75 / 251
第2章
刹那の静寂
「始め!!」
開始の号令が闘技場に響き渡った、その瞬間だった。
バンガルド家の騎士が、地面を蹴って猛然と飛び出した。
「ふんッ!!」
凄まじい速さだ。
彼は、目の前の相手が「成り上がりの商人」であると侮っているのだろう。
いくら体格が良くても、剣術の素人が相手なら、最初の挨拶代わりに一撃で沈めてやろうという驕りと自信。
それが、大振りの、しかし強烈な一撃となってヴォルフへと振り下ろされた。
「あっ……!」
エリアスは息を呑み、反射的に身を硬くして目を瞑りそうになった。
ヴォルフが切られる。
そう思った、次の瞬間だった。
ガチャンッ――……。
乾いた金属音が響き、その余韻だけが静まり返った闘技場に残った。
「え……?」
エリアスが恐る恐る目を見開くと、信じられない光景が広がっていた。
ヴォルフは傷一つ負うことなく、涼しい顔で立っていた。
そして、目の前の巨大な騎士の手からは剣が消え、地面に無様に転がっていたのだ。
何が起きたのか、素人の目には追うことさえできなかった。
騎士が振り下ろした剛剣を、ヴォルフは最小限の動きで受け流し、手首を返して弾き飛ばしたのだ。
あまりにも鮮やかな、神業のような一瞬の制圧。
「…………」
数秒の静寂の後、状況を理解した観客席から、どっと爆発するような歓声が沸き起こった。
「す、すげぇ!!」
「一撃だぞ!あの巨漢の剣を弾き飛ばした!」
「ハルトマン卿、なんて強さだ!」
バンガルド家の騎士は、痺れた手首を押さえながら、何が起きたのか分からないという顔で呆然と立ち尽くしている。
勝負あった。誰の目にも明らかだった。
エリアスは、強張らせていた身体から一気に力が抜けた。
ふうっ、と震える息を吐き出し、ガラス越しに夫の姿を見つめる。
ヴォルフは、会場の熱狂などどこ吹く風だった。
勝利をあからさまに誇ることも、ガッツポーズをすることもない。
ただ静かに、冷徹なまでの落ち着き払った動作で、自身の剣を鞘へと納めた。
その所作の美しさと、圧倒的な強者の風格。
エリアスは瞬きするのも惜しいほど、その姿を目に焼き付けた。
「勝負あり!!第一回戦、勝者、ハルトマン家!!」
王宮騎士団長が高らかに宣言する。
割れんばかりの拍手喝采の中、エリアスの瞳から、堪えていた安堵の涙がぽろぽろと零れ落ちた。
「よかった……ヴォルフ……」
まずは一勝。
エリアスは涙を拭い、祈るように両手を組んだ。
あなたにおすすめの小説
運命の番は僕に振り向かない
ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。
それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。
オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。
ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。
ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。
ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。
ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。
完結しました!ありがとうございました。
借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる
水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。
「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」
過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。
ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。
孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。
売れ残りオメガの従僕なる日々
灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才)
※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!
ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。
無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。
人気アイドルの俺、なぜかメンバー全員に好かれてます
七瀬
BL
デビュー4年目の人気アイドルグループ「ECLIPSE(エクリプス)」に所属する芹沢 美澄(せりざわみすみ)は、昔からどこか抜けていてマイペースな性格。
歌もダンスも決して一番ではないはずなのに、なぜかファンからもメンバーからも目を離されない存在だった。
世話焼きな幼なじみ、明るく距離の近い同い年、しっかり者で面倒見のいい年上、掴みどころのない自由人、そして無言で隣にいるリーダー——。
気づけば、美澄の周りにはいつも誰かがいて、当たり前のように甘やかされていく。
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
愛する公爵と番になりましたが、大切な人がいるようなので身を引きます
まんまる
BL
メルン伯爵家の次男ナーシュは、10歳の時Ωだと分かる。
するとすぐに18歳のタザキル公爵家の嫡男アランから求婚があり、あっという間に婚約が整う。
初めて会った時からお互い惹かれ合っていると思っていた。
しかしアランにはナーシュが知らない愛する人がいて、それを知ったナーシュはアランに離婚を申し出る。
でもナーシュがアランの愛人だと思っていたのは⋯。
執着系α×天然Ω
年の差夫夫のすれ違い(?)からのハッピーエンドのお話です。
Rシーンは※付けます
※画像は男の子メーカーpicrewさんよりお借りしました。
※画像は男の子メーカーpicrewさんよりお借りしました。
Xアカウント(@wawawa_o_o_)
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。