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1章
07 古着屋
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「ハナの滞在中は俺が案内します。行きたい所はありますか?」
坂を下りながらアレクが言った。
彼は黄みの少ない落ち着いた砂色のジャケットとトラウザーズで、白いシャツにタイをして織りが綺麗なブルーグレーのベストを着ていた。淡い色が、褐色の肌と黒髪、金の目によく似合う。右肩にだけ通した私の黒いバックパックが広い背中で小さく見える。
長身でスタイルがいいのでそれだけで映えるのが羨ましい。
彼や研究所の人は、彫りの深い顔立ちをしていた。これが街の標準なら、私の顔は、そこにあるだけでアジア系外国人ですという名刺を撒いているようなものだろう。
現代の国際社会は大分ダイバーシティが進んでいて、私個人で言えば、海外旅行中に道ですれ違う人に二度見された経験も少ない。しかし、ここがそうした世界観に慣れていない社会なら……二度見される以上の重さのあるトラブルに遭遇する可能性はある。
しかし、現地人であるアレク達の私への振る舞いや、かなり好意的に旅行に誘い外に出してくれた点から見て、少なくとも短期滞在なら、そう深刻な問題はなさそうだと踏んでいる。
顔は変えようがない。
しかし服装は歩み寄りをした方がいいかもしれない。悪目立ちすると一緒にいるアレクも立場が悪くなるかもしれない。
私はこの地の常識は分からないのでアレクに訊いてみる。
「私の服装は街から浮いていますか?」
「…お似合いかと思いますが、目立つかという点で言えば、かなり目立つかと思います。できれば、服を買った方がいいと思います」
訊いてよかった。遠慮して言わなかったのだろう。
私はこちらのお金を持っていないので、何かと物々交換できるかと訊いたら、研究所から必要経費を預かっているから遠慮するなと言われた。
滞在関係費用は研究所なのか、と安堵する。アレクのような個人に負担をかけるのだったら心苦しい。しかし、財布が研究所なら散財してよいとも思えない小市民。無駄遣いをしないで済むならそれに越したことはない。
「短い滞在ですし、借りるとか、古着を買ってあとでまた売るとか、すぐ着られて安上がりな方法はありますか?」
Tシャツが数百円…単純労働者の時給の半額で買える時代はごく最近で、服がもっと貴重な時代が長かった。一揃いで給料2ヶ月分とか。欧州では男性の既製服は19世紀半ばに普及したけれど、女性服は1950年代まで大半は注文服と自家製だった。服の完成品がずらりと並んだ店でウインドウショッピングし、今日すぐ着て歩くことは難しい。
その代わり庶民の衣料品は古着屋が発達していた。着古したものから新古品まで幅広く扱われ、上流階級勤めの人が女主人から下げ渡された仕立てのよいドレスや流行の服も手に入る。現代のリユースショップのようなものだろうか。
古着ならすぐ着られるだろう。古着といってもそれなりにするので負担を掛けてしまうが。
……というのは、専門家ですらない私の世界史オタク知識の範疇なので、この世界が同じであるとは限らない。
しかし、自分の持つ情報から推測して、確証はなくても負担が大きすぎる可能性があるなら、慎重になっておいていい。
お土産として持ち帰っても、コスプレ会場位にしか着て行けないだろうから帰る時には返そう。滞在の数日、悪目立ちして迷惑をかけない最低限のレベルを担保できればいい。
アレクは意を汲んで、ごく自然に中古服の店へ連れて行ってくれることになった。この世界も中古服市場は広く一般人に身近なようだ。
しばらく歩くと、石畳の通りの両側に4階建て程の建物がぎっしり並ぶ大きめの通りに出た。アンティークなデザインの建物は白っぽいクリーム色の石をメインに使ったものが多く、街全体で統一感がある。
様々な物を売る街頭商人があちこちに立ち賑やかに呼び売りをしていて、異国情緒を感じさせる。
その通りを脇道に入ったところに、間口が小さくて奥行きがある店があった。
女性服が多い店らしい。古い建物だがこざっぱりと掃除され、飴色のカウンターはアンティークの魅力があり綺麗な店だ。
古着屋の中でも、高品質のものを扱う店を選んでくれたのかもしれない。
店主は30代半ば位の女性で、私の服を見て驚愕した顔で数秒固まったので、現代の服は相当奇抜に見えるらしい。固まらなかったアレクは、子供の頃一度見たことがあるとはいえ、自制心が相当強いのだろう。服を替えることを勧めてくれてよかった。
こちらの女性服は、足首まで隠れるスカートが基本で、それを見越してマキシ丈のワンピースを着てきたけれど、デザインが違いすぎて、奇抜さを少し減らす位しか効果はなかったようだ。
こちらの服はもっと丈が長くて嵩張ってる気がする。大変歩き辛いが華やかで可愛い。
19世紀ヨーロッパは男性でも北欧を除いて平均身長が160~170cm位と意外と小柄な筈だけれど、この国の人はもう少し大柄に見える。
私は162cmで、ジャストサイズのドレスが結構あったので助かった。裾あげを頼んでいたらもっとアレクを待たせてしまう。
ドレスといっても、舞踏会に行くような奴じゃなくて、庶民が普段着で着るような奴。
私は27歳だけれど、アジア系の薄い顔と体つきのせいか若く見えるようで、若々しいプリント柄を勧められたが、無地の紺色をベースに襟や袖口や飾りに白をアクセントにあしらった落ち着いた服を選んだ。
あと、それを着るのにどうしても必要なコルセットとペチコートも購入。
試着室はなかったのに、店主は私を奥のスタッフオンリースペースに引き込んで着付けまでしてくれた。服と言葉の訛りで外国人と気付いたらしく、親切に着方を教えてくれた。ファスナーやホックがなく、かなりコツがいる着方なので、初めてでは一人で着れなかっただろう。
着付けのため私を下着姿に剥いた店主がまじまじと私を見て言った。
「その小さいコルセットはどちらで購入されたものですか?」
見ていたのは私でなくブラだった。
「私の国では一般的な下着なんです」
キラキラした目で熱心に見つめられたので、そんなに気に入って頂けたならと外して渡すと、裏と表を矯めつ眇めつ、大変熱心に構造を見ている。
「これを売って頂くことはできませんか?珍しい構造なので、調べてみたいのです」
脱ぎたての下着を?しかし変態に売る訳ではないことは彼女の熱心な目からも分かる。
昔日本で見た、不要な服を海外の貧しい地域に送るボランティア団体のサイトを思い出す。
着古した古着は現地でもニーズがなく失礼なので、死蔵している新品や新古品、肌着は新品のみという内容だった。例外はブラで、新古品も受け入れていた。団体や時代や相手国によるかもしれないが。
女性の地位が低い国ではブラや生理用品など女性用生活必需品の質や普及が遅れている傾向がある。その国ではブラが切実に不足していたのだ。
ちなみに私は、生理用品は経血カップを使っている。日本ではまだ普及や理解が十分進んでないので輸入品を通販で買った。慣れるまでハードルがあるが、消耗品のナプキン等が殆どいらず、旅行の時大変便利だ。今回も持ってきている。
話が逸れた。とにかく、中古でもブラが欲しいという女性ニーズは納得いくものだと思う。しかし、自分が異国でブラを売る状況は今までの人生で考えたことがなかったので、頭の中が真っ白になり、どうすべきか上手く頭が働かない。
「お譲り頂けるなら、本日のお会計を半額にいたします」
「譲ります」
即答した。
店の表で待っていたアレクから一度バックパックを返してもらう。女性服専門の店でペチコート等もあるせいか、アレクは中に入らなかったのだ。
店内に戻り、鞄から一つ替えのブラを出して渡した。流石に脱ぎたてを渡すのは抵抗があった。
その後会計をしたアレクが、代金の安さに驚いていたので、私の衣類で気に入って頂けたものを譲ったらご厚意で、とだけ話した。
そして今気づいた。異世界でイケメンと出掛けて服を買ってもらうという、鉄板シチュエーションなのに、「悪目立ちしないこと」や「ブラの需要」など実用一辺倒しか頭になかった。私はヒロインに向いていない。
「お待たせしてすみませんでした」
「いいえ。よくお似合いです。その色は上品でセンスがいいですね」
流石イケメン、女が着替えたら褒めた。
ありがたくも、社交辞令をさせてしまったことに心苦しくなるのは褒められ慣れていないせいか。
「ありがとうございます。青系の色、好きなんです。それに汚れが目立たない色なので、思い切り歩き回って旅行を楽しめます」
「やはりそこに行き着くんですね」
「え?」
アレクは笑いを押し込めるように片手で口元を隠して言った
「本当に旅行が好きなんだなぁと」
彼の中で私のキャラが立ったようです。
坂を下りながらアレクが言った。
彼は黄みの少ない落ち着いた砂色のジャケットとトラウザーズで、白いシャツにタイをして織りが綺麗なブルーグレーのベストを着ていた。淡い色が、褐色の肌と黒髪、金の目によく似合う。右肩にだけ通した私の黒いバックパックが広い背中で小さく見える。
長身でスタイルがいいのでそれだけで映えるのが羨ましい。
彼や研究所の人は、彫りの深い顔立ちをしていた。これが街の標準なら、私の顔は、そこにあるだけでアジア系外国人ですという名刺を撒いているようなものだろう。
現代の国際社会は大分ダイバーシティが進んでいて、私個人で言えば、海外旅行中に道ですれ違う人に二度見された経験も少ない。しかし、ここがそうした世界観に慣れていない社会なら……二度見される以上の重さのあるトラブルに遭遇する可能性はある。
しかし、現地人であるアレク達の私への振る舞いや、かなり好意的に旅行に誘い外に出してくれた点から見て、少なくとも短期滞在なら、そう深刻な問題はなさそうだと踏んでいる。
顔は変えようがない。
しかし服装は歩み寄りをした方がいいかもしれない。悪目立ちすると一緒にいるアレクも立場が悪くなるかもしれない。
私はこの地の常識は分からないのでアレクに訊いてみる。
「私の服装は街から浮いていますか?」
「…お似合いかと思いますが、目立つかという点で言えば、かなり目立つかと思います。できれば、服を買った方がいいと思います」
訊いてよかった。遠慮して言わなかったのだろう。
私はこちらのお金を持っていないので、何かと物々交換できるかと訊いたら、研究所から必要経費を預かっているから遠慮するなと言われた。
滞在関係費用は研究所なのか、と安堵する。アレクのような個人に負担をかけるのだったら心苦しい。しかし、財布が研究所なら散財してよいとも思えない小市民。無駄遣いをしないで済むならそれに越したことはない。
「短い滞在ですし、借りるとか、古着を買ってあとでまた売るとか、すぐ着られて安上がりな方法はありますか?」
Tシャツが数百円…単純労働者の時給の半額で買える時代はごく最近で、服がもっと貴重な時代が長かった。一揃いで給料2ヶ月分とか。欧州では男性の既製服は19世紀半ばに普及したけれど、女性服は1950年代まで大半は注文服と自家製だった。服の完成品がずらりと並んだ店でウインドウショッピングし、今日すぐ着て歩くことは難しい。
その代わり庶民の衣料品は古着屋が発達していた。着古したものから新古品まで幅広く扱われ、上流階級勤めの人が女主人から下げ渡された仕立てのよいドレスや流行の服も手に入る。現代のリユースショップのようなものだろうか。
古着ならすぐ着られるだろう。古着といってもそれなりにするので負担を掛けてしまうが。
……というのは、専門家ですらない私の世界史オタク知識の範疇なので、この世界が同じであるとは限らない。
しかし、自分の持つ情報から推測して、確証はなくても負担が大きすぎる可能性があるなら、慎重になっておいていい。
お土産として持ち帰っても、コスプレ会場位にしか着て行けないだろうから帰る時には返そう。滞在の数日、悪目立ちして迷惑をかけない最低限のレベルを担保できればいい。
アレクは意を汲んで、ごく自然に中古服の店へ連れて行ってくれることになった。この世界も中古服市場は広く一般人に身近なようだ。
しばらく歩くと、石畳の通りの両側に4階建て程の建物がぎっしり並ぶ大きめの通りに出た。アンティークなデザインの建物は白っぽいクリーム色の石をメインに使ったものが多く、街全体で統一感がある。
様々な物を売る街頭商人があちこちに立ち賑やかに呼び売りをしていて、異国情緒を感じさせる。
その通りを脇道に入ったところに、間口が小さくて奥行きがある店があった。
女性服が多い店らしい。古い建物だがこざっぱりと掃除され、飴色のカウンターはアンティークの魅力があり綺麗な店だ。
古着屋の中でも、高品質のものを扱う店を選んでくれたのかもしれない。
店主は30代半ば位の女性で、私の服を見て驚愕した顔で数秒固まったので、現代の服は相当奇抜に見えるらしい。固まらなかったアレクは、子供の頃一度見たことがあるとはいえ、自制心が相当強いのだろう。服を替えることを勧めてくれてよかった。
こちらの女性服は、足首まで隠れるスカートが基本で、それを見越してマキシ丈のワンピースを着てきたけれど、デザインが違いすぎて、奇抜さを少し減らす位しか効果はなかったようだ。
こちらの服はもっと丈が長くて嵩張ってる気がする。大変歩き辛いが華やかで可愛い。
19世紀ヨーロッパは男性でも北欧を除いて平均身長が160~170cm位と意外と小柄な筈だけれど、この国の人はもう少し大柄に見える。
私は162cmで、ジャストサイズのドレスが結構あったので助かった。裾あげを頼んでいたらもっとアレクを待たせてしまう。
ドレスといっても、舞踏会に行くような奴じゃなくて、庶民が普段着で着るような奴。
私は27歳だけれど、アジア系の薄い顔と体つきのせいか若く見えるようで、若々しいプリント柄を勧められたが、無地の紺色をベースに襟や袖口や飾りに白をアクセントにあしらった落ち着いた服を選んだ。
あと、それを着るのにどうしても必要なコルセットとペチコートも購入。
試着室はなかったのに、店主は私を奥のスタッフオンリースペースに引き込んで着付けまでしてくれた。服と言葉の訛りで外国人と気付いたらしく、親切に着方を教えてくれた。ファスナーやホックがなく、かなりコツがいる着方なので、初めてでは一人で着れなかっただろう。
着付けのため私を下着姿に剥いた店主がまじまじと私を見て言った。
「その小さいコルセットはどちらで購入されたものですか?」
見ていたのは私でなくブラだった。
「私の国では一般的な下着なんです」
キラキラした目で熱心に見つめられたので、そんなに気に入って頂けたならと外して渡すと、裏と表を矯めつ眇めつ、大変熱心に構造を見ている。
「これを売って頂くことはできませんか?珍しい構造なので、調べてみたいのです」
脱ぎたての下着を?しかし変態に売る訳ではないことは彼女の熱心な目からも分かる。
昔日本で見た、不要な服を海外の貧しい地域に送るボランティア団体のサイトを思い出す。
着古した古着は現地でもニーズがなく失礼なので、死蔵している新品や新古品、肌着は新品のみという内容だった。例外はブラで、新古品も受け入れていた。団体や時代や相手国によるかもしれないが。
女性の地位が低い国ではブラや生理用品など女性用生活必需品の質や普及が遅れている傾向がある。その国ではブラが切実に不足していたのだ。
ちなみに私は、生理用品は経血カップを使っている。日本ではまだ普及や理解が十分進んでないので輸入品を通販で買った。慣れるまでハードルがあるが、消耗品のナプキン等が殆どいらず、旅行の時大変便利だ。今回も持ってきている。
話が逸れた。とにかく、中古でもブラが欲しいという女性ニーズは納得いくものだと思う。しかし、自分が異国でブラを売る状況は今までの人生で考えたことがなかったので、頭の中が真っ白になり、どうすべきか上手く頭が働かない。
「お譲り頂けるなら、本日のお会計を半額にいたします」
「譲ります」
即答した。
店の表で待っていたアレクから一度バックパックを返してもらう。女性服専門の店でペチコート等もあるせいか、アレクは中に入らなかったのだ。
店内に戻り、鞄から一つ替えのブラを出して渡した。流石に脱ぎたてを渡すのは抵抗があった。
その後会計をしたアレクが、代金の安さに驚いていたので、私の衣類で気に入って頂けたものを譲ったらご厚意で、とだけ話した。
そして今気づいた。異世界でイケメンと出掛けて服を買ってもらうという、鉄板シチュエーションなのに、「悪目立ちしないこと」や「ブラの需要」など実用一辺倒しか頭になかった。私はヒロインに向いていない。
「お待たせしてすみませんでした」
「いいえ。よくお似合いです。その色は上品でセンスがいいですね」
流石イケメン、女が着替えたら褒めた。
ありがたくも、社交辞令をさせてしまったことに心苦しくなるのは褒められ慣れていないせいか。
「ありがとうございます。青系の色、好きなんです。それに汚れが目立たない色なので、思い切り歩き回って旅行を楽しめます」
「やはりそこに行き着くんですね」
「え?」
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