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2章 爆発な事件
2-7(エルンスト視点過去話)
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エルンスト視点の過去話です。
=======
エルンストは曲がったことが嫌いである。
--正しい者は報われ、不当なことは正される--
そうでないと座りが悪くて、気になってしょうがない。
自分の損得は関係ない。
あるべきことが、あるべきように為されている。それ自体がエルンストの幸せなのだ。
自分が単純なことは理解している。
しかし、間違っているとは思わないし、世の中にとっても悪いことではないのだから、自分はこれでいいと思っている。
そんな訳で、騎士を目指したのも、脳筋な自分が正義をなすために働く仕事として一番よさそうだと思ったからだ。
……いざ騎士養成課程のある学校へ入つたら、典型的な男社会らしく、縦型社会や派閥社会や不正、体育会系的抑圧などの理不尽の温床と分かりガッカリしたのだが。
それでも自分まで染まってやる必要はない、と真っ直ぐ育つことができたのは、彼の持つ健全な『空気を読まない力』とタフさのお陰だろう。
でもまぁ、ちょっとガックリきて心が疲れる時もある。そんな時の慰めは、学生寮の番犬との触れ合いだった。
白いもふもふの大型犬は、一部寮生達のアイドルだった。
エルンストは、今日も寮の守衛室近く、白犬の定位置の裏庭へ行く。
今日は先着がいるらしい。白い大きな犬と、同じ位の大きさの赤い何かが芝生をゴロゴロ転げている。
「来てたのかベルティーナ」
「おや、エルンスト」
芝生まみれの長い赤毛をもつれさせたまま、女が上半身だけ起こそうとしたようだが、腹筋が足りなかったのかそのまま倒れた。白犬がドヤ顔でその腹に前足を載せてエルンストを見上げる。
「まぁまぁ、まずは愛でたまえ」
「愛でにきたぞ~」
ベルティーナが譲ってくれたので、しゃがみこんで、両手で白犬の顔を挟みワシャワシャする。白犬は喜んで鼻面をエルンストの顔にすり付けてくる。
しばし首に頭を埋めて犬臭さを堪能してから、ようやく体を起こしたベルティーナの隣の芝に座る。白犬は二人の周りをぐるぐる回って撫でをねだったり、気ままに蝶を追いかけたり。
これがいつもの日常だった。
ベルティーナもエルンストと同じく寮生で、白犬をモフりにくる常連だ。勿論男子と女子で寮の棟は違うが、この裏庭は共有だ。
ベルティーナはエルンストの正反対で頭がよく、天文学を学んでいるそうだが、モフ好きにそこは関係ない。
犬の耳の後ろと腹のどちらの匂いがより好ましいか、仔犬のピコピコ振る尻尾がいかに尊いか等、下らない話に白熱して盛り上がるのは疲れもふっとぶ貴重な時間だ。
こんな日々を過ごすうち、モフを堪能するだけでなく、ベルティーナと会えるのも、エルンストにとって楽しみな時間となっていった。
最終学年のある秋の日。赤いカエデの落葉を道に敷き詰めた並木道に、夕日で長い影が落ちている。その正門側の通路を抜け、エルンストは裏庭へ回る。
訓練が長引き遅くなってしまったが、数日来れなかったので久しぶりにモフを補給しにきたのだ。
守衛室の方で声が聞こえる。
「私が代わりに行きますから」
「ダメダメ!人間が犬の我儘聞いてどうすんだ。これも躾だ」
「いえ、そうではなく…」
守衛とベルティーナだった。
「どうしたんですか」
エルンストが割って入ると、ベルティーナ相手には居丈高だった守衛が、エルンストの登場にばつが悪そうに目を逸らした。
話を聞くと。
学校の催しの準備で守衛室の人員が駆り出され、人手不足で白犬の散歩を3日も休んでいるとのこと。犬は散歩をねだり、守衛が大声で叱っている所にベルティーナが居合わせた。
彼女は代わりに散歩に行くと言ったが、守衛は、それを犬やベルティーナの我儘だと突っぱねている、ということだった。
ベルティーナは言う。
「躾とは、決まった条件下で決まった行動させるルールのことです。この犬は毎日仕事をし、毎日約束された筈の大好きな散歩の時間をきちんと待った。
ルールを破っているのは人間の方なんです。
この子には、何故ルールが破られご褒美の時間が奪われたか分からない。人間の一方的な都合なのだから当たり前です。
こうしたことが繰り返されれば、信頼関係を失うし、ルールは意味がないと学習して躾が崩れます。
人間側にも事情があることは分かります。だから次善の策として私が代わりに行ってはどうかと申し上げています。私は寮生で身元ははっきりしています」
ベルティーナの言い分は理にかない、献身的ですらあると思えた。
守衛にはそれを覆すどんな言い分があるのか聞こうと、エルンストがひたりと目を合わせると、守衛は、たかが犬だろとか、この女の態度が生意気なのが悪いとか、脈絡のない言葉の断片をぐずぐず口の中で呟いた後、舌打ちして「あーあー、もういいから行けよ!それで満足だろ!やってらんねー!」と捨て台詞を吐いて守衛室に入り大きな音を立てて戸を閉めた。
「エルンスト、ありがとう。散歩に行けてよかった」
「いや、俺は何もしていない。ベルティーナの言い分は真っ当だと俺も思う」
二人並んで白犬のリードを引き、黄昏の公園を散歩する。白犬は尻尾をぶんぶん振って数日ぶりの散歩を満喫している。
ベルティーナがしょっちゅうこういう目に遭っていることは知っていた。
理にかなった内容を、誠実に、理性的に話しても、理不尽で不誠実で感情的な罵倒を浴びせられ潰される。そして彼女が理不尽なことを言っていたり態度に問題があったと、冤罪の中傷がばらまかれる。
--彼女が女だから。
男の俺に対するのと、男達の対応が全く違うのだ。
俺より彼女の方が、余程頭がよく、適切な言動をしているというのに。
エルンストは自分が男で被害者側にならないから、女性達が男にしょっちゅうこんな目に遭わされていることを知らなかった。
男社会では、女性は男の欲望と優越感を満たしてくれる筈の存在で、現実の女性がその夢を叶えてくれない時、男は傷つき、そんな『悪』を攻撃する『正義の戦い』を始めてしまう。
自分が被害者で正義であるという歪んだ認識をしているから、自分の身勝手さや加害が自覚できず、自分は公正だと本気で自称したりする。勿論改心は期待できない。
騎士団の取り調べの実習でもこうした思考の犯罪者をよく見かけて、虚しい気分になる。
ベルティーナが、男社会の理系課程の学内は勿論、日常ですらこうした目によく遭っていることを、彼女と過ごした数年で少しずつ知っていった。彼女だけでなく、女性達が皆。
見えていなかった、見えていても過小評価していた自分が情けなくて悔しかった。
世の中は、あるべきことが、あるべきように為されるべきだ。
ベルティーナがこんな不当な目に遭っていい筈がない。
「あ、エルンスト。一番星」
ベルティーナが空を指差す。
夕日の近くに、一際強く輝く星があった。
「本当に一番か? 他にはないかな」
「あるかも? でもあれは『宵の明星』だから、夕日が残ってる明るいうちから真っ先に見えやすいから…」
「宵の明星?」
「あれ? これ天文オタク用語? 一般人知らない?」
『明星』とは金星のことで、地球から見ていつも太陽の近くにあるので、太陽の明るさが弱る夕方や明け方しか見えない。夕方の金星を『宵の明星』、明け方のを『明けの明星』と言う。
とても明るく美しく光るので、古くから美の女神の名で呼ばれた。
--ベルティーナは楽しげに話す。
天文の話をする時の彼女は本当に楽しそうだ。
「いつも太陽の近くにある? 星は季節によって位置が変わるんじゃないのか?」
「うん、大抵の星はそうだね。恒星っていって、もの凄く遠くにあるの。でも金星は惑星って言って、地球と同じように太陽の周りを回っている星なの。だから地球から見た時の動き方が恒星と違うんだよ」
ベルティーナを太陽、彼女が握るリードの範囲で彼女を中心にぐるぐるしている白犬を地球と金星、エルンストを恒星になぞらえて説明してくれたが、詳しいことは理解できず、とりあえず違うということだけ分かった。
「昔の人は惑星を、他の星とは違う変な動き方をするから『惑う星』って名付けたんだよ。外惑星なんかそれこそ、西から東に、東から西にと逆行して見えるし。
その動きを解明しようとして、地動説が発見されたの。地球でなく太陽が中心と考えると綺麗に説明できた。
--自分を中心にした天動説で考えてたから、惑星は惑っているように見えた。実際は、自分が中心ではないし、惑星は理にかなった法則で動いていて惑ってなんかいなかったんだよ。含蓄ある話だよね」
夜風がベルティーナの赤い髪をなびかせる。
脚に頭を擦り付けてきた白犬に、彼女は屈みこみ、首周りをわしゃわしゃと掻いてやる。
「人間の都合を中心に見ると、散歩に連れて行ってくれなくて拗ねる犬は我儘に見えるかもしれない。でも、客観的見れば、ルールを破ったのは人間の方。惑った動きをしたのは人間の方なんだよ。
人間がルールを破って理不尽に報酬を奪っておいて、従わなきゃ犬が悪いと貶めるのは、天動説の理屈だよ。まして蹴ろうとするとか」
「あの守衛、蹴ろうとしたのか。締め上げるべきだった」
エルンストも労うように白犬の頭ををわしゃわしゃとかき回し、そして、隣の赤い頭もわしゃわしゃとかき回す。
「それ、犬チガウ! ノー!」
「あの守衛はベルティーナに対しても理不尽だった。天動説のクズだ。客観的にベルティーナは正しいし、真っ当で、あるべき通りに動いている」
手の下で暴れてた赤い頭が動きを止める。
「道理にかなった生き方をする人間を、俺は尊敬する。本当に、ベルティーナは凄いと思うし、尊敬している」
手の下の頭が、あーうーとか、そんな大したもんじゃとか、ごにょごにょ音を立てている。その音が鼻声になってるのは気付かないふりをする。
きっと彼女は、こんな当たり前の称賛すら受けずに生きてきたのだろう。
彼女はもっと報われるべきだ。
彼女は惑う星などではない。美しい真理の法則に沿って動き、宵の空で強く輝く、女神の名を持つ星なのだ。
あるべきものが、あるべきように。
損得でなく、道理にかなっていることが喜びであるその価値観は、エルンストの価値観の、人としての有り様の根元と同じだった。
脳筋の自分と頭のよいベルティーナは、真逆のようでいて、人間の奥底の大切にしている真髄が共通している。
だからこそ、エルンストは彼女と話し共に過ごすことが、とても心地よかったのだ。
エルンストは、ベルティーナに幸せになってほしいと思う。
彼女が幸せでいられる世界は、きっと、あるべきことがあるべきように為されている、エルンストが理想とする世界なのだろうと思えた。
だからだろうか。彼女が幸せそうだと世界は満ち足りて見えるし、彼女がしょぼくれていると世界に影が射して見えた。
--それは別の心情に由来する気持ちも混じっていたのだと、自覚したのはもう少し後のことだったが。
後に卒業した時、ベルティーナをはじめ女子学生達の殆どは就職先が見つからなかった。
女性に厳しい環境ゆえ、男子学生よりむしろ優秀だったが、大学も研究所も事業者も、難癖つけて門前払いしたり、一生男性職員の雑用を強いる契約しか認めないことが殆ど…というより、そうでない職場はざっくり言ってゼロだった。
ベルティーナは一人で研究や文献翻訳等をして暮らすと言って、星の観測に向いた空気の綺麗な地方へ引っ越して行った。
エルンストは悔しくてならなかった。
彼女を不当に抑圧し、広い舞台から追いやった者達に憤った。
彼女の力が生かされないのは、社会にとっても、多大な努力の末に力を身につけたベルティーナにとっても理不尽な損失だ。
ベルティーナの持つ力が正当に評価されてほしい。彼女の優れた力が、きちんと社会の役に立ってほしい。
卒業後、騎士団に入ってもずっとそのことが引っ掛かっていて、勤務先希望にベルティーナの村の近くの街の支部を挙げたら、すぐ配属された。
田舎ゆえ希望者が少ないらしい。ちなみに、ベルティーナの住む村自体は小さすぎて駐在はない。
近所になったし、と一度挨拶に行ってみたら、学生時代のように寝食を忘れて研究していてゾンビの顔をしてたので、つい飯を作った。
その後度々様子を見に行くようになり、村で『理系屋さん』と呼ばれ相談にのっていると知り、じゃあ街で起こってるこの問題も何とかならないかと相談するようになり……今に至る。
やがて、『理系屋さん』として明確に仕事を請け負うようになり、村の外でも声がかかるまでになった。
気が進まないような顔もするが、強めに押して彼女を引っ張り出す。彼女の有能な力が生かされるのは、世の中にも、何より彼女にとってもいいことだと思うからだ。
彼女は理不尽に叩かれ過ぎて自己評価が低くなってしまっているため、尻込みしがちだが、実際やらせてみれば優秀だし、役に立ちたいという意識も高いという得難い人材なのだ。
彼女の評判が上がるたび、そうだろうそうだろう、俺のベルティーナは凄いんだぞと、我がことのように誇らしくなる。
あるべきことが、あるべきように為される。
それは、エルンストの心の根幹なのだ。
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エルンストは曲がったことが嫌いである。
--正しい者は報われ、不当なことは正される--
そうでないと座りが悪くて、気になってしょうがない。
自分の損得は関係ない。
あるべきことが、あるべきように為されている。それ自体がエルンストの幸せなのだ。
自分が単純なことは理解している。
しかし、間違っているとは思わないし、世の中にとっても悪いことではないのだから、自分はこれでいいと思っている。
そんな訳で、騎士を目指したのも、脳筋な自分が正義をなすために働く仕事として一番よさそうだと思ったからだ。
……いざ騎士養成課程のある学校へ入つたら、典型的な男社会らしく、縦型社会や派閥社会や不正、体育会系的抑圧などの理不尽の温床と分かりガッカリしたのだが。
それでも自分まで染まってやる必要はない、と真っ直ぐ育つことができたのは、彼の持つ健全な『空気を読まない力』とタフさのお陰だろう。
でもまぁ、ちょっとガックリきて心が疲れる時もある。そんな時の慰めは、学生寮の番犬との触れ合いだった。
白いもふもふの大型犬は、一部寮生達のアイドルだった。
エルンストは、今日も寮の守衛室近く、白犬の定位置の裏庭へ行く。
今日は先着がいるらしい。白い大きな犬と、同じ位の大きさの赤い何かが芝生をゴロゴロ転げている。
「来てたのかベルティーナ」
「おや、エルンスト」
芝生まみれの長い赤毛をもつれさせたまま、女が上半身だけ起こそうとしたようだが、腹筋が足りなかったのかそのまま倒れた。白犬がドヤ顔でその腹に前足を載せてエルンストを見上げる。
「まぁまぁ、まずは愛でたまえ」
「愛でにきたぞ~」
ベルティーナが譲ってくれたので、しゃがみこんで、両手で白犬の顔を挟みワシャワシャする。白犬は喜んで鼻面をエルンストの顔にすり付けてくる。
しばし首に頭を埋めて犬臭さを堪能してから、ようやく体を起こしたベルティーナの隣の芝に座る。白犬は二人の周りをぐるぐる回って撫でをねだったり、気ままに蝶を追いかけたり。
これがいつもの日常だった。
ベルティーナもエルンストと同じく寮生で、白犬をモフりにくる常連だ。勿論男子と女子で寮の棟は違うが、この裏庭は共有だ。
ベルティーナはエルンストの正反対で頭がよく、天文学を学んでいるそうだが、モフ好きにそこは関係ない。
犬の耳の後ろと腹のどちらの匂いがより好ましいか、仔犬のピコピコ振る尻尾がいかに尊いか等、下らない話に白熱して盛り上がるのは疲れもふっとぶ貴重な時間だ。
こんな日々を過ごすうち、モフを堪能するだけでなく、ベルティーナと会えるのも、エルンストにとって楽しみな時間となっていった。
最終学年のある秋の日。赤いカエデの落葉を道に敷き詰めた並木道に、夕日で長い影が落ちている。その正門側の通路を抜け、エルンストは裏庭へ回る。
訓練が長引き遅くなってしまったが、数日来れなかったので久しぶりにモフを補給しにきたのだ。
守衛室の方で声が聞こえる。
「私が代わりに行きますから」
「ダメダメ!人間が犬の我儘聞いてどうすんだ。これも躾だ」
「いえ、そうではなく…」
守衛とベルティーナだった。
「どうしたんですか」
エルンストが割って入ると、ベルティーナ相手には居丈高だった守衛が、エルンストの登場にばつが悪そうに目を逸らした。
話を聞くと。
学校の催しの準備で守衛室の人員が駆り出され、人手不足で白犬の散歩を3日も休んでいるとのこと。犬は散歩をねだり、守衛が大声で叱っている所にベルティーナが居合わせた。
彼女は代わりに散歩に行くと言ったが、守衛は、それを犬やベルティーナの我儘だと突っぱねている、ということだった。
ベルティーナは言う。
「躾とは、決まった条件下で決まった行動させるルールのことです。この犬は毎日仕事をし、毎日約束された筈の大好きな散歩の時間をきちんと待った。
ルールを破っているのは人間の方なんです。
この子には、何故ルールが破られご褒美の時間が奪われたか分からない。人間の一方的な都合なのだから当たり前です。
こうしたことが繰り返されれば、信頼関係を失うし、ルールは意味がないと学習して躾が崩れます。
人間側にも事情があることは分かります。だから次善の策として私が代わりに行ってはどうかと申し上げています。私は寮生で身元ははっきりしています」
ベルティーナの言い分は理にかない、献身的ですらあると思えた。
守衛にはそれを覆すどんな言い分があるのか聞こうと、エルンストがひたりと目を合わせると、守衛は、たかが犬だろとか、この女の態度が生意気なのが悪いとか、脈絡のない言葉の断片をぐずぐず口の中で呟いた後、舌打ちして「あーあー、もういいから行けよ!それで満足だろ!やってらんねー!」と捨て台詞を吐いて守衛室に入り大きな音を立てて戸を閉めた。
「エルンスト、ありがとう。散歩に行けてよかった」
「いや、俺は何もしていない。ベルティーナの言い分は真っ当だと俺も思う」
二人並んで白犬のリードを引き、黄昏の公園を散歩する。白犬は尻尾をぶんぶん振って数日ぶりの散歩を満喫している。
ベルティーナがしょっちゅうこういう目に遭っていることは知っていた。
理にかなった内容を、誠実に、理性的に話しても、理不尽で不誠実で感情的な罵倒を浴びせられ潰される。そして彼女が理不尽なことを言っていたり態度に問題があったと、冤罪の中傷がばらまかれる。
--彼女が女だから。
男の俺に対するのと、男達の対応が全く違うのだ。
俺より彼女の方が、余程頭がよく、適切な言動をしているというのに。
エルンストは自分が男で被害者側にならないから、女性達が男にしょっちゅうこんな目に遭わされていることを知らなかった。
男社会では、女性は男の欲望と優越感を満たしてくれる筈の存在で、現実の女性がその夢を叶えてくれない時、男は傷つき、そんな『悪』を攻撃する『正義の戦い』を始めてしまう。
自分が被害者で正義であるという歪んだ認識をしているから、自分の身勝手さや加害が自覚できず、自分は公正だと本気で自称したりする。勿論改心は期待できない。
騎士団の取り調べの実習でもこうした思考の犯罪者をよく見かけて、虚しい気分になる。
ベルティーナが、男社会の理系課程の学内は勿論、日常ですらこうした目によく遭っていることを、彼女と過ごした数年で少しずつ知っていった。彼女だけでなく、女性達が皆。
見えていなかった、見えていても過小評価していた自分が情けなくて悔しかった。
世の中は、あるべきことが、あるべきように為されるべきだ。
ベルティーナがこんな不当な目に遭っていい筈がない。
「あ、エルンスト。一番星」
ベルティーナが空を指差す。
夕日の近くに、一際強く輝く星があった。
「本当に一番か? 他にはないかな」
「あるかも? でもあれは『宵の明星』だから、夕日が残ってる明るいうちから真っ先に見えやすいから…」
「宵の明星?」
「あれ? これ天文オタク用語? 一般人知らない?」
『明星』とは金星のことで、地球から見ていつも太陽の近くにあるので、太陽の明るさが弱る夕方や明け方しか見えない。夕方の金星を『宵の明星』、明け方のを『明けの明星』と言う。
とても明るく美しく光るので、古くから美の女神の名で呼ばれた。
--ベルティーナは楽しげに話す。
天文の話をする時の彼女は本当に楽しそうだ。
「いつも太陽の近くにある? 星は季節によって位置が変わるんじゃないのか?」
「うん、大抵の星はそうだね。恒星っていって、もの凄く遠くにあるの。でも金星は惑星って言って、地球と同じように太陽の周りを回っている星なの。だから地球から見た時の動き方が恒星と違うんだよ」
ベルティーナを太陽、彼女が握るリードの範囲で彼女を中心にぐるぐるしている白犬を地球と金星、エルンストを恒星になぞらえて説明してくれたが、詳しいことは理解できず、とりあえず違うということだけ分かった。
「昔の人は惑星を、他の星とは違う変な動き方をするから『惑う星』って名付けたんだよ。外惑星なんかそれこそ、西から東に、東から西にと逆行して見えるし。
その動きを解明しようとして、地動説が発見されたの。地球でなく太陽が中心と考えると綺麗に説明できた。
--自分を中心にした天動説で考えてたから、惑星は惑っているように見えた。実際は、自分が中心ではないし、惑星は理にかなった法則で動いていて惑ってなんかいなかったんだよ。含蓄ある話だよね」
夜風がベルティーナの赤い髪をなびかせる。
脚に頭を擦り付けてきた白犬に、彼女は屈みこみ、首周りをわしゃわしゃと掻いてやる。
「人間の都合を中心に見ると、散歩に連れて行ってくれなくて拗ねる犬は我儘に見えるかもしれない。でも、客観的見れば、ルールを破ったのは人間の方。惑った動きをしたのは人間の方なんだよ。
人間がルールを破って理不尽に報酬を奪っておいて、従わなきゃ犬が悪いと貶めるのは、天動説の理屈だよ。まして蹴ろうとするとか」
「あの守衛、蹴ろうとしたのか。締め上げるべきだった」
エルンストも労うように白犬の頭ををわしゃわしゃとかき回し、そして、隣の赤い頭もわしゃわしゃとかき回す。
「それ、犬チガウ! ノー!」
「あの守衛はベルティーナに対しても理不尽だった。天動説のクズだ。客観的にベルティーナは正しいし、真っ当で、あるべき通りに動いている」
手の下で暴れてた赤い頭が動きを止める。
「道理にかなった生き方をする人間を、俺は尊敬する。本当に、ベルティーナは凄いと思うし、尊敬している」
手の下の頭が、あーうーとか、そんな大したもんじゃとか、ごにょごにょ音を立てている。その音が鼻声になってるのは気付かないふりをする。
きっと彼女は、こんな当たり前の称賛すら受けずに生きてきたのだろう。
彼女はもっと報われるべきだ。
彼女は惑う星などではない。美しい真理の法則に沿って動き、宵の空で強く輝く、女神の名を持つ星なのだ。
あるべきものが、あるべきように。
損得でなく、道理にかなっていることが喜びであるその価値観は、エルンストの価値観の、人としての有り様の根元と同じだった。
脳筋の自分と頭のよいベルティーナは、真逆のようでいて、人間の奥底の大切にしている真髄が共通している。
だからこそ、エルンストは彼女と話し共に過ごすことが、とても心地よかったのだ。
エルンストは、ベルティーナに幸せになってほしいと思う。
彼女が幸せでいられる世界は、きっと、あるべきことがあるべきように為されている、エルンストが理想とする世界なのだろうと思えた。
だからだろうか。彼女が幸せそうだと世界は満ち足りて見えるし、彼女がしょぼくれていると世界に影が射して見えた。
--それは別の心情に由来する気持ちも混じっていたのだと、自覚したのはもう少し後のことだったが。
後に卒業した時、ベルティーナをはじめ女子学生達の殆どは就職先が見つからなかった。
女性に厳しい環境ゆえ、男子学生よりむしろ優秀だったが、大学も研究所も事業者も、難癖つけて門前払いしたり、一生男性職員の雑用を強いる契約しか認めないことが殆ど…というより、そうでない職場はざっくり言ってゼロだった。
ベルティーナは一人で研究や文献翻訳等をして暮らすと言って、星の観測に向いた空気の綺麗な地方へ引っ越して行った。
エルンストは悔しくてならなかった。
彼女を不当に抑圧し、広い舞台から追いやった者達に憤った。
彼女の力が生かされないのは、社会にとっても、多大な努力の末に力を身につけたベルティーナにとっても理不尽な損失だ。
ベルティーナの持つ力が正当に評価されてほしい。彼女の優れた力が、きちんと社会の役に立ってほしい。
卒業後、騎士団に入ってもずっとそのことが引っ掛かっていて、勤務先希望にベルティーナの村の近くの街の支部を挙げたら、すぐ配属された。
田舎ゆえ希望者が少ないらしい。ちなみに、ベルティーナの住む村自体は小さすぎて駐在はない。
近所になったし、と一度挨拶に行ってみたら、学生時代のように寝食を忘れて研究していてゾンビの顔をしてたので、つい飯を作った。
その後度々様子を見に行くようになり、村で『理系屋さん』と呼ばれ相談にのっていると知り、じゃあ街で起こってるこの問題も何とかならないかと相談するようになり……今に至る。
やがて、『理系屋さん』として明確に仕事を請け負うようになり、村の外でも声がかかるまでになった。
気が進まないような顔もするが、強めに押して彼女を引っ張り出す。彼女の有能な力が生かされるのは、世の中にも、何より彼女にとってもいいことだと思うからだ。
彼女は理不尽に叩かれ過ぎて自己評価が低くなってしまっているため、尻込みしがちだが、実際やらせてみれば優秀だし、役に立ちたいという意識も高いという得難い人材なのだ。
彼女の評判が上がるたび、そうだろうそうだろう、俺のベルティーナは凄いんだぞと、我がことのように誇らしくなる。
あるべきことが、あるべきように為される。
それは、エルンストの心の根幹なのだ。
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「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」
そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。
絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。
これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。
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