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第003話 奴隷の解放

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 一定の速度でテクテクと道なりに進んでいた馬車が、いよいよ俺達の前までやってきた。二頭の馬からなる絵に描いたような馬車で、御者を務めるのは小太りで脂ぎっしゅなおっさんだ。荷台には大量の木箱――――ではなく、女の子が積まれていた。

 女の子は日本だと幼稚園に通っていそうな年頃の幼女であり、驚いたことに猫みたいな耳と尻尾を生やしている。髪は俺と同じ黒色だし、猫耳も黒色だが、耳から生える毛はどういうわけか金色だ。
 幼女に対する驚きは、猫耳と尻尾だけではない。
 鉄の手枷と首枷が付けられているのだ。それらは鎖で連結していた。当然ながら、幼女の表情はよろしくない。死んだ魚のような目をしている。罪人に対するかのような惨たらしい仕打ちだ。俺は悲しい気持ちになった。

「君たち、こんなところで何をしている?」

 おっさんが馬を止めて話しかけてきた。
 怪訝そうな様子ではあるけれど、敵意は感じられない。

「俺達は」

 俺はそこで口を閉ざした。
 地球から転移してきた、などと言えばどうなるだろうか。
 きっと、「頭のイカれた野郎だ!」と思われるに違いない。
 返答に悩んだ結果、「見ての通りさ」とはぐらかした。

「家? こんな辺鄙な場所に住んでいるのか」
「そうだけど、そっちは何をしているんだ? 荷台の幼女に対する仕打ちはあんまりだろう。可哀想じゃないか」

 おっさんが「可哀想?」と鼻で笑う。

「こいつは奴隷さ。君は奴隷を見たことがないのか?」
「ないよ。この国には奴隷制度が存在しているんだな」
「何を言っている? 奴隷なんぞどこの国でもあるだろう」

 女神の言う通り、日本より物騒な国みたいだ。

「でもさ、やっぱり幼女を奴隷として扱うなんて酷いと思うよ、俺は」
「馬鹿なことを言うな。この年頃の女だからこそ、奴隷としての価値があるのではないか。奴隷商として、これほどの上物を扱えることを誇りに思うくらいだ」

 おっさんが「それにしても」と話を続ける。

「えらく世間知らずのようだが、どこの田舎に住んでいるんだ?」

 この時点で、俺のイライラは限界に達していた。
 奴隷という制度に吐き気がするし、それを平然と売る神経も理解できない。
 それになにより、おっさんの見下した態度が癪に障る。

「俺の故郷は岡山だ。田舎じゃねぇよ」
「オカヤマ? そんな村、聞いたことがないぞ」
「村じゃねぇ。岡山は大都会だ」

 俺は視線をアリシアに向けた。
 我が大都会の岡山を村扱いしたおっさんは許さない。

「アリシア、命令だ。こいつをぶっとばせ」
「かしこまりました、マスター」
「へっ? いや、ちょっ」

 慌てるおっさんに、アリシアの右ストレートが炸裂する。
 おっさんは「あんぎゃああ」と叫びながら吹き飛んだ。

「ぐ、ぐぐぐっ……」

 派手に草原を転んだおっさんは、立ち上がると唾を吐く。
 唾は血で真っ赤に染まっていた。中々に痛そうだ。

「ど、奴隷商人にこんなことをしてタダで済むと思うなよ!」
「岡山を田舎扱いして生きて帰れるだけありがたいと思えよ!」

 おっさんは「チクショー!」と叫びながら、前方に走っていった。

「何が奴隷だ、気持ち悪い。反吐が出るぜ」

 俺は馬車の荷台に上がり、猫耳幼女を抱えた。
 その状態で、荷台からひょいっと飛び降りる。

「俺の言葉は分かるか?」

 幼女は静かに頷いた。

「言葉、話せるか?」
「は、はな、話せます」
「オーケー、立てるか?」

 幼女が「はい」と答えたので、ゆっくりと立たせる。
 それから、アリシアに命令して手枷と首枷を破壊させた。

「凄まじい力だな、アリシア」
「マスターのおかげでございます」

 驚いたことに、アリシアは指の力で枷を千切ったのだ。
 手枷も、首枷も、指で摘まんで左右に引っ張っただけ。

 流石は1億CPだ。凄まじい怪力である。
 奴隷商人のおっさんが死ななかったのはある種の奇跡だ。いや、アリシアが手加減したに違いない。本気で殴っていれば、アソパソマンみたいに顔面がぴよーんと飛んで、失神しそうな程にグロテスクな展開が待っていたはずだ。

「俺はアリシア、こっちの女騎士はアリシアという。君の名は?」
「私はリアと申します。猫の獣人で、年は5歳です。ご、ご主人様……」

 リアの口調は半ば棒読みだった。
 奴隷商人からセリフを覚えさせられたのだろう。
 何がご主人様だ。

「リア、俺達はご主人様ではない。それに君はもう奴隷ではない」
「えっ?」
「奴隷商人はもう消えた。これで君は自由の身だ。好きに生きるがよい」

 てっきり「やったー! ありがとー!」と大喜びするかと思った。
 ところがどっこい、実際には「…………」と沈黙している。

「う、嬉しくないのか?」

 もしかして、解放したのはよろしくなかったのだろうか?
 見るからに死んだ魚の目をしていたが、それがこの子にとっては正常であり、解放されることを願っていなかった、という可能性もありうる。もしもそうであれば、俺はとんでもなく悪いことをしてしまった。ここが日本ではないというのに、日本の常識で判断してしまったわけだから。

「いえ、すごく嬉しいです。ただ、突然のこと過ぎて……」

 リアの返事に安堵する。
 よかった、悪いことはしていなかったようだ。

「それに、今後はどうやって生きていけば……」
「お家はないのか?」
「私は生まれた頃から奴隷でした。帰るべき家はありません」
「そうなのか。親とか友達もいないのか?」
「両親は私を産んですぐに売られたと聞いています。友達はいません」

 親も奴隷だったのか。
 想像もつかないような悲しい話だ。
 よし、こうなったら――。

「それならば、リア。もしも君がよければ、俺達と一緒にここで暮らさないか?」
「えっ?」
「見ての通り、そこに家を建てた。俺達は今日からここで暮らそうと思っている。君のベストプレイスが見つかるまでの間、俺達と一緒に過ごすというのはどうだろう?」

 リアがきょとんとして、目をパチクリさせる。
 静かにゆらゆらと揺れていた黒色の尻尾が、ピタリと止まった。

「よ、よろしいのですか?」
「もちろん。俺達は君のご主人様ではないから、一切の束縛をしない。どこかへ行きたくなったら勝手に行けばいいさ。ただ、一緒に過ごすのであれば、素材集めとかは手伝ってもらうよ。細かいことは後で説明するけれど、俺にはクラフトポイントっていうのが必要だからね」

 リアの目に光が灯る。
 死んだ魚の目から、燦然と輝く目に変わった。

「ありがとうございます! 不束者ですが、どうぞよろしくお願いします! ごしゅ――リュート様! アリシア様!」

 アリシアが「よろしくお願いしますね、リアさん」と返す。
 彼女が俺以外の人間と話せることを知り、俺はそこそこ驚いた。

「こちらこそよろしくな、リア」

 アリシアに続いて、俺も言った。
 なんとなく気が向いたので、リアの頭を撫でておく。
 彼女は幸せそうな笑みを浮かべ、甘えた声で「にゃぁ」と鳴いた。

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