【第一部完結】精霊の幸う国の古城管理人

橘佐和

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第4章 残してきたもの

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 そうしてなかば強引に話がまとめられ、フィオレロの部屋を後にしたエレノアとヴァイスは、城の中庭に降りていた。
 石畳に覆われた中庭は中央に円形の噴水があり、その周りを花壇が囲っている。それ以外はガーデンパーティーなどを催せるよう開けた造りになっていたが、隅にはいつの時代に根付いたのか、石畳を破って黄葉樹がねじれながら空に向かって伸びており、整然としたものと自然のものが一体となって、趣のある空間を創り出していた。
 空気は城内よりは暑いが、水と建物の日陰があることでずいぶん涼しく感じられる。夕に入る前の、けだるい時間をやり過ごすには良い場所だった。
「――まったく、突然あんな話になるなんて。予想もしておりませんでした」
「お互い様だろう。いや、女は怖い」
「リリアン様に失礼ですわよ」
二人はそぞろに歩きながら、言葉を交わす。
「そんなことより――あんた、金を動かしたと言っていたが、大丈夫なのか。それこそ帳簿にどう書くんだ」
「他人様の台所事情に口出しなさるとは、品がない――でも正直、今回の一件に関しては多少の出費もやむなしと思っております」
「いいのか? ここは王家の出資だろう」
「一部は領主様や街の方の善意で。それから王家にお許しを得て、少数、城の客間と小広間を一般に開放して、宿泊やお食事にご利用できるようにはしておりますけど――こちらは決してお安くはないので、街の方がプロポーズや特別な記念日などでご利用になるくらいでしょうか。ですので割合的には十割に近いくらい、王家から予算を頂戴して、その中でやりくりいたしておりますが」
「まあ自由采配なんだろうが、万が一にでも監査が入ったらどうするんだ」
 エレノアはため息をつき、直線で区切られた空を仰ぐ。
「私費です」
「……は?」
「王家からいただいている予算は、王家のもの。食材などの仕入れは提携している商会や大店おおだながありますので、そちらと齟齬が出ないよう帳簿に記すしかありませんが、今回動かしたのはわたくしの個人的な財産です。祖父たちから継いだものもありますし、多少の蓄えもありましたので。今回はあくまでも、個人間のやり取りといたしました。ですので、お咎めはありませんかと」
「お前――」
ヴァイスはそれ以上を言葉に出せず、信じられないといった面持ちでエレノアを見つめ――
「ちょっと来い」
「え? ちょっと、なんですか!」
むりやり腕を引っ張ると、人目を忍ぶように黄葉樹の影に滑り込んだ。そして声を潜めながらも、エレノアを怒鳴りつける。
「馬鹿かお前――いや、馬鹿正直にもほどがある! こういっちゃなんだが、二人はいわばお尋ね者だぞ。しかも相手は権力の使い方をわかってない成金貴族だ、面倒ごとは絶対起きる。そこでお前が全部ひっかぶる義理がどこにある。金くらい受け取れ、帳簿なんか適当に書き換えろ、どこだってそのくらいやってるだろ!」
「そ、そんなことできるわけないでしょう! さっきも申し上げたとおり、王家からいただいているお金は王家のお金。それはつまり、民からいただいているお金でもあるんです。そうでしょう? 宿泊費やお食事代だって、一回で街の人たちの数ヶ月分のお給料です。皆さん、特別な日や大切な方のために一生懸命働いて、貯めてきてくださるんですよ。不正を働いて使えるものではありません!」
「それは――、だがそれならなおさら、二人からも金を取るべきだ。フィオレロのベルト一本で、すべてまかなえる」
「それもだめです。あのお二人にはこれから絶対にお金が必要になります。そのときどれほど憎らしくても、あの花蜜石ネクターストーン一粒に救われるときが必ず来ます。その日のために、残しておくべきです」
「だから――なぜそこまで二人に肩入れするんだ! 情を移しすぎだ!」
「……」
エレノアは目をそらし、呟く。
「そうでしょうか」
「……他になにがある」
「……先程……フィオレロ様は何も仰いませんでしたが、それこそ……〝黒き精霊のえやみ〟以降、それまで当然のようにあった花蜜ネクターの価値が再考され、をスローガンに国を建て直したと、クローマチェスト人ならば一度は学ぶはずです。……エスタシオン家はその一端を少なからず担ってきたのですから、そのご子息がお家の立て直しを図るのならば、いずれは国のためになるのじゃないでしょうか」
「――国のため?」
「あなたが何者かは存じ上げません。けれども、トルテュフォレに害をなす者ではないということは、王家にも害を及ぼす存在でもないのでしょう。フェイリム殿下のこともご存じのようですし。ですから申し上げています。――エスタシオン家の件以降、今だって花蜜の価格は下がりはしないでしょう。原材料として生活必需品にも多く含まれていたため、物価も全体的に上がってしまいましたし、これを快く思う民はいないでしょう。それが政変が起きかけた一因でもあるはずです。でももしも――この先フェイリム殿下が王位に就かれるのでしたら、時間はかかるかもしれないけれど、フィオレロ様のなそうとしていることは必ずフェイリム殿下の助けになります。たとえ双方、ご本人が預かり知らないことであっても」
「だから――それを、なぜお前がわざわざ行うんだ」
「なぜと申されましても、レコンフォール家は代々この地で、王家にお仕えしてきた一族です。報われることはなくとも報いよと、わたくしはずっとそれを祖父から言い聞かされてまいりました。それがレコンフォール家の家令としての在り方だと。そこに偶然、お二人が辿り着いた。それだけです。――それに、なにより」
「……」
「王家が安定すれば、トルテュフォレだって今のまま、変わらずこの地に在り続けることができる。……この城はわたくしに取っては家であり、大切な家族との思い出の場所です。家族を喪ってからは、今の使用人たちが。だからどんな形になっても、この城だけは絶対に守り通す――この城とここにいる人たちこそがわたくしの財産であり、わたくしのすべてなのですから……!」
 最後だけはまっすぐヴァイスを睨み上げて声を上げれば、ヴァイスはつかんでいたエレノアの腕を放し、表情を緩めた。そして壁に寄りかかると、呆れたように、わざとらしく長く息を吐く。
「あんた――意外にしたたかだな」
「すべてが上手くいってから聞きたかったお言葉です。今はまだ気が気じゃありません――。わたくしはまだ未熟で、この件も結局、すべての手筈を整えてくれたのはヘンドリックですし。それでも出来うる限りのラインをわたくしなりに必死で考えてみたのですけれど……やはり、危なっかしく見えるのでしょうね……」 
「危ないなんてもんじゃない、崖っぷちでダンスだ。にしても……なんであんたみたいな人間が、こんな地方にいるんだろうな。中央にいたら、いい文官になったかもしれないのに」
「あら、スカウトでしょうか。もう画家のふりはおやめになるのですか?」
「……俺は画家だ」
「……そうですね。生半可なお気持ちでは、挑めないものに挑んでいらっしゃるのだし。でも、普通、画家様はこんな話をなさらないと思うのです。お二人を送り届けてくださるというのも」
「いや。そっちは画家としてだ」
「はい?」
今度は、ヴァイスの方が気まずそうに視線を遠くへ動かす。
「二人が最後、どう落ち着くのか――見たかっただけだ。あの白いカンバスのために」
「ああ……まだ手つかずと仰っていた。あれは、たしか」
「口にもしたくない」
「……忘れられない、恋?」
言ってから、エレノアも少し気恥ずかしくなる。「絵を見た人間が、己の人生を想い起こすような絵」のテーマとしてそれを挙げた彼のパトロンは、ひどくロマンチストな人物のようだ。それとも本人に、もう一度深く思い返したい恋があったのだろうか。
 エレノアも声を潜め、ヴァイスに問う。
「もしかして……フィオレロ様とリリアン様をお描きになるのですか?」
「あいにく俺は、リリアンに出逢う前のフィオレロと同じで、絵のことしか考えてこなかった。だからそっち方面には今までほとんど興味がなくてな……。自分以外にそれを見出みいだすしかない」
「じゃあ、フィオレロ様のお話を聞いたあとに人が変わったように絵に向かっていたのも、リリアン様に世話を焼いていたのも、そういう――」
「仕方ないだろう。少しずつ理解するしかない」
「理解って」
恋とはそういうものだっただろうか。しかしヴァイスの意外な弱点を見つけたエレノアは、含み笑いをしながら黄葉樹に寄りかかり、ヴァイスに向き合う。
「でも、そうですか――クロシェット様が恋の話を聞きたがるのは、そういうことだったのですね」
「言うな。笑うな。聞きたくない」
「頭で考えすぎなのでは? お二人を描くにしても、見ていてこう……幸せそうだな、とか。ほほえましいな、とか。自然と感じるものだと思いますけど」
「…………」
ヴァイスはますます難しい顔をして、口元に手をやり考えるような素振りを見せる。そして唐突にエレノアに問うた。
「あんたは――好きな男はいるのか? 婚約者とか」
「……あいにく、おりませんけど」
「だが街の学校にも通っていたんだろう。そういう相手だって、一人や二人いただろう」
「わたくしは勉学に通っていたのであって、そのようなことは――それ以前に門限もありましたし、家令としての勉強もありましたし。イベントなどで遅くなるときは、必ずヘンドリックかリュカ様のお迎えがありましたし」
「俺と大して変わらんだろうそれは……笑いながら知ったふうに言えることか」
「……」
返す言葉もない。ヴァイスに取っての絵が、自分に取って家令の勉強であっただけだ。そして良くいえば愛されて、悪くいえば過保護に育てられていた。
「でも――そう、それなら恋物語とか。本なら、疑似体験はできるかもしれません」
「俺にそれを読めと?」
「理解したいのなら、なんでもお試しになってみては? 談話室に、メイドたちが集めたそういう本があったはずです」
「もう見た。俺が絵を描いている間、クロシェットが部屋に持ち込んで読んでいたからな。無理だ、花蜜のゼリーの中で溺死させられるくらいの苦痛だった。脳が砂糖漬けにでもされたやつが書いたのかアレは」
「そんな大げさな……」
自分はときめくものがあったのだが、やはり男性と女性では感じ方が異なるのだろうか。普遍的な物語なら、また違ってくるのかもしれないが――。
 どうしたものかと二人で首をかしげ唸ったところで、中庭の向こうからエレノアを捜すメリッサの声が聞こえてきて、その話はいったん終了になった。
「――って、どうしてお二人でそんな隅っこの物陰から出てくるのですか!? まさかエレノア様、この男に何かいかがわしいことなどされておりませんよね!?」
「ま、待ちなさいメリッサ……ここは声が響くから……! 何もないから……!」
「ずいぶんと冷たい物言いだな、あんなに熱く語り合ったのに」
「面白がって誤解を招くような変な言い方をしないでください!」
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