祝福の居場所

もつる

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 兄妹が採血を終えて病室に戻って来るやいなや、奇妙な音が頭上で鳴り響いた。

「え?! なにこの音!?」とマーシャ。
「気持ちの悪い音だ……」ジェラが言った。「不安感を駆り立てられる」

 扉の向こうで複数人の足音と話し声が聞こえる。かなり慌てているみたいだ。

「警鐘の一種かな」
「ええー昨日の今日でぇ?!」
「ヴァンダルのこともある。いつでも逃げられるように着替えておこう」
「だね」マーシャはロッカーを開けた。「あれ? メッセージが来てる……」
「ぼくのグリモアにも……」とジェラ。

 アリテームからだ。そこには、奇妙な女に出会ったから用心をという旨のメッセージが書いてあった。

  ◇

 黒コートの女はエントランスで兵士を次々と返り討ちにし、血祭りにあげていく。
 左手一本で銃を保持しているにもかかわらず、反動をほぼ完全に抑え込んでいた。
 連続して放たれた弾丸は兵士たちを次々と射抜く。
 その一方で兵士たちの銃撃はまるで当たらない。
 彼女には弾がどこからどの角度で飛んでくるか見えていた。
 着弾地点を予測し最小限の動きで銃撃を躱す。
 そして銃弾を叩き込む。
 また兵士が減り、誰かが叫んだ。

「グレネードランチャーを使え!」

 兵士らは銃の先台下に装着した擲弾発射器の引き金を引く。
 炸裂弾が女に向かって飛び、爆発した。
 が、兵士たちは次の瞬間には背中から刺されていた。
 女は爆発前に跳躍して防衛線を越え、背後をとったのだ。
 エントランスの兵士を片付けると、奥に向かって進もうとする。
 後衛にいた兵士らは隔壁を閉めようと慌てふためいていた。が、隔壁など彼女にとってはたいした問題ではなかった。
 弾切れの銃を捨て、刀を床に突き刺し、女は閉まり切ろうとしている隔壁の隙間に両手を突っ込んだ。
 そこから力づくでこじ開ける。金属の悲鳴が響いた。
 女の白濁した双眸と、兵士たちの目が合った。
 彼らのうち一人が言う。

「総員退避! 退避ィ!」

 構造が壊れ、隔壁は開きっぱなしになる。
 女は先程までの調子を崩すことなく、刀を手に殺戮を繰り返し進んだ。

  ◇

 マーシャとジェラは着替えを終え、事態に備えていた。そこにヒュシャンが現れる。彼女は総金属製の小箱を手に持ち、複数人の屈強な護衛に囲まれていた。

「あなたたちその格好は――いえ、好都合です。私と一緒に避難を」
「やっぱり何かあったんですね」

 二人は彼女についていく。
 病室を出て、急ぎ足で廊下を進んだ。エレベーターまでもうすぐだ。
 その時だった。分厚い壁が粉砕され、大穴が開く。
 舞い上がる埃の中から、黒衣の女が姿を見せる。
 ヒュシャンの護衛たちが銃口を女に向けたが、女は動じない。
 マーシャは言った。

「お兄ちゃん……あの人まさか……」
「……アリテームの言ってた女に違いない……」

 ヒュシャンは女に向けて言う。

「アノットか……!? ばかな……死んだはず……!」

 アノットと呼ばれた女は唇をすこし吊り上げた。
 刀を持つ手がわずかに動く。
 それに反応して護衛たちが撃った。が、アノットは銃弾を避けた流れで斬撃を繰り出す。
 ヒュシャンは兄妹に言った。

「今です! エレベーターへ!」

 三人はアノットの脇をすり抜け、エレベーターへ走る。
 アノットは護衛らを全滅させてから追ってきた。
 エレベーターに乗り込んだヒュシャンはボタンを押し扉を閉めようとする。
 だが遅かった。
 扉が閉まる前にアノットが彼女の胸ぐらを掴み、外に引きずり出した。
 兄妹は手を伸ばす。

「ヒュシャンさん!」

 扉が閉まる。最後に隙間から見えたのは床に叩きつけられたヒュシャンと、それを見下ろすアノットだった。
 エレベーターは一階へ向かう。
 兄妹は唖然として、カゴの中で立ちすくんでいた。
 マーシャは床に小箱が落ちているのを見た。

「お兄ちゃん、これ……」
「ヒュシャンさんが持ってたやつだ」
「丈夫そうな箱……大事な物に違いないよ」
「この塔の人に渡したほうがいいかもだね」
「……生き残ってたらいいけど……」


 エレベーターが一階に着いた。
 扉が開いて、兄妹はその惨状に息を呑む。
 数多の死体が転がり、そこらじゅうに血が飛び散っている。壁も柱も弾痕だらけで、最初に見た整然とした光景は残っていなかった。
 生き残った人々は皆、死体を運んだり負傷者の処置をしたり、あるいは設備の復旧でせわしなくしている。
 ふと、こちらに気づいて一人の男が近づいてきた。

「お二人とも、怪我はありませんか?」
「はい。あたしたちは……でもヒュシャンさんが……」
「そうですか……」男は眉をひそめると、小箱に目を向けた。「それは――」
「ヒュシャンさんが大事そうに持っていました」
「ありがとう。大事なものです」

 マーシャは彼に箱を渡した。

「この中にはダムドガス――ああ失礼、瘴気を打ち負かす切り札が……お二人の血液が保管してあります」

 男が言うと、兵士と思しき人物が一人、駆け寄ってきた。

「副所長。アレの使用許可をお願いします。たかが一人にやられっぱなしではメンツが立ちません」
「……いいでしょう、許可します。ただしこのご兄妹の避難が済んでから」
「了解しました」

 兵士は走り去り、副所長も早足で促した。

「さあ外へ。車が待っているはずです」

 外に出ると、一台の車が待っていた。が、兄妹の想像していた車とはまるで違う。背が低く、牽引する動物もいない。ただ重低音を響かせて、後ろから薄い色の煙を吐き出していた。

「これが……車?」
「鉱物動力を利用した古代文明の車です。さあ――」

 彼が最後まで言う前に、上階からガラスの割れる音がした。
 見上げると、雨粒に交じって黒い塊が降ってくる。
 それは車を潰し、それから白く濁った両目でこちらを睨みつけた。
 アノットである。

「きさま!」

 副所長が声を上げたが、次の瞬間にはアノットの蹴りで吹っ飛ばされていた。
 兄妹は身構える。
 ジェラがマーシャを護るように、彼女の前に出た。
 アノットは車から降りると、左手に持った品を放り投げてよこした。

「これはあなたたちのでしょう?」

 確かに、兄妹が普段身につけている武器防具だった。
 しかし二人にはわからなかった。この女の真意が――。
 その時声がした。

「マーシャ! ジェラ!」

 聞き覚えのある声だ。

「プレイトさん!」
「アリテーム!」

 キャリー・プレイトはアノットに銃口を向けた。
 アリテームはジェラたちのほうに駆け寄る。

「大丈夫!?」
「ああ、ぼくたちは」ジェラは言った。「メッセージをありがとう」
「ボクたちも帰る途中で会ったんだ」

 アリテームはアノットを見て言った。
 アノットは何も言わずこちらに顔を向けていた。が、急に別の方を向いた。

「……見ていなさい。じきにヒュシャンの本性がわかるわ。そして、わかったら逃げなさい」
「いったい何を――」

 突如として重々しい足音が複数、アノットの視線の向こうから聞こえてきた。
 人間の体重で出せる音ではない。
 建物の陰から、何体ものオウガが現れた。
 思わずマーシャが声を上げる。

「怪物!?どうしてここに――」
「瘴気の実験体よ。よくご覧なさい、体に数字が書かれているでしょう?」

 アノットは言いながら怪物たちに向けて歩く。

「古代文明人は怪物を兵器化して、武力で地上を乗っ取ろうとしているのよ」
「でたらめを言うな!」

 怒鳴ったのはキャリー・プレイトだった。

「そんなわけがないだろう! ふざけたことをぬかすのもいい加減にしろ!」
「ずいぶんご立腹ね。でもその怒り――」

 オウガの一体がアノットに殴りかかる。
 アノットはその腕を叩き斬った。

「――ランダウルにぶつけることになるわ」

 マーシャたちは己の耳を疑った。
 しかし問い詰める暇も考える時間も無い。
 怪物たちはこちらにも攻撃をしかけてきた。ゴブリンだ。
 先手をとられたが、ゴブリンの一撃はジェラの盾が受け止めた。
 マーシャはこの隙に剣を抜き、斬りつける。
 倒したゴブリンの背後から別のゴブリンが飛びかかってきた。
 それをアリテームの槍が貫く。
 キャリー・プレイトもアノットと共にオウガを銃撃していた。
 急所や皮膚の薄い箇所を狙い撃ち、動きを鈍らせる。
 そこでアノットの怪力による斬撃がトドメを刺した。
 また別のオウガがジェラとアリテームに迫る。
 マーシャは二人の加勢に入った。
 小柄な三人がかりでオウガの膝裏やアキレス腱を斬りつけた。
 立ち回りの最中、アリテームがオウガに首を掴まれる。
 キャリー・プレイトは反射的にオウガの腕へ照準を合わせたが、アノットが速かった。
 斬撃が腕を肘から切断し、アリテームを解放する。
 マーシャは一度間合いを離し、言った。

「多すぎる! キリがないよ!」

 するとアノットがオウガの一体を斬り捨ててから後ろに跳び、刀を鞘に納めた。
 彼女は刀を背に回すと再び跳び、マーシャの胴に腕を回す。
 マーシャは驚いて声を上げた。
 アノットは続けてジェラも抱え、

「逃げるわよ」

 と言って怪物の群れに背を向け走った。
 ひしゃげた車を踏み台に壁を跳び越える。
 その様をキャリー・プレイトとアリテームが見上げた。

「マーシャ!」
「ジェラ!」

 兄妹はアノットにがっちりと抱えられたまま、ロフトフの塔から離れてゆく。
 マーシャは塔に向けて手を伸ばした。

「待って! まだアリちゃんたちが!」
「あの二人なら大丈夫でしょう、信じてやりなさい」
「そんな無責任な!」

 アノットはかなりの速さで長距離を走る。もうロフトフの塔は楊枝のように小さくなり、やがて見えなくなった。
 彼女は枯れ木の森に入ろうとしたところで急に足を止め、兄妹を下ろす。

「今度はなに!?」
「オウガの群れより厄介な相手が」

 兄妹はアノットの視線の先を見て、背筋を凍らせる。
 そこに立っていたのはヴァンダルであった。

  ◇

 アノットは再び刀を抜いた。

「逃げなさい!」
「でも――」
「はやく!」

 アノットが叫んだ直後、ジェラがマーシャの手を引いて走り出した。
 ヴァンダルは二人を追おうとするが、アノットは刀を振る。
 刀身についた雨滴が玉となって散った。

「あなたの相手は私よ」

 ヴァンダルは顔をさらに歪めた。
 そして拳を振り上げる。
 アノットは拳打を躱し、すれ違いざまに斬りつけた。
 が、手応えは無い。斬撃はコートの内側に仕込まれた防刃繊維に阻まれたのだ。
 そこに一瞬の隙が生まれる。
 オウガ並の一撃を喰らい、吹き飛んで地面に転がった。
 頭上に影が落ちて、アノットは慌てて回避する。
 ヴァンダルの踏みつけが土を穿った。
 アノットは相手の延髄めがけて袈裟斬りを放つ。
 が、ヴァンダルはそれを腕でガードした。またしても防刃繊維に邪魔された。
 しまった! 彼女の本能が叫ぶ。胴ががら空きだ。
 刀を手放し、防御姿勢を取る。
 ヴァンダルの掌底が放たれてまたアノットを地面に這いつくばらせた。
 重い打撃だった。ガードが間に合わなければ内臓が破裂していただろう。
 ヴァンダルがゆっくりと近づいてくる。

 起き上がらなければ。

 アノットは痛む全身に鞭打ち、ようやく膝で立った。
 ヴァンダルはすでに両拳を組み、高らかと振り上げている。
 あれが命中すれば確実に死ぬ。
 その予想が力を爆発させた。
 アノットは全ての感覚を置き去りにして拳を突き出す。
 拳はヴァンダルの顎に命中した。
 ヴァンダルはよろめき、アノットもまた片膝をつく。
 脳を揺さぶったのだ。しばらくはまともに立ってはいられないだろう。
 そのはずだった。
 次の瞬間にはヴァンダルはアノットを殴り飛ばしていた。
 アノットは頭の中が真っ白になり倒れ込む。
 視界が歪み意識が混濁する。だがまだ気絶には至らない。
 ヴァンダルはすでにアノットに興味をなくしているようで、兄妹の逃げたほうに顔を向けていた。
 朦朧としながらも、アノットは言う。

「待ちなさい……」

 腕を伸ばす。その先には刀が落ちていた。指先が刀に触れるが、ヴァンダルはもう走り去っていた。
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