16 / 22
16話
しおりを挟む
次の日。
やはり、無理だ。
執務室の椅子に腰掛け、ランガーは深く息を吐いた。
ロイドの言葉が、まだ耳に残っている。
名乗りを上げてもいいのではないか。
彼は、簡単に言う。
だが、それがどれほど自分にとって、重い言葉か、彼には分かっていない。
(釣り合わない)
それは謙遜ではなかった。
事実だと、ランガー自身が誰よりも思っていることだった。
確かに、仕事には自信があった。
金融の才覚も交渉力も、自分なりに努力を重ねて、それなりの結果を出している自負はある。
それに王家の財政難の際にはそれなりの寄付や献金もしてきた。そういった点では胸を張れる。
しかし、社交界で人を惹きつける魅力はない。
冗談のひとつも言えない。
見目も、決して良いとは言えない。
そして何より。
ルシアンの顔が、脳裏に浮かんだ。
彼女は怯えながらも立ち向かい、遂には自由を勝ち取った。その姿は強く、美しい。
そんな彼女には、もっと相応しい男がいるはずだ。
未来を明るく、照らしてくれる存在が。
それが、自分でないことだけは、はっきりしている。
(自分には、守る資格はあっても、名乗りを上げる資格はない)
それでも。
想いが、消えるわけではなかった。
なら、せめてロイドと共に彼女の近くで、その笑顔を、そして、幸せを見届けようと、心に決めたランガーだった。
数日後。
ランガーは、王都の一角にある侯爵邸の応接室にいた。
向かいに座るのは、一人の女性。
侯爵家の未亡人。
亡き夫の後を継ぎ、まだ幼い嫡男と共に領地経営を支えている人物だった。
「本日は、お時間を頂き、感謝します」
柔らかな物腰の、その方の瞳の奥には、疲労と覚悟が滲んで見えた。
「夫が亡くなってから、資金繰りが厳しく、何とか領地を守りたいのですが、息子はまだ幼く、どうしたら良いのか分かりません」
ランガーは、静かに頷いた。
「状況は理解しました。拝見した帳簿からすると、無理な投資は一切されていませんね。堅実な経営です」
未亡人の表情が、ほっと緩む。
「ありがとうございます。そう言っていただけるだけで、救われます」
それから、その方と、何度か面会を重ねた。
領地の収支。
将来を見据えた融資計画。
幼い嫡男をどう支えるべきか。
ランガーは、あくまで仕事として、誠実に助言をしていただけだった。
その日も、いつものように。
「今日は、息子も連れて来ておりますの」
そう言われ、応接室に通した。
緊張している少年に、優しい言葉をかけ、彼の表情を和らげた。
その光景を……。
扉の外から、誰かが見ていたことに、気づくことはなかった。
(やはり……)
廊下の陰で立ち尽くしながら、ルシアンは胸を押さえた。
穏やかに微笑むランガー様。
向かいに座る、美しい貴族女性と、たぶん、その方の子供。
それは、まるで家族のような光景だった。
あの女性はどこかで……見覚えがあった。
私は記憶を巡らせた。
そう、いつだったか、お兄様と参列したルイノール侯爵様の葬儀。その際、喪主を務められていた方だわ。
つまり、今は未亡人ということになる。
(そういうことだったのね。それなのに私ったら……)
胸が、ちくりと痛んだ。
今日にかぎって、兄に頼まれ書類を届けに来ただけなのに、偶然見かけた光景に、見てはいけないものを見てしまった気がして、ランガー様に声をかけることが出来なかった。
自分が何を期待していたのか、分からない。
けれど、その光景を見てしまった瞬間、何かが静かに崩れた。
釣り合わない。
彼がそう言った理由が、今なら分かる気がする。
(きっと、あれは彼なりの優しさだったのね。それなのに私ったら、勘違いをして……僅かな期待をしてしまった)
胸の痛みを抑えながら、私は頼まれた書類を、隣室のテーブルに置き、そっとその場を後にした。
その夜。
机の上に置かれた釣書の一通に、ルシアンは視線を落とす。
侯爵家嫡男。
家格も、人柄も、申し分ないと評判の相手。
(……前を向かなくては)
これ以上、誰かに心を乱されるのは、もう終わりにしたい。
ゆっくりと、その釣書を手に取った。
返事をするべきか。それとも。
答えは、まだ出ない。
ただ一つ確かなのは。
この胸の痛みが、思った以上に厄介だということだった。
彼女の脳裏には、今日目にした三人の仲睦まじい姿が、焼きついたままだった。
やはり、無理だ。
執務室の椅子に腰掛け、ランガーは深く息を吐いた。
ロイドの言葉が、まだ耳に残っている。
名乗りを上げてもいいのではないか。
彼は、簡単に言う。
だが、それがどれほど自分にとって、重い言葉か、彼には分かっていない。
(釣り合わない)
それは謙遜ではなかった。
事実だと、ランガー自身が誰よりも思っていることだった。
確かに、仕事には自信があった。
金融の才覚も交渉力も、自分なりに努力を重ねて、それなりの結果を出している自負はある。
それに王家の財政難の際にはそれなりの寄付や献金もしてきた。そういった点では胸を張れる。
しかし、社交界で人を惹きつける魅力はない。
冗談のひとつも言えない。
見目も、決して良いとは言えない。
そして何より。
ルシアンの顔が、脳裏に浮かんだ。
彼女は怯えながらも立ち向かい、遂には自由を勝ち取った。その姿は強く、美しい。
そんな彼女には、もっと相応しい男がいるはずだ。
未来を明るく、照らしてくれる存在が。
それが、自分でないことだけは、はっきりしている。
(自分には、守る資格はあっても、名乗りを上げる資格はない)
それでも。
想いが、消えるわけではなかった。
なら、せめてロイドと共に彼女の近くで、その笑顔を、そして、幸せを見届けようと、心に決めたランガーだった。
数日後。
ランガーは、王都の一角にある侯爵邸の応接室にいた。
向かいに座るのは、一人の女性。
侯爵家の未亡人。
亡き夫の後を継ぎ、まだ幼い嫡男と共に領地経営を支えている人物だった。
「本日は、お時間を頂き、感謝します」
柔らかな物腰の、その方の瞳の奥には、疲労と覚悟が滲んで見えた。
「夫が亡くなってから、資金繰りが厳しく、何とか領地を守りたいのですが、息子はまだ幼く、どうしたら良いのか分かりません」
ランガーは、静かに頷いた。
「状況は理解しました。拝見した帳簿からすると、無理な投資は一切されていませんね。堅実な経営です」
未亡人の表情が、ほっと緩む。
「ありがとうございます。そう言っていただけるだけで、救われます」
それから、その方と、何度か面会を重ねた。
領地の収支。
将来を見据えた融資計画。
幼い嫡男をどう支えるべきか。
ランガーは、あくまで仕事として、誠実に助言をしていただけだった。
その日も、いつものように。
「今日は、息子も連れて来ておりますの」
そう言われ、応接室に通した。
緊張している少年に、優しい言葉をかけ、彼の表情を和らげた。
その光景を……。
扉の外から、誰かが見ていたことに、気づくことはなかった。
(やはり……)
廊下の陰で立ち尽くしながら、ルシアンは胸を押さえた。
穏やかに微笑むランガー様。
向かいに座る、美しい貴族女性と、たぶん、その方の子供。
それは、まるで家族のような光景だった。
あの女性はどこかで……見覚えがあった。
私は記憶を巡らせた。
そう、いつだったか、お兄様と参列したルイノール侯爵様の葬儀。その際、喪主を務められていた方だわ。
つまり、今は未亡人ということになる。
(そういうことだったのね。それなのに私ったら……)
胸が、ちくりと痛んだ。
今日にかぎって、兄に頼まれ書類を届けに来ただけなのに、偶然見かけた光景に、見てはいけないものを見てしまった気がして、ランガー様に声をかけることが出来なかった。
自分が何を期待していたのか、分からない。
けれど、その光景を見てしまった瞬間、何かが静かに崩れた。
釣り合わない。
彼がそう言った理由が、今なら分かる気がする。
(きっと、あれは彼なりの優しさだったのね。それなのに私ったら、勘違いをして……僅かな期待をしてしまった)
胸の痛みを抑えながら、私は頼まれた書類を、隣室のテーブルに置き、そっとその場を後にした。
その夜。
机の上に置かれた釣書の一通に、ルシアンは視線を落とす。
侯爵家嫡男。
家格も、人柄も、申し分ないと評判の相手。
(……前を向かなくては)
これ以上、誰かに心を乱されるのは、もう終わりにしたい。
ゆっくりと、その釣書を手に取った。
返事をするべきか。それとも。
答えは、まだ出ない。
ただ一つ確かなのは。
この胸の痛みが、思った以上に厄介だということだった。
彼女の脳裏には、今日目にした三人の仲睦まじい姿が、焼きついたままだった。
94
あなたにおすすめの小説
愛人の生活費も、お願いします 〜ATM様、本日もよろしくてよ〜【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
政略結婚で結ばれた王子ザコットと、氷のように美しい公爵令嬢ビアンカ。だが、ザコットにはすでに愛する男爵令嬢エイミーがいた。
結婚初夜、彼はビアンカに冷酷な宣言を突きつける。
「お前を愛することはない。俺には愛する人がいる。このエイミーだ」
だが、ビアンカは静かに微笑み、こう返す。
「では、私の愛人の生活費も、お願いします」
──始まったのは、王子と王子妃の熾烈な政略バトル。
愛人を連れて食卓に現れるビアンカ。次々と辞表を出す重臣たち、そしてエイミーの暴走と破滅……。
果たして、王子ザコットの運命やいかに!?
氷の王子妃と炎の愛人が織りなす、痛快逆転宮廷劇!
⚠️ 本作は AI の生成した文章を一部に使っています。 コメディーです。
「10歳の頃の想いなど熱病と同じ」と婚約者は言いました──さようなら【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王太子フリードリヒの婚約者として、幼い頃から王妃教育を受けてきたアメリア・エレファウント公爵令嬢。
誰もが羨む未来を約束された彼女の世界は、ある日突然1人の少女の登場によって揺らぎ始める。
無邪気な笑顔で距離を(意図的に)間違える編入生ベルティーユは、男爵の庶子で平民出身。
ベルティーユに出会ってから、悪い方へ変わっていくフリードリヒ。
「ベルが可哀想だろ」「たかがダンスくらい」と話が通じない。
アメリアの積み上げてきた7年の努力と誇りが崩れていく。
そしてフリードリヒを見限り、婚約解消を口にするが話は進まず、学園の卒業パーティーで断罪されてしまう……?!
⚠️ 本作は AI の生成した文章を一部に使っています
【完結】六歳下の幼馴染に溺れた夫。白い結婚を理由に離縁を申し立てたら、義弟(溺愛)に全力で求婚されました
恋せよ恋
恋愛
夫が愛でるのは、守ってあげたくなるような「可憐な少女」。
夫が疎むのは、正論で自分を追い詰める「完璧な妻」。
「シンシア、君はしっかりしているから、大丈夫だろう?」
六歳年下の幼馴染ジェニファー子爵令嬢を気遣う貴方。
私たちは、新婚初夜さえ済ませていないのよ?
完璧な家政、完璧な社交。私が支えてきたこの家から、
ニコラス、貴方って私がいなくなったらどうなるか……。
考えたこともないのかしら?
義弟シモンは、学生時代の先輩でもあるシンシアを慕い
兄ニコラスの態度と、幼馴染ジェニファーを嫌悪する。
泣いて縋るあざとい少女と、救世主気取りの愚かな夫。
そして、義姉であるシンシアを慕うシモン。
これは、誇り高き伯爵夫人、シンシアの物語である。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!
お好きになさって下さい、私は一切気にしませんわ
Kouei
恋愛
婚約者のクレマンド様は、いつも私との約束を破ってばかり。
理由は決まって『従妹ライラ様との用事』
誕生日会にすら来なかった彼に、私はついに告げた。
「どうぞ、私以外のご令嬢をエスコートするなり、お出かけするなり、関係を持つなり、お好きになさって下さい。私は一切気にしませんわ」
二人の想いは、重なり合えるのだろうか ……
※他のサイトにも公開しています。
断罪された薔薇の話
倉真朔
恋愛
悪名高きロザリンドの断罪後、奇妙な病気にかかってしまった第二王子のルカ。そんなこと知るよしもなく、皇太子カイルと彼の婚約者のマーガレットはルカに元気になってもらおうと奮闘する。
ルカの切ない想いを誰が受け止めてくれるだろうか。
とても切ない物語です。
この作品は、カクヨム、小説家になろうにも掲載中。
婚約者様への逆襲です。
有栖川灯里
恋愛
王太子との婚約を、一方的な断罪と共に破棄された令嬢・アンネリーゼ=フォン=アイゼナッハ。
理由は“聖女を妬んだ悪役”という、ありふれた台本。
だが彼女は涙ひとつ見せずに微笑み、ただ静かに言い残した。
――「さようなら、婚約者様。二度と戻りませんわ」
すべてを捨て、王宮を去った“悪役令嬢”が辿り着いたのは、沈黙と再生の修道院。
そこで出会ったのは、聖女の奇跡に疑問を抱く神官、情報を操る傭兵、そしてかつて見逃された“真実”。
これは、少女が嘘を暴き、誇りを取り戻し、自らの手で未来を選び取る物語。
断罪は終わりではなく、始まりだった。
“信仰”に支配された王国を、静かに揺るがす――悪役令嬢の逆襲。
罠に嵌められたのは一体誰?
チカフジ ユキ
恋愛
卒業前夜祭とも言われる盛大なパーティーで、王太子の婚約者が多くの人の前で婚約破棄された。
誰もが冤罪だと思いながらも、破棄された令嬢は背筋を伸ばし、それを認め国を去ることを誓った。
そして、その一部始終すべてを見ていた僕もまた、その日に婚約が白紙になり、仕方がないかぁと思いながら、実家のある隣国へと帰って行った。
しかし帰宅した家で、なんと婚約破棄された元王太子殿下の婚約者様が僕を出迎えてた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる