僕らの復活戦

GENSHOU MARUYAMA

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1話 はるか先生との指切り

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1話 はるか先生との指切り

「私のことは忘れてね。」
と、忘れえぬはるか先生にそう告げられた春、「もう14歳だ」と思っていた。が、「まだ14歳」だった。
 
2年の夏、3年生から引き継いで、「キャプテン!」と呼ばれるようになった僕は、はじめ照れを感じながらも意識しないうちに有頂天になっていた。
2年生冬の県新人戦選抜大会、男子団体戦を初優勝のカップを受け取ったときは、その高揚の絶頂だった。
顧問のはるか先生はとびきりの笑顔で喜んでくれた。
解散であいさつに来た母に、
「冬樹君全勝。エースの責任果たしましたね。ベンチでも仲間にパワーを送り続けて、試合している選手以上に戦っていたことが素晴らしかったですよ。卓球部の歴史を作ってくれました。キャプテンの力、大きいですよ。」
と言ってくれた。母は頭を下げながらも、謙遜したのか、時に首を横に振っていた。はるか先生は凍てつく駐車場の照明に潤んだ瞳を輝かせ、おなかに手を当てながら続けた。
「お母さん、私、生まれてくる子が冬樹君のような熱い子に育ってくれたら…と思っているんですよ。情熱もエネルギーもあって、仲間を大切にして、リーダーシップもあって…。今、どんどんと結果を出しているでしょう。冬樹君は、産休に入る前の私を、県大会優勝監督にしてくれたんですよ。」
いつも高いものを僕たちに求めるはるか先生が、褒めてくれているので素直に喜べばいいのに、照れというかくすぐったささえ感じていた。
母も神妙な面持ちで聞いていた。
「ありがとうございます。冬樹は先生をとても尊敬しているんです。先生も身重なのに、お寒い中、本当にお疲れさまでした。ありがとうございました。」
とお辞儀をしながら、照れ隠しだろうか、
「でも先生…、この子みたいにというのはどうですかね…、この子、お調子者は仕方ないにしても、アタマ悪いですよ。」
と余計なことを言った。勉強できないのは自分が気にしていることだし、嫌なくらいわかっている。
すると、はるか先生は少し真顔になって、
「でもお母さん。冬樹君の『卓球アタマ』はいいですよ。むしろ賢いです。」
といった。母は、
「卓球アタマですか?」
と怪訝な顔をした。
「冬樹君の卓球ノート、お母さんは見たとことはありますか?試合の振り返りなんてすごいですよ。ゲームのポイント経過全部記憶しているんです。よく観察して、考えながら戦術を組み立てているのがよくわかります。相手にはどんなことを得意として、どんな隙があるのかとか、自分の通用する技術はこれだとか…。その上、勝敗を分けたポイントはどこかとか、次はどうすれば勝てるかとか、14歳のレベルではないです。私は中2でこんな力なかったですよ。あとはより高いレベルでの経験ですね。」
僕は、考える力をつけなければ強くならないことを中村道場に集う人たちとのつながりの中で教えられ、鍛えられていた。でも先生の言う、「より高いレベルでの経験」って何だろう。やはり全中へ行くことなのか、それとも卓球の強豪校へ進学することなのか…と思いを巡らせていた。その時、先生が小さなくしゃみをした。身重なのに風邪なんかひかれたら大変だ。その時の照れくささもあったし、何より先生に早く車の中に入ってもらいたくて、
「先生、優勝カップのほかに風邪なんかもらったら大変です。僕、勉強も頑張ります。今日はありがとうございました。元気な赤ちゃん産んでください。」
と挨拶して母の車に乗った。

母は黙って粉雪で白くなりだした広域農道にハンドルを切った。僕は一日の戦いを振り返っていた。
振り返れば、予選リーグ初戦で第1ゲームを落としたほかは、運に助けられた奇跡ともいえる3-0の勝利だった。チームとしても、8試合、僕と通称「ガクシャ」優等生の邦彦も全勝。しかも邦彦は2戦しかしていない、守護神としてラストに邦彦が控えているのは心強いが、6試合は4番手までか、邦彦が1ゲーム取るかどうかの前に決まっていた。晋介は4勝4敗、しかし負けた試合もポイントのたびに雄叫びを上げてムードメーカーとしての役目は十分すぎるほど果たした。明人・俊太のダブルスも5勝3敗。勇誠は2勝1敗、響は1勝1敗、あと一歩のジャイアントキリングがあった。先生の決めたオーダーは予選から決勝まで同じだった。1番僕。2番晋介。3番ダブルス明人・俊太。4番勇誠か響。5番邦彦。これでは相手にオーダーをさらしているようなものだった。決勝トーナメントからは、対戦相手は2番4番にエース、準エースをぶつけてきた。それでも「勝て」というはるか先生の意思が伝わってきた。僕らもゲームによっては厳しい試合はあっても勝つのは自分たちだという空気に満ちていた。僕は目を瞑って瞼のスクリーンにその日の自分たちをリプレイしていた。
ふと、目を開けると母の瞳が潤んで光って見えた。僕の視線に気づいたのか、
「おめでとう。卓球にして良かったね。」
と柔らかい口調で言った。
家では僕の大好物のお寿司を取って父が待っていた。野球をやめてから一度も卓球の応援になんかは来たことのない父も、僕の活躍を母から聞いて感心していた。
少し親孝行らしきことができたのかと思った。

県新人戦が終わって練習にさらに熱が入った。朝部活の前にランニングのほかに体幹トレーニングも取り入れた。優勝してから、土日のどちらかは県下各校から練習試合に呼ばれるようになった。そこでも僕らの戦績は良かった。はるか先生は身重にもかかわらず引率してくれた。先生は愛車の軽四駆か旦那さんの車で会場に行けばいいものを、電車で松本や塩尻までとなれば、僕らに付き合ってくれた。会場までは徒歩だった。僕たちは先生の持ち物を半ば奪い合うようにして持った。
帰り道、僕は先生に精一杯の背伸びをして、
「先生、次からは会場までは、僕が責任をもってみんなを連れていきますから、先生は車で来てください。」
とお願いしたが、聞き入れなかった。先生は真顔で、世間というものを諭すように、
「冬樹、中学校2年生が、責任をとれるとでも思っているの?」
と言ったのだ。先生にしては何とも冷めた口ぶりだった。「まだ、子どものくせに。」とあきれているようにも見えた。僕はこの時無性に、早く大人になりたいと思った。先生のような女性に信頼される一人前の大人にと、本気で思っていた。中学生のくせに…。
保護者会でも先生の体調を心配し、電車引率ではなく、保護者の車に分乗していくことを提案して、ようやく聞き入れてもらえた。三月第四週が明け、先生が産休に入るまで練習試合は学校部活動の自主規制の上限まで組まれた。
はるか先生はもうじき産休に入ってしまう。後の顧問の先生は卓球をやったことのある人だろうか、卓球をある程度知っているだろうか。知っていなくたっていい、理解さえあれば。

振り返れば、はるか先生は僕たちにとって最高の顧問だった。
2年前、僕たちの入学と一緒に、大学を卒業しての初任者として西部中に赴任してきた。神奈川の出身で、松本在住の今の旦那さんと結婚するために長野県の採用試験を受けたという。
着任当初、小柄でポニーテールの似合う、おでこが可愛い「お姉さん先生」は、すぐに隠れた人気者になった。しかし、卓球部の先輩たちは、「女子高生みたいな先生が卓球?」「どうせ、頼まれ顧問だろう。」とでも思ったのだろう、はるか先生の指導力には全く期待していなかったようだ。実際、練習初日にキャプテンの村澤先輩は、
「先生は僕たちレギュラーに教えてくれなくてもいいです。練習を見ていてくれさえすればいいです。練習メニューも試合のオーダーも僕たちが考えますから、先生は保護者あてのプリントを作ったり、試合の時に本部に提出するスコアにサインしてくれたりすれば、それでいいです。」
と失礼なことを言ったらしい。はるか先生は怒りもせず、
「あら。そうなの?」
とキャプテンを見つめ、
「なら私は初心者と練習するね。」
と返したらしい。
先輩たちが先生に浴びせた言葉がいかに的外れだったかは、徐々にではあるが確実に判明していった。
 僕は台につかなくても、ラケットとボールの扱いでプレーヤーとしてのレベルがわかるようになっていた。僕ら1年生にボール突きなど玉慣れの基礎練習の模範を示してくれたが、はるか先生の力量は一目瞭然。ボールがラケットにはじかれ、突き放され、引っ掛かり、リズミカルに響き、ラバーに吸い付く、すべてがコントロール下にあった。リモコンでボールを操っているみたいだ。
僕たちが先生の真似をしていると、先生はすぐに僕の所へ来て小声で聞いた。
「あなた、ホープスでは県でどれくらいだったの?」
「6年のとき4位です。」
「すごいね。なら全日本ホープスにも出たの?」
「はい、出ました。本当は3位までしか枠はなくて、僕は4位なのであきらめていたら、大会本部に『ペンホルダー枠』で推薦してもらえました。」
僕はこの時、先生が「できる先生」というレベルではなく、「すごい先生」だということを確信した。

村澤キャプテンも先生の初心者指導を見て、とんでもないことを言ってしまったと日を追うごとに感づいたらしい。すぐに謝ればいいものを、はるか先生と勝負がしたいと3ゲームスマッチの試合を申し込んだ。
その試合を僕たち一年生も見ることになった。
はるか先生はハーフスピードのロングサーブしか使わなかった。はじめから強打らしいボールもない。最初の攻撃球は全てキャプテンにゆだね、自分はボールを捌くかブロックに徹していた。一番びっくりしたのはぶっちぎれのツッツキだった。ネットインしたかと思ったらネットに吸い付くように戻った。先輩たちの生唾を飲む音が聞こえた。僕にも衝撃の切れだった。そのころ中村道場で同じツッツキを教えてもらっていたが、先生ほど完ぺきに決められる確率はとんでもなく低かった。強打したのはマッチポイントだけ。先輩のエースボールのバックストレートスマッシュをカウンタースマッシュで決めた。「スゲエ」「カッケー」というささやきが漏れた。
11-3 11-0 先輩のすべての攻撃は、あれを「全て見切られている。」というんだろうか、コースも球質も全て予測されていた。勝負にならなかった。はるか先生の完勝だった。
村澤先輩はうなるように絶句した。やがて顔を真っ赤にして先生に謝った。
「先生、部活動出発の会の時には失礼なことを言って申し訳ありませんでした。僕たちにも指導してください。」
先生は、許すとも許さないとも言わず、ただ一言、
「私も仲間に入れてくれるんだね。…なら一緒に頑張ろう。」
とほほ笑んだ。
副顧問のガンちゃんこと岩田先生の話だと、はるか先生は「できる先生」なんていうレベルではない、インターハイにもインカレにも、あの全日本にも出場した経験がある現役アスリートだという。

一年新入部員の僕といえば、体力づくりと素振りボール慣れの5月が終わるとすぐに団体戦のレギュラー組に入れられた。僕が左利きということもあり、2年生の右利きの原田先輩とのダブルスを組んだ。はるか先生が決めたことに、3年生も異論をはさまなかった。運がよかったといえるが、上級生の中に一人だけ入っていくのは正直、気が引けた。原田先輩も僕に気を使っているのがわかって、気疲れも半端ではなかった。
先生は僕を呼んで、
「冬樹、ダブルスは難しい。その難しさを克服する学びの中に、卓球の神髄がある。『ダブルスの不思議』という言葉もある。シングルのチャンピオン同士が組んでも最強とは限らない。でもダブルスで基本を一から練習して結果を出すようになると、その二人はそれぞれのシングルスで信じられないほど結果を出す。冬樹には、まずは団体戦のダブルスで、同時にシングルスでも結果を出してほしい。」
 1年の僕に「神髄」なんて言葉は高度だったが、僕なりに理解しようとしていた。先生の言葉通り、ダブルスは難しかったが、楽しかった。原田先輩も先生が、何かをアドバイスしたらしく、それからというもの遠慮がなくなって、コミュニケーションが取れるようになり、得点するたび、勝つたびに二人分の楽しさを感じるようになっていった。
2年の夏までは邦彦とのダブルスだった。カットマンの邦彦がパートナーだから、僕は相手のバックスピンか、でなければループドライブを受けることになる。僕はドライブのカウンターが得意になっていた。2年夏の団体戦は北信越出場まで果たした。チームは予選リーグで敗退したが、僕たちのダブルスは地区予選。県大会、北信越を通じて全勝だった。
そして迎えた新人戦だった。僕はキャプテンとして県新人大会で全勝した。先生の言った通りダブルスをやってよかったと思った。

実は、陰で「はるか先生は可愛い」「卓球部はいいな、顧問の先生が美人で…」と他の部からうらやましがられながら、僕たちに求める要求は高く、しかも厳格だった。
まず、先生は練習場所である広い多目的教室の清掃も、卓球台の設置もレギュラーだけにやらせた。レギュラー以外は卓球台に触ることができないし、モップを持つことさえできない。レギュラー10名以外はひたすら走り込みとシャドウプレイ、ボールスキルのトレーニングをさせられた。はじめは先輩にも、他の運動部にも、先生の指導は違和感を持って受け止められた。
1年生が自分たちも準備がしたい、清掃もやりたいと直訴したとき、先生は、
「だったら早く強くなって、レギュラーになりなさい。」
とだけ言って相手にしなかった。私のスタンスは変えないよ…という口調だった。準備、清掃、後片付けはレギュラーの「特権」になった。僕たちは誇りを持って清掃し、卓球台を扱った。
声を荒げるような指導はないが、安易も妥協はしない。
めったに怒らないからこそ、稀にかけられる厳しい言葉は、みんなが胸の奥まで刻まれて忘れられなくなる。
2年の県大会団体戦予選リーグのことだ。トップ、副キャプテンでエースの茂木先輩が相手の変化ラバーのショートに振り回されたうえに、ラケットの角度が合わずに1-3で落としたことがあった。4ゲームはネットイン、エッジが合計4本あった。茂木先輩は失点のたびの落胆の動作が大きくなっていった。マッチポイントもドライブをピタ止めされると、天を仰ぎ、終了の挨拶も首を一瞬わずかに下げただけでベンチにどっかりと座った。先生への報告もしなかった。
はるか先生は次の試合から茂木先輩をベンチに下げた。オーダーから外されてふてくされた先輩、それを見て、はるか先生は目の前に呼びつけた。
「あなた、試合に勝つことよりも大切なことがあるでしょう。―そして何?あの大げさな動作は、あなたは周りに言い訳していたんでしょう。『本当は自分の方が強いのに、今日は運が悪いだけさ、本当はこんなはずじゃなくてもっと強いんだぜ。…』ってね。実はあの1-3のスコア、あれが今のあなたの本当の実力。試合に向かう気持ちも考え方も整っていない。あんなみっともない下手な演技をするんだったら、困ったまま泣いている方が正直で可愛げもあってまだマシ。エースと呼ばれたいなら、常に目の前の一本をどう取り返すかに集中しなさい。まして副キャプテンだったら、自分は負けたとしても仲間を励ますとか、やらなくてはならないことがあったはずよね。」
心まであぶりだすような叱責に、茂木先輩は返す言葉がなかった。先輩にとって図星だったんだと思う。はるか先生はあの言葉で先輩ばかりでなく僕たちに「つまらない演技や情ない言い訳は恥ずかしいだけだ。」と指導しているようにもみえた。
僕も厳しい指導を受けたことがあった。
2年新人戦に先立つ秋の市民祭卓球大会だった。中学校男子個人戦、3年生は引退していて、僕は初めての第1シード。晴れがましさもあったし、勝って当然とみられているプレッシャーもあった。二回戦が初戦、シード下から勝ち上がってきた相手との対戦だった。1ゲーム2ゲームをラブゲームで取り、3ゲームに入ると相手が半泣きになった。観戦している人は相手の家族らしい人だけ。重苦しい雰囲気だった。その空気から逃れたくて、第3ゲームの前半にまわりに気づかれないように、少しだけ雑にプレイし2本レシーブミスをした。2本だけのつもりが、リズムが崩れたというのか、タガが外れたというのか、合計6本も落とした。しかし相手の半泣きは変わらず試合は終了した。ギャラリーに上がりはるか先生に、
「第1第2ゲームはラブゲーム、第3ゲームは11-6で、ゲームカウント3-0で取りました。」
と報告すると大きな目を見開いて僕を見た。黙ったままだ、しかも思い切り不機嫌だ。何が原因?もしやあの2点のこと…と脳裏をかすめた。
「全部見てたんだけど…。あなた…」
先生が生徒を名前で呼ばずに「あなた」と言うのはヤバいサインだ。
「あのレシーブミスは何なの、あなたの全力じゃない。弱いと思った相手に見下したようなプレイをしていいの?中学生としてサイテー。ましてキャプテンがすることじゃない。国際親善試合ならラブゲームはマナー違反かもしれないけど…。中学生の試合で、0点回避マナーなんて…あるわけがないでしょ。点をプレゼントする…なんてよくできたね。そんな態度こそ失礼の極み、傲慢の極致。全力を出さない瞬間があったとしたら、選手として失格。そのあとの4点の失点は、競技を貫いている摂理。…いつからあなたは日本代表選手のつもりになったの?相手を見下すようになったの?私はとても…、悲しい。」
先生はしばらく僕を前に立たせたままだった。突き放されたまま、放置されている状況だった。この様子をみんなが少し驚きながら見ていた。先生のことを尊敬しているのに、あまりじゃないかと思った。
―「ゴウマンのキョクチ」「セツリ」…家に帰って言葉をネットで調べた。「摂理」という言葉には「神様の法則」とか哲学的宗教的な意味もあるらしい。先生は僕に、今の指導はこれからの人生のあり方までも教えたかったのだろうか。
だが、この指導にも感謝している。「ラブゲーム回避マナー」なんかは中学生にはない。それからの試合、僕たちはそれこそ次の1本を取ることだけに、たとえそれが容赦のないスコアになっても全力プレイをすること、それこそが相手に対する礼儀だ、選手としての責務だ、行動の規準だと知ったからだ。
先生は心の整え方についてはとりわけ妥協しなかったように思う。今でもはるか先生のあの声を思いだす度、背骨が伸びる思いがする。

先生は自分のことをあまり語りたがる人ではなかったが、一度懐かしそうに、少しだけ寂しそうに卓球を始めた頃のことを語ったことがあった。
新人戦前の晩秋の西部中の部活動対抗駅伝大会のことだった。
全国につながる陸上部の県駅伝大会の壮行試合も兼ねていた。僕たち卓球部は速い方だった。勝ちたい理由があったからだ。男子バレーボール部の顧問で、しかも生徒指導の保健体育科教師ミシマが口を開くたびに、卓球部や卓球という競技そのものをディスっていたからだ。
「昔は西部中に卓球部なんてなかったが、今は楽な卓球部や軽いスポーツに流れる。バレー部に入らなくなって困る。」
「バレーのボールはピンポン玉と違ってジャストミートして全身で打たなければ飛ばんぞ!」
僕には体育の授業の後、なれなれしく肩に手をかけながら、
「市民祭、優勝おめでとう。しかしなあ、よくよく…お前の運動能力で卓球なんてモッテーネーヨなぁ。」
と言った。いったいどれだけ卓球をなめているんだ。
 僕たち部員は皆、頭に来ていて、男子バレー部だけには勝ちたいと、秋になって休日部活の始まる30分前になれば、部員は誰といわずに大会コースの学校外周道路を3周以上は走り込むという暗黙の習慣ができていた。先生もはじめは、集合の前には十分に体が温まっている僕たちに感心してくれたが、毎週何かにとり憑かれたように走る僕たちを不思議がり、わけを聞いてきたのだ。僕たちは、
「卓球というスポーツをなめているミシマ先生を見返したい、今年の目標はバレー部にただ勝つことだけじゃなくて周回遅れにすることだ…。」
と洗いざらい話した。はるか先生だったら共感してくれるだろうと。
 先生はといえば、僕たちの話をあらぬ方向を向いて半分笑いながら聞いている。特にバレーボールという言葉が出た時なんかは半分吹き出しそうだった。僕たちが真剣に話しているのにおかしな聞き方だ。すると、先生は思い出すように語った。
「実はね、私の父も高校の体育教師でね、今でもバレー部の監督をしているの。私も小さいころからよくバレーのボールで遊ばされていたな。小学校まではバレーをやっていたよ。結構楽しかったけどね。4年になった時、コーチたちに、『お前はすばしこくてパンチ力もあるが、惜しいかな背が小さい、だからセッターをやれ!』といわれたの。でもね、私は自分で打ちたかった。ちょうどそのころ同じクラスの友達が卓球の少年団に入っていて、その体験入団に誘われたの。初めてラケットを持って相手のコートに打ったとき、とても気持ちよかったよ。初めは父に、バレーもやるから卓球もやらせてくれ…とお願いして始めたけれど。大会が重なれば、チームのセッターは私だけじゃなかったこともあって、卓球に行くことの方が多くなり、父はとうとうあきらめたのかバレーをやれとは言わなくなった。卓球の監督さんが体協の会で父に、『娘さんは当て感がいい』とか言って感心したのがきっかけだっていうけれど。中学校の卓球部の入部届にサインするときの父は寂しそうだったな。…でもバレーやってよかったこともある。一つは体をボールに近づける動きが自然とできたこと。もう一つはボール追いかけ、とらえるという感覚はボールの大きさこそ違え通じるものがあったこと、そして何よりバレーやめて卓球にした以上は少しでも上の大会に出て、卓球でも私を応援してくれた母を喜ばせ、父も見返したい、最後は父も家族もみんな喜ばせたいという強い気持ちや、志や…でもやっぱり意地かな、それを持てたことかな。」
はるか先生も、お父さんとは僕たちがミシマに言われたことと同じようなやり取りもあったんだろうけれど、先生は、バレー部に対抗しようなんて気はさらさらなかったようだった。最後に吹っ切れたような笑顔で、
「よし、君たちの思いはしっかり受け止めた。意地っ張りなのは私も同じ。でもバレー部に勝つなんて言うんじゃなくて、自分たちの成長の証のために頑張ろっ!」
と励ましてくれた。

 晩秋の部活対抗駅伝大会男子の部は、1区間学校外周+グラウンドトラック1周の1.5㎞の5区間で争われた。結果は陸上部にこそはかなわなったが、2位だった。1区の僕は陸上部長距離のエース、3年生の宮坂先輩にグラウンドに入るまでついていった。タイムは4分22秒だった。陸上部の先生がびっくりしていた。その後も僕たちが2位を譲ることはなかった。バレー部はといえば僕たちから4分30秒も遅れた5位だった。周回遅れにはできなかったが、僕たちがゴールの時、バレー部の最終区はやっとグラウンドから外周コースに出るところだった。晋介がそれこそ聞こえよがしに、
「男バレってタイシタことネエヤナア。ミシマ大先生の言う『スポーツの中のスポーツ』ヤッテルノニナ。」
と大きな声でささやいた。僕たちは溜飲を下げた。はるか先生はそんな僕らに、微笑みを浮かべながら暖かくて優しい視線を向けてくれた。僕たちと同じようにバレー部の前でガッツポーズでもしてくれたらいいのにと思った。
 そしてそのころ、僕たちは先生がスラックスを履くのをやめ、胸から腰にかけてゆったりとしたスカートを履くようになっていたことに気づいていた。
 先生は駅伝大会の後のミーティングで僕たちにおなかに赤ちゃんがいることを淡々と話した。

 秋が終わり、先生のお腹が大きくなるにつれて、チームは地区新人戦優勝、県新人戦優勝と結果を出していった。先生のオメデタと僕らの戦績なんてなんの脈絡も関連もないはずなのに、僕のイメージの中では不思議とつながっている。

 春休みに入った直後の、はるか先生産休前最後の練習だった。僕たちは部員全員で激励の色紙を書いて贈った。先生はにこりと笑った。10歳も年上の先生なのに、「可愛い」とさえ思った。旦那さんは幸せだろうな…なんて勝手に思っているとき、顧問としての最後の話が始まった。
「本当にありがとう。この2年間本当に幸せな顧問でした。私は休みに入るけれど、『心』はみなさんの仲間です。目標にしている全中に行ってください、西部中の歴史を作ってくださいね。」
 晋介が聞いた。
「先生、『心』だけですか。僕たちが全中に出たら赤ちゃんと一緒に北海道まで応援に来てくれないんですか?」
はるか先生なら二つ返事でオーケーすると思った。
「わからないな。赤ちゃんのこともあるけれど…、私のお願いを聞いてくれたなら。」
 意外な反応に、普段はクールな邦彦が珍しく熱くなって言う。
「お願いですか?もちろん聞いて実行しますよ。僕たちは先生の言うことなら何でも聞くように努力してきたし、結果も出していますよね。先生も喜んでくれましたよね。」
 必死な表情で、「応援に来るのは当然!」という脅迫に近い言い方だった。するとはるか先生は少し微笑みながら僕たちを見渡し、一人ひとりの眼を見ながら言った。
「私のお願いを言うね。それは、早く次の顧問の先生に慣れて、その指導に従っていろんな意味で強い卓球部に進化させてほしいということ。校長先生には私からも次の顧問のことはお願いしておいたから。多分経験のある先生だと思うけれど。新しい先生にはその先生なりのやり方があるから、次の先生を信頼して、早くそのやり方に慣れてね。」
 しばし、先生が目を瞑る。
「…。もしかしたら、うまくいかなくなる時もあるかもしれない。その時に間違っても、顧問の先生の前で『前の顧問の先生はこうだった、こう言った。』とか『前の顧問の先生はこんなことでは怒らなかった』とかはゼッタイに口にしないでね。それができるまで私はみんなと連絡とらないよ。みんなも電話してこないでね。私のことは忘れてね。そして次の先生と全中出場を果たしたら、そのときは『応援もありかな』と考えている。」
僕たちは皆、黙ってしまった。
「…私の育児休暇が明けるころ、みんなもう高校生だね。」
 はるか先生は僕たちに別れを告げているのだ。もう僕たちにはかかわれない、だからかかわらないと宣言しているのだ。冷静に考えればそれはわかっているはずなのに、寂しかった。急に鼻の奥がムズかゆくなってきた。湿っぽいけじめは場にふさわしくないと思い、精一杯の明るさで、
「じゃあ、先生、約束します。僕たちは次の顧問の先生の言うことも聞いて、みんなから応援されるような卓球部になります。そして全国大会に行きます。そしたら先生も赤ちゃんと一緒に北海道まで応援に来てください。」
 といってみた。先生は何回も頷きながら、
「そうだね、そうなったらうれしいね。」
といってくれた。
僕もうれしかった。そしてお調子づいて、
「先生みんなと指切りゲンマンしてください。」
といって小指を差し出した。先生は笑顔で一人ひとりに応じてくれた。1年生の翔一に至っては先生との指を切りたがらなかった。先生の柔らかな指の感触が僕たちに残った。
はるか先生は「僕たちの成長」いう足跡を残してくれた。

今でも「いい先生」ってどんな先生かと問われれば、迷わずはるか先生のように、厳しくても生徒を、生徒が望む結果に導いてくれる先生だと答える。そしてこうして指切りまでして生徒に共感してくれる先生だとも言い切る。
僕たち皆、もう一度先生の笑顔が見たいと切望した。だから絶対に全国大会出場を果たす…と堅く誓ったのだ。それと同時に、僕は心の中で呟いていた。
でも「私のことは忘れてね…」それはないよ。…先生の本心じゃないよね。僕たちは、教えとは反対に、はるか先生のことを忘れられなくなるだろう、多分、卓球をやっている限りは、いつまでも…と。
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