愛と重圧

もつる

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愛と重圧 7/7 最終回

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 ベクターは姉弟の母に会うため身支度を済ませる。今日は珍しくカジュアルな格好で、防護コートの代わりにレザージャケットを着ていた。
 今回は一人で行くつもりをしているため、バンは使わない。
 乗るのはバイクだ。長い間バンの傍らで眠っていたが、とうとう目覚めの時が来たのである。
 バイクは重く力強いエンジン音を響かせて、ベクターと共に走っていった。
 二時間ほどかけて、ベクターは約束の地点に到着する。そこは初めて行くグリーンゾーンで、かなり環境の良い場所だった。まだ瘴霧が無かった時代を思い出すくらいに。人々の生活水準も高そうだ。
 バイクを降り、ヘルメットを脱いだところで、女性が声をかけてきた。白いトレンチコートを羽織る、ケガをした女性だ。

「やっほう」
「……久しぶりだねえ」

 ベクターは微笑んだ。
 二人は海を一望できる場所に移動し、ベンチに腰かける。

「リトのこと、ありがとう」彼女は言った。「他にも……いっぱいお礼言わなきゃいけないけどさ」
「わたしは何も大したことはしてないよ。でも、どうして今まで音沙汰が無かったんだい?」
「……カノンと離ればなれになったすぐ後に、リトを妊娠してることがわかったんだ。他にも避難や生活の立て直しでドタバタしてて、とても連絡どころじゃなかったし……もう死んだと思ってた。いちおう行方不明者の届出はしたけど、鮮明な写真が残ってなかったし、他の人たちの届出で埋もれたんだと思う」
「……わたしたちも同じようなもんだね……。アルバムも写真のデータも全部焼けちまって……あの頃はどこもかしこも混乱してた。……よく生き残れたよ、お互いにね」
「いまガンベクターやってるんだっけ? そのホッケーマスク被って?」
「ああ。ガンベクター、マスク・ザ・ベアメタルとはわたしのことさ」

 ベクターは持った仮面をかざしつつ冗談めかして言う。
 妹は笑った。

「プロレスラーみたいな名前じゃん」
「よく言われるよ」

 二人は笑い、今までのことを話し合う。病気のこと、改造手術のこと、リトとの出会いや戦いのことも。ただ、ひとつだけ、ベクターはずっと伏せていた。
 だいたいのことを把握して、妹は安心したような表情をする。

「よかった……。あのおバカがまだ捕まってないのは心配だけど――」
「時間の問題さ」ベクターは言った。「ところで訊きそびれてたけど、そのケガは?」
「アイツの側についたフィクサーとの抗争で……。まあ、そいつらもあたしと仲間たちで返り討ちにしたけど」
「家の守りもきみのフィクサーが?」
「まあね。最近手に入れたとこ。ベランダから海が見える、いいとこだよ」

 彼女の言葉で、ベクターは瘴霧濃度の件を思い出して端末を取り出した。

「……まさかだろ……レベルブルーだ。久しぶりに見た」
「スゴイでしょ? このへんはブルーゾーンとも言われてるんだ」
「……子どもたちが暮らすにはぴったりの土地だ」
「ホントにね……」妹は微笑む。すこし憂いを帯びた笑顔だ。「今度こそ、ちゃんと学校に通わせてあげたい」

 彼女は少し黙り、唇を噛み締め、そして一筋の涙を流した。
 その涙に、ベクターは彼女がどれほど愛と、罪の意識がもたらす重圧を感じていたのかを察する。

「カノンと……リトと……姉弟で仲良く……やっと、あたりまえの家族に……」

 ベクターは胸が締め付けられ、腹をくくる。

「ごめん……ひとつ……隠してたことがある。――あの子たちの関係……」


 ベクターがいない間、ニースは遠心分離機を見て浮かない表情をしていた。
 リトと自分が姉弟であることはもう明らかだ。しかし、今もなお淡い希望を捨てられずにいる。
 本当は血が繋がっていないのではないか?
 自分とリトとの間で育まれた愛が、実はインセストタブーに触れていないのでは――?
 愚かしい願いであることはわかっていた。
 ベクターの血を使った血清は間もなく尽きる。だが彼女はためらっていた。
 リトの血で血清を作れば、自分の病気は完治するはずである。けれどそれは、自らのささやかな願望を打ち砕くことでもあった。
 たぶん、リトも、ベクターも同じ淡い望みを抱いているのだろう。そうでなければ、血清のことについて二人とも言及しないはずがない。
 すると、リトがやって来た。彼は隣に立ち、互いの顔を見合わせてから、遠心分離機に目を落とす。

「……血清、もうすぐなくなるね……」

 リトは言った。
 ニースはただ、何も言わず頷く。
 西日が窓から射してきた。


 ベクターが戻ってくると、その日のうちにニースとリトの引っ越しが決まる。予想通り、そして予定通り、母と共に暮らすのだ。
 荷造りは血清がなくなる前に終わり、持っていく物は全部バンに載った。リトの私物は少なく、ニースも半ばミニマリストであるため、往復も、引越し業者を頼る必要もなかった。
 あとはブルーゾーンで待つ母のところへ行くだけだ。
 出発前に、ニースは問う。

「――でもいいんですか? 私がいなくなると仕事もキツくなるのでは……?」

 ベクターはいつもの鉄面と黒コート姿で、穏やかな眼差しを彼女に向けた。

「今はリモートワークが発達してる。じき慣れるさ」
「ならいいですけど……」
「……きみは今日からカノンに戻るのさ。さあ、行こう」

 三人はバンに乗り込んだ。
 ベクターは運転席だが、カノンは後部座席でリトと隣り合っている。助手席には遠心分離機が置いてあった。
 その日は瘴霧濃度が全国的にレベルグリーンで、草木に飲まれつつある街がよく見えた。空には雲が多いものの、太陽が地を照らし、爽やかな青天が広がっている。
 ブルーゾーンに入ると、海沿いの道を走った。
 光を受けてきらめく蒼の水面に、カノンとリトは魅入られる。これからはこの美しい景色が日常となるのかと思うと、それも悪くないという考えがふと芽生えた。
 けれど、三人は始終無言であった。
 小高い丘の上に建つ、すこし大きな一軒家が見えると、そこへ続く道の前でバンは停まった。予定よりもずいぶんと早い到着である。
 カノンとリト、そしてベクターは荷物と共に車から降りると、向かい合う。
 別れの時が来たのだ。


 ベクターは姉弟を見つめる。
 自分から見れば小さい体の二人だが、とても、大きく思えた。

「……立派になったね」

 ぽつりと、ベクターは言う。

「あなたがいてくれたからです」と、カノン。
「ありがとう。でも、もうわたしは必要ない」

 ベクターは顔を上げた。
 家から妹が――カノンとリトの母が出てくる。
 姉弟は母の方へ振り返り、それからもう一度ベクターに向けて言った。

「――ありがとう」
「時々、会いに来てください。いえ……ぼくらから会いに行きます。ありがとう……」

 二人は母に駆け寄り、三人で強く抱きしめ合う。
 全身で再会と帰還の喜びを分かち合っていた。
 母がベクターに顔を向けると、ベクターは軽く手を振る。
 やがてゆっくりとその手を下ろすと、ぎゅっと拳を握った。
 そして吹っ切るように踵を返しバンに乗る。


 走り去っていくバンを見送りながら、カノンは思った。

 ほんとうにこれでよかったのだろうか?

 ブルーゾーンは好きになれそうだし、母との再会も嬉しい。
 けれど、同じくらいベクターを独りにしてはいけない気がした。
 ベクターだけでは生活や仕事が成り立たなくなるかも、というわけではない。精神的な部分での心配だ。
 それに――。
 ふと、リトの横顔を見る。
 一緒の生活が続くと思うと、無上の喜びといっても足りない。
 だけど、弟と知ってなお、彼を一人の男として愛している自分がいる。
 いつかそれが、大きな禍根をもたらす予感がしていた。


 ブルーゾーンのゲートを越えたすぐ後に、ベクターは前方の人影を見てブレーキを踏んだ。
 拳銃を手にし、ボロボロの戦闘服を着た長身の男で、彼が何者かすぐわかった。
 ベクターはバンを降り、拳銃を抜く。

「やあシェイド。いままでどこに隠れてたんだい?」

 シェイドからの返事は無い。ただ、その顔は険しく、胸中に怒りと攻撃衝動の炎が燃え盛っているのはよくわかった。
 彼はふらつきながら、ゆっくりと歩いてくる。
 ぎしりと腕をきしませながら、銃口をこちらに向けた。

「……哀れなもんだ」ベクターはため息をつく。「あの子たちを日陰者にしちゃいけないよ」

 拳銃を構え、撃った。


 家に入ろうとするリトたちのところに、風に乗って銃声が聞こえてきた。
 カノンは呟く。

「……ベクターの銃だ……」

 彼女は一歩前に出て、それから振り返った。
 ためらいの表情で、カノンとリトはお互いを見つめる。
 やがて目をそらして、ぽつりと呟いた。

「ごめん……やっぱり、一緒にはいられないみたい」
「……謝らないで」

 リトは笑顔を浮かべる。本心では泣きたかった。けれど、自分たちの愛がどういうものかわかっていた。
 母も、微笑んで言う。

「……自分の心に従いなさい」

 カノンは頷き、リトと向き合った。
 リトは何も言わず、彼女と唇を重ねた。
 二人が離れると同時に、一筋の涙が流れる。

「気をつけてね」リトは言った。「ニース」

 その言葉を受けて、カノンは涙を拭き、颯爽と翻った。
 リトと母は、ニースを見送る。勇ましささえ感じる彼女の背に、未来の幸福を祈って。


  了
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感想 3

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みんなの感想(3件)

常葉㮈枯
2024.04.19 常葉㮈枯

愛することの重圧ってワードがとても深かったですね……
歪だったり無垢だったり、形は違えど出てくる愛情のテーマ性に唸らされる作品でした!一貫したテーマで短めにまとめて、それできて余韻を持った終わらせ方なのは流石の一言に尽きません、お疲れ様でした!

解除
JMS
2021.10.14 JMS

完走お疲れ様でした
ここ数日の楽しみでした
7話という後から読み返しやすいボリュームでまとまってるのもいいですね
ベクターお気に入りです

解除
JMS
2021.10.09 JMS

3話まで読ませて頂きました
おねショタ物って、自分がもはやショタに感情移入できる年齢でも無いので「ふーん…」って冷めた感じで流してしまう事が多いんですけど、この作品はヒロインの叔父といういい塩梅のポジションに配置されたキャラがそういったいい歳した男の感情移入の受け皿になってくれるのが上手いと感じます
ベクター視点でボーイミーツガールを見守る気持ちで心地良く読めますね
残り4話も楽しみにしてます

解除

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