夜空に瞬く星に向かって

松由 実行

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第四章 Bay City Blues (ベイシティ ブルース)

20. Rendezvous over stratosphere

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■ 4.20.1
 
 
 レジーナが目視で確認できるようになったのは、俺がスーツを着終えて、アデールから気密確認のOKを貰い、視線をビークルの外に移した時だった。
 細い鏃の様な形をした白銀色のレジーナの船体が、パイニエからの反射光を受けて輝きながら、ビークルよりも僅かに高い高度を保って急速に近付いてくる。
 大気圏内用の重力シールドを展開しているレジーナ前端の少し前に、紡錘形にプラズマ化した突入炎が形成されている。
 計器が無いので正確な数値は分からないが、高度150kmあるかないかという所まで落下しているビークルの斜め下に、曲率が随分大きくなった青と白のパイニエが見える。
 
 青い地表に散った白い絵の具のようだった水蒸気の雲は、この高度から見ると確かに厚みを持って大気中に浮かんでいた。
 それはまるで丸い地表の上に降り積もった綿毛か、甘ったるく泡立ったメレンゲが地上に厚く塗りつけられているかの様にも見えた。
 大気圏は白く煙る膜となってパイニエの表面を覆っており、俺の乗るビークルはその濃密な酸化性ガスの海の中にまさに今猛スピードで突入していこうとしている。
 
 俺が今着ているAEXSS(柔スーツ)を調製するために、ビークルはすでにジェネレータや通信機器など主要な機器をごっそり抜き取られており、制御可能な状態ではない。ブレーキも出来なければ、姿勢制御も不可能だ。
 運良くパイニエのビークルの形状が前後対称形では無いことと、ジェネレータなどを抜き取られてビークルの後ろ半分がスカスカに軽いので、空気抵抗だけで姿勢を安定できている。
 すでにビークル全体に、空気抵抗で発生していると思われる激しい振動が起きており、すぐ近くにレジーナの姿が見えなければ、さすがに心配になるところだ。
 ビークルにも徐々に突入炎が形成され始めており、車窓の外にチラリチラリと赤や白の炎が尾を引く。
 
「重力アンカー展開します。ビークル確保しました。マサシ、お疲れ様でした。」
 
 レジーナの声がビークルの確保を宣言した瞬間、ビークル全体に大きな振動が伝わり、そして不快な振動が全て消えた。
 
「ビークル前面に重力シールド展開。衝撃波コーン消失を確認。ビークル回収します。距離1500m。」
 
 ビークルの車窓のすぐ外側に踊っていた炎が消えた。
 レジーナが急速に近付いてきて、ビークルはレジーナの衝撃波コーンの内側に入り、そしてレジーナの上面船体にゴトンと音を立てて着底した。
 
「ビークル捕獲。船体上面に着底。速やかに移乗してください。お二人とも光学迷彩とステルスを忘れずに。」
 
 行動は全て上空のペニャットから観察されている筈だ。
 平服で乗り込んだはずの俺が、スーツを着て出てきたのではおかしな話になる。見えなければ、どうとでも言い訳できる。
 
 ビークルのドア開閉スイッチを押すが反応しない。
 動力を溶かして、今俺が着ているAEXSSに変換したのだから当たり前の事だった。
 脇からアデールが前に出て、ドアを蹴り飛ばす。
 ドアは吹き飛び、レジーナの船体の上に転がる。
 
「私の船体に余り傷を付けないでくださいね。自慢のお肌なんですから。」
 
 キュメルニア星団でニュクスの操るナノボットに色々いじられた時に、レジーナの船体素材と表面コーティングも相当変わったらしい。
 現在、レジーナの船体表面は軍艦並みに対レーザーコーティングされており、つやつやの鏡面に磨き上げられている。
 
「気を付けてください。私の船体表面温度は120℃程度ですが、ビークルの方は800℃近くあります。」
 
 勿論、アデールも俺もAEXSSを着用しているので800℃という低温をスーツ内部に通すような事はない。
 そんな事は分かっているのだが、しかしビークル表面は高温になっているから注意しろと言っている。レジーナらしい気遣いと言える。
 ビークルを出て振り返ると、確かにビークル車体は鈍く赤色に光っており、大気圏突入時の熱をまだ十分に保持している事が分かる。
 
「至近のエアロック外殻を解放します。」
 
 ビークルから15mほどの所の上面船体に開口部が発生した。船体上面に設けられたエアロックの内の一つだ。
 レジーナの船体上を歩いてエアロックに近付く。
 鏡面加工されたレジーナの船体表面が、赤く光る衝撃波コーンを透かして頭上に黒く広がる宇宙空間を映している。まるで大気圏上層部に突如、赤く光る突入炎に包まれた静かで滑らかな水面が出現したようで、それはとても妖しくシュールで、そして思わず立ち止まって見とれてしまうほどに美しかった。
 アデールに肩を軽く叩かれて我に返る。
 
「どうしましたか?」
 
 俺の行動を不審がるレジーナが問うてくる。
 
「いや。気にしないでくれ。突入炎を纏ったお前の姿が余りに綺麗で、思わず見とれてしまった。」
 
「うふふふ。おだてても何も出ませんよ?」
 
 そういうレジーナの声は嬉しそうだ。
 
「ああ、何も出なくても良いが、メシを出してくれ。腹が減ったよ。」
 
 そういえば、船を出てからこっちもう十時間以上何も口にしていない。例のサービスバーでイバーズを都合一本分ほど飲んだのが最後だ。勿論、イバーズの酔いはとうに抜けている。
 
「分かりました。」
 
 嬉しげな声のレジーナが言う。
 
「案外天然無自覚の女たらしだとは思っていたのだが、まさかAIに対してもとは、な。」
 
 後ろでアデールが何か失礼な事を呟いている。反応するのが面倒だ。聞こえない振りをする。
 たらしもクソも、相手は家族だ。
 
 俺達はエアロックに入り、エアロックの外殻が閉じられた後に室内が与圧される。
 エアロックから船内に踏み出し、長い旅路の末やっと我家に戻ってきたような気分になって、思わず大きく息をついた。
 エアロック前の通路に待ち構えていたのだろう、ルナが飛びついてきた。
 その勢いに一瞬だけバランスを崩す。
 ルナは俺に抱きついたまま、俺の胸元に顔を埋めているので表情が見えない。
 普段のルナに比べて随分能動的な行動に出た事に少し驚いた。
 
「どうした?」
 
 何も言わないルナの銀色の髪をくしゃくしゃとかき回す。
 
「・・・心配、しました。あのまま死んでしまうのではないかと。」
 
 どうやらダバノ・ビラソ商会でトラップに吹き飛ばされた時の事を言っている様だった。
 
「すまない。心配掛けたな。」
 
 左手を細く小さいルナの背中に回し、右手でそのまま頭を撫でる。
 
「いえ。ちゃんと戻ってきてくれたので、いいです。」
 
 そう言ってルナは俺から身体を離した。
 その顔はやはりいつも通り無表情なのだが、心なしか眼が少しだけ潤んでいる様にも見える。
 
「次からはちゃんとそれなりの対策を取って出かけることにするよ。」
 
 表情は変わらないのだが、少しだけルナが纏う雰囲気が柔らかくなった様な気がした。
 
「はい。お願いします。ご飯の支度をします。」
 
 そう言ってルナは踵を返した。
 
「モテモテだな。」
 
 明らかにニヤついた声で俺の後ろから冷やかすアデールに、右手の裏拳を見舞うが、左手で軽く止められた。
 
「着替えて、メシだ。」
 
 そう言って俺は自室へと通路を歩き始めた。
 
 俺とアデールが船内区画に足を踏み入れた後、レジーナはその船体を上下反転した。支えを失ったビークルは、レジーナの船体を離れ、濃密な大気の中へと落下していく。
 レジーナが重力シールドで制御している突入炎のコーンの外側に出た瞬間、急激に増大した空気抵抗のためにビークルはレジーナ後方に流されていった。
 大気を切り裂きながら落下していくビークルの残骸に目もくれず、白銀色の船体の進路を大気圏外に取ったレジーナは、突入炎の航跡を引きながら宇宙空間へと離脱していった。
 そしてビークルも突入炎を後に引きつつ、レジーナから徐々に離れていき、そして濃密なパイニエの大気の中に見えなくなった。
 
 
■ 4.20.2
 
 
「マサシ、ちょっとマズイ事になっているかも知れん。」
 
 AEXSSを脱ぎ軽くシャワーを浴びた後、自室で船内用のシャツとズボンに着替えている俺に、ブラソンから音声が入った。
 
「ああそうだ。こんな風にお前に話しかけられる時ってのは、大概いつもマズイことになってる時だ。どうした、何があった?」
 
 シャツに袖を通しながら答える。
 
「軍警からバペッソに幾つか情報が渡った様だ。テロ事件前後で疑わしい行動をしていたIDのリスト、疑わしい行動をした船舶と乗員、疑わしい時間に疑わしい場所にいたID、その他色々。その中にもちろんお前とアデールの名前がある。俺の名前もある。
「そのリストのあちこちに顔を出していい加減スコアが高かったところにもってきて、さっきのビークル再突入騒ぎだ。かなり目立ってしまった。バペッソがお前に注目している。今、連中はお前の経歴を洗っている。その結果が出たら、もっと疑われるだろう。」
 
「おいおい、なんでいきなり特定されてるんだ?何かへまやったか俺たち?」
 
「やってない。いや、正確にはちょこちょこやらかしてはいるんだが、どれも致命的なミスじゃない。どれも小さなものだが、あっちこっちのリストに名前が載ってる。そしてトドメはさっきの狂言事故だ。
「奴らは警察や司法じゃないからな。お前を疑うのに明確で論理的な理由なんざ要らん。疑わしい、と思ったらそれで十分だ。」
 
「分かった。レジーナ。今の進路は?」
 
 俺は服を着替え終え、部屋を出ながらレジーナに問う。
 
「現在、ペニャットから再接岸を指示された484番ピアに向かっています。到着まであと16分21秒です。」
 
「進路を変えよう。この星系から逃げよう。目的地は、例のジャンプ船が最後に寄港したステーションだ。レジーナ、出港手続きを。」
 
「諒解。進路変更。目標アリョンッラ星系第十惑星フドブシュの軌道ステーション。
「ですが、マサシ。クリアランス降りないと思います。現状でパイニエ政府が容疑者の国外逃亡を許すとは思えません。」
 
 容疑者も何も、真犯人だがな。
 俺はダイニングルームに入り、テーブルに着く。
 
「クリアランスが下りなければ、強行突破するしかないが、ブラソン、構わないか。」
 
 一度政府の制止を強行突破すれば、多分この星には二度と近づくことは出来ない。
 だからといって政府の調査が進めば進むほど立場は悪くなるだろうし、その前にバペッソが手を出してくるだろぅ。いずれにしても、長居をすればするほどいろいろとマズくなるのは間違いない。
 
「構わんよ。どうせ俺自身がほぼお尋ね者だ。故郷(くに)を出た時に、もう二度と戻れない覚悟はしている。今回の上陸で捕まらなかったのが奇跡だ。」
 
「ニュクス。」
 
「なんじゃ。」
 
「便利屋に使って申し訳ないが、ジャンプユニットを追加できるか?」
 
 ジャンプ船の後を追うには、当然同じ装備が必要となる。
 幸い、貨物船としては破格のリアクタ四機とジェネレータ八機を備えるレジーナは、ジャンプユニットを維持するだけのパワーを持っている。
 もちろん、レジーナにはホールドライヴがあるのだが、人目のあるところでそれを使うわけにはいかない。しかし、人目に付かないところまでたどり着く為には、光速以下の通常航行では何年もかかる。
 人目に付くところからジャンプ航法で離れ、十分離れたところで高速なホールドライヴに切り替えるのが良いだろう。
 重力傾斜を無視できるホールドライヴの利点の大半を使えないことになるが、地球軍との約束だ。仕方が無い。違えると、何をされるか分かったものでは無い。
 
「追加する事自体は全く問題無いんじゃがの。エンジンルームに空きが無いのはお主も知っておろう? ジェネレータ自体はホールドライヴデバイスと共用させることが出来ようが、いかんせんジャンプユニットもそれなりの体積があるでのう。エンジンルームの20m延長が必要じゃ。この太陽系外縁に出るまでの間に、15時間ほど安全に直線が取れるかのう?」
 
 また尻尾が長くなる話か。
 しかし、ジャンプユニットは短期的にも長期的にも絶対に必要だった。
 短期的には、このパイニヨ太陽系を抜け出す為。
 政府の制止を無視して出航すれば、パイニエ政府がレジーナにジャンプポイント使用の許可を与えないだろう事は火を見るより明らかだ。かといって、地球政府との契約上、おいそれとホールジャンプを行うわけにもいかない。
 まずは、このパイニヨ太陽系を抜け出す為にジャンプユニットが必要だ。
 そして長期的には、レジーナが持っているホールドライヴを誤魔化す為に必要だ。
 
「レジーナ、今すぐパイニヨ太陽系の北か南に飛び出せば、20時間くらいは取れないか?」
 
「それが。各惑星の位置が悪くて、パイニヨジャンプポイントまでの直線を取ると、第六惑星と第八惑星が進路近傍に入ります。」
 
「マサシ、第六惑星はヤバい。惑星自体と、ステーションまで全て軍事基地だ。ついでに言うと、第八惑星の環状ステーションはパイニヨのハブだ。軍の船もそうだが、バペッソの船も沢山いるだろう。」
 
 レジーナからの情報にすぐさまブラソンが反応した。
 政府にしろバペッソにしろ、ジャンプステーションまでの航路の途中で確実にインターセプトしてくるだろう。20時間の直線どころではない。ジャンプステーションへの到達そのものが危うい。
 そこではたと思いつく。
 
「20時間の直線が取れれば、ジャンプユニットが手に入るんだろう?ならば、無理にジャンプステーションに向かう必要は無いよな?北か南か、どちらか障害の少ない方に鉛直に飛び出して20時間突っ走れば良いだけじゃないか。」
 
「もちろんその通りじゃが、それでええんかや?」
 
「特に問題は無いな。パイニエに入国する時のレジーナの仕様申告が虚偽申告になってしまうが、ここまで来たらそんなのは些細なことだ。」
 
 ペニャットに接岸するに当たって、船員名簿とレジーナの仕様詳細をペニャットの港湾管理部に提出している。この手続きは、接岸シーケンスの一部で、どの国でも大体同じだ。
 今回接岸する際にはレジーナにはジャンプユニットなど当然無かったのでそのように申告してあるが、いまからジャンプユニットを形成して彼らの目の前でジャンプして消えれば、接岸時の船体詳細申告が虚偽申告だった、ということになる。
 もちろん、公文書偽造だのなんだのと色々と罪状を付けられ、それなりの罰則がある。
 しかしそんな事は今更な話だ。
 
「お主さえそれで良ければ、儂は全然構わぬぞ。」
 
「パイニヨ太陽系南方宙域はパイニエ軍の演習宙域として指定されています。現在演習中では無いようですが、万一のことを考えると北方に抜ける方が良いかと思います。」
 
 レジーナからの返答。決まりだ。
 
「パイニエ太陽系北方鉛直方向に最大加速。2光時ほど離れたところで減速し、ジャンプユニット形成を開始する。ジャンプユニット形成完了し、ジャンプ可能域まで到達後、一光年ほどの短距離ジャンプ。その後ホールジャンプする。」
 
「諒解しました。クリアランス申請。拒否されました。先の接岸指示に従う様、強く求められています。無視します。
「進路変更。パイニヨ太陽系北方鉛直。最大加速。」
 
 惑星パイニエ近傍で、環状ステーションペニャットに向けてゆっくりと移動していたレジーナが、突然進路を変更する。
 軍艦の全力加速かと見まごうばかりにレジーナは加速し、パイニエ宙域から一気に遠ざかる。
 
 ダイニングテーブルに着いた俺の前に、ルナが食事を運んでくる。
 無表情にじっとこちらを見ているルナと眼が合う。
 大丈夫だ。ここに座っている限りは、どこにも行きはしないから。
 テーブルに置かれた料理は、湯気を立てるチキンストロガノフにジャスミンライス。
 同じく着替えの終わったアデールもダイニングにやってきて、テーブルに着いた。
 
「マサシ、ペニャット港湾管理部から、管理指示遵守違反、誘導指示遵守義務違反、安全運行義務違反、その他色々で出頭命令が来ています。」
 
 食事に手を付けたところでレジーナから報告がある。
 
「そんなの無視だ、無視。」
 
「はい。『クソ食らえ』と返信しておきました。」
 
 口に含んだストロガノフを吹き出しかけた俺を見て、アデールがカラカラと笑っていた。
 
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