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035 新年一発目の商売

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 新年一発目の営業日がやってきた。
 アンズの加入後、初の営業日でもある。
 今年は、資金力ランキング六五〇〇位からのスタートだ。
 休業前は最高でも三七〇〇位台で、安定するのは四〇〇〇位前後。
 約二週間休んだだけで、なかなか落とされたものである。

「今のところ閑散としているけど、本当にたくさん来るの?」

 アンズは水平にした手を額に当て、遠方に目をやる。
 営業開始の一〇分前である現在、視界に客の姿はない。
 また、遠くから誰かがやってくる気配もなかった。

「約二週間の間に余程の問題が起きていない限りは繁盛するぜ」
「そっかー! 楽しみだー!」
「最初に紫のお姉ちゃんが来るなの!」

 アンズが「紫のお姉ちゃん?」と首を傾げる。
 ネネイは「シュバッなの!」とバンザイした。
 そんな説明では、当然のことながら伝わらない。

「常連さんで、名前はミズキ。紫の忍び装束を纏う紫の髪の女さ」
「なるほど、それで紫のお姉ちゃんなのか!」
「シュバッなの! シュバッなの!」
「ラモーンの買い付け担当だ」
「ああ! 共同経営の!」

 時刻が過ぎ、営業開始時間が間近になる。
 久しぶりの営業ということもあり、緊張してきた。

「いつも通りなら、そろそろ――」
「マグボトルを買えるだけ頼む」

 言った瞬間に、ミズキが現れた。
 固有スキルを使い、どこからともなく一番乗り。
 アンズが「本当にシュバッと現れた!」と驚く。
 ミズキはアンズを一瞥すると、視線を俺に向けた。

「はじめまして、ミズキさん! 私はアンズ! よろしくね!」
「……」

 アンズが挨拶するも、ミズキは返事しない。
 それどころか、目も向けなかった。
 まるで聞こえていないかのような反応。
 いつも通りの仕事人スタイルだ。

「紫のお姉ちゃんは、話さないなの!」
「そうなんだ? でも声は聴こえているんだよね?」
「そーなの!」
「なるほどー! 面白い!」

 ミズキは支払いを済ませると、いつものように二階へ行った。

「さぁ、ここからが激しくなるぜ」
「激しくなるなのー♪」
「おお! 本当だ! たくさん来る!」

 大量の商人が、こちらへ向かって駆けてくる。
 それを見て、俺はホッと一安心。
 何度も見てきた、いつもの光景だ。

「マグボトル三〇!」
「こっちは一五〇!」
「俺は二五〇だ!」
「剃刀三八〇にマグボトル三〇!」

 雪崩の如く押し寄せ、怒涛の注文が浴びせられる。
 それらの注文に対し、マリカが丁寧に応えていく。

「ご注文を承りました」
「一億五千万ゴールドになります」
「少々お待ちいただけますでしょうか」

 普段とは違う、丁寧な口調。
 十歳児とは思えない、文句なしの対応だ。

「おお、マリカもすごい!」

 もちろん、アンズは大興奮。
 邪魔にならないよう、端から拍手を送る。

「骸骨達もすごいねー!」
「だな、クールな働き者だぜ」

 アンズの視線が階段へ移る。
 一〇体の骸骨が、せわしなく昇降していた。
 手には商品を持っていて、支払いの済んだ客へ手渡す。
 まるで工場のラインみたいな、規則正しい動きだ。

「動きが洗練されていて、見ていて気持ちいい!」

 マリカと骸骨を交互に観ながら、アンズが目を輝かせる。
 その横で、ネネイも「マリカお姉ちゃんはすごいなの!」とニッコリ。

「この調子なら、じきに今日の販売分が捌けるな」
「剃刀セットも、最近は調子を取り戻していますね」

 リーネの言葉に、「うむ」と頷いた。
 マグボトルだけではなく、剃刀セットも売り切る勢いだ。

「販売が終わった後はどうするの?」
「自由時間だ。といっても、大体はだらだらしているよ。何かしたいなら、別に今からしてきてくれていいぞ」
「いや、今日は終わるまで居るよ! 終わったら、狩りに行ってくるね!」
「それなら汎用スキルを習得していくといいぞ。代金はあげよう」
「ありがとう! 助かるよ!」

 俺は取引方法を説明しながら、アンズに一二〇〇万を渡した。
 汎用スキル一〇個分と諸々の準備に使う為の金額だ。

「やりぃ! 助かったよ、ユート君!」
「いいよ。それと、今の内に契約しておこう」
「何の契約?」
「仕事の報酬に対する契約さ」

 俺の所持金は、二十四時になると変化する。
 億未満のお金が全て移動するのだ。
 移動先は、ネネイの財布である。
 所持金の見栄えをよくする為、小銭を押し付けているのだ。

 この押し付け行為は『契約』という形で行われている。
 そうすることで、いちいち取引しなくても、自動で移動するからだ。
 ネネイと結んだ契約と同じものを、俺はアンズとも結ぶ。

 ちなみに、契約の内容は以下の通りだ。
 一.毎日二十四時に、甲の所持金から億未満のお金を全額乙に支払う。
 二.甲が複数の相手と同様の契約を結んでいる場合、支払額は均等配分される。
 甲が俺で、乙が相手だ。

 この契約は、当初ネネイとマリカの二人に結ぶつもりだった。
 ネネイにはお小遣いとして、マリカにはボーナスとしての支払いだ。
 しかし、マリカは「一〇〇〇万でも貰い過ぎだから」と断った。
 その為、今の今まで、この契約はネネイとだけ結んでいたのだ。

「契約はどうやってやるの?」

 アンズが訊いてくる。
 俺は「取引と同じだよ」と返した。

「念じながら、カードをタッチするだけ。両者が合意していれば、カードが光って完了だ。カードが光っていない場合は、胸中に抱く条件が違っていることになる。条件の長い契約になると、リアルと同じで、契約書を用意するみたいだよ」

 契約については、リアルと大差ない。
 署名なのか、タッチするかの違いくらいだ。

「なるほどね! じゃあ、契約しよっか!」
「おうよ」
「でもいいの? 私、そんなに働いていないよ?」
「アンズの本領が発揮されるのはリアルだしな」
「まぁねー! じゃあ、リアルでも一〇〇億円ちょうだい!」
「桁を一つ減らしてくれたら考えるよ」

 俺達は笑い合いながら、カードをタッチさせた。
 これで契約完了だ。
 契約が終わると、アンズは視線をリーネに移した。

「リーネさんは、契約しなくていいの?」
「私は問題ありません」
「神の使いだから?」
「そうです」

 リーネが神の使いであることは、マリカとアンズも知っている。

「一応補足しておくと、俺とリーネの財布は共有なんだ」
「どういうこと?」
「冒険者カードを見たら分かるさ」

 俺とリーネは冒険者カードを取り出し、アンズに渡した。

「所持金の項目に注目してみて」
「オッケー! ……わぉ、同時に増えた! しかも同じ額!」
「そういうことさ」

 リーネの冒険者カードは、少し変わっている。
 地上に存在する生物には持ちえない力で弄られているのだ。
 たとえば、ステータスの項目は、全て【10】になっていた。
 しかし、本当はどんな攻撃も効かないし、どんな敵も一撃で倒せる。
 同じように、所持金の項目も弄られていた。
 それにより、俺とリーネの所持金は共有状態にあるのだ。
 こちらは見た目だけではなく、実際に共有されている。
 だから、リーネがお金を使えば、俺の所持金が減る仕組みだ。
 もっとも、リーネがお金を使うことは滅多にない。

「分かっているとは思うけど、他言無用で頼むぜ」
「もちろん!」

 リーネが神の使いであることは、俺達だけの秘密だ。
 俺・ネネイ・マリカ・アンズの四人以外は、誰も知らない。

「商品が売り切れましたので、本日の販売は終了いたします」

 客達に向かって、マリカが頭を下げる。
 開店から二時間で、いつも通りの完売御礼だ。

【本日の販売内容】
 剃刀セット:三四〇〇個
 マグボトル:三万四〇〇〇個

【売上】
 剃刀セット:三四億ゴールド
 マグボトル:一七〇〇億ゴールド
 合計:一七三四億ゴールド

【出費】
 マリカの人件費:一〇〇〇万ゴールド

【利益】
 一七三三億九〇〇〇万ゴールド

 資金力ランキングは五九〇〇位台に上昇した。

 ◇

 営業が終わり、自由時間になる。
 アンズが「狩りに行く!」と言い出した。
 営業中も言っていたことなので、驚きはない。

「狩りなら私も付き合おう」
「ごめん、今回は一人でやらせてほしい!」
「承知した。始まりの森以外には行ってはだめだぞ」
「はーい! 行こっ、ゴブちゃん!」
「キェェェ!」

 ペットのゴブリンと共に、アンズは颯爽と消えていった。
 一人で大丈夫なのかと不安になるけど、問題ないだろう。
 必要なことは説明したし、何より、アンズの初期ステは高い。
 敵のゴブリンから攻撃を受けても、傷一つ負うことはないだろう。
 問題があるとすれば、スーツが裂かれて肌が露出するくらいだ。

「さて、俺達は家でくつろぐか」
「はいなの! ネネイはお絵かきするなの♪」
「私は疲れたから横になる」
「私は久々に――」

 リーネはマッサージチェアに座り、すぐさま起動させた。

「あぁぁぁっ、あっ、あぁぁっ、ひぐぅぅっひぐっ」
「リーネお姉ちゃん、涎を垂らして気持ちよさそうなの!」
「見ちゃだめだ、行くぞ」

 新年初の営業日に響く、神の使いの喘ぎ声。
 やれやれ、俺はネネイを連れて家を出た。

「ったく、リーネの奴には参ったものだ」
「ネネイは気持ちよさそうでいいと思うなの」
「気持ちよくなるのはいいけど、あれは不健全だ」
「不健全? それは何なの?」
「要するに、駄目だってことさ」

 ネネイと手を繋ぎ、通りを歩く。
 マリカは今頃、家のベッドで眠っているだろう。
 驚いたことに、ネネイやマリカは、リーネの喘ぎ声を気にしない。
 これでアンズも気にしなかったら、気にするのは俺だけになる。
 快楽に溺れるリーネを見たアンズがどんな反応をするのか、楽しみだ。

「とりあえず、いつもの奴を食べるか」
「わーいなの!」

 適当に見つけた酒場へ入る。
 俺はミルクを注文し、ネネイはいつもの奴を注文した。
 いつもの奴とは、当然ながら『イカの串焼き』だ。
 ネネイの大好物である。

「ぷはー! 美味かったぜ!」

 ミルクを一気飲みすると、酒場を後にした。
 ネネイは両手で串焼きを持ち、美味しそうに頬張っている。
 小さな口からは想像もつかない速さで、モグモグ、パクパク。

「お、ネネイちゃん、今日もイカの串焼きかい!」
「モグモグ、なの!」
「ははは、本当に美味しそうだ!」
「モグモグ、なの!」

 俺に付随する形で、ネネイもすっかり有名人になった。
 といっても、ネネイは『商人』ではなく『癒し』として人気だ。
 誰にでも笑顔を振りまき、誰よりも美味しそうにイカの串焼きを食べる。
 俺を含む多くの人間にとって、ネネイは心のオアシスだ。

「あー、全部の武器を買い占めてぇ」
「おとーさんはいつもそれを言うなの」

 店舗型の武器屋や露店を眺めて呟く。
 そんな俺を、ネネイがクスクスと笑う。
 いつも同じことを言っているという自覚はあった。
 それでも、ついつい口にしてしまう。
 だって、どの武器も使いたくて仕方がないのだから。

「いつか全ての武器を買い占めてやるぜ」
「やるぜ、なの!」

 適当に街をぶらついた後、家に向かった。
 この調子で歩けば、帰宅と同じ頃に日が暮れるだろう。

「到着なのー♪」
「今日も楽しかったな」
「楽しかったなのー!」

 家に到着すると、すぐさま中に入った。
 驚いたことに、喘ぎ声が聴こえてこない。
 どうやら、リーネはマッサージを止めたようだ。
 いつもなら、夕食へ行こうと席を立つまで喘いでいる。

「珍しく静かだな」

 ネネイを先頭に、ゆっくりと階段を上がる。
 一段、また一段と上がり、二階へ到着。
 何もない二階を一瞥し、すぐさま三階へ。

「なるほど、静かなのはこういうことか」

 三階には、リーネとマリカが居た。
 マリカはベッドで寝ていて、リーネはマッサージチェアに座っている。
 マッサージ機は相変わらず動いていて、ウンウンと音を鳴らしていた。
 それでもリーネが静かなのは、快感のあまりに昇天したからだ。
 開いた口から垂れる涎に加え、今は白目を剥いている。
 あまりにも酷過ぎる有様に、俺は盛大なため息をついた。

「リーネお姉ちゃん、大丈夫なの?」
「大丈夫、寝ているだけさ」
「変な顔をしているから心配になったなの」
「リーネの寝顔が変なのはいつものことだろ?」
「そういえばそーなの! あははなの!」

 絶頂に達したリーネをよそに、俺達はソファへ腰を下ろした。
 もちろん、ネネイは俺の横に座る。
 そして、さも当然のように、俺の膝へ頭を乗せた。

「ネネイも横になるなの」
「おうおう、夕飯になったら起こすよ」
「ありがとーなの、おとーさん大好きなの」

 俺は笑みを浮かべ、ネネイの頭を撫でた。
 ネネイは「えへへなの♪」と微笑み、目を閉じていく。
 数秒後には、口元をニヤけさせながら、眠りについていた。
 スヤスヤと気持ちよさそうだ。
 ほわほわの頬を優しく押した後、再び頭を撫でる。

「たーだいまー!」

 それからしばらくして、アンズが帰ってきた。
 元気な声と共に、階段をドタバタと上がってくる。

「おかえりーって、それ、どうしたんだよ!」

 三階に到着したアンズを見て驚く。
 アンズは「どーだー!」とドヤ顔になった。

「ハッ、寝ていました」
「なんだマスター、騒がしい」
「おとーさん、ご飯の時間なの?」

 俺の声に反応して、三人が目を覚ました。
 そして、その三人もまた、数秒後には驚愕する。

「紹介しよう! これが私の下僕達!」

 そういって、アンズは自身の背後にいる仲間へ手を向ける。
 驚くことに、そこには三〇体のゴブリンが居た。
 どのゴブリンも、武器は持っていない。

「この数時間で、これだけの数をテイムしたのか」
「その通り! スキルの仕様により、テイムしても討伐時と同じ分の経験値が入る! おかげで、私のレベルはグンッと上昇したよ! ほれ!」

 アンズが自身の冒険者カードを渡してきた。
 どれどれ、とステータスに目を落とす。

 名前:アンズ
 レベル:7
 攻撃力:3
 防御力:10
 魔法攻撃力:27
 魔法防御力:10
 スキルポイント:10

 アンズのレベルは、一から七に上昇していた。

「すごいな、この短時間でどうやって六も上げたのだ?」

 驚きの表情を浮かべて、マリカが尋ねる。
 それに対し「ふっふっふ」とアンズは含み笑いを浮かべた。

「ネトゲ廃人は効率を重んじるのだ!」
「ほう、ネトゲをしていることが理由なのか」
「だね! 癖になるよ、最大効率を考えるのが!」
「じゃあ、マスターも本気を出せば、サクサク上がるのか?」
「もちろん! ユート君は私よりずっとすごいよ!」
「商才以外の才能もあるとは。やるな、マスター」

 ネネイが「おおーなの!」と俺に拍手を送る。
 リーネも「流石です、ユートさん」と何故か俺を褒めた。
 俺は苦笑いを浮かべる。

「アンズがそう言っているだけだよ、実際は見ての通りさ」
「またまた謙遜しちゃって!」

 俺は「ふっ」と鼻で笑った。
 実際、エストラでレベルをガンガン上げるのは、相当きついと思う。
 効率良く狩る手段はいくらでも思いつくが、いかんせん体力がもたない。
 引きこもりの俺では、一・二時間を持続させるのが限界だろう。

「このゴブリン達、運搬には使えるのか?」
「大丈夫だよー! レベルは低いけど、力持ち!」
「なら、今度から一部を運搬に回そう」

 出来ることなら、全てのゴブリンを運搬に回したい。
 だが、リアル側の都合により、それは不可能だ。
 通販会社の倉庫ならまだしも、所詮はマンション。
 通路が狭すぎて、大勢で行くと詰まってしまうのだ。

「ところで、そいつは特別なのか?」

 三〇体の内、一体だけ、頭に王冠を載せているゴブリンが居た。
 王冠といっても、金メッキの可愛らしいおもちゃだ。本物ではない。

「この子は、初めてテイムしたゴブちゃんなの!」
「昨日の奴か」
「そう! 私はこの子を育てることに決めたんだー!」
「じゃあ、他の奴は使い捨てみたいなものか」
「ぶっちゃけるとその通り!」

 仕方ないとはいえ、他のゴブリンが可哀想に感じた。
 アンズのペットは、ペット間で経験値を共有できない。
 共有できるのは、あくまで主人であるアンズとだけなのだ。
 その為、育てるペットの数が少ないほど、個体は強くなりやすい。
 スキルの仕様を考えると、アンズの選択は合理的で賢明といえる。

「全員揃ったことだし、夕飯に行くか」
「やったぁ! イカさんの時間なのー♪」

 こうして、我が家に三〇体のゴブリンが追加された。
 これを機に、アンズのゴブちゃん帝国が幕を開けた……なんてことはない。
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