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逃げられない婚約
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アマリアは押し込められるように馬車に乗り込んだ。何か話そうとしても、対面に座る父が顔面を蒼白にしたまま、握りしめた拳を膝の上に置いて、その一点を凝視しているため、何も話すことができなかった。
やがて、馬車は社交シーズンだけ滞在するスタンリールのタウンハウスへと到着する。
馬車のドアが開くなり、父エドワードは飛び出すように外に出て、控えていた執事のセルジュに「ミリーは?!」と叫んだ。
そのあまりの形相に執事も一瞬目を丸くしたが、すぐに我を取り戻し「奥様はサロンにいらっしゃいます」と応え、エドワードを先導して、屋敷の中へ入っていった。
アマリアはあっけにとられつつ、執事見習いのロバートが差し出してくれた手につかまり、馬車を降りた。
「おかえりなさいませ、お嬢様。社交デビューおめでとうございます。いかがでしたか?」
「ありがとう、ロバート。とても素敵な夜だったのだけど、お父様の様子が変なの」
「旦那様は奥様をお探しのようでしたね。そちらに向かいましょうか。お疲れではございませんか?」
控えている侍女たちは着替えや湯あみを準備していたのだろう。でも、今は父の様子が気になる。
「着替えは後にするわ。とりあえず、私たちもサロンへ行きましょう」
できるだけ急いでサロンへ向かうと、父と母の話し声が聞こえてくる。
「いったい、それはどういうことなの?」
母、ミリアリアの困惑した声が聞こえた。
「お母様、どうなさったの?」
サロンへ入ると、父は髪をかき上げながら、母に何か話しているようで、母は表情も硬く、口元を押さえている。
アマリアが来たとわかると、ミリアリアは急いで駆け寄ってきた。
アマリアの両手をつかみ、その瞳を直視した。
「あなた、アルバートン公爵から求婚されたというのは本当なの?」
「えぇっ?」
何がどうしてそんなことになっているのかわからずに、アマリアは思わずエドワードを見つめた。
「お、お父様…?私、公爵様とはお話をして、ダンスを踊って頂いただけです。求婚なんてされていません。お父様もご存知でしょう?」
「まぁ!アルバートン公爵とダンスを踊ったの?それは、本当なの、アマリア」
「え、ええ。デビューの日に踊るのがお父様だけなのはかわいそうと思ってくださったの。とてもお優しい方だったわ。ダンスもお上手で、夢のような時間で…」
その時のことを思い出し、再び夢見心地に浸っていると、すぐさまミリアリアの高い声で現実に引き戻された。
「アルバートン公爵は、婚約者となる女性としかダンスを踊らないと宣言されているのよ!」
「で、でも、あの時は何もそんなことは」
「アマリア、ダンスの後に公爵は『後日、正式に使いを送る』とおっしゃっていただろう?それは、婚約のことに関する使者のことだと思うよ」
「そ、そんな…」
矢継ぎ早に両親から告げられる事実に、アマリアの頭は到底ついていけなかった。
しかし、そこへロバートが息を切らしてサロンへやってきた。
「旦那様、奥様、アルバートン公爵家から贈り物が届きました!」
三人は一瞬固まり、目を見合わせると、急いで玄関ホールへと向かった。
ホールには、老齢の身なりの良い男性が深紅のバラの豪華な花束を抱えてたたずんでいた。
エドワードとミリアリア、そしてアマリアの姿を見ると、柔らかく微笑み、深々と頭を下げた。
「お待たせしてしまって、申し訳ない」
エドワードが声をかけると、使者が頭を上げて更に微笑みを深くした。
「とんでもございません。このようなお時間に突然参りまして、大変申し訳ございません。しかしながら、アルバートン公爵より婚約者様へのお贈り物をお預かり致しまして、急ぎ馳せ参じました。どうぞ、こちらをお受け取りください」
恭しく花束をアマリアへと差し出したが、その言葉には異論を挟ませない強さがあった。
「あ、ありがたく頂戴いたします」
アマリアが受け取ると、両手で持っても抱えきれないほどの深紅のバラの花束に少しふらっとする。
むせかえるような強い香りに、夢か現かさえわからなくなりそうだった。
「公爵より、ご伝言を預かっております。本日は、このような贈り物しかできず本当に申し訳ない。明日、伺う際には、もっと良いものを準備するから楽しみにしていてほしい、とのことです。」
「あ、明日?」
「それは、あまりに急では。こちらの準備も何も」
エドワードが思わず声を上げると、使者が向き直り、再び頭を下げる。
「こちらの都合で日程が急で大変申し訳ございません。突然のことですから、おもてなし等お気遣いくださならくて結構です。婚姻を結べば家族ですから、そのような配慮も必要ない、との公爵のお考えです。ひとまず、アマリア様のご両親にご挨拶をさせていただきたいとのことですので、どうぞいつも通りにお迎えください」
改めてアマリアににこやかに微笑みかけると、低く優しい声で言った。
「この度のこと、公爵家一同、大変喜ばしく思っております。こうして、一足早く婚約者様にお目通りがかないましたこと、大変光栄に思っております。申し遅れましたが、わたくしは、レイモンド。先代の公爵にお仕えしておりましたが、現在は執事の身を引き、先代と共に領地におります。またお目にかかることもあるかと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします」
「は、はい。こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします…?」
アマリアが丁寧にされた挨拶に思わず定型で返してしまったものの、一体何によろしくと言ったものなのか、自分でも全く理解が追い付いていなかった。
「夜分、遅くに大変失礼いたしました。それでは、失礼させていただきます。また、明日もどうぞよろしくお願いいたします」
レイモンドは最後まで丁寧に挨拶をし、頭を下げて、玄関ホールを出ていく。
アマリアの手にある花束を控えていた侍女が受け取り、しずしずと下がっていく。
アメリアは両親の後に続いてレイモンドの後を追うと、門の前には、アルバートン公爵家の家紋が刻まれた漆黒の馬車があった。
そうしてようやく、これが何かの冗談ではなく、確かにアルバートン公爵家からの使いであり、今まさに婚約者として認識されていることにつながった。
馬車が去るのを呆然と見つめていた三人は、執事のセルジュに声をかけられてようやく息を吹き返したように目を見合わせた。
「アマリア…これはもう間違いはない。公爵様はアマリアに求婚していたんだよ。何かの行き違いがあったかもしれないが、もうこれは覆すことのできない、決定事項なんだ」
「この2年間、どなたとも噂すら立たなかったアルバートン公爵様が私たちのアマリアを見初めてくださるなんて、こんな光栄なことがあるのかしら。まだ、信じられないわ…」
噛みしめるように言葉にする両親を見ながら、一番信じられないのは私自身なのだけど…と思いながらも、もはや口にすることさえ許されないような雰囲気だった。
つい何刻か前まで、両親のもとにずっといたいとすがっていたのに。公爵に嫁ぐことが急転直下で決定してしまった。
婚約者様…婚姻…家族…
何度か頭の中で、反芻してみるものの、それはやはり自分の思っている意味で間違いないのだろう。
でも、どこかまだ、眠って起きたら、全て夢だったと笑い話になるのではないかと考える自分もいた。
ただ、今は何もかもが現実味を帯びていなくて、呆然とするしかなかった。
やがて、馬車は社交シーズンだけ滞在するスタンリールのタウンハウスへと到着する。
馬車のドアが開くなり、父エドワードは飛び出すように外に出て、控えていた執事のセルジュに「ミリーは?!」と叫んだ。
そのあまりの形相に執事も一瞬目を丸くしたが、すぐに我を取り戻し「奥様はサロンにいらっしゃいます」と応え、エドワードを先導して、屋敷の中へ入っていった。
アマリアはあっけにとられつつ、執事見習いのロバートが差し出してくれた手につかまり、馬車を降りた。
「おかえりなさいませ、お嬢様。社交デビューおめでとうございます。いかがでしたか?」
「ありがとう、ロバート。とても素敵な夜だったのだけど、お父様の様子が変なの」
「旦那様は奥様をお探しのようでしたね。そちらに向かいましょうか。お疲れではございませんか?」
控えている侍女たちは着替えや湯あみを準備していたのだろう。でも、今は父の様子が気になる。
「着替えは後にするわ。とりあえず、私たちもサロンへ行きましょう」
できるだけ急いでサロンへ向かうと、父と母の話し声が聞こえてくる。
「いったい、それはどういうことなの?」
母、ミリアリアの困惑した声が聞こえた。
「お母様、どうなさったの?」
サロンへ入ると、父は髪をかき上げながら、母に何か話しているようで、母は表情も硬く、口元を押さえている。
アマリアが来たとわかると、ミリアリアは急いで駆け寄ってきた。
アマリアの両手をつかみ、その瞳を直視した。
「あなた、アルバートン公爵から求婚されたというのは本当なの?」
「えぇっ?」
何がどうしてそんなことになっているのかわからずに、アマリアは思わずエドワードを見つめた。
「お、お父様…?私、公爵様とはお話をして、ダンスを踊って頂いただけです。求婚なんてされていません。お父様もご存知でしょう?」
「まぁ!アルバートン公爵とダンスを踊ったの?それは、本当なの、アマリア」
「え、ええ。デビューの日に踊るのがお父様だけなのはかわいそうと思ってくださったの。とてもお優しい方だったわ。ダンスもお上手で、夢のような時間で…」
その時のことを思い出し、再び夢見心地に浸っていると、すぐさまミリアリアの高い声で現実に引き戻された。
「アルバートン公爵は、婚約者となる女性としかダンスを踊らないと宣言されているのよ!」
「で、でも、あの時は何もそんなことは」
「アマリア、ダンスの後に公爵は『後日、正式に使いを送る』とおっしゃっていただろう?それは、婚約のことに関する使者のことだと思うよ」
「そ、そんな…」
矢継ぎ早に両親から告げられる事実に、アマリアの頭は到底ついていけなかった。
しかし、そこへロバートが息を切らしてサロンへやってきた。
「旦那様、奥様、アルバートン公爵家から贈り物が届きました!」
三人は一瞬固まり、目を見合わせると、急いで玄関ホールへと向かった。
ホールには、老齢の身なりの良い男性が深紅のバラの豪華な花束を抱えてたたずんでいた。
エドワードとミリアリア、そしてアマリアの姿を見ると、柔らかく微笑み、深々と頭を下げた。
「お待たせしてしまって、申し訳ない」
エドワードが声をかけると、使者が頭を上げて更に微笑みを深くした。
「とんでもございません。このようなお時間に突然参りまして、大変申し訳ございません。しかしながら、アルバートン公爵より婚約者様へのお贈り物をお預かり致しまして、急ぎ馳せ参じました。どうぞ、こちらをお受け取りください」
恭しく花束をアマリアへと差し出したが、その言葉には異論を挟ませない強さがあった。
「あ、ありがたく頂戴いたします」
アマリアが受け取ると、両手で持っても抱えきれないほどの深紅のバラの花束に少しふらっとする。
むせかえるような強い香りに、夢か現かさえわからなくなりそうだった。
「公爵より、ご伝言を預かっております。本日は、このような贈り物しかできず本当に申し訳ない。明日、伺う際には、もっと良いものを準備するから楽しみにしていてほしい、とのことです。」
「あ、明日?」
「それは、あまりに急では。こちらの準備も何も」
エドワードが思わず声を上げると、使者が向き直り、再び頭を下げる。
「こちらの都合で日程が急で大変申し訳ございません。突然のことですから、おもてなし等お気遣いくださならくて結構です。婚姻を結べば家族ですから、そのような配慮も必要ない、との公爵のお考えです。ひとまず、アマリア様のご両親にご挨拶をさせていただきたいとのことですので、どうぞいつも通りにお迎えください」
改めてアマリアににこやかに微笑みかけると、低く優しい声で言った。
「この度のこと、公爵家一同、大変喜ばしく思っております。こうして、一足早く婚約者様にお目通りがかないましたこと、大変光栄に思っております。申し遅れましたが、わたくしは、レイモンド。先代の公爵にお仕えしておりましたが、現在は執事の身を引き、先代と共に領地におります。またお目にかかることもあるかと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします」
「は、はい。こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします…?」
アマリアが丁寧にされた挨拶に思わず定型で返してしまったものの、一体何によろしくと言ったものなのか、自分でも全く理解が追い付いていなかった。
「夜分、遅くに大変失礼いたしました。それでは、失礼させていただきます。また、明日もどうぞよろしくお願いいたします」
レイモンドは最後まで丁寧に挨拶をし、頭を下げて、玄関ホールを出ていく。
アマリアの手にある花束を控えていた侍女が受け取り、しずしずと下がっていく。
アメリアは両親の後に続いてレイモンドの後を追うと、門の前には、アルバートン公爵家の家紋が刻まれた漆黒の馬車があった。
そうしてようやく、これが何かの冗談ではなく、確かにアルバートン公爵家からの使いであり、今まさに婚約者として認識されていることにつながった。
馬車が去るのを呆然と見つめていた三人は、執事のセルジュに声をかけられてようやく息を吹き返したように目を見合わせた。
「アマリア…これはもう間違いはない。公爵様はアマリアに求婚していたんだよ。何かの行き違いがあったかもしれないが、もうこれは覆すことのできない、決定事項なんだ」
「この2年間、どなたとも噂すら立たなかったアルバートン公爵様が私たちのアマリアを見初めてくださるなんて、こんな光栄なことがあるのかしら。まだ、信じられないわ…」
噛みしめるように言葉にする両親を見ながら、一番信じられないのは私自身なのだけど…と思いながらも、もはや口にすることさえ許されないような雰囲気だった。
つい何刻か前まで、両親のもとにずっといたいとすがっていたのに。公爵に嫁ぐことが急転直下で決定してしまった。
婚約者様…婚姻…家族…
何度か頭の中で、反芻してみるものの、それはやはり自分の思っている意味で間違いないのだろう。
でも、どこかまだ、眠って起きたら、全て夢だったと笑い話になるのではないかと考える自分もいた。
ただ、今は何もかもが現実味を帯びていなくて、呆然とするしかなかった。
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