夜空に瞬く星に向かって

松由 実行

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第四章 Bay City Blues (ベイシティ ブルース)

1. 惑星「デピシャノ」

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■ 4.1.1
 
 
 俺達が到着した時、その港町は雨の中に煙っていた。
 しかしそれは、「雨の星デピシャノ」と云う二つ名を持つその星にしてみれば、取り立てて珍しい天候という訳では無かった。
 この星は、海洋面積が惑星表面の約95%を占める。
 人が住むには少々暑すぎる赤道地方で大量に蒸発した水蒸気は、成層圏内の巨大な対流層を巡り、そして高緯度地方に降り止まない雨を降り続けさせる。一年を通じて殆ど毎日が朝から晩までずっと雨模様という、聞いただけで気の滅入りそうな天候の続く街だった。
 その街の名はデピシャニカと言い、地上部分に限って言えばこの星最大の都市であり、唯一の地上港を持つ都市でもあった。
 
 惑星デピシャノには、当然のごとくデピシャノ人が居住している。半水棲の生態を持つ彼らの身体は外骨格に覆われており、地球の生物にたとえるならば、海老と蜘蛛を足してケンタウロス風味に味付けた様な外見をしていた。勿論、ケンタウロスが地球の生物に含まれるとしての話だが。
 彼らには水中を高速で歩行できる鋭く太い鈎爪の付いた力強い脚が二対あり、繊細な作業を可能とする器用な二対のハサミが付いた腕が、これも二対あった。
 外骨格は繊維質を含んだ強靭な蛋白質で出来ており、硬さでは軽装甲スーツを遙かに凌ぎ、しなやかさでは牛革で作ったブーツ並の曲がり耐性をもっている。
 
 戦闘用種族として名高い地球人であるが、その地球人をして絶対に素手で闘っては負ける相手として筆頭格に挙げられるのが彼らデピシャノ人だった。
 元々海棲生物であった彼らは、その強靱な肉体で惑星デピシャノの海を向かうところ敵無しと席巻した。
 海中を埋め尽くした彼らは、小さな面積しか持たない陸に上がり、そして空を知った。長い年月を掛けて空を駆ける手段を手に入れた彼らは、そのままの勢いで宇宙に飛び出した。
 そして銀河に漕ぎ出した彼らは、どこかの年若い種族と同様に、銀河をあげてあらゆる種族が参加する一大エンターテイメント汎銀河戦争に否応なく巻き込まれたと云う訳だった。
 
 彼らにとって運の悪いことに、彼らの肉体的なアドバンテージは汎銀河戦争を戦い抜く為には余り役には立たなかった。
 彼らの肉体は確かにあらゆる種族に勝る強度と力強さを備えていたが、哀しいかな汎銀河戦争では肉体同士で殴り合うチャンスというのは殆ど発生しなかった。
 汎銀河戦争に必要なのは、力強さよりも速度に優れること、とりわけ反射速度であった。
 強い水の抵抗の中、反射神経よりもパワーを求められる場面が多く、そのように進化した彼らにとって汎銀河戦争は得意な分野を生かす事の出来ない過酷な戦いでしかなかった。
 
 しかし逆に、汎銀河戦争が彼らに恩恵をもたらした部分もある。
 一つには、銀河系は常に戦時中であるので、力の原理が押し通っている事だった。
 これは、種族として強大な力を持ついわゆる列強種族達がデカイ顔をしている、という意味もあるが、個体として強い者がデカイ顔を出来る、という意味もある。
 新参者の地球人達がそれなりに古参の種族達に迎え入れられている理由がそれであり、また俺があちこちの星の場末の酒場や、スラムの様なところに行っても無事生還できるのも、同じ理由からだった。
 デピシャノ人も同じようにして迎え入れられている。特に彼らは、外見からしていかにも強そうな外骨格と、実際に戦えば一対一で重装甲スーツとタメを張れるパワーと装甲強度を持つ。
 特にデピシャノ軍兵士達は外骨格表面にハードニング処理をしており、アサルトライフル程度の実体弾なら弾き返し、短時間のレーザー照射でさえ耐え抜く。
 半水棲とは言え、数十時間も連続で水の外で活動できれば、すでに大気呼吸生物と変わりは無い。
 それどころか、外骨格内に呼吸用として溜め込んだ呼吸用の水がある限り、外骨格に守られ、さらにハードニング処理をされた彼らには、大気中も宇宙空間も関係が無い。
 そのような種族的特性を持ったデピシャノ人は、ひ弱な身体しか持たないヒューマノイド型の他の銀河種族達から一目置かれる存在であった。
 
 そして彼らの持つもう一方の、そして最大の強みは、実は海産物だった。
 惑星デピシャノのほとんどを占める海の中、深度3000mを超える深海にのみ生息する貝によく似た生物の体内から取れる、通称デピシャナイトと呼ばれる半有機鉱物結晶がある。
 地球で言えば真珠とよく似た生い立ちを持つこの結晶は、透明度が高い割に屈折率が高く、そして何よりも電気刺激により特定方向に形状が変わるという特性を持っていた。しかも結晶としての硬度はそれなりにあり、コランダムとまでは行かずとも、スピネル並の硬度を持つ。
 特に、電気刺激により形状が変わるという特性が持つアドバンテージは大きく、医療用から軍事用までありとあらゆる分野の特殊光学機器のレンズ用に、極めて高額の素材として取引されていた。
 
 長い時間を掛けて分泌物とケイ酸アルミニウムを織り交ぜ蓄積されて形成されるこの生体由来の鉱物は、物質転換機でコピーしようとも何故か劣化した性能のものしか得られず、最高級品は常に惑星デピシャノから供給される非常に高価な物であった。
 
 前置きが長くなってしまった。
 今回の俺達の仕事は、このデピシャナイト約300kgと、それを取り扱うデピシャノ人貿易商を一人、デピシャノから、約二万光年離れた惑星ゼセリゼイエへ「安全に」運ぶ事だった。
 「安全に」をことさら強調したのには訳がある。
 300kgものデピシャナイトの価格は、通常品でも数十億クレジットになる。透明度と硬度の高い高級品であればその数十倍、品質の安定した最高級品であれば千倍もの価格が付く事もある。
 今回わざわざ取扱貿易商がハンドキャリーで取引先まで持っていくということで、そのデピシャナイトの質がそれなりに高いものであろう事は想像に難くない。
 そうすると当然、海賊だのヤクザだの、場合によっては国家権力傘下の妙な組織だのが、横やりを入れてきたり、邪魔をしてきたり、場合によっては横取りしに来る事も十分に考えられる。
 本来であれば、ちょっとした軍隊が護衛をしてもおかしくは無い程の高価な荷物だった。
 
 ところがこのデピシャノ人貿易商は、最近この商売で徐々に大きく手を広げ始めた、いわゆる新進気鋭の若手貿易商という奴で、夢とやる気と勇気は両手で抱えきれない程に持ってはいても、金と経験と常識がそれに追いついていない、要するに若気の至りで無茶をやって大失敗を犯すタイプの商人だった。
 多分、良質のデピシャナイトを大量に仕入れるのに殆ど全財産を使い切ったのだろう。その貿易商は、金が無いので十分な護衛船団を雇う事が出来なかった。
 護衛も無しにそんなヤバそうなブツを運びたいと思う自殺志願者など居ない。輸送の依頼を出したものの、どの運送業者でもその仕事に手を上げる運び屋は一人も居らず、護衛どころか運ぶ船さえ目処が付かない状態だったらしい。
 
 運送業者としても、自前で抱える船に損害を出したくは無し、フリーランスの運び屋に無理を言って関係を悪くする様な事もしたくは無し、希望と野望に燃える若者を例えどうにかしてやりたくともどうにも出来ない状態だった様で、本来なら誰もが涎を垂らしながら喰らい付く様な高額の依頼が、いつまで経っても宙ぶらりんのまま野ざらしになっていた様だった。
 若造が常識を知らずに無茶な依頼を出したものだと、鼻で嗤って冷ややかな眼で眺めていたさしもの運送業者達も、余りに長い間依頼が宙に浮いたままなのは仕事の采配を飯の種にしている彼らの評判と沽券に関わると、ここに来て流石に焦り始めたらしい。
 
 そのデピシャノ人貿易商に「悪い事は言わねえから、ちゃんと護衛を雇え」と言っても、彼は頑として聞き入れない。当たり前だ。金が無ければ無い袖は振れない。
 デピシャナイトであれば、到着後成功報酬で現物支払いでも応じる奴らは居る筈だとアドバイスしても、その貿易商は、商品に手を付けるなどあり得ないと、この提案も受け容れなかったらしい。
 デピシャノ人は頑固者である事で有名だ。いったん考えを決めたら、なかなかその考えを曲げる様な説得に応じない。彼らがしばしば、「脳みそまで外骨格」などと揶揄される所以だ。
 
 双方困り果てて、さらに時間が経過し、状況はより悪くなっていく。
 今では、運送屋組合の言う事も聞かない小僧が、護衛を雇えず高額の荷物を抱えて困っている話はあちこちで有名になってしまっていた。
 今荷物を積んで船を出せば、ありとあらゆる方面から血の匂いをかぎつけたサメの如く、ありとあらゆるそっち方面の職業の連中が集まってきて、よってたかって蜂の巣にされるのは、火を見るより明らかだった。
 普通ならばこの辺りで、道は閉ざされたものと輸送を諦めるものだが、そこは頑固なデピシャノ人、いつまでも荷物を抱えて輸送手段が現れるのを待っているらしい。
 
 何かの拍子に、そういえば荒事専門の運び屋が居るじゃ無いか、とふと誰かが呟いた様だ。ついこの間、軍隊に混ざって大艦隊と撃ち合いをし、聞いたところでは重装備の一個中隊を相手にナイフ一本で大立ち回りを演じ、最近では機械どもとも付き合いのあるらしいテランが。
 随分尾ひれ背びれの付いた話だったし、俺は「荒事専門の運び屋」なんぞになったつもりなど無い。人生は平穏無事かつ愉快に暮らせるのが一番だと、常に思っている。
 しかし、船を失くして居た間、借金返済の金を稼ぐために何件も無理を言って仕事を回して貰っていた運送屋から、その時の貸しをちらつかされてこの仕事を受ける様に迫られた。
 銀河系とは言えどもそこはやはり人間社会だった。受けた恩はきっちり返す、というこの手の仁義を無視すると、後々ロクな事にはならない。
 俺は自覚できる程に渋い顔をしてこの仕事を受けた。「借りはこれで返したぞ」と言いながら。
 提示された報酬額は、確かに300kgの荷物と乗客一人を運ぶためには破格に高額だったが、確かに護衛船団を雇うには余りに少なすぎる金額だった。
 
 
■ 4.1.2
 
 
 良く言えば、コストを最低限まで削減し、持てる全てを掛けた一世一代の大取引を張った勇気ある若手貿易商。悪く言えば、目の前に開いたデカイ落とし穴にも目を塞ぎ人の忠告も聞かない、プライドだけは衛星軌道並の大マヌケなハナタレ小僧、というのがどうやら次の乗客の様だった。
 デピシャノ人を乗客に迎えるに当たり、一般客室にシールドされた水槽を作製した。その水槽は搬入するには大きすぎるので、船外でニュクスのナノマシンにスキャンして貰い、そっくりそのままのコピーを一般客室内に合成するという方法で設置した。
 睡眠を取るための水槽さえ設置してしまえば、デピシャノ人といえども後は普通の乗客と何ら変わる事は無かった。
 
 そしてそのデピシャノ人はヒューマノイドの奴隷を二人連れて乗船してきた。貿易商の名前は、イベジュラハイと言った。
 イベジュラハイは、デピシャナイト300kgが入った小型のコンテナ二つを二人の奴隷にそれぞれ一つずつ押させて、空港のエプロンをレジーナまでやって来た。
 コンテナとは言え自走機能の付いたそれは、ハンドルを軽くひねるだけで任意の方向に動いていくものだったので、コンテナキャリーやトレーラーと云った牽引車両は不要だった。
 しかしいくら何でも護衛も付けずに港のエプロンをたった三人で歩いてやって来るのは異常だった。
 はっきり言ってしまえば、この小僧はそこまで金が無いのかと、何かあった時の支払い能力を疑うに十分な材料だと言えた。
 
「初めまして。イベジュラハイと言います。助かりました。誰も仕事を受けてくれる人が居なくて。しばらくご厄介になります。よろしくお願い致します。」
 
 少し紫がかった青黒い甲冑を身に纏ったその貿易商は、レジーナの下までやって来ると、雨を避けてレジーナ船体下面の貨物搬入ハッチの前に並ぶ俺とブラソンに丁寧に挨拶をした。
 声は翻訳機を通して聞こえてくる、感情の抜け落ちた様な平滑な単語の羅列だった。だが、言葉を注意して選んでいる事は十分に伝わってきた。思ったよりも礼儀正しい好青年である様だった。
 発声器官の構造がそもそも根本的に異なるため、デピシャノ人は俺達ヒューマノイドの使う言葉を上手く使えない。逆に俺達にデピシャノ語を喋る事は不可能だ。
 本来デピシャノ語は、意味の伝達を音声言語で行い、感情伝達を口の周りに備わった触覚の動きで表現するという。ヒューマノイドに触覚は無い。ヒューマノイドには、どう頑張っても絶対に喋る事が出来ない言語、というものの一つがこのデピシャノ語だった。
 
「ああ、こちらこそよろしく頼む。俺が船長のマサシだ。こっちは相棒のブラソン。航海士だ。
「乗り込む前にあらかじめ聞いておく。この船は地球船籍だ。だから船内に機械知性体のクルーが四人居る。問題無いか?」
 
 俺の台詞を聞いて、その若い貿易商の身体が少し動いた様な気がするが、残念ながら俺はデピシャノ人の感情表現について詳しいわけでは無かった。その動きが肯定的なものなのかそうでないのか、俺の知識の中には該当するものが無かった。
 
「我々デピシャノ人が銀河に進出したのは二十万年程前で、機械戦争を体験していません。色々と伝え聞いてはいるものの、実際に被害を受けたわけでは無いので、デピシャノ人全体として機械知性体に対するアレルギーは低いものと思います。
「私個人で言えば、言葉は適当で無いかも知れませんが、逆に興味があります。その四人の乗員の方々に対して、悪い感情は持っていません。これでよろしいですか?」
 
 どうも、少々理屈っぽい男の様だった。
 
「問題無い。彼女たちもそれぞれ一人の人格で、知性体だ。普通に俺やブラソンと付き合う様に接してくれれば良い。ところでアンタ、チップは持っているか。」
 
「はい、持っています。」
 
「なら、通常の会話はチップ経由にしよう。音声でもメッセージでもOKだ。アンタに船内ネットワークのゲスト権限を与える。」
 
「ありがとうございます、マサシ船長。乗船しても?」
 
「ああ。狙撃されないうちにさっさと荷物を船内に入れてしまおう。コンテナはそのままハッチから格納庫に入れてくれ。コンテナを固定し終えたら船内に入ろう。それから『船長』は無しだ。マサシで良い。」
 
 コンテナのスキャンは立ち話をしている間に終了している。ニュクスからOKのサインが届いている。
 
 奴隷二人がコンテナを押して、ハッチのスロープを上がっていく。
 その奴隷を眼で追うブラソンの表情が少々剣呑である事に気付いた。
 ブラソンが奴隷制度反対主義者であると訊いた覚えは無い。それとも、ヒューマノイド奴隷が非ヒューマノイドに使役されているのが気に入らないだけだろうか。
 
「奴隷達の部屋はどうする?別の部屋にするか?それとも同室が良いか?」
 
「別の部屋を取って戴いたら、別料金になるのでは?」
 
「構わんさ。どうせ運んでいるのは空気だ。変に汚されたり壊されたりしない限り、追加料金は要らんよ。」
 
「では、もう一部屋彼らにお願いできますか。痛み入ります。」
 
「一人一部屋にしとけ。レジーナ、ルナ、もう二部屋用意してくれ。ヒューマノイド用だ。簡単に整えるだけで良い。」
 
「諒解しました。」
 
 下部貨物ハッチ脇のスピーカーからレジーナの声が聞こえた。
 
 デピシャナイトの入った小型コンテナ二基の固定を終える。
 俺が先導してイベジュラハイを案内し、リフトに乗ってペイロードから上階の居住区に向かう。
 箱形のリフトの中で、やはりブラソンは奴隷の一人を険しい眼で見つめていた。
 どうもなにやら曰くがありそうだ。後で話を聞いて置いた方が良さそうだ、と思った。
 
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