【第一部完結】精霊の幸う国の古城管理人

橘佐和

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第4章 残してきたもの

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 リリアンがそこまでを話し終えると、ヴァイスが気まずそうに小声で囁いた。
「おい……なんであんたまで泣いてるんだ」
「えっ、あ」
エレノアは慌ててハンカチを取り出し、目元を押さえる。
「申し訳ありません――お話を伺いながら、その銀貨を見てしまったら、つい」
「いえ――エレノア様も、おかみさんと同じで本当にお優しい方なのだと思います。それにあの嵐の夜も――エレノア様もあのときの旦那様のように、私を想って私に語りかけてくださったから。それを思い出して、私、すごく安心したんです」
「リリアン様――」
「だからこのペタペタの銀貨は、もしかしたら、優しい人とつながれるお守りなのかもしれません」
リリアンは古びた銀貨を手のひらに乗せ、愛おしそうに見つめる。その言葉が嬉しくて、エレノアはまた涙を浮かべた。
 幼いながら、その手の銀貨に銀貨以上の価値を見出し、それを手元に残そうとしたリリアンの強さとひたむきさに、きっと花の精霊も応えてくれたのだろう。彼女が〝精霊の祝い子〟となるには、それだけの過去があったのだ。
「――その後も、旦那様とおかみさんは何かと私を気遣ってくれて。家まで来て家事を教えてくれたり、花壇やプランターの世話を手伝ってくれたり……私もお花と花蜜の採取だけなら、ゆっくり落ち着いてやれば何とかこなせたので、十歳くらいまではそのまま買い取ってもらっていたんです。おかげで、貧しいながらもなんとか食いつなぐくらいの収入も得ることができました」
「あんたは……立派だな。二十まで家でのうのうと生きてた俺とは大違いだ」
「ヴァイス様は今おいくつですか?」
「今年の冬で二十五だ」
「ご両親がいるなら、一番近くで一緒に過ごす時間は大切です。その時間はどうしたって限られているもの。幸せは、得ることができるなら得てしまった方が、後悔もないのですから」
「……フィオレロがあんたに惚れたわけがわかった気がするよ」
ヴァイスは優しく笑い、続ける。
「けどフィオレロと出会ってからは、店の主人もおかみさんも、応援してくれたんだろう?」
「はい。……フィオはもうその頃は毎日のように旧市街に出てきていましたし、不思議なほど、街の人とも馴染んでいました」

   ・◆・◆・◆・

「ああ――綺麗だ」
 初めてリリアンの家を訪ねたフィオレロは、真っ先に花壇に向かってそう感嘆した。
「すごく大切にされてるのがわかるよ。幸せだね」
「姉ちゃん、ほんとにこの兄ちゃんでいいの? この兄ちゃん、花に話しかけてるよ」
「ひどいな。花だって、人の言葉がわかるんだよ」
その会話を聞いていたリリアンは声を上げて笑い、フィオレロに同調する。リリアンのボディガードにと店のおかみさんから派遣されてきていた少年は、唇を尖らせてぼやいた。
「お邪魔虫かよ」
「そんなことないよ。手伝ってくれるんだろ?」
「うん。でも俺、花壇とかわかんないよ。畑仕事ならちょっとだけ手伝ったことあるけど」
「十分だよ。ああでもそれなら、鉢植えで育てられる野菜とか果物、教えてあげようか。甘くできるコツとか」
「食えるの!? そっちがいい!」
そうしてフィオレロが来たときは、自然と植物や農業に興味を持った子供たちが集まり、リリアンの花壇や、噂を聞いた旧市街の教会から提供された菜園での野外学校が開かれた。
「えーっ、そんなに葉っぱ取っちゃって大丈夫なのかよ」
「枯れちゃわない?」
「こうすると、この一番太い茎に栄養が全部いくから、その下の実がすごく大きくなるんだよ」
「ほんとかよー」
「そうだなあ、じゃあみんなで実験してみようか? こっちのうねは葉っぱを切って、こっちの畝は葉っぱを残す。それで収穫のときに見てみよう。三ヶ月くらいかなあ」
 子供たちに囲まれるフィオレロの隣で、リリアンもまたエスタシオン家で培われた肥料のレシピや土の配合を学んだり、剪定や芽かきなど、より良い花を咲かせるための技を教わった。
 フィオレロの昔なじみの中には、その噂話を聞いてフィオレロと和解し、手助けしてくれる人間も現れた。古くなった農具や植え付け時期の苗を提供してくれたり、自ら旧市街に赴いて、子供たちに様々な手ほどきをしてくれたり。彼らは心から、それを喜んでくれているようだった。
 年が明け、再び訪れた春の終わり頃には、教会の菜園で芋や葉野菜が収穫できた。フィオレロは収穫の方法を子供たちに教え、彼らと同じように、土だらけになりながら採れた野菜の大きさを競っていた。そしてその野菜を使って料理をし、実際に味わう収穫祭を行うのが、その日一番の皆の楽しみだった。
「あれが本当の、エスタシオン家の一人息子の姿なんだねえ。笑っちゃうよ、泥まみれになって子供みたいに喜んで。あんな立派な服着てさ、馬鹿だねぇ。――リリアン、あれはいい男だよ。逃がすんじゃないよ」
「おかみさん……」
調理を手伝いに来てくれたおかみさんも、いつの間にかフィオレロを認め、リリアンの背を押してくれた。
 ――楽しかった。楽しくて、幸せだった。

「……楽しかったです、本当に。その……フィオは貴族で、私は旧市街地に住む孤児の花売りだったけど。もしかしたら、本当に一緒になれるんじゃないかって。子供たちに囲まれて遊んでるフィオを見て、家族って、こんななのかな……って、夢見たりして。……フィオが同じ気持ちでいてくれたことを知ったときは……天にも昇る思いで、嬉しくて嬉しくて」
一番楽しい時間だったかもしれない、とリリアンは寂しそうに語る。
 あの荒くれ者たちが来るまでは――。
「……多分、フィオの様子が変わったことに、フィオのご両親も気付いたのだと思います。そしてフィオが私と――旧市街の貧しい、孤児の女と会っていると知ると、激怒してフィオをなじり、お屋敷から出られなくしてしまって」
「それほどまで……」
引き裂かれてしまった若い恋人たちはもちろん、それを後押ししてきた周囲の心優しい人々の心痛も、憤りも、今のエレノアには理解できる。もしも顔を合わせることがあったならば、共有さえできただろう。
 しかしリリアンは痛々しく笑い、言葉を続ける。
「仕方ないんです。その頃、フィオにはいい縁談がまとまりかけていたそうで」
「本人が了承してりゃいいんだろうが……そうでもなさそうだしな。しかし、となるとあんたの方も大変だったろう」
「……はい。あの人たち、私の家やお店にまで来て――最後の方は、もうめちゃくちゃでした。私への嫌がらせのために、仲良くしていたご近所の方や、旦那様やおかみさんにもご迷惑をおかけして――。それでもみんな、絶対に私たちを責めなかった。それどころかかばってくれさえした。フィオの方も、お屋敷から出してもらえなかったけど、和解した友達がみんな協力的で――何度か手紙や言伝ことづてをやり取りすることができたんです。そこでお互いの事情を知った私たちは――王都を離れることを、決意しました」
 もう誰にも迷惑をかけないよう、誰にも行き先は告げず。ただ出奔の決意と今までの謝罪を書き置きして、いくらかのお金を包み、その包みだけは店やお世話になったご近所さんのポストに直接投函した。フィオレロもまた、同じように書き置きだけを残して。脱出の手引きをしてくれた友人には、リリアンの家や花壇、店や子供たちのことだけを頼んで、家や両親については何も言い残さなかった。
「あとは、ただ追っ手から逃げるように旅をして――」
「この城に辿り着いたってわけか」
「はい。……エスタシオン家であの鉱脈が発見されてからは、もう五年ほどになると思います。でもいまだにフィオの中では、私のことも含め、終わっていない出来事で……フィオに知られると、フィオはまたきっと、自分のせいだって自分を責めるから。なるべく内緒で、旦那様たちに無事を伝えるお手紙を出せたらと思いまして……。それと、できればこれを――旦那様とおかみさんに、受け取ってもらいたくて」
言いながら、リリアンはそっと薄羽ドラゴンの鱗をテーブルの上で滑らす。
「健康のお守りと称されたそれを、両親同然のお二人にお贈りになりたいと……そういうことですね」
「はい。遠くにいても、旦那様たちにはずっと元気でいてほしいから……。ただ、もしまだ家や店を見張られていたらと思うと、どうしたらいいか……私たちの居場所を突き止めるのに、郵便物が荒らされたりしていないか心配で。何か、お知恵を借りられればと……」
「……そうですね」
エレノアは少し思案する。絶対に荒らされることなく手紙や小包を届ける方法は、あるにはある。一部の特権を持つ者だけが使える方法で、王家への書簡もそれで送ることになっている。
 しかし万が一、店の方に見張りがいるとしたら、トルテュフォレの関与が直接的にエスタシオン家に露見してしまうかもしれない。あの荒くれ者たちがここに訪れていることと、簡単に結びつけられてしまうだろう。
 なんとか彼女の意を汲んであげたい。しかし、不安要素はできる限り排除したい。
「……少し特殊なやり方になるのですが、方法自体はあるので、少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか? その間にリリアン様にはお手紙を書いていただいて、後ほどわたくしがそちらをお預かりし、専用の封筒にてお手続きいたします」
「本当ですか!? 嬉しい……! 何から何までお世話をかけてしまって――本当に、ありがとうございます」
「いえ――リリアン様のそのお優しい心を、無碍むげにはできませんもの。そのお心に沿うよう、必ずやご対応させていただきます」
「……」
喜ぶリリアンに反し、隣からヴァイスが訝しげな視線を送ってくる。どう対処したらいいか、まだ迷っている心の内を見透かされているようで、エレノアは少し気まずかった。
 エレノアが目を逸らすと、ヴァイスはややあって口を開く。
「――その手紙の件、少し俺にも噛ませてくれないか」
「え?」
「まあ任せておけ。俺の方が多分ぎりぎりまで準備に時間がかかるから、リリアンは言われたとおりに手紙を書けばいい。俺の準備が終わったら、エレノア、あんたはその手続きを進めてくれ」
「一体、何をなさるおつもりなのですか?」
「そのときになってからのお楽しみだ」
自信ありげに笑うヴァイスの顔は、悪さを企む子供のようにも見えた。だが明らかに、助け船を出してくれている。
「……よろしいのでしょうか」
「ああ。お前はお前で、書く手紙があるだろう。さっさと書け」
送り先を知っていながら、それがまるで大したことのないように言われて、エレノアはますますヴァイスのことがわからなくなる。ただ今までの一連の流れを想えば――最初にクロシェットが言っていたとおり、悪い人間でないことだけは、理解できたような気がした。
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