【第一部完結】精霊の幸う国の古城管理人

橘佐和

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第3章 城に棲まうもの

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 代々の家令の執務室は、使用人たちの居住棟にほど近い城内にあった。様々な書類を管理する資料室を兼ね、同じ廊下の奥には図書室がある。
 その廊下を小走りに行くと、ちょうど二人のメイドが執務室の扉をノックしようとしているところだった。エレノアはぱっとスカートをはなし、呼吸を整えて二人に声をかける。
「クラヴィス、ナーデル。何かありましたか」
「エレノア様。――はい、ちょうど今、お訪ねするところでした」
二人は城の使用人であるとともに、メリッサと同じく年の近い友人のような存在でもあった。そのおかげか、些細なことでも城内で起きた問題を上げてくれるので、エレノアやヘンドリックも対応しやすい。
 室内に招き入れ、エレノアが椅子に座るとまずクラヴィスが口を開いた。
「――非常に申し上げにくいのですが、この数日間で、ヴァイス様のお部屋が見るに耐えない状態になっておりまして。片付けても片付けても、目を離した瞬間にはそこに何かしらの物が置かれているという始末。ご本人も一度、寝不足のままお風呂に入り、ベッドに辿り着かずバスタブに沈みかけておりました。あの方、絵を描き始めると画材だけを綺麗に身の回りに置いて、他の一切をないものにしてしまうのです。挙げ句の果てに『あんたが専属で俺の部屋の片付けをしてくれ』と――いえ、それは別によろしいんですけど、とにかく今時あんなに生活能力のない男など――いいですか、エレノア様。絶対にいけませんからね」
「なんの話ですか……?」
「あの~、私の方もヴァイス様からお言い付けされたのですが……これ、見てください」
次にナーデルが取り出したのは、エレノアにも見覚えがある何着かの洋服だった。
「それはフィオレロ様の――」
「はい……あの~、一応フィオレロ様とお二人でいらしたのですが、フィオレロ様のお洋服とヴァイス様のお洋服の何着かを交換するので、丈幅を直せるだけ直してほしいと……。でも、本当によろしいのでしょうか……。こう言ってはなんですが、あまりに……交換のレートが違いすぎるのではと……。フィオレロ様は、お洋服にはまったく頓着とんちゃくなさらない方のようですし、騙されてやしないかと~……」
「……」
あの人は一体なにをしているのだろう、とエレノアは額に指を当ててうなだれる。だが――。
(……やっぱり情報を扱うだけあって、人を見る目はおありなのかしら)
 クラヴィスはお小言は多いが、逆にいえば目端が利く。客人の荷物も触れていいもの悪いものを見分け、またそこで目にしたもの、聞いたこと――特に直接的に客人の不利益になるようなことは、仲間内の噂話程度であっても絶対に口にしない。
 一方、ナーデルは城に在る女たちの中で、ずば抜けて手芸の技量がある。縫い物、編み物、織物、刺繍、材料さえ与えれば大抵何でもこなしてしまう。おっとりしているが記憶力も抜群で、一度創ればレシピも大抵覚えてしまうらしく、毎年秋口からは、冬に備えて集中的にその作業に回ってもらうことになる。
 ヴァイスは二人の才を、的確に見抜いている。
 エレノアは顔を上げると、二人を交互に見つつ、当座の指示を出した。
「――わかりました。ヴァイス様には一度、わたくしの方からお話しさせていただきます。あまり効果は期待できなさそうだけど。お洋服の方は、そうね――たしかに今のままでは目立ちすぎてしまうでしょうし、ご出立までにはなんとかしましょう。お預かりしたものは、とりあえずそのままで」
「エレノア様、あの方、もしかして城に居着くおつもりなのでは?」
「どうかしら……。お話ししたところ、パトロンがいらっしゃるようですし、出資に関しては制約もあるようですから」
「パトロンですか――たしかに、絵は素晴らしいのでしょうけど。当世でお名前を聞かないところをみると、亡くなった後に評価されるタイプの画家様なのでしょうかね」
「それは――ひどい言われようね」
エレノアは苦笑するが、そういう分野や人間は少なくないのだろうと思う。しかし、もしも――もしもあの精霊の宿る絵を描き上げることができたなら、どうだろう。果たして、人生すべての時間をかけても完成するかどうか……怪しいテーマだが、たとえ未完成であったとしても、挑み続けた先にはきっと称賛が待っていることだろう。
「そういえば――クラヴィス。あなたは彼の絵を見た? カンバスが三枚、立てかけられていたと思うのだけど」
「いえ。布が被せられていたので、絵自体は見ておりません。――そういえば、妄言ばかりを語り筆を動かさない画家もどきを、白カンバスだとか濡れずの筆だとかいうそうですが、彼はその点だけは評価できるかもしれませんね。問題は多いですけど」
「そうね……いつか報われるときが訪れればいいのだけれど」
 ちょうど切りの良いところを見計らったかのように、ノックの音が鳴る。
「それでは、先のように。お洋服はわたくしの方でいったん預かりますね」
「はい、よろしくお願いします~」
「――どうぞ」
エレノアが声をかけると、ヘンドリックと城勤めのコック、ウィシュカが扉を開けて入ってくる。クラヴィスたちはヘンドリックに一礼し、入れ替わりに退出していった。
「何かございましたか」
ヘンドリックもそれを見送り、エレノアに向き合う。
「ええ、少しヴァイス様のお話を。生活が乱れているようですので――ウィシュカにもいろいろと心を砕いてもらって、ありがとうございます」
「いえ、とんでもない――早朝から深夜まで、時間を問わず腹が減ったとエレノア様をたたき起こしていたのでは、どうしようもありませんから。しかしあのくらいの奔放さがなければ、画家など務まらんのかもしれませんな。ですが芸術は料理にも通ずる――言うなれば、画家は紙に、コックは皿に華を描くもの。似た者同士、手がかかるのはまあ良しとしましょう」
大きな腹を揺らしながら、ウィシュカは笑う。絵に集中している間のヴァイスの食事は本当に気まぐれで、それこそ腹が満たされればいいという有り様だった。それでもやはりある程度はきちんとした食事を摂ってもらおうと、折りを見てサンドイッチやフルーツ、冷製スープや菓子などを届けてもらっていたのだ。温かいものは、いつ食べるかしれないので向かなかった。
 余分な手間だが、城の食を一手に担うウィシュカはそれでも常とは異なる客人に、自慢の料理を振る舞うことができるのを喜んでいるようだった。
「それで、こちらが本日のお客様のディナーメニューになります。いかがでしょう」
「ありがとう、確認しますね。そういえば、リリアン様がお食事やお菓子をとても気に入ってくださっていましたよ――まるで宝石のようだと。今日のお茶のお菓子も、楽しそうに召し上がっておいででした。夏には良い風情のお菓子でしたね」
「ああ、それはなんとも嬉しいお言葉。やはりこれがあるから、料理人は辞められませんなあ。メイドたちにせっつかれながら作った甲斐がありました」
エレノアはリストを見ながら、考えを巡らす。食材の在庫を考えれば追加の発注が必要になりそうだが、予算もなんとかなるだろう。ただ問題があるとすれば、エスタシオン家から正式な訴えがあった場合だ。普段とは異なる仕入れを行っていることは、間違いなく詰められるだろう。
「――メニューはこちらで大丈夫でしょう。リリアン様も回復なさってきたし――ああ、でもフィオレロ様はこのところ、日中は庭仕事に出ておいでなのよね。暑さで体力も使うでしょうし、何かリリアン様にお気を遣わせず、ご精がつくように余分に召し上がれるようなものをお出しできたらいいのだけど」
「それでしたら少々趣向を変えて、メインの肉料理の仕上げをお部屋で行い、その場で取り分けるというのはいかがでしょう。各々、お好きなだけ召し上がっていただけるのでは。何より特別感もあり、思い出にも残るかと」
「あら、素敵ね。ご出立も近い雰囲気ですし――どうかしら、ヘンドリック」
「火の扱いだけ気をつけていただければ。あとは臭いでしょうか」
「そうか……お部屋だとベッドもあるし。でしたら、一階の小広間を開けましょうか。あそこなら風通しもいいから」
「よろしいかと。それでは、後ほどお席を整えさせておきます」
「お願いします。ではウィシュカ、お料理はお任せしますね。ヴァイス様の方も、先ほどは落ち着いていらしたようだけど、夜にはどうなっているかわからないから。一度お伺いを立ててきます」
「かしこまりました」
 そうして一通りやり取りを終えると、エレノアはふうと息をつく。それから手元にあった食材の在庫管理表をぱらぱらと開きながら、残ったヘンドリックを見上げた。
「やはり、仕入れまではごまかせませんよね……万が一のときを考えると。城の維持費のほとんどは王家から頂戴しているもの、間違っても改ざんなど許されないし、今のご時世で分割払いを申し出れば、トルテュフォレどころか王家の財政を疑われかねない。王家の名誉を傷つけるわけにはいかないですもの」
「公の場では提出を求められるかもしれません。そのことと諸々の件も含め、一つご提案が」
「提案?」
管理表を置くと、ヘンドリックは静かに頷き話し始めた。
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