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第2章 王都の影と日向に咲いた花
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クローマチェスト王国、王都エクラン。
エスタシオン家はもともと、エクラン近くに代々の土地を持つ花農家だった。都市が広がるに連れ一部は街中に組み込まれたが、一面に広がる花畑は王都の人々をも惹きつけ、春夏秋冬の花を楽しめる行楽地ともなっていた。特に花をつける高木が満開の時期は、人々は身分に関係なく、こぞって花見に繰り出していた。
それでも歴代の当主たちは地道に、しかし堅実に、家と本分を守ってきていた。特にエスタシオンは品種改良に秀でた才や知識を持つ一族で、旅をして原種を持ち帰って観賞用に改良したり、逆に絶えそうな種を何度も交配させて強い個体に代替わりさせたりと、学者気質な一族でもあった。
その功績は時を経て、学術的にも社会的にも認められるようになり、見た目にも珍かな花々は王家をはじめ富裕階層の目に留まり、彼らの家屋敷や折々の行事を彩るようになった。
「――聞いたことがあります。王宮に飾られる花は貴婦人のドレスのように花びらが折り重なって、大振りでとても華やかなのだとか。色彩も豊かでみずみずしく、花弁の内側にはあふれんばかりの花蜜を湛えると……」
「そうです。花蜜はあくまでも副産物であったのですが、研究や経営の土台になってくれていたと思います。何よりこの国の風土に培われてきた先祖代々の想いが、私たちの心に生まれながらに引き継がれていたのでしょう」
古来より「精霊の幸う国」と謳われてきた、クローマチェスト王国。
万物に宿るとされる精霊が繁栄するほどに、自然豊かで恵まれた土地であるという謳い名であったが、それが顕著に示されるのが〝花蜜〟の存在だった。
花蜜は名のとおり、多くは花や植物から採取されるとろみを帯びた液体だ。(野菜や果実に含まれるものもあるが、大抵はそのまま調理に利用され、食べられてしまう。)
無色透明なものから花の色に準ずるものまで様々で、蜂蜜と同様に食用はもちろん、香水や化粧品、石けん、薬、染め物、またエレノアが愛用するインクのような画材など、さまざまな形に加工され、生活に根ざしたあらゆる場面で使用されている。
また微量に魔力を帯びるものもあり、そういったものは、古来よりの魔法や錬金術の触媒としても重宝されてきた。その結果、燃料として扱えるものが生み出され、今ではランプや街灯などの照明やストーブや暖炉などの暖房器具、逆に冷蔵施設など――いわば工業製品といえるものにまで応用が利くようになった。
植物の生育に左右される部分もあるため産出量は不安定ではあったが、長年クローマチェストの生活を支え、発展に不可欠であったその花蜜を授けてくれるのが、国に棲む数多の精霊たちだと言い伝えられている。
その花蜜の中でごく稀に、つぼみの中で結晶化するものがあって、これを花蜜石という。
こちらはいまだ形成過程も解明されておらず、大半は希少価値の高い宝飾品として扱われる。エレノアのブローチのように夫婦が大切な節目の贈り物にしたり、恋人が婚姻の誓いに指輪を贈り合ったりするが、そういうものは自ら採取しようと尽力する者も多い。それは一種のジンクスのようなもので、誓いを立てた花から花蜜石が生まれれば、その結婚は精霊たちに祝福された、幸せなものになるのだという。
ただ中には高い魔力を帯びているものもあり、そういうものは取り扱いが非常に難しい。それらは専門の商会や工房を経て杖や魔道具に加工され、魔法使い垂涎の品となって高値で販売されたり、国が買い上げ、大型の公共施設や乗り物の動力源として使用されたりと、特殊な用途に回されている。
いずれにしても、クローマチェスト人は精霊の営みとともに生き、死んでいく。それが自然の流れとして、そこに生きる人々に脈々と受け継がれていた。
ヴァイスの肩に座り、カップを傾けていたクロシェットがうなずく。
「あなたたち人間って、不思議よね。精霊はみんな自由なのに、人間はなんにでも意味を持たせて、自分たちを縛りたがるの。でも、そういう生き方って素敵よ。そのおかげであたしみたいに物や道具から生まれて、その人の人生そのものに宿る精霊もいる。そういう人間を、あなたたちは〝精霊の祝い子〟と呼ぶけれど、あなたの恋人もきっと、自分を縛る何かを心から愛していたのね」
「人生に宿る……。そうですね。たしかに、素敵な存在です。……レコンフォール様の仰るとおり、リリアンには花の精霊が宿っています。そうですか……よかった。リリアンは王都を離れるとき、自宅の花壇を最後まで心配していましたから……もしかしたら、私が引き離してしまったかもしれないと思っていました。教えてくださってありがとうございます。なんと申しますか……少し、ほっとしました」
そう答えるフィオレロは、嬉しいような寂しいような、不思議な感情を眉や口元に刻んでいた。
「……私がリリアンに惹かれたのは、きっと彼女の人生の中に、かつての私が愛して志した、花の存在があったからです。エスタシオンは変わってしまった。金が父と母の心を狂わせ、金で買った権力がその振る舞いを変えてしまった。――あんな連中と関係を持つようになるなんて」
「……花蜜石だな。もう何年も前だが、俺が王都にいた頃は、まだ街中に花畑が広がっていたが……」
「はい。あんなものが見つからなければ――!」
奥歯を噛み、机の上で両手をきつく握りしめるフィオレロに、エレノアはずいぶん前の新聞記事を思い出していた。
――花蜜石の鉱脈、王都の街中で発見。
そんな見出しではなかっただろうか。
クローマチェストにおいて花蜜を生み出す花農家は、その存在価値を高く評価され、位階さえないが周知の地位はある。特にエスタシオン家が育てる花は、それは豊富な花蜜を生み出していた。年間の産出量でいえばどのくらいだったのだろうか。決して少なくない量が国に流通していたはずだ。
ただそれだけの量を出荷していても、花のできばえによってはなお採取が間に合わず、そのまま地面にこぼれ落ちてしまうほどだったという。それが土の栄養となり、いっそう美しい花を咲かせていたのではないかと考えられていたが、何世代もの間、いったいどれだけの花蜜が重なっていたのか――。
「発見は、本当に偶然だったのです」
もう五年も前の話になる。その年の冬、街中に組み込まれたエリアに遊歩道と小さな広場が設けられることになった。もっと行楽がしやすくなるための環境整備を、と街や地区の住人から声が上がったのだ。
一部の畑を潰してしまうことになるので、現当主であるフィオレロの父は始めこそ反対していたが、最終的には「形は違えど、花を愛でる心は同じ」と納得し、作業用の通路を活かし、畑の縮小を最小限にすることで合意した。
しかし――その工事が始まってすぐ、地中深くから大量の花蜜石が発掘されたのだ。
畝に沿って巨大なインゴットのようになっているもの、花から滴り落ちたままに塊になっているもの、それらが砕け削られたのか、河原の石のように丸みを帯びたもの、さらにどれだけの時を経たのか、さざれとなってしまっているもの――とにかく大小の花蜜石が次々と掘り出され、王都は一時その話題で持ちきりになった。
何より人々の興味をそそったのは、その色だ。
採取された花蜜石は通常のものと異なり、そのすべてが虹のように色が重なり合う、誰も見たことがないほどに幻想的なものであったのだ。
満点の星空や朝焼け、夕焼けにも喩えられたその石は、それぞれの色が濁ることなく、きめ細やかな色の帯や螺旋を織り、かと思えば別の場所では、可愛らしいマーブル模様になっているものもあり――宝箱の名そのままに、きらきらしく土の箱の中に敷き詰められていた。
「――その日から、常とは異なる商会の人間が我が家を訪れるようになりました。入れ替わり立ち替わり、それこそ朝から晩まで――誰も彼もが、一生で、見たこともないほどの金を持って」
国内外を問わず、上流階層の人間を相手に商売をしていた商会や工房は、こぞってその特別な花蜜石を買い求めた。そうして何をせずとも増えていく金の詰まった袋に、フィオレロの両親の瞳は鮮やかな花々の色を忘れ、黄金の色に染まっていった。
何代にも渡り、その時代ごとの当主や働き手たちによって大切に守られてきた花畑は、わずか一年余りでフィオレロの父によってすべて潰された。
エスタシオン家はもともと、エクラン近くに代々の土地を持つ花農家だった。都市が広がるに連れ一部は街中に組み込まれたが、一面に広がる花畑は王都の人々をも惹きつけ、春夏秋冬の花を楽しめる行楽地ともなっていた。特に花をつける高木が満開の時期は、人々は身分に関係なく、こぞって花見に繰り出していた。
それでも歴代の当主たちは地道に、しかし堅実に、家と本分を守ってきていた。特にエスタシオンは品種改良に秀でた才や知識を持つ一族で、旅をして原種を持ち帰って観賞用に改良したり、逆に絶えそうな種を何度も交配させて強い個体に代替わりさせたりと、学者気質な一族でもあった。
その功績は時を経て、学術的にも社会的にも認められるようになり、見た目にも珍かな花々は王家をはじめ富裕階層の目に留まり、彼らの家屋敷や折々の行事を彩るようになった。
「――聞いたことがあります。王宮に飾られる花は貴婦人のドレスのように花びらが折り重なって、大振りでとても華やかなのだとか。色彩も豊かでみずみずしく、花弁の内側にはあふれんばかりの花蜜を湛えると……」
「そうです。花蜜はあくまでも副産物であったのですが、研究や経営の土台になってくれていたと思います。何よりこの国の風土に培われてきた先祖代々の想いが、私たちの心に生まれながらに引き継がれていたのでしょう」
古来より「精霊の幸う国」と謳われてきた、クローマチェスト王国。
万物に宿るとされる精霊が繁栄するほどに、自然豊かで恵まれた土地であるという謳い名であったが、それが顕著に示されるのが〝花蜜〟の存在だった。
花蜜は名のとおり、多くは花や植物から採取されるとろみを帯びた液体だ。(野菜や果実に含まれるものもあるが、大抵はそのまま調理に利用され、食べられてしまう。)
無色透明なものから花の色に準ずるものまで様々で、蜂蜜と同様に食用はもちろん、香水や化粧品、石けん、薬、染め物、またエレノアが愛用するインクのような画材など、さまざまな形に加工され、生活に根ざしたあらゆる場面で使用されている。
また微量に魔力を帯びるものもあり、そういったものは、古来よりの魔法や錬金術の触媒としても重宝されてきた。その結果、燃料として扱えるものが生み出され、今ではランプや街灯などの照明やストーブや暖炉などの暖房器具、逆に冷蔵施設など――いわば工業製品といえるものにまで応用が利くようになった。
植物の生育に左右される部分もあるため産出量は不安定ではあったが、長年クローマチェストの生活を支え、発展に不可欠であったその花蜜を授けてくれるのが、国に棲む数多の精霊たちだと言い伝えられている。
その花蜜の中でごく稀に、つぼみの中で結晶化するものがあって、これを花蜜石という。
こちらはいまだ形成過程も解明されておらず、大半は希少価値の高い宝飾品として扱われる。エレノアのブローチのように夫婦が大切な節目の贈り物にしたり、恋人が婚姻の誓いに指輪を贈り合ったりするが、そういうものは自ら採取しようと尽力する者も多い。それは一種のジンクスのようなもので、誓いを立てた花から花蜜石が生まれれば、その結婚は精霊たちに祝福された、幸せなものになるのだという。
ただ中には高い魔力を帯びているものもあり、そういうものは取り扱いが非常に難しい。それらは専門の商会や工房を経て杖や魔道具に加工され、魔法使い垂涎の品となって高値で販売されたり、国が買い上げ、大型の公共施設や乗り物の動力源として使用されたりと、特殊な用途に回されている。
いずれにしても、クローマチェスト人は精霊の営みとともに生き、死んでいく。それが自然の流れとして、そこに生きる人々に脈々と受け継がれていた。
ヴァイスの肩に座り、カップを傾けていたクロシェットがうなずく。
「あなたたち人間って、不思議よね。精霊はみんな自由なのに、人間はなんにでも意味を持たせて、自分たちを縛りたがるの。でも、そういう生き方って素敵よ。そのおかげであたしみたいに物や道具から生まれて、その人の人生そのものに宿る精霊もいる。そういう人間を、あなたたちは〝精霊の祝い子〟と呼ぶけれど、あなたの恋人もきっと、自分を縛る何かを心から愛していたのね」
「人生に宿る……。そうですね。たしかに、素敵な存在です。……レコンフォール様の仰るとおり、リリアンには花の精霊が宿っています。そうですか……よかった。リリアンは王都を離れるとき、自宅の花壇を最後まで心配していましたから……もしかしたら、私が引き離してしまったかもしれないと思っていました。教えてくださってありがとうございます。なんと申しますか……少し、ほっとしました」
そう答えるフィオレロは、嬉しいような寂しいような、不思議な感情を眉や口元に刻んでいた。
「……私がリリアンに惹かれたのは、きっと彼女の人生の中に、かつての私が愛して志した、花の存在があったからです。エスタシオンは変わってしまった。金が父と母の心を狂わせ、金で買った権力がその振る舞いを変えてしまった。――あんな連中と関係を持つようになるなんて」
「……花蜜石だな。もう何年も前だが、俺が王都にいた頃は、まだ街中に花畑が広がっていたが……」
「はい。あんなものが見つからなければ――!」
奥歯を噛み、机の上で両手をきつく握りしめるフィオレロに、エレノアはずいぶん前の新聞記事を思い出していた。
――花蜜石の鉱脈、王都の街中で発見。
そんな見出しではなかっただろうか。
クローマチェストにおいて花蜜を生み出す花農家は、その存在価値を高く評価され、位階さえないが周知の地位はある。特にエスタシオン家が育てる花は、それは豊富な花蜜を生み出していた。年間の産出量でいえばどのくらいだったのだろうか。決して少なくない量が国に流通していたはずだ。
ただそれだけの量を出荷していても、花のできばえによってはなお採取が間に合わず、そのまま地面にこぼれ落ちてしまうほどだったという。それが土の栄養となり、いっそう美しい花を咲かせていたのではないかと考えられていたが、何世代もの間、いったいどれだけの花蜜が重なっていたのか――。
「発見は、本当に偶然だったのです」
もう五年も前の話になる。その年の冬、街中に組み込まれたエリアに遊歩道と小さな広場が設けられることになった。もっと行楽がしやすくなるための環境整備を、と街や地区の住人から声が上がったのだ。
一部の畑を潰してしまうことになるので、現当主であるフィオレロの父は始めこそ反対していたが、最終的には「形は違えど、花を愛でる心は同じ」と納得し、作業用の通路を活かし、畑の縮小を最小限にすることで合意した。
しかし――その工事が始まってすぐ、地中深くから大量の花蜜石が発掘されたのだ。
畝に沿って巨大なインゴットのようになっているもの、花から滴り落ちたままに塊になっているもの、それらが砕け削られたのか、河原の石のように丸みを帯びたもの、さらにどれだけの時を経たのか、さざれとなってしまっているもの――とにかく大小の花蜜石が次々と掘り出され、王都は一時その話題で持ちきりになった。
何より人々の興味をそそったのは、その色だ。
採取された花蜜石は通常のものと異なり、そのすべてが虹のように色が重なり合う、誰も見たことがないほどに幻想的なものであったのだ。
満点の星空や朝焼け、夕焼けにも喩えられたその石は、それぞれの色が濁ることなく、きめ細やかな色の帯や螺旋を織り、かと思えば別の場所では、可愛らしいマーブル模様になっているものもあり――宝箱の名そのままに、きらきらしく土の箱の中に敷き詰められていた。
「――その日から、常とは異なる商会の人間が我が家を訪れるようになりました。入れ替わり立ち替わり、それこそ朝から晩まで――誰も彼もが、一生で、見たこともないほどの金を持って」
国内外を問わず、上流階層の人間を相手に商売をしていた商会や工房は、こぞってその特別な花蜜石を買い求めた。そうして何をせずとも増えていく金の詰まった袋に、フィオレロの両親の瞳は鮮やかな花々の色を忘れ、黄金の色に染まっていった。
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