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051 絶望の病

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 身体を襲う痛みには波があった。
 常に一〇〇パーセント、というわけではない。
 五〇に落ちたり、一二〇に上がったりする。
 緩急をつけて攻めてくる痛みに、俺は耐えていた。

「はぁ……はぁ……」

 痛みが少しだけ落ち着く。
 だが、身体は崩落したままだ。
 呼吸を整え、地面に落ちたカードを懐にしまう。

「ユート君、大丈夫?」
「おとーさん、大丈夫なの!?」

 アンズとネネイが同時に言う。
 俺は「大丈夫」と答えた。

「いやいや、大丈夫じゃなさそうだよ!」

 アンズが近寄ってくる。
 そして、俺の額をハンカチで拭いた。

「すごい脂汗だよ」

 言われて気づく。
 全身から、たらたらと脂汗が垂れていた。
 どこからどうみても、大丈夫ではない。

「うがっ、があああああっ!」

 またしても激痛が襲いかかる。
 痛み度が五〇から、一気に一〇〇へ急上昇。
 俺は咄嗟に腹を押さえ、その場で丸まる。
 その時、激痛の箇所が腹部だと気づいた。

「お腹が痛いの?」
「そ、そのようだ……」

 汗を拭った後、アンズが俺の額に手を置いた。

あつッ! すごいねつだよ!?」
「は? 熱? この俺が?」

 生まれてこのかた、熱でダウンしたことは数える程しかない。
 二〇を超えてからは、一度たりとも発熱で苦しんでいなかった。
 それがここにきて、突然の熱? そんな馬鹿な。

「一度リアルに戻った方がよさそうだね」

 アンズが言う。
 他のメンバーはそれに同意した。
 もちろん、俺もその意見に賛成だ。

「マリカちゃん、骸骨でユート君を運んでもらえる?」
「承知した」

 マリカが骸骨戦士を召喚する。
 劇場では俺に殺された奴らだ。
 それが今では、俺を担いでいる。
 妙な申し訳なさがこみあげてきた。

「どうせだ、ヘイストもかけてやろう」

 マリカが、俺以外の全員にヘイストを掛ける。
 マリカに礼を言った後、アンズが右手を挙げた。

「家に向けてダーッシュ!」
「はいなの!」
「分かりました」

 方向を急転換し、俺達は家に戻った。

「上に運んで!」
「承知した」

 俺はすぐさま三階へ運び込まれた。
 骸骨戦士が丁寧に、俺をベッドに寝かせる。

「すごい汗だな、マスター」
「おとーさん、大丈夫なの?」

 ネネイが心配そうに訊いてくる。
 俺はどう答えようか悩んだ。
 結局、何も答えずにただ微笑むことにした。
 ネネイは「元気になってなの」と頭を撫でてくる。
 俺は小さい声で「ありがとう」とだけ言った。

「さて、リアルに戻るよ! 世界転移、出来る?」
「出来る」
「なら、辛いところ悪いけどお願い!」
「分かった」

 俺の右手を、ネネイが握る。
 左手は、アンズが握った。
 その二人に、マリカとリーネが触れる。

「準備オッケーだよ、ユート君」
「分かった……。世界転移トランジション、発動、はぁ、はぁ」

 息を切らせながら、俺は世界転移を発動した。
 ゴブちゃんをその場に残し、俺達五人がリアルに移動する。

「必要な物を買ってくるから、四人はここに居てね」
「分かりました」

 三〇二号室に俺達を残し、アンズは家を出て行った。

「おとーさんが辛いと、ネネイも辛いなの」
「ユートさん……」
「マスター、どうしてしまったのだ?」
「俺にも分からん」

 一体、何がどうなっているのだ。
 他ならぬ俺自身、そのことが分からなかった。
 つい数時間前までは、元気に演劇をしていたのに。

 それが急に、謎の発熱と腹痛に悩まされている。
 腹痛はマシになったが、発熱の方は酷い有様だ。
 自分でも、アホみたいに熱が出ていると分かる。
 それに、頭がひどくボーッとしてたまらない。
 おそらくこれは、発熱によるものだろう。
 こんな状態では、何も考えることが出来ない。

「お待たせ!」

 十分後、アンズが戻ってきた。
 手にはスーパーの袋を抱えている。

「とりあえず必要そうな物を買い込んできたよ」

 アンズは、袋の中身を展開しだした。
 五〇〇ミリリットルのスポーツドリンクが五本。
 それに、マスクと体温計だ。

「一応、熱を測ろうね!」
「分かった」

 アンズから体温計を受け取り、腋に挟む。
 それを、ネネイ達が興味深そうに眺めている。
 その様を見るだけで、彼女らの考えは分かった。
 体温計が何か、気になっているのだ。
 だが、今は答えてやる元気がない。

 ピピピピ♪

 十秒程で、体温計が鳴る。
 俺はすぐさま取り出し、熱を確認した。

「嘘だろ」
「何度だったの?」
「三十九度に届きそうなくらい」

 アンズが「わお」と驚く。
 俺も、同じような心境だった。

「ユート君、どこかからインフルエンザを輸入したな!」

 冗談交じりに笑うアンズ。
 俺は「誰から輸入するんだよ」と笑って突っ込んだ。

 満員電車に揺られる社会人なら分かるが、俺は違う。
 そもそもからして、感染経路が存在しないのだ。
 それに、エストラでその類の病気が流行っているわけでもない。

「まぁ、素人があれこれ推測しても意味がないね! 病院に行こう!」
「そうだな」

 そんなわけで、俺達は近くの総合病院にやってきた。
 五人共、念のためにマスクを着用している。

「で、何科が正解なんだ?」

 恥ずかしながら、俺は病院のことをよく知らない。
 これまでの人生で、利用したことがそれほどなかったのだ。

「分からないときは、とりあえず内科だよ!」

 とアンズが言うので、俺達は内科に移動した。

「ゲホゲホ」
「わしゃこう見えてインフルでなぁ」
「どうじゃ、熱が三十八度もあるわい!」

 内科の待合室は、うんざりするほどに混んでいた。
 老若男女問わずいて、どいつもこいつも辛そうだ。
 この場に居るだけで、尚更に体調が悪化しかねない。

「マスクをしている人ばかりなの!」
「なんだかこれまでと雰囲気の違う場所ですね」
「リアルの病院とは、中々変わった場所なのだな」

 ネネイ達が興奮する。
 アンズが「病院では静かにしてね」と優しく注意した。
 それを受けて、三人が口をつぐむ。

「斎藤さん、斎藤優斗さん、お入りください」

 しばらくして、俺の名が呼ばれた。

「付き添いは?」

 アンズが尋ねてくる。
 俺は「要らない」と答えた。
 この齢で、付き添いは恥ずかしい。
 ゆっくりと立ち上がり、診察室に入った。

「お願いします」

 挨拶をした後、医者の前にある丸椅子へ腰を下ろした。
 俺の担当医は、橋本とかいうお爺ちゃんだ。
 なかなか人のよさそうな顔をしている。
 それがかえって「大丈夫なのか」と不安にさせた。

「問診票を見たけど、いきなり熱が出たって?」

 座るなり、橋本が言ってきた。
 問診票とは、症状を書いた紙のことだ。
 待っている間に、予め書かされた。

「そうです」
「インフルエンザかもしれないねぇ、調べてみるねぇ」

 そう言うと、橋本は長い綿棒を取り出した。
 あろうことか、それを俺の鼻に突っ込んでくる。
 そして、鼻の奥をグリグリ、グリグリ。

「うがぁああっ」

 激痛が走る。
 脳を突き刺されたかのような痛みだ。
 それに呼応して、自然と涙が湧き上がる。

「次、反対ね」
「え、反対もやるんですか?」
「うん」

 何食わぬ顔で、橋本はもう片方の鼻も攻めてきた。
 頭がボーッとしていても、痛みだけは明確に分かる。
 思わず橋本の顔面をぶん殴りそうだ。
 俺は必死に、暴れないように堪えた。
 二十九になって、病院で失態を演じるわけにはいかない。

「少ししたら呼ぶから、待合室で待っていてね」
「え、終わりですか?」
「まずはインフルの検査から。違ったら、他の可能性を調べるよ」
「は、はぁ、分かりました」

 よく分からないが、橋本の言葉に従おう。
 俺はお礼を言い、診察室を後にした。

「どうだった?」

 戻るなり、アンズが訊いてくる。
 俺は「インフルの検査をするんだって」と答えた。

「まだ原因は分かっていない感じなんだ?」
「そうみたい」

 待合室の長椅子に腰を下ろす。
 右にアンズが、左にネネイが居る。
 アンズの隣にマリカ、ネネイの隣にリーネだ。

「おとーさんが元気になりますように、なの」

 ネネイが俺の左手を握ってくる。
 小さな両手で、力を込めてギュッと。
 この子の為にも、早く元気にならないとな。

「インフルじゃないと思うんだよなぁ……」

 誰に言うわけでもなく、俺は呟いた。
 熱が出ているだけあり、息が苦しい。
 肩を大きく上下に動かし、呼吸をする。
 症状がマシになる気配は、まるでなかった。

「斎藤さん、斎藤優斗さん、お入りください」

 再び俺の名が呼ばれる。
 俺は「行ってくる」と言い残し、診察室に入った。

「インフルエンザではないね」

 診察室に入ったばかりの俺に、橋本が言う。
 俺は「じゃあ、原因は?」と丸椅子に座る。
 橋本は「うーん」と唸った。

「色々と質問をするから、分かる範囲で答えてね」
「は、はぁ、質問ですか」
「うん、質問」

 それを機に、橋本の質問攻めが始まった。
 最近空港に行ったかとか、慣れない物を食べたかとか。
 そんな感じの内容が多い。

「今、なんと?」

 その内の一つで、橋本の眉がピクリと動く。
 俺は再び、たった今言った内容を答えた。

「と、鳥刺しを食べました」

 これは、数日前の食事に関する質問だ。
 アンズの提案で、俺達は安い居酒屋に行った。
 イカ道楽とかなんとかいう店だ。
 そこで、人生初の鳥刺しを食べた。
 その話に対し、橋本が「それだ!」と叫ぶ。

「鳥刺しが何か?」

 恐る恐る尋ねる俺。
 橋本は力強く頷いた。

「うん、君はウイルス性胃腸炎だ、間違いない」

 橋本は相当自信あるようだ。
 間違いない、ときっぱり断言している。
 一方、俺は不安になっていた。
 ウイルスなんて言葉が耳に入ってきたからだ。

「ウイルス性胃腸炎って、何ですか?」
「君の場合、早い話が食中毒だね」
「しょ、食中毒?」
「そう。カンピロバクターって菌」
「でも、鳥刺しを食ったのって、二・三日前ですよ」

 食中毒と云えば、食べてすぐになるイメージがあった。
 ところが橋本は、全ての食中毒がそうではないと主張する。

「カンピロバクターには、潜伏期間があるからね」

 謎のウイルス『カンピロバクター』について、橋本が説明する。
 それによると、潜伏期間は平均して二・三日らしい。
 さらに、これによる症状は、発熱・腹痛・下痢などが挙げられる。
 特に酷いのは下痢とのことだが、俺の場合、その点は問題なかった。
 何故なら、神様が排泄機能をオフにしてくれたからだ。

「たしかに、俺の症状とピッタリですね」
「だから、君はウイルス性胃腸炎で決まり!」
「なるほど」

 そういうわけで、俺の病名はウイルス性胃腸炎らしい。
 ウイルスと聴くと怖いが、橋本は「大丈夫」と断言した。

「整腸剤を出しておくから、食後にそれをきっちり服用してね。あと、食欲がなかったら、無理に食べなくてもいいよ。その代わり、水分は必要以上にしっかり補給してね。脱水症状が出ると困るから」

 なんだか途端に、橋本が頼もしく見えた。
 こうハキハキと言われると、名医って感じがする。
 俺は両目を希望の色に煌めかせ、「はい」と渾身の力で返す。
 しかし、その直後、橋本の一言で、俺は絶望することとなった。

「下痢と一緒に、体外へ菌を排出すれば治るから」

 排泄機能がないので、俺は便をすることが出来ない。
 つまり、下痢と一緒に菌を排出……なんてのは不可能なのだ。

 なんてこった、排泄機能のオフが裏目に出てしまった!
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