート、マーガレット様が香水をこぼされたました」
旦那様の顔がみるみる赤くなり、マーガレットさんは青ざめる。
「ええ、ニールは賢い生き物ですわ。人のようにごまかしは致しませんもの。きっとニールは良かれと思いこうしたのですわ」
すると、ニールは上を向いた。
「にゃあ」
その声はまるで『同意する』と言ったようだった。
わたくしはその小さな背を撫でながら、ニールと去ろうとした。
するとマーガレットさんが鬼の様な形相で怒鳴ってきた。
「ちょっと! 貴女が飼ってる猫なんだから、コートの弁償は貴女がしなさい」
それならと、わたくしは優しく教えて差し上げた。
「あら、何を言ってるのかしら? このような安物の香水の臭いをプンプンさせてお茶会に参加なさったら、それこそご夫人たちに何を言われたか、せっかくの紅茶の香りを台無しにするところでしたのよ、寧ろニールに感謝すべきでは?」
「な、何を!」
「それでは、旦那様。ニールを信じられないなら、どうぞそのままお出かけを。そして、そちらの愛人をエスコートなさってくださいませ。彼女にはその裂け目、よくお似合いですわよ」
わたくしがそう言って去ろうとした時、ニールは彼女のスカートの裾を軽く引っかいた。
とたんに布地が裂け、真っ白なペチコートが風にひらり。
その場の使用人たちの表情が、笑いをこらえるように歪んだ。
「きゃあっ!」
マーガレットさんが悲鳴を上げてしゃがみこむ。
わたくしは思わず、唇の端を上げた。
「まぁ、まるでお似合いの二人ね。外套もスカートも、どちらもほころびだらけですこと」
その場にいた者たちは、誰ひとり声を上げなかった。
だけど、わたくしの背後でコック長が笑いを誤魔化すように、小さく咳払いした。
旦那様は鬼の形相でその場を立ち去り、マーガレットさんは真っ赤な顔で、彼の後を追っていった。
静けさが戻ると、ニールが椅子の上に飛び乗り、喉をゴロゴロと鳴らす。
「よくやったわ、ニール」
わたくしは微笑んでその背を撫でた。
「世の中の不吉とは、真実を暴かれることを恐れる者たちの言い訳なのよ。大体、真実を暴かれて一番困るのは誰なのか、全く理解していないのが笑えるわ」
黒猫は黄金の瞳を細め、まるで賛同するように小さく鳴いた。そんなニールに話し掛けた。
「社交界のご夫人たちが一番好む話題が自分たちのスキャンダルだということもご存知ないのね。それが広まった先にどんな未来が待っているか、侯爵家嫡男だというのに困った方たちだわ。今日のところはニールのお陰で助かったわね」
その夜、屋敷の使用人たちは囁いていた。
不吉と言われる黒猫が、侯爵家の体面を守ったと。
その頃、わたくしは、ゆったりと椅子に腰掛け、静かに本を読んでいた。
そして、ふと思うのです。
「ニールのざまぁ、とは、なんて華麗なのかしら」
と。
理由を尋ねると、どうやら旦那様がマーガレットさんを社交界のお茶会に同伴するらしい。まるで自分が正妻のように装って出席するつもりなのだとか。
わたくしは食卓に座り、スープをいただきながらひとりごとを言った。
『愛人を連れてお出ましとは、よほど恥を知らぬ方ね』
とはいえ、そんな愚か者たちに時間を割くなんて勿体ないわ。
今日は離れでニールと静かに過ごすつもりだったのに。
そういえば、今朝からニールの姿が見えないのよね。
「奥様、大変です!」
メイドのアンナが息を切らして飛び込んできた。
「旦那様のお召し物が!」
案の定、何かやらかしたらしい。
急ぎアンナについて行くと、玄関先で旦那様が怒鳴っていた。
「どういうことだ! なぜコートがこんなことに!」
見ると、旦那様の高価な外套の裾が、見事にずたずたに裂かれている。
しかもそこには、ニールが堂々と座っていた。
「黒猫だ! だ、誰かこの猫をなんとかしろ! こんな不吉な猫、何処かへ捨ててしまえ!」
旦那様が大声で叫ぶと、使用人たちがざわめいた。
旦那様の顔は真っ青。マーガレットさんは袖で口を押さえ、わざとらしく震えながら叫んだ。
「いやだわ、やっぱり不吉な猫よ!」
わたくしはゆっくりと歩み寄り、裾の裂けたコートを観察した。
黒い毛が少し付いているのを見て、わざとらしく微笑んだ。
「まぁ、なんてこと。けれどご安心を、旦那様」
「な、何が安心だ!」
「ニールは賢い子ですの。気に入らない匂いにだけ、牙を立てるのです。きっとニールなりに何かを感じてこうしたに違いありませんわ」
静まり返る空気の中、コック長が小声で言った。
「確か、そのコート、マーガレット様が香水をこぼされたました」
旦那様の顔がみるみる赤くなり、マーガレットさんは青ざめる。
「ええ、ニールは賢い生き物ですわ。人のようにごまかしは致しませんもの。きっとニールは良かれと思いこうしたのですわ」
すると、ニールは上を向いた。
「にゃあ」
その声はまるで『同意する』と言ったようだった。
わたくしはその小さな背を撫でながら、ニールと去ろうとした。
するとマーガレットさんが鬼の様な形相で怒鳴ってきた。
「ちょっと! 貴女が飼ってる猫なんだから、コートの弁償は貴女がしなさい」
それならと、わたくしは優しく教えて差し上げた。
「あら、何を言ってるのかしら? このような安物の香水の臭いをプンプンさせてお茶会に参加なさったら、それこそご夫人たちに何を言われたか、せっかくの紅茶の香りを台無しにするところでしたのよ、寧ろニールに感謝すべきでは?」
「な、何を!」
「それでは、旦那様。ニールを信じられないなら、どうぞそのままお出かけを。そして、そちらの愛人をエスコートなさってくださいませ。彼女にはその裂け目、よくお似合いですわよ」
わたくしがそう言って去ろうとした時、ニールは彼女のスカートの裾を軽く引っかいた。
とたんに布地が裂け、真っ白なペチコートが風にひらり。
その場の使用人たちの表情が、笑いをこらえるように歪んだ。
「きゃあっ!」
マーガレットさんが悲鳴を上げてしゃがみこむ。
わたくしは思わず、唇の端を上げた。
「まぁ、まるでお似合いの二人ね。外套もスカートも、どちらもほころびだらけですこと」
その場にいた者たちは、誰ひとり声を上げなかった。
だけど、わたくしの背後でコック長が笑いを誤魔化すように、小さく咳払いした。
旦那様は鬼の形相でその場を立ち去り、マーガレットさんは真っ赤な顔で、彼の後を追っていった。
静けさが戻ると、ニールが椅子の上に飛び乗り、喉をゴロゴロと鳴らす。
「よくやったわ、ニール」
わたくしは微笑んでその背を撫でた。
「世の中の不吉とは、真実を暴かれることを恐れる者たちの言い訳なのよ。大体、真実を暴かれて一番困るのは誰なのか、全く理解していないのが笑えるわ」
黒猫は黄金の瞳を細め、まるで賛同するように小さく鳴いた。そんなニールに話し掛けた。
「社交界のご夫人たちが一番好む話題が自分たちのスキャンダルだということもご存知ないのね。それが広まった先にどんな未来が待っているか、侯爵家嫡男だというのに困った方たちだわ。今日のところはニールのお陰で助かったわね」
その夜、屋敷の使用人たちは囁いていた。
不吉と言われる黒猫が、侯爵家の体面を守ったと。
その頃、わたくしは、ゆったりと椅子に腰掛け、静かに本を読んでいた。
そして、ふと思うのです。
「ニールのざまぁ、とは、なんて華麗なのかしら」
と。
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