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01 勇者

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「行ってらっしゃい。どうぞ気をつけて」
 長い真っ直ぐな黒髪を揺らし、眩しそうに目を細めた笑顔で送り出す美しい伴侶に、クレシュは振り返り、いつもと変わらぬ睨むような無表情を向けた。
 厳しくも精悍な顔の左側は眉の上から頬にかけて一筋の傷があり、銀髪と灰色の目は冷え冷えとした印象を強くする。
 暫く間があった後、呟くように応えた。
「……行ってくる」
 表情は変わらないが、その間がクレシュの戸惑いを示していた。
 

 一年前、この国を大きな災厄が襲った。
 山に棲む一頭の魔物が大量の瘴気を振り撒き出したのだ。
 魔物はこの世を構成する自然の一つだ。人は、野生動物や天災に対するのと同様に、魔物とも対策や住み分けにより折り合いをつけながらこの世に共存している。
 しかし、うち一頭に変異が起こり、巨大化し大量の瘴気を振り撒きだした。
 この世のバランスが崩れると魔物は変異を起こすという。恐らく、最近近隣国で戦争が起こったため、沢山の死者が出たり森が破壊されたことが引き金だろう。
 これをきっかけに戦争当事者国への各国圧力が高まり、原因たる戦争は終息した。
 しかし、一度変異した魔物を元に戻す術はなく、この魔物は討伐しなければならない。
 自ら望んで変異した訳ではなく、この魔物も被害者であるが、放置すれば瘴気による被害が広がる。

 そこで国王は布告を出した。
「この魔物を討ち果たした勇者には、報奨と爵位を与えると共に王女を伴侶として与える」

 現国王には、美しい王女がいた。
 芸術家が彫り上げたような繊細な作りの顔立ちが与える柔らかな印象を、真っ直ぐな黒髪と深い藍色の目が知的で凛としたものに変える。
 同じ目と髪の色の双子の兄と共に、この国の礎となるべく勉学と教養に励み国に慈愛を注ぐ姿は国民に広く愛されてきた。
 年は24。女性としては平均婚姻年齢を超えているが、同年の兄が婚姻していないこともあり、政略的に婚姻相手の選択は時世をみる必要があるのであろうことは庶民達にも理解できた。

 報奨と爵位と美姫を獲んと、多くの男達が魔物に挑んでは破れていった。
 そんな中、見事魔物を討ち果たしたのがクレシュである。

 クレシュは騎士だ。質実剛健、冷静沈着、勇猛果敢。
 平民からの叩き上げで用心棒のような仕事を経て騎士団へ入団した。
 そんな経歴でも、血筋が優先される騎士団で27歳で中隊長にまで出世したのは、その実力ゆえだ。
 クレシュは美姫云々に興味はなく、魔物討伐も騎士団の任務の一つに過ぎなかった。

 しかし、騎士団で魔物の巣穴を包囲したものの、同僚達が次々瘴気に倒れていった。
 これを見て意を決したクレシュが瘴気溢れる巣穴に飛び込み、僅か数戟で見事魔物を討ち取った。
 濃い瘴気にあてられ巣穴で倒れ、同僚に担ぎ出されて1ヶ月生死の境をさ迷い、目が覚めた時には己の婚姻が決まっていた。


 騎士団の己の席でクレシュはため息を吐く。
 斜め前の席の騎士団長が苦笑した。
 クレシュはこの度の功績で副長に出世した。この部屋は団長と副長の部屋である。
 平団員の大部屋が恋しくなるが、これは団長達のためというより平団員のための部屋割りだ。
 隊長位ならまだしも、団長副長レベルの上司と四六時中同室なのは息が詰まるそうだ。まぁ、自分が平団員だった頃を振り返ると気持ちも分からないでもない。
 それに、団長はクレシュより10歳以上年上の38で、気さくで懐深く、尊敬できる人なので同室なことに不満はない。……気さく過ぎる時もあるが。

「クレシュ、ため息が多いな。新婚家庭に悩み事でも?」
 茶化す団長にジロリと目線をやる。威圧するかのような目付きだが、図星を突かれて困惑の眼差しを向けているだけだ。そこに悪意がないことを団長は理解してくれている。ありがたい。
 こうした懐深い人だから、そして気遣って話の水を向けてくれていることが分かるから、クレシュは普段は飲み込んでいる心情を吐露する。

「……うちに美人がいるんです」
「知ってる。羨ましいな!」
 団長が意地悪そうに笑う。
「羨ましいならあげます」
「いや、いらない」
 クレシュは顔をしかめ、半眼で団長を見やる。
「不敬罪として通報しますよ」
「いやその、殿下に不満がある訳ではない!雲上人過ぎて私ではとても釣り合わないというか、息が詰まるというか!」
「……私もです。分かって頂けましたか」
 団長の軽口に一矢報いたクレシュは再度ため息を吐いた。
 団長と同室なのが息苦しいなんてレベルではない。王族が自分の家にいるのだ。
 まして、才色兼備で人柄も良く多くの国民の憧れであった殿下と、平民の出で武骨な自分では不釣り合いが過ぎる。
 臣籍降下して王族を出たので、正確には今は”殿下”ではないが。

「自分が結婚するなんて半年前まで考えもしなかったんですよ? 必要なかったし、この顔だし」
 強面の自分の顔を疎んではいない。過酷な人生だったがその中で自分で作り上げてきた顔だ。職務においても、舐められず睨みが効くので余計な争いを回避しやすくなり便利だ。だが異性受けし難いことは客観的事実としてよく知っている。
「顔を気にしない奴もいるだろう」
「いますか? まぁ男を顔で判断しない女性は割といますが。でも女を顔で判断しない男はそれより遥かに少ない……というかザックリ言ってゼロでしょう」
「そんなことないよ!……と法螺を吹いて男を擁護する根拠も意思もないな」
 男社会で長年過ごし、膨大な男達を裏側の姿を含めて見てきた女団長はあっさり認めた。


 そう、クレシュは女である。
 強面だろうと、勇猛な騎士であろうと女性である。
 この国の騎士団は赤、白、青と呼ばれる3つがあり、うち白の騎士団は女性騎士で構成される。
 討伐の英雄は、白の騎士団のクレシュだった。

 クレシュが討伐後瘴気にあてられ意識不明だった間、国の上層部は侃々諤々の議論で大荒れに荒れた。
 討伐を果たす「勇者」は男に違いないという先入観があったのだ。だから布告にも「『王女を』伴侶に与える」と明記してしまった。

 --女勇者に王女を伴侶として与えるのか。
 --ここは文脈を優先し文章を読み替え、王子を伴侶として与えるべきか。
 --王の直系はこの男女双子一組のみ。唯一の直系男子を報奨として与えるのか。

 そんな馬鹿馬鹿しい議論を経て、「そもそも、報奨として心や人生を持つ『人』を与えるという発想自体が、非人道的でおかしかった」ということを国の中枢--全員男--達もようやく認めた。人身売買ではあるまいし。
 そして、『売買』対象が女の時は降嫁が美談であるかのように語り、男の時は売買を拒む屁理屈を捏ねだす掌返しに、女性達と少数ではあるが心ある男性達が白い目で見た。
 あの布告は、国王をはじめ権力を握る男達が作ったもので、彼らの先入観や女性軽視が浮き彫りになったのだった。

 そんなこんなで、クレシュが目を覚ました時には話が決まっていた。

--今後、婚姻等の形式を問わず人を報奨に与える扱いを禁じる。
 但し、既に約束された布告を都合が悪いからと反故にする振る舞いは国王といえども許されない。
 今回の布告は最後の事例として遂行される。
 当国では同性婚を認めているが、王子王女とも異性愛者であることを鑑み、勇者が女性である以上、王子を宛がうのが妥当である(勇者の性的指向は勇者意識不明のため未確認だか、ここは王族側の事情を優先する)--


「クレシュ殿。国を救ってくださりありがとうございます。私の名はヴェルディーン=デア=ウェルツ。ウェルツ現国王の息子です。貴方の夫となることができて光栄です」
 やっと瘴気が抜け目覚めたばかりのクレシュは、枕元に座る長い黒髪の美青年が柔らかに微笑んで告げた言葉を聞いて、もう一度意識を失った。
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