56 / 93
56、取り引き
しおりを挟む
クリスティーナがひとり、執務室に帰る道すがら回廊を歩いていると、近くの茂みから、ひょいと人影が出てきて目の前に立ちふさがった。
慌てて立ち止まる。ついでに書類も落としそうになった。クリスティーナは相手を見上げた。
「これは、シルヴェスト殿下。失礼しました」
突然現れた影はシルヴェストだった。
ぶつかりそうになったことを侘び、立ち去ろうとすると、引き止められる。
「ねえ、きみ、アレクシス殿下の従者だろ」
クリスティーナは足を止めた。
「はい。そうですが」
シルヴェストの顔を見るのは、初めて会った日以来であった。アレクシスはおもてなしする身ではあるものの、ほかの仕事もある。始終べったりついてるわけにもいかず、初日に歓迎の晩餐を共にするのと、快適に過ごせるよう、こもごもしたものを部屋に用意したほかは、あとは本人に自由に過ごしてもらっている。
聞けば、連日どこかの舞踏会や夜会に出席しているらしい。この華やかな容姿と王太子という立場であれば、どこに行ってもきっと歓迎されるだろう。
「ねえ、アレクシス殿下って普段どんな方だい?」
初めと比べて、口調が大分砕けていた。一介の従者なら、そうなるのだろうと思い、クリスティーナは気にしなかった。
「どんな方――?」
質問の内容が幅広過ぎて、言葉に迷う。いくつも浮かぶアレクシスに関する言葉に、クリスティーナが迷って口を開けずにいると、シルヴェストがうーんと唸った。
「周りに訊いても、品行方正で真面目、慎み深くて紳士的としか言わない。みんな同じ答えなんだ」
アレクシスは、普段演じているからそう捉えられても別段おかしくはない。
「それが何か?」
シルヴェストは信じられないというように眉を広げた。
言葉遣いだけではなく、動作も最初の印象とは大分異なっている。絵に描いたような、物腰柔らかな王子だと思っていたが、本来の彼はこちらかもしれない。
大袈裟に肩を竦める。
「おかしいよ。そんな完璧な人間いるわけない」
「そうですか?」
全ての人間を知っているわけではないクリスティーナは素直に言葉にした。
シルヴェストが目を閉じて、首を振る。見かけに寄らす、感情表現が豊かな王子様である。
「誰彼も好かれる人間なんているわけない。いるとしたら、それはそういうふうに演じているだけだよ」
クリスティーナが口を開けずにいると、シルヴェストが続ける。
「わたしも王太子だから、わかる。時には演じなければならないことを――」
真面目な表情が現れたので、今の発言は王太子としての彼の本心だと知れた。
「アレク、――殿下のことを知りたいのはわかりましたが、何故わたしに?」
おもむろに、シルヴェストが一歩近づいてきた。
「聞けば、きみ――クリスと言ったっけ? アレクシス殿下と小さい時から一緒にいるそうだね」
上背のあるシルヴェストに気圧され、クリスティーナは書類を抱いて頷く。
「え、ええ――」
「なら、本当のアレクシス殿下を知っているのはきみしかいないと思ってね」
「そうだとして、なぜ、そんなに知りたいんですか?」
「わたしの妹が今度、成人を迎えるんだ」
「はあ」
突然の会話についていけず、クリスティーナは思わず、溜め息のような返事を返してしまった。しかし、シルヴェストは気にしなかったようだ。
「成人するにあたって、いずれどこかに嫁入りすることは決まっている。そこでね、アレクシス殿下はどうかと思ったんだ」
クリスティーナの体がこわばった。
シルヴェストはそれには気付かす、話を進めていく。
「ちょうど、年頃も合うし、お互い婚約者もいない。妹もいい人がいないか、今見極めてる最中でね、今回アルホロン行きが決まって、頼まれたんだ。アレクシス殿下の人となりを見てきてほしいって」
シルヴェストはそこで溜め息を吐く。
「しかし、誰から訊いても同じ答えが返ってくるばかり。わたしはそんなのが聞きたいんじゃない。本当の彼を知りたいんだ。夫婦となったら、隠し事はなくなるだろう? 嫁いだ時に、とんだ人間だったとわかっても遅いじゃないか」
シルヴェストは力説する。
「妹に伝えるためにも、知っておきたいんだよ。それに兄のわたしだったら、妹に合いそうかどうかわかるしね。――外見は男のわたしから見ても、充分合格だ。妹もきっと気にいると思う」
喋り続けるシルヴェストを、クリスティーナは力なく見つめた。
(王女様から婚約を申し込まれたら、断れるわけない)
恐れていたことがいよいよ明確な形をとって、クリスティーナのもとに訪れようとしていた。
ふと、饒舌だったシルヴェストが急に唇を閉じた。クリスティーナにじっと目線を向ける。
その切れ長の目にクリスティーナは物怖じしてしまった。やはり秀麗な人物は迫力がある。綺麗な虹彩を放つ碧眼に見つめら、クリスティーナはたじろいだ。
「な、なんですか」
シルヴェストの視線が細められた。
「それから、きみに訊きたいことがもうひとつあって」
シルヴェストが一歩近付いた。あともう一歩で、クリスティーナとぶつかるだろう。
「人々から聞いた話の中に、すこし見逃せない話があってね。まあ、みんなが噂してるわけじゃないんだけど――」
シルヴェストが腰をかがめ、クリスティーナの耳元に唇を寄せた。
「きみとアレクシス殿下ができてるって本当?」
クリスティーナはぽかんとした。思わず訊き返す。
「できてるってなんですか?」
クリスティーナの恋愛は、幼い頃読んだ童話の中だけにある。そこには当然、王子様とお姫様、あるいは騎士とお姫様といった、正統な恋物語しか存在しない。だから、男が男に恋をするなどという図式は、クリスティーナの中に浮かび上がらないのである。
一方、シルヴェストはその無垢な眼差しに面食らった。
(ずいぶん擦れてないんだな)
その色事に疎い様子から噂が真実でないことが知れたが、ついからかいたくなった。
こほんと咳払いをすると、再びクリスティーナの耳元に唇を寄せた。
「つまり、恋人同士かってことなんだけど」
「ええ!!」
今度は飛び上がったクリスティーナであった。
「え!? え!?」
驚き過ぎて、単純な言葉を発することしかできない。
アレクシスもクリスティーナも男である。――少なくとも周りは疑っていないはずだ。でなければ、今ここにこうしていられない。
「なんで、そんなことに!?」
目を白黒させるクリスティーナにシルヴェストはくすりと笑う。
「わたしが聞いたのはほんのふたりばかりだよ。まあ、それも確証あってのことじゃなくて、半分は面白がってかな」
先程の重たい空気を拭い去り、シルヴェストは軽い雰囲気に戻っていた。
「アレクシス殿下はこれまで噂がたつような関係に至った女性がいない、加えて、ひとりの従者を子供のころからずっと肌見離さず連れている。この二つが一部の者たちの憶測を招いたんだろう」
いまだ頭が追いつかないクリスティーナは、わけがわからないまま答える。
「わたしと殿下はそんな関係じゃありません」
「うん。それはさっきの反応でわかった。――でもそんな不名誉な噂がたつような相手を夫に迎えねばならない妹の立場を思うとね」
まだ決まったわけでもないのに、シルヴェストは話を進めていく。思案顔のシルヴェストがクリスティーナに目を向ける。
「きみも嫌だろう。自分のせいで、主に迷惑がかかるのは」
「それは――」
クリスティーナは言葉に詰まった。勿論嫌に決まってる。けれど噂を止めるには、アレクシスの従者を辞めるということだ。それはどうしても避けたい。
行き詰まっていると、回廊の向こうからアレクシスが現れた。
「クリス、何してる。遅いから――」
そこで言葉をとぎらせる。シルヴェストの存在に気がついたのだ。
「これはシルヴェスト殿下、ご機嫌よう」
「ご機嫌よう」
二国の王太子は、クリスティーナを挟んで、挨拶を交わした。
アレクシスがクリスティーナをちらりと見て、口を開く。
「あの、クリスが何か?」
その時、シルヴェストが妙案を思いついたように眉をあげた。
「実は今、クリスと相談していまして。わたしの従者になってくれないかと頼んでいたんです」
思いもよらぬ内容に、クリスティーナは目を丸くした。
アレクシスが眉を顰めた。王太子の仮面がわずかに剥がれた。
「クリスを従者にですか?」
しかしそれには気付かない様子で、シルヴェストが明るい口調で続ける。
「ええ。ずっとと言うわけじゃなくて、この国にいる間だけです。実はわたしの従者が、この国に来る前に突然、体調を崩しましてね。急遽来れなくなったんです。少し不便でしたので、こちらにいる間だけでも、貸してください」
「それなら、別の人間を寄越そう」
シルヴェストが首をふる。
「いえいえ、厚かましいことは百も承知ですが、やはり王太子付従者でないと、わたしも不便で。慣れない土地にいますから、余計こういう仕事に慣れていない者でないと、安心できません」
「しかし――」
「――ここは本人に訊きましょう」
アレクシスの言葉を遮り、シルヴェストが手の平で、クリスティーナを指した。
二対の目線が真上から注がれ、クリスティーナは戸惑った。
「えっと――」
迷っているクリスティーナに、シルヴェストが耳打ちするためにしゃがんだ。
それを見たアレクシスの眉が跳ね上がった。
「いい取引だと思うよ。わたしはきみからアレクシス殿下のことを聞けるし、きみは主を不名誉な噂から守れる」
確かに一理ある。根本的にまだよくわかっていないが、この噂はクリスティーナに原因があるかもしれない。好きだという気持ちのせいで自分でも気付かないうちに、必要以上にアレクシスに近づきすぎていたのかもしれない。そのことが変な噂を呼んでしまったのかもしれなかった。それなら責任をとるのはクリスティーナだ。周りはアレクシスがクリスティーナを手放したと思ってくれるだろう。それによって、まだ一部でしかない噂も消えることだろう。
離れると行ってもシルヴェストがこの国にいる間だけ。
クリスティーナは決心した。
「シルヴェスト殿下の従者になります」
「クリスッ!」
アレクシスが驚きの声をあげる。
クリスティーナはアレクシスを見上げた。
「ほかの方の従者をやったら、学ぶこともあるかもしれないし、今より成長できるかも――」
ただの言い訳だが、こう言う他ない。
「じゃあ決まりだ。彼を借りていくよ」
シルヴェストはいつの間にか、口調を崩していた。アレクシスがシルヴェストを睨んだ。
その視線を受け、眉を大袈裟に広げる。
(あー、怖い。獲物を盗られた肉食獣だな)
王太子の仮面を崩したことに満足して、シルヴェストはくるりと背を向け、あるき出す。
強い視線を背中に感じ、くすりと笑った。
本当の彼が、ようやく顔を出した。
何故だか、王太子として取り繕っている彼よりも、そちらのほうの彼のほうが好きになれそうな気がした。
慌てて立ち止まる。ついでに書類も落としそうになった。クリスティーナは相手を見上げた。
「これは、シルヴェスト殿下。失礼しました」
突然現れた影はシルヴェストだった。
ぶつかりそうになったことを侘び、立ち去ろうとすると、引き止められる。
「ねえ、きみ、アレクシス殿下の従者だろ」
クリスティーナは足を止めた。
「はい。そうですが」
シルヴェストの顔を見るのは、初めて会った日以来であった。アレクシスはおもてなしする身ではあるものの、ほかの仕事もある。始終べったりついてるわけにもいかず、初日に歓迎の晩餐を共にするのと、快適に過ごせるよう、こもごもしたものを部屋に用意したほかは、あとは本人に自由に過ごしてもらっている。
聞けば、連日どこかの舞踏会や夜会に出席しているらしい。この華やかな容姿と王太子という立場であれば、どこに行ってもきっと歓迎されるだろう。
「ねえ、アレクシス殿下って普段どんな方だい?」
初めと比べて、口調が大分砕けていた。一介の従者なら、そうなるのだろうと思い、クリスティーナは気にしなかった。
「どんな方――?」
質問の内容が幅広過ぎて、言葉に迷う。いくつも浮かぶアレクシスに関する言葉に、クリスティーナが迷って口を開けずにいると、シルヴェストがうーんと唸った。
「周りに訊いても、品行方正で真面目、慎み深くて紳士的としか言わない。みんな同じ答えなんだ」
アレクシスは、普段演じているからそう捉えられても別段おかしくはない。
「それが何か?」
シルヴェストは信じられないというように眉を広げた。
言葉遣いだけではなく、動作も最初の印象とは大分異なっている。絵に描いたような、物腰柔らかな王子だと思っていたが、本来の彼はこちらかもしれない。
大袈裟に肩を竦める。
「おかしいよ。そんな完璧な人間いるわけない」
「そうですか?」
全ての人間を知っているわけではないクリスティーナは素直に言葉にした。
シルヴェストが目を閉じて、首を振る。見かけに寄らす、感情表現が豊かな王子様である。
「誰彼も好かれる人間なんているわけない。いるとしたら、それはそういうふうに演じているだけだよ」
クリスティーナが口を開けずにいると、シルヴェストが続ける。
「わたしも王太子だから、わかる。時には演じなければならないことを――」
真面目な表情が現れたので、今の発言は王太子としての彼の本心だと知れた。
「アレク、――殿下のことを知りたいのはわかりましたが、何故わたしに?」
おもむろに、シルヴェストが一歩近づいてきた。
「聞けば、きみ――クリスと言ったっけ? アレクシス殿下と小さい時から一緒にいるそうだね」
上背のあるシルヴェストに気圧され、クリスティーナは書類を抱いて頷く。
「え、ええ――」
「なら、本当のアレクシス殿下を知っているのはきみしかいないと思ってね」
「そうだとして、なぜ、そんなに知りたいんですか?」
「わたしの妹が今度、成人を迎えるんだ」
「はあ」
突然の会話についていけず、クリスティーナは思わず、溜め息のような返事を返してしまった。しかし、シルヴェストは気にしなかったようだ。
「成人するにあたって、いずれどこかに嫁入りすることは決まっている。そこでね、アレクシス殿下はどうかと思ったんだ」
クリスティーナの体がこわばった。
シルヴェストはそれには気付かす、話を進めていく。
「ちょうど、年頃も合うし、お互い婚約者もいない。妹もいい人がいないか、今見極めてる最中でね、今回アルホロン行きが決まって、頼まれたんだ。アレクシス殿下の人となりを見てきてほしいって」
シルヴェストはそこで溜め息を吐く。
「しかし、誰から訊いても同じ答えが返ってくるばかり。わたしはそんなのが聞きたいんじゃない。本当の彼を知りたいんだ。夫婦となったら、隠し事はなくなるだろう? 嫁いだ時に、とんだ人間だったとわかっても遅いじゃないか」
シルヴェストは力説する。
「妹に伝えるためにも、知っておきたいんだよ。それに兄のわたしだったら、妹に合いそうかどうかわかるしね。――外見は男のわたしから見ても、充分合格だ。妹もきっと気にいると思う」
喋り続けるシルヴェストを、クリスティーナは力なく見つめた。
(王女様から婚約を申し込まれたら、断れるわけない)
恐れていたことがいよいよ明確な形をとって、クリスティーナのもとに訪れようとしていた。
ふと、饒舌だったシルヴェストが急に唇を閉じた。クリスティーナにじっと目線を向ける。
その切れ長の目にクリスティーナは物怖じしてしまった。やはり秀麗な人物は迫力がある。綺麗な虹彩を放つ碧眼に見つめら、クリスティーナはたじろいだ。
「な、なんですか」
シルヴェストの視線が細められた。
「それから、きみに訊きたいことがもうひとつあって」
シルヴェストが一歩近付いた。あともう一歩で、クリスティーナとぶつかるだろう。
「人々から聞いた話の中に、すこし見逃せない話があってね。まあ、みんなが噂してるわけじゃないんだけど――」
シルヴェストが腰をかがめ、クリスティーナの耳元に唇を寄せた。
「きみとアレクシス殿下ができてるって本当?」
クリスティーナはぽかんとした。思わず訊き返す。
「できてるってなんですか?」
クリスティーナの恋愛は、幼い頃読んだ童話の中だけにある。そこには当然、王子様とお姫様、あるいは騎士とお姫様といった、正統な恋物語しか存在しない。だから、男が男に恋をするなどという図式は、クリスティーナの中に浮かび上がらないのである。
一方、シルヴェストはその無垢な眼差しに面食らった。
(ずいぶん擦れてないんだな)
その色事に疎い様子から噂が真実でないことが知れたが、ついからかいたくなった。
こほんと咳払いをすると、再びクリスティーナの耳元に唇を寄せた。
「つまり、恋人同士かってことなんだけど」
「ええ!!」
今度は飛び上がったクリスティーナであった。
「え!? え!?」
驚き過ぎて、単純な言葉を発することしかできない。
アレクシスもクリスティーナも男である。――少なくとも周りは疑っていないはずだ。でなければ、今ここにこうしていられない。
「なんで、そんなことに!?」
目を白黒させるクリスティーナにシルヴェストはくすりと笑う。
「わたしが聞いたのはほんのふたりばかりだよ。まあ、それも確証あってのことじゃなくて、半分は面白がってかな」
先程の重たい空気を拭い去り、シルヴェストは軽い雰囲気に戻っていた。
「アレクシス殿下はこれまで噂がたつような関係に至った女性がいない、加えて、ひとりの従者を子供のころからずっと肌見離さず連れている。この二つが一部の者たちの憶測を招いたんだろう」
いまだ頭が追いつかないクリスティーナは、わけがわからないまま答える。
「わたしと殿下はそんな関係じゃありません」
「うん。それはさっきの反応でわかった。――でもそんな不名誉な噂がたつような相手を夫に迎えねばならない妹の立場を思うとね」
まだ決まったわけでもないのに、シルヴェストは話を進めていく。思案顔のシルヴェストがクリスティーナに目を向ける。
「きみも嫌だろう。自分のせいで、主に迷惑がかかるのは」
「それは――」
クリスティーナは言葉に詰まった。勿論嫌に決まってる。けれど噂を止めるには、アレクシスの従者を辞めるということだ。それはどうしても避けたい。
行き詰まっていると、回廊の向こうからアレクシスが現れた。
「クリス、何してる。遅いから――」
そこで言葉をとぎらせる。シルヴェストの存在に気がついたのだ。
「これはシルヴェスト殿下、ご機嫌よう」
「ご機嫌よう」
二国の王太子は、クリスティーナを挟んで、挨拶を交わした。
アレクシスがクリスティーナをちらりと見て、口を開く。
「あの、クリスが何か?」
その時、シルヴェストが妙案を思いついたように眉をあげた。
「実は今、クリスと相談していまして。わたしの従者になってくれないかと頼んでいたんです」
思いもよらぬ内容に、クリスティーナは目を丸くした。
アレクシスが眉を顰めた。王太子の仮面がわずかに剥がれた。
「クリスを従者にですか?」
しかしそれには気付かない様子で、シルヴェストが明るい口調で続ける。
「ええ。ずっとと言うわけじゃなくて、この国にいる間だけです。実はわたしの従者が、この国に来る前に突然、体調を崩しましてね。急遽来れなくなったんです。少し不便でしたので、こちらにいる間だけでも、貸してください」
「それなら、別の人間を寄越そう」
シルヴェストが首をふる。
「いえいえ、厚かましいことは百も承知ですが、やはり王太子付従者でないと、わたしも不便で。慣れない土地にいますから、余計こういう仕事に慣れていない者でないと、安心できません」
「しかし――」
「――ここは本人に訊きましょう」
アレクシスの言葉を遮り、シルヴェストが手の平で、クリスティーナを指した。
二対の目線が真上から注がれ、クリスティーナは戸惑った。
「えっと――」
迷っているクリスティーナに、シルヴェストが耳打ちするためにしゃがんだ。
それを見たアレクシスの眉が跳ね上がった。
「いい取引だと思うよ。わたしはきみからアレクシス殿下のことを聞けるし、きみは主を不名誉な噂から守れる」
確かに一理ある。根本的にまだよくわかっていないが、この噂はクリスティーナに原因があるかもしれない。好きだという気持ちのせいで自分でも気付かないうちに、必要以上にアレクシスに近づきすぎていたのかもしれない。そのことが変な噂を呼んでしまったのかもしれなかった。それなら責任をとるのはクリスティーナだ。周りはアレクシスがクリスティーナを手放したと思ってくれるだろう。それによって、まだ一部でしかない噂も消えることだろう。
離れると行ってもシルヴェストがこの国にいる間だけ。
クリスティーナは決心した。
「シルヴェスト殿下の従者になります」
「クリスッ!」
アレクシスが驚きの声をあげる。
クリスティーナはアレクシスを見上げた。
「ほかの方の従者をやったら、学ぶこともあるかもしれないし、今より成長できるかも――」
ただの言い訳だが、こう言う他ない。
「じゃあ決まりだ。彼を借りていくよ」
シルヴェストはいつの間にか、口調を崩していた。アレクシスがシルヴェストを睨んだ。
その視線を受け、眉を大袈裟に広げる。
(あー、怖い。獲物を盗られた肉食獣だな)
王太子の仮面を崩したことに満足して、シルヴェストはくるりと背を向け、あるき出す。
強い視線を背中に感じ、くすりと笑った。
本当の彼が、ようやく顔を出した。
何故だか、王太子として取り繕っている彼よりも、そちらのほうの彼のほうが好きになれそうな気がした。
10
あなたにおすすめの小説
冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎
王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。
……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。
追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。
無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」
騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす
小木楓
恋愛
完結しました✨
タグ&あらすじ変更しました。
略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。
「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」
「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」
大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。
しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。
強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。
夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。
恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……?
「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」
逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。
それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。
「一生、私の腕の中で溺れていろ」
守るために壊し、愛するために縛る。
冷酷な仮面の下に隠された、
一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。
★最後は極上のハッピーエンドです。
※AI画像を使用しています。
侯爵家の婚約者
やまだごんた
恋愛
侯爵家の嫡男カインは、自分を見向きもしない母に、なんとか認められようと努力を続ける。
7歳の誕生日を王宮で祝ってもらっていたが、自分以外の子供を可愛がる母の姿をみて、魔力を暴走させる。
その場の全員が死を覚悟したその時、1人の少女ジルダがカインの魔力を吸収して救ってくれた。
カインが魔力を暴走させないよう、王はカインとジルダを婚約させ、定期的な魔力吸収を命じる。
家族から冷たくされていたジルダに、カインは母から愛されない自分の寂しさを重ね、よき婚約者になろうと努力する。
だが、母が死に際に枕元にジルダを呼んだのを知り、ジルダもまた自分を裏切ったのだと絶望する。
17歳になった2人は、翌年の結婚を控えていたが、関係は歪なままだった。
そんな中、カインは仕事中に魔獣に攻撃され、死にかけていたところを救ってくれたイレリアという美しい少女と出会い、心を通わせていく。
全86話+番外編の予定
【完結済】隣国でひっそりと子育てしている私のことを、執着心むき出しの初恋が追いかけてきます
鳴宮野々花@書籍4作品発売中
恋愛
一夜の過ちだなんて思いたくない。私にとって彼とのあの夜は、人生で唯一の、最良の思い出なのだから。彼のおかげで、この子に会えた────
私、この子と生きていきますっ!!
シアーズ男爵家の末娘ティナレインは、男爵が隣国出身のメイドに手をつけてできた娘だった。ティナレインは隣国の一部の者が持つ魔力(治癒術)を微力ながら持っており、そのため男爵夫人に一層疎まれ、男爵家後継ぎの兄と、世渡り上手で気の強い姉の下で、影薄く過ごしていた。
幼いティナレインは、優しい侯爵家の子息セシルと親しくなっていくが、息子がティナレインに入れ込みすぎていることを嫌う侯爵夫人は、シアーズ男爵夫人に苦言を呈す。侯爵夫人の機嫌を損ねることが怖い義母から強く叱られ、ティナレインはセシルとの接触を禁止されてしまう。
時を経て、貴族学園で再会する二人。忘れられなかったティナへの想いが燃え上がるセシルは猛アタックするが、ティナは自分の想いを封じ込めるように、セシルを避ける。
やがてティナレインは、とある商会の成金経営者と婚約させられることとなり、学園を中退。想い合いながらも会うことすら叶わなくなった二人だが、ある夜偶然の再会を果たす。
それから数ヶ月。結婚を目前に控えたティナレインは、隣国へと逃げる決意をした。自分のお腹に宿っていることに気付いた、大切な我が子を守るために。
けれど、名を偽り可愛い我が子の子育てをしながら懸命に生きていたティナレインと、彼女を諦めきれないセシルは、ある日運命的な再会を果たし────
生まれ育った屋敷で冷遇され続けた挙げ句、最低な成金ジジイと結婚させられそうになったヒロインが、我が子を守るために全てを捨てて新しい人生を切り拓いていこうと奮闘する物語です。
※いつもの完全オリジナルファンタジー世界の物語です。全てがファンタジーです。
※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。
【完結】モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました
ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。
名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。
ええ。私は今非常に困惑しております。
私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。
...あの腹黒が現れるまでは。
『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。
個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。
うっかり結婚を承諾したら……。
翠月 瑠々奈
恋愛
「結婚しようよ」
なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。
相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。
白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。
実際は思った感じではなくて──?
【完結】後宮の片隅にいた王女を拾いましたが、才女すぎて妃にしたくなりました
藤原遊
恋愛
【溺愛・成長・政略・糖度高め】
※ヒーロー目線で進んでいきます。
王位継承権を放棄し、外交を司る第六王子ユーリ・サファイア・アレスト。
ある日、後宮の片隅でひっそりと暮らす少女――カティア・アゲート・アレストに出会う。
不遇の生まれながらも聡明で健気な少女を、ユーリは自らの正妃候補として引き取る決断を下す。
才能を開花させ成長していくカティア。
そして、次第に彼女を「妹」としてではなく「たった一人の妃」として深く愛していくユーリ。
立場も政略も超えた二人の絆が、やがて王宮の静かな波紋を生んでいく──。
「私はもう一人ではありませんわ、ユーリ」
「これからも、私の隣には君がいる」
甘く静かな後宮成長溺愛物語、ここに開幕。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる