祝福の居場所

もつる

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 ジェラはミィパの言葉を聞いて青ざめた。それと同時に、あの時村長が言ったことに合点がいく。

「でたらめを――!」

 マーシャがミィパの足首を掴んだ。が、次の瞬間彼女は地に顔を打ちつけられた。

「マーシャ!」ジェラは叫ぶ。「ミィパきさま!」
「ジェラちゃん、あなた怒ると目つきがランダウルさまそっくりね……好きよ、その目」

 ミィパは言いながらまたマーシャの頭を踏みつけた。
 血が噴き出し、何かが折れる音がする。
 マーシャはミィパに髪を掴まれ、引っ張り上げられた。
 彼女は顔中から血を流し、前歯が折れていた。
 ポックァ夫妻はたまらず落涙する。

「ああ……! マーシャ……!」

 ジェラも妹の惨状に凍りついていた。
 ミィパは恍惚とした表情でマーシャを見つめてから、放り投げる。
 ジェラは歯を食いしばった。全身から、今までにない強い力が湧き上がってくるのを感じた。
 それは怒りの火が燃える勢いを強め、打倒の意の刃を研ぎ澄ます。

「さあ、あなたも痛めつけてあげるわ」

 ミィパがジェラに突撃を繰り出した。
 が、ジェラは盾を薙いで攻撃をはじく。
 同時にミィパの右の鉤爪も砕け散り、ミィパは驚いた顔を見せた。
 ジェラはミィパの腕を掴み、雄叫びと共に彼女を地面に叩きつける。
 土塊が宙を舞い、ミィパの唸り声が聞こえた。
 捨てられた剣を拾い、ジェラは切っ先をミィパに向ける。

「許さない……! 覚悟しろミィパ!」

 そして斬撃を放つ。
 ミィパは残ったガントレット部の装甲で斬撃を受け流した。
 が、その動きはジェラには遅く見えた。
 すぐさま体勢を立て直し盾で打つ。
 打撃を喰らったミィパはふらついた。
 ジェラの追撃。
 それは一発一発が先程までとは無比なほど速く強烈だった。
 寸でのところでミィパはそれらを躱し、あるいは防御し続けるが、余裕が無いのは表情が物語っていた。
 再びジェラの盾がミィパの視界を封じる。

「しまった!」
「終わりだァ!」

 ジェラは剣を振りかぶった。だがミィパは両手で盾を掴むと、ジェラを投げ飛ばした。
 空中で姿勢を整え、ジェラは着地する。
 ミィパのうろたえた表情は変わらなかった。

「どういうことよ……! アタシの力に……あなたはいったい――!?」
「そんなことぼくが知るか」ジェラは言った。「マーシャを傷つけた罰! 受けてもらう!」
「ふん、威勢が良いわね。だけど大事なこと忘れてない!?」

 ミィパは村長夫妻を指差す。
 兵士たちが二人に銃口を向けていた。

「きさま……!」
「おとなしくなさい。さもないと村長さんたちが死ぬわよ……」

 ジェラはミィパを睨む。
 肩で息をしつつも、ミィパは笑みを浮かべた。
 その時だった。
 村長たちを狙う兵士が打撃を受け倒れる。
 アリテームとローハだ。

「待たせたね!」
「遅れてすまん!」

 ローハは村長たちの拘束を引きちぎると、アリテームに銃を渡した。
 彼はミィパに向けて発砲する。

「二人とも、こっちへ!」

 ジェラはマーシャの手を引き、アリテームたちのほうへ急ぐ。
 ミィパは銃撃を避けながら二人を追おうとした。
 そこに、ローハが待ったをかける。
 ローハは夫妻が縛られていた柱を引き抜き、その大質量で薙ぎ払った。
 ミィパは派手に吹っ飛び、別の廃墟にぶつかって跳ね返ると、地面に倒れ込んで動かなくなった。
 ジェラとマーシャは村長夫婦に駆け寄り安否を確認する。

「大丈夫?」マーシャが訊いた。
「それはこちらのセリフだよ」ポックァが言った。「……すまない、私たちのせいで……」

 彼はマーシャの頬を撫でる。

「気にしないで。二人の命に比べたら歯なんて大したことないよ」
「それでも――」
「古代文明の医療技術では」ローハが言った。「半年もあれば永久歯でも再生できる。大丈夫」
「……それを聞いて安心した」

 マーシャは微笑み、ジェラもほっとする。
 村長夫婦はローハを見て奇妙そうな顔をした。

「あなたはいったい……?」
「この方はローハさんて言って――」

 ジェラが名を伝えると、ローハ自身が自己紹介する。

「古代文明の生き残りです。詳しい話は村に戻ってから――」

 言葉の途中で、警鐘と、風車が回転する音が聞こえてきた。
 瘴気が出てきたのだ。
 ポックァ夫妻とアリテームは急いでマスクを装着する。辺りはたちまち瘴気に満ちた。

「さて、アイツをどうするか――」

 ジェラはミィパの倒れているはずの方を見て、己の目を疑った。

「ミィパがいない!」
「なんだって?!」
「いつの間に――!」

 皆が警戒していると、死角からミィパが現れた。
 ミィパはアリテームを背中から掴み上げる。

「アリテームを放せ!」
「ええ、もちろんそのつもりよ。けどね……アタシちょっとムカッときちゃったのよ」

 彼女はアリテームの首を絞め、マスクに手をかけると――、

「ちょっと腹いせさせてね!」

 マスクを剥がし、瘴気の中に投げ倒した。
 瘴気を吸ってしまったアリテームは悶え苦しむ。

「ミィパきさまァ!」
「憎けりゃ追ってきなさい!」
 逃げるミィパを追いかけたのはマーシャとローハだった。
「わたしたちに任せろ!」

 ジェラは二人の背を見て、それからうずくまるアリテームに寄り添った。
 アリテームは四つん這いになって咳き込み、口から黒い泥のような塊を吐く。

「しっかり! しっかりしてアリテーム!」

 だがアリテームがもう手遅れなのはわかっていた。
 彼の皮膚がところどころで裂け、灰色の怪物の皮膚がのぞく。
 アリテームが言った。

「殺して……怪物になる前に……」
「アリテーム……」
「ジェラ……あのとき、こんなボクを……認めてくれて――ありがとう……」

 涙が溢れてきた。
 ジェラは震える手で剣を振りかざした。
 アリテームも涙を拭わず、微笑む。

「大好き……愛してる」

 彼の命を断つべく、剣を振り下ろそうとした。
 だがジェラの手は寸でのところで止まる。
 アリテームの肌の裂け目が閉じていくのが見えた。アリテーム自身も、苦しげな様子がだんだんと消えてゆき、不思議そうに自らを見つめる。
 ポックァ夫妻らも、なにが起こったのかわからないようだった。
 アリテームはもう呼吸の乱れすらなくなっていた。

「……どういうことなの……?」

 瘴気は依然、立ちこめている。
 だが、アリテームは怪物化しなかった。

  ◇

 マーシャとジェラはその夜、久しぶりの我が家で疲れを癒やす。アリテームとローハにも、長らく空き部屋だった両親の部屋を使ってもらうつもりだ。結局ミィパには逃げ切られてしまったが、アリテームが事前に警魔結界に手を加えていたことと、ローハの超人的パワーのおかげで本村の被害は最小限に留まっていた。
 夕飯時には、歯の折れたマーシャのために、ジェラが粥やスープといった柔らかい食事を作ってくれる。

「ありがと……いただきます」

 マーシャは粥を口に運ぶ。鶏卵の穏やかな旨味が口全体に広がり、無粋な痛みさえも忘れた。
 ジェラとアリテームも、食事に手をつける。ローハは村長宅でこれまでの経緯を話しているため、その場にはいない。
 が、三人が食事を初めて間もなく帰ってきた。

「おかえりなさい」
「ただいま。捕まえた兵士の一人がすこしだけ口を割った」
「どんな情報を?」
「ランダウル一味は<ダシタリズム造船所>なる所に拠点を移したらしい。それ以上は喋らなかったが、しばらくは牢屋に入れて尋問を続けるべきかもしれんな」
「造船所……あのでっかい戦艦もそこで造ったんだろうね」
「ああ……。バードラという名前のようだが……あれ一隻で終わるはずがない」

 ローハは自分の分の食事を持って座る。

「量産されて戦争が本格的に始まる前に決着をつけねば」

 合掌してから、ローハも食事を始めた。

「ん、これうまいね」
「でしょう? お兄やんが作ってくれたんだ」
「へえ……こんな手の込んだ料理を……すごいな」
「いえいえそれほどでも……」

 ジェラは照れ笑いをしてみせる。

「ジェラはすごいよ。ホントに……」

 言ったのはアリテームだった。

「……ありがとう」

 マーシャは、兄の頬がすこし赤くなったのを見逃さなかった。

「そうだ、アリテーム」ローハが訊く。「もう体は大丈夫なのかい?」
「ボク自身、ほんとに不思議なんだけど……まるで何ともなくて」
「……きみも知らなかっただけで、ブレシッドだったということか?」
「そんな偶然ある?」と、マーシャは首を傾げる。
「無くはないだろうけど現実的じゃないよね」
「でもそれなら、どうしてアリテームは最初苦しんだんだろう……怪物化の兆候もあったのに」
「個人差がある……?」ローハは茶を口につける。「いずれにせよ、喜ばしいことだがな」

 ジェラは頷いた。

「ですね……」

 それから四人は他愛のない話をしながら夕食を終え、後片付けや入浴を済ませると寝る準備をした。

  ◇

 ジェラはベッドに横たわり、深呼吸すると瞼を閉じる。そんな時だった。
 扉を叩く音がした。

「ジェラ……入ってもいい?」

 アリテームの声だ。
 ジェラは起き上がって扉を開ける。

「ごめんね、こんな時間に……」
「いいよ。どうしたの?」
「……眠れなくて……」

 二人はベッドに腰かける。
 しばしの沈黙の後、アリテームが言った。

「あの……焼け跡で言ったことなんだけど……」
「うん……。嬉しかった」
「え?」
「ぼくは……他人に愛してもらえるような人間じゃないと思ってたから……。自分にそれだけの価値があるって感じて……」

 ジェラはアリテームに向き直る。

「あの時、きみを喪うことがすごく恐かった。……でもこうやって生きてる。だから今はすごく嬉しい」
「ジェラ……」
「……アリテーム、ぼくもきみが好きだ」

 いつしか二人は互いの手を握りしめていた。
 ジェラとアリテームは上弦の月に照らされながら見つめ合う。
 そして、唇を重ねた。
 柔らかく温かい感触と、甘い香りと――。
 かさねた唇が離れ、彼は微笑む。

「今日は一緒に寝よっか」
「……うん」

 二人はベッドに入り、手を繋いだまま眠りについた。

  ◇

 マーシャは口の中の違和感で真夜中に目を覚ました。痛みはもうほとんど無いが、やはり歯が無いと思うと気持ち悪い。が、古代文明の技術で再生が可能だというローハの言は救いだった。
 喉もすこし渇いている。目が開いたついでに水を飲もうと、彼女はベッドから出た。
 キッチンで水を飲み、自室に戻ろうとする。
 そこであることに気づき、洗面台へ向かった。
 寝ぼけているのだろうかとも思ったが、まさかそんなはずもない。
 鑑の前で口を開けてみて、マーシャは驚く。
 彼女の歯は、再生していた。


 翌朝、マーシャは三人に口の中を見せる。確かに折れたはずの彼女の前歯は元通りに戻っていた。
 ローハが腕を組む。

「ふーむ……これもブレシッドの力……なんだろうか……?」
「ローハさんも何か心当たりはない?」

 すこし黙ってから、ローハがジェラに訊いた。

「……わたしがきみの腕を折ったことがあったろう?」
「ええ、あの時は確か――」

 ジェラはそこではっとなり、マーシャと顔を見合わせる。

「そうだ、あの時もやけに治りが早かった」
「アノットさんもびっくりしてたよね」
「あと、関係あるかはわからないんですけど……。ミィパと闘ってる時、ぼくは途中でヴァンダルと互角の勝負ができるほどの力を出せたんです。ちょうどマーシャの歯が折られた時……。村長たちも見てます」

 すると、アリテームが言う。

「……ねえ、すごくアホらしいかもだけど……もしかしてブレシッドって、強い感情というか……想いの力というか……そういった精神的な要素で力を発揮するんじゃないかな」
「……ありうるかもしれない」マーシャは答えた。
「たぶん、アリテームの説は当たらずとも遠からずってところだと思う」

 ジェラも頷く。

「精神的なものが鍵なら、きみに瘴気への耐性がついたのも納得できるんだ。ぼくは……」
「そう……かな……?」
「あたしもアリちゃんの説を支持するよ。すごくステキなことじゃない!」
「ああ、わたしも同じ意見だ」とローハ。「ブレシッドの力が他者を想う気持ちで伝播する……。これは科学的にも似たような論があるんだ」
「そうなの?」
「心理学の分野でね。ブレシッドほど目に見えてわかりやすいものじゃないが……魔法文明にも似た研究はあるんじゃないかな」
「うーん……精神的な……」

 マーシャは腕を組み、頭を左右に傾げながら考えた。

「だめだ……大昔のトンデモ研究が真っ先に出てきてしまった……魂をこの世に留めとくっていうアレ……」

 彼女はテーブルに突っ伏し、四人で笑いあった。
 すると当然、ローハから笑顔が消える。

「ローハさんどうしたの?」
「嫌な音が」

 ローハは席を立ち、窓を開ける。
 間もなく空から低く轟く音が聞こえてきた。
 道行く人々も怪訝そうに空を見る人が増えてゆく。
 そして、あの飛空戦艦――バードラが現れた。


 マーシャたち四人と、ポックァ村長が港に来るのとほぼ同時に、バードラは村の港に着水し、大きな波を立てて周囲の船を揺らす。その桁外れの巨躯は見に来た人々をたじろがせた。
 皆がざわめいていると戦艦から橋が伸びてきて、黒い制服を着た長身痩躯の男が姿を見せた。
 村長が彼を目の当たりにして青ざめる。

「ランダウル……!」

 それまでざわついていた他の村民たちもランダウルに気圧されたか、みるみるうちに押し黙ってゆく。
 ランダウルは口元だけで笑い、こう言った。

「あのゴミ溜めがずいぶんときれいになったではないか。見違えたぞ」
「……いったいきみの身に何があったんだ?」

 ポックァが前に出て言う。

「私の知っているきみは誠実で責任感の強い善人だった……それがどうして――」
「古代文明再興のためだ。そしてそのためには私の甥と姪たちの力が要る」

 ランダウルはマーシャとジェラに目を向ける。

「私と来い。ジェラ、マーシャ」
「よせ。この子たちは関係無い」
「そうだ!」村民の一人が怒鳴った。「いきなり現れて勝手言うんじゃない!」
「その通りよ! 出ていって!」

 一人、また一人と村民たちはランダウルに反対の声を上げた。
 その声を浴びてランダウルは呆れたような顔をすると、懐から拳銃を出し、天に向けて撃った。
 轟いた銃声で、また村民たちは黙らされる。
 マーシャとジェラは互いに目を合わせ、頷いた。

「わかった。今はあなたたちに従う」
「マーシャ」
「大丈夫だよ、村長さん」

 彼女はランダウルに向き直る。

「お兄ちゃんとあたしは今からそっちに行く。だから村にも、村のみんなにも一切手出ししないで」
「保証はできんが……やってみよう。しかし、ふざけたマネをすれば――」

 ランダウルは手を振り上げる。
 戦艦の主砲が旋回し、村に砲口を向けた。
 二人はアリテームとローハに武器を預けると、バードラの橋に足をかけてランダウルのほうへ行く。
 すると艦内からミィパが現れた。

「また会ったわね」

 兄妹の表情が険しくなる。彼女は二人分の手錠を持っていた。
 彼女はマーシャとジェラを後ろ手で拘束すると、背中越しに言った。

「マーシャちゃん、歯が元に戻ってるじゃない。ヒュシャンの予想通りね」

 バードラの回転翼が再び回り始めた。
 艦内に入る前に、兄妹は仲間の方に振り向く。
 アリテームとローハが言った。

「絶対助け出すから!」
「必ずだ! 約束する!」

 マーシャとジェラは、その言葉に笑顔で応える。
 かくしてバードラは天空の彼方へと消え去った。
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