看守の娘

山田わと

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Echo81:断罪

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 大々的に報じられた統領の死は、実のところ王政復権派を炙り出すための策であったと、国民に明かされた。
 すべては統領自身の指示のもとに仕組まれたものであり、死は偽装、葬儀も演出、沈黙もまた罠だった。

 その発表に、民衆は一斉にどよめいた。
 あまりにも大胆な作戦に、怒号と困惑が入り混じった。
 だが噂は生き物だ。
 最初の一週間は激しい怒りに火がつき、次の一週間には互いに論じ合い、さらに日が過ぎれば、関心も薄れつつあった。

 そんな折、統領エリック・ジルベールは、自身に統領たる資格はあるのか国民に問いかけた。
 判断は拮抗した。
 王政復権派を炙り出すためとはいえ、自らの死を偽って嘘の情報を流布し、前国王の嫡子ルネ・サントレールや、首謀者のエルヴァン夫妻を処断したのだ。
 その事実は悲憤として、民の心に残された。
 だが同時に、エリックのもとで国が崩れなかったことも理解していた。

 最終的に、彼を再び統領として認める声が、反対をわずかに上回った。
 苦く、重く、迷いを抱えながら、それでもなお、民は彼を選んだのだった。

 ただし、選ばれたという事実が、すべてを水に流すことはなかった。
 エルヴァン夫妻の処刑は、まだぎりぎり理解の枠内にあった。だが、王の血を引いたルネを殺めたことは、国全体の衝撃だった。
 国が変わったとしても、ルネという存在の持つ象徴は、あまりにも大きかった。
 その痛ましい結末には、しかるべき責任が伴うべきだと、民も、またエリックも考えていた。



 石造りの天井は高く、壁には国家の紋章を刻んだ旗が掲げられていた。
 法廷には、暖炉の火もなく、空気は冷えきっている。
 それでも人々は黙して席に並び、姿勢を崩すことなく、その刻を待っていた。

 ノクスは壇上に立たされていた。
 両の手首には革の枷が嵌められ、衛兵が左右に控えている。

 裁判長が口を開いた。

「記録に基づき申し上げる。被告ノクス・ジルベールは、ルネ・サントレール、およびジョゼフ・エルヴァン、ミーシャ・エルヴァンを、正規の命なくして処断した。彼らの死に対する正当な根拠はない」

 誰も騒ぎ立てない。

 あらゆる事実はすでに共有されており、この場で語られるのはただの形であった。
 裁判長の言葉を、どこか遠くの出来事のように聞きながら、ノクスは回想する。
 あの日、王政復権派を討った後のことを。
 戻った彼に、父が告げた言葉を。




「……確かに、任された事も果たせない無能は嫌いで、価値もないとは言ったけどさ。任されていない事まで果たすのは、やり過ぎだと思うんだよね」
 ノクスが、ルネとエルヴァン夫妻を独断で討ったと知ったとき、エリックは、わずかに口元を綻ばせただけだった。
 軽やかすぎるほどの笑みを浮かべたまま、父は言う。
「君の立場であれば、降伏した者を殺すことは、あってはならない。今の法のもとでは、それは秩序の根幹を壊す行為だ。分かっている筈なのに、なぜ彼らを殺したんだい?」
 なぜ。
 果たして、その問いかけに意味はあるのだろうかと、ノクスは思う。
 理由なら、確かにあった。
 ジョゼフを殺したのは、累積した私怨に他ならない。ルネの惨状を見たとき、あのようなことを為せる人間は、生きるに値しないと思った。
 ミーシャを殺したのは、アリセルの刃が届きそうになったからだ。彼女の手を、血で汚すわけにはいかなかった。
 そしてルネを殺したのは、終わらせるためだ。
 彼の傷は助かるものではなかったし、もう充分に苦しんできた。一刻も早く苦痛から解き放ってやりたかったからだ。

 だが、それを告げる事に、何の意味があるのだろうか。

 エリックの目に映るのは、行動の理由ではなく、その先に残った結果だけだと言うのは、息子である自分が一番良く知っている。
 それに、はじめから理解を乞うつもりもなく、罰を受けるつもりだった。

 沈黙で答えを返すノクスに、エリックは笑みを絶やさない。
「逃れる道はないよ。統領の息子であることは、免罪の理由にはならない。むしろその立場だからこそ、償いは不可欠だ。裁かれ、然るべき罰を受けることだ。さて、民は君に何を望むんだろうね。死か追放か……。あるいは、鞭と焼印をもって恥を刻まれるのかもしれない」
「何だってかまわない。元々、そのつもりだ」
「君ならばそう言うと思ったよ」
 罰に身を投じようとする息子を前にしてさえ、エリックはどこまでも涼やかだった。
 言葉が途切れる。
 しばらくの沈黙を挟み、エリックは口を開いた。
「ノクス……。僕には人としてあるべき感情が、欠けているらしい。愛情や共感といった感覚が、生まれつき備わっていないようだ。もし君が処されることになっても、僕は何も感じないと思う」
「知っている」
 淡々と語るエリックに、何を今更と、ノクスは僅かに唇を綻ばせた。
 エリックの正しさや秩序は、美徳ではなく欠落の証だと知る者は、息子である自分くらいだろう。
 父には、人としての悲しみも、憎しみも、慈しみもなかった。
 だからこそ、彼は常に「正しいか否か」だけで物事を量る。ゆえに彼の正しさは、狂気に近い。
「ノクス、何か言っておきたいことはないかい?」
「一つだけ気がかりがある。……ロザリー様の…いや、母さんはどうなるか」
 口にした途端、胸が軋むのをノクスは自覚する。
 息子と猫の区別もつかなくなってしまった母を、ロザリー様と呼ぶには距離がありすぎて、母さんと呼ぶには近すぎた。
「そうだね。僕はロザリーを愛したことはない。本当のことを伝えるべきだとは思っているよ。ただ、そうすれば彼女は完全に壊れる。それを君は望まないだろう? だからせめて、役目を果たした報いとして、これからも愛していると言い続けよう」
「それで充分だ……。ありがとう……」
 言いながらもノクスは思う。
 自分が求める「夢を守るための偽りの愛」と、エルヴァン夫婦の「従わせるための偽りの愛」。
 どちらも、受け手にとっては欺きであることに変わりはない。そこに違いはあるのだろうか、と。
 それでも、壊れた母が夢を見続けられるのなら、それでいいと思った。
 それが母への愛情なのか、子としての服従に過ぎないのか、ノクス自身分からなかった。



「被告の行動には、個人的感情および独断による判断が認められ、いかなる正義の名をもってしても、その越権は正当化されない」
 裁判長の声は低く抑えられていたが、その一語一語は重く、石壁を震わせるかのように響いた。

「よって」

 ひと呼吸、間が置かれた。

「ノクス・ジルベールを、隔離塔において無期限の幽閉とする」
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