74 / 251
第2章
開戦の砂塵
決闘の場となる王宮闘技場は、すでに大勢の観客で埋め尽くされ、異様な熱気に包まれていた。
貴族同士が公の場で、しかも王の御前で決闘を行うなど、そう何度も見られるものではない。
ましてや一方は新興勢力の旗手であるハルトマン家、もう一方は歴史ある上位貴族のバンガルド家だ。
この前代未聞の対決は、またたく間に国中の話題となり、貴族だけでなく特権を持つ富裕層までもがこぞって押し寄せていた。
エリアスが案内されたのは、闘技場を見下ろす最上階の貴賓室だった。
「賭けの対象」であり、この騒動の中心人物であるエリアスの安全を確保するためだろう。そこは王族専用の観覧エリアのすぐそばだった。
エリアスが顔を知っているのは、昨日お会いしたアルシード第一王子と、その奥に座る国王陛下と王妃殿下だけだが、他にも要人と思われる人々が並んでいる。
エリアスは彼らから少し離された、しかし闘技場全体が最もよく見える場所に用意された席へと通された。
(あそこで……ヴォルフが戦うのか)
ガラス張りの窓の下には、円形の闘技場が広がっている。
乾いた白い砂が敷き詰められたその場所で、愛する夫が血を流すかもしれない。
想像するだけで胸が締め付けられ、泣き出しそうになる。
エリアスが席に着いたのは最後だったため、座るや否や、すぐに決闘の儀の開始を告げるファンファーレが鳴り響いた。
「両者、入場!」
重々しい鉄柵が上がり、二つのゲートからそれぞれ人物が現れる。
東のゲートからは、上質なベルベットの服に身を包んだバンガルド卿。
彼は戦う気など毛頭なく、あくまで代理人を戦わせる指揮官として、余裕綽々の笑みを浮かべて手を振っている。
そして、西のゲートからは。
「……っ!」
エリアスの心臓が大きく跳ねた。
現れたのは、全身を鈍色の鎧で固めた騎士姿の男。
顔は兜で覆われているが、その長身と、堂々とした立ち姿を見間違えるはずがない。
ヴォルフだ。
久しぶりに見る愛しい夫の姿に、エリアスの胸が熱くなる。
しかし、闘技場の構造上、下からこの観覧室の中を見ることはできない。ヴォルフからは、エリアスの姿は見えていないはずだ。
二人が中央に進み出ると、王宮騎士団長が進み出て、高らかに誓約書を読み上げた。
「ハルトマン卿、バンガルド卿。この決闘の場においては、いかなる不正も許されない。国王陛下の御前で、正々堂々と戦うことを誓われよ!」
「誓う」
「誓います」
二人の声が響く。バンガルド卿の声には傲慢さが、ヴォルフの声には静かな闘志が滲んでいた。
続いて、決闘のルールが説明される。
「それぞれの家が三回、代表者を出して戦う。すなわち、三戦のうち二勝した家を勝者とする!」
単純明快なルールだ。
だが、それはどちらかが二回勝つまで終わらないことを意味する。
ヴォルフはいつ出てくるのか。大将として最後に控えるのだろうか。
エリアスが祈るように手を組んでいると、一回戦の準備が始まった。
「第一回戦!バンガルド家、代表者!」
バンガルド卿が顎でしゃくると、控えていた従者が下がり、奥から一人の騎士が歩み出てきた。
全身を分厚いプレートアーマーで覆い、顔も見えないフルフェイスの兜を被っている。
その体格は巨大で、歩くたびに地面が揺れるようだ。
明らかにただの兵士ではない。バンガルド家が抱える中でも選りすぐりの、熟練の騎士だと一目で分かった。
上位貴族の財力と武力を象徴するような威圧感だ。
(あんな相手と戦うなんて……)
エリアスの不安がピークに達した時だった。
「対する、ハルトマン家!代表者!」
こちらの陣営から歩み出たのは、騎士ではなかった。
先ほど誓いを立てた、あの男だった。
「え……?」
エリアスは息を呑み、思わず立ち上がりかけた。
顔まで鎧を纏っているが、その歩き方、肩のライン、全てが彼だ。
ヴォルフが、一回戦目から出てきたのだ。
「まさか……」
通常、当主は自らの身を守るため、あるいは切り札として最後まで温存するものだ。
それなのに、ヴォルフは最初から自ら戦場に立った。
相手は、身長190センチあるヴォルフと同じくらい体格の良い、歴戦の猛者だ。
一歩間違えれば、命に関わる。
(ヴォルフ……っ)
祈ること、信じることしかできないと頭では分かっている。
けれど、実際に巨大な敵と対峙する夫を目の前にすると、恐怖で視界が歪む。
エリアスは口元を両手で覆い、食い入るように窓に張り付いた。
「おおっと!ハルトマン卿は自ら剣を取るようです!当主自らの出陣だーッ!!」
実況の声が響き渡ると、観客席からはどよめきと、割れんばかりの歓声が巻き起こった。
貴族が決闘で自ら戦うという異例の事態に、会場のボルテージは最高潮に達している。
砂煙の中、ヴォルフが静かに剣を構える。
その切っ先は、迷いなく敵を見据えていた。
「始め!!」
開始の合図が、高らかに打ち鳴らされた。
あなたにおすすめの小説
借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる
水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。
「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」
過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。
ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。
孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。
運命の番は僕に振り向かない
ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。
それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。
オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。
ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。
ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。
ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。
ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。
完結しました!ありがとうございました。
人気アイドルの俺、なぜかメンバー全員に好かれてます
七瀬
BL
デビュー4年目の人気アイドルグループ「ECLIPSE(エクリプス)」に所属する芹沢 美澄(せりざわみすみ)は、昔からどこか抜けていてマイペースな性格。
歌もダンスも決して一番ではないはずなのに、なぜかファンからもメンバーからも目を離されない存在だった。
世話焼きな幼なじみ、明るく距離の近い同い年、しっかり者で面倒見のいい年上、掴みどころのない自由人、そして無言で隣にいるリーダー——。
気づけば、美澄の周りにはいつも誰かがいて、当たり前のように甘やかされていく。
売れ残りオメガの従僕なる日々
灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才)
※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!
ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。
無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。
【完結】選ばれない僕の生きる道
谷絵 ちぐり
BL
三度、婚約解消された僕。
選ばれない僕が幸せを選ぶ話。
※地名などは架空(と作者が思ってる)のものです
※設定は独自のものです
※Rシーンを追加した加筆修正版をムーンライトノベルズに掲載しています。
貧乏子爵のオメガ令息は、王子妃候補になりたくない
こたま
BL
山あいの田舎で、子爵とは名ばかりの殆ど農家な仲良し一家で育ったラリー。男オメガで貧乏子爵。このまま実家で生きていくつもりであったが。王から未婚の貴族オメガにはすべからく王子妃候補の選定のため王宮に集うようお達しが出た。行きたくないしお金も無い。辞退するよう手紙を書いたのに、近くに遠征している騎士団が帰る時、迎えに行って一緒に連れていくと連絡があった。断れないの?高貴なお嬢様にイジメられない?不安だらけのラリーを迎えに来たのは美丈夫な騎士のニールだった。
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。