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第2章
上書き
しおりを挟む二人きりの祝いの食事が終わり、ワゴンを片付けに来たメイドが恭しく尋ねた。
「お湯の準備はいかがいたしましょうか? 王宮の大浴場もお使いになれますが……」
エリアスが答えるよりも早く、ヴォルフが口を開いた。
「いや、二人とも怪我人だからな。ここで済ませるよ。温かいお湯と清潔な布を多めに用意してくれれば、あとは私がやる」
「かしこまりました」
メイドは心得た様子で一礼し、準備を整えて退室していった。
静寂が戻った部屋で、ヴォルフはエリアスの手を取り、ソファへと座らせると、当然のように自身の膝の上に抱き寄せた。
「あっ、ヴォルフ、だめです!脇腹に障りますよ!」
エリアスは慌てて身を引こうとした。
肋骨が折れているのだ。いくらエリアスが軽くても、負担がかかるはずだ。
しかし、ヴォルフはその腕を緩めることはなかった。
「いいんだ。……こうして君の重みを感じていないと、まだ夢の中にいるようで落ち着かない」
ヴォルフはエリアスの背中に顔を埋め、深く息を吸い込んだ。
「ようやく、この腕の中にエリアスが帰ってきた……。怖い思いをさせてすまない」
その震える声を聞いた瞬間、エリアスの瞳から涙が溢れ出した。
監禁中も、決闘を見ている間も、何度も泣いて枯れたはずなのに、まだ出るのかというくらい、止めどなく流れてくる。
「ヴォルフ……うっ、ぐすっ……」
「エリアス……」
「私が……あの男に何をされたか……貴方には知られたくなかった。私は……汚されたんです」
唾液に塗れ、玩具のように弄ばれた記憶。
それを打ち明けると、ヴォルフは痛ましげに顔を歪め、エリアスの額、瞼、頬、そして涙の跡に優しく口づけを落としていった。
「関係ない。あの男に何をされようと、君は綺麗だ」
ヴォルフの手が、エリアスの服のボタンを一つずつ外し、露わになった肌に熱い唇を寄せる。
「私が、全て上書きしてあげるから」
「……っ」
首筋、鎖骨、肩。
ヴォルフの唇が触れるたび、バンガルド卿による不快な記憶が、愛おしい熱に塗り替えられていく。
「……あの男の元にいる間に、もしヒートが来ていたらと思うと……ゾッとします」
エリアスはヴォルフのシャツを握りしめ、震える声で言った。
「私は、貴方の番になることしか望んでいないのに……。でも、あの男にはヒート期間に番にするという目的があったから、それまでは踏み込んだ行為をされなかったこと……それだけが救いです」
そう言うと、ヴォルフは複雑そうな、苦渋に満ちた表情を浮かべた。
「……結果的に君が守られたことは良かった。だが、踏み込んだ行為をされていなくとも、あの男が君の髪の一本でも触れたという事実だけで、血が煮え繰り返りそうだ」
ヴォルフの指が、エリアスの肌を愛おしげに、しかし所有権を主張するように強く撫でる。
エリアスはその感触に身を委ねた。
王宮のメイドが丁寧に身体を洗ってくれたおかげで、あの男の痕跡はもう何もない。
あるのは、傷つけられた首筋の包帯だけ。それも皮膚の表面だけで、完治すれば跡も残らないと医師は言っていた。
バンガルド卿がエリアスに残せたものは、何ひとつなくなるのだ。
そう思うと、心がすうっと軽くなった。
「ん……ぁ……」
ヴォルフに触れられるたび、安堵と共に、少しずついやらしい熱が身体の奥から湧き上がってくるのを感じた。
今日は朝飲んだ抑制剤でヒートを抑えているが、周期としてはもういつ本格的なヒート期間に入ってもおかしくない時期だ。
ヴォルフの指先、吐息、匂い。
そのすべてが、エリアスの本能を刺激する。
「……あの時、薬で思考すら奪われても、考えていたのはヴォルフの幸せだけでした」
エリアスは潤んだ瞳でヴォルフを見つめた。
「そして保護されてからは、ずっと貴方の無事と、二人の幸せな未来を祈っていました。……こうして、貴方にまた触れられて、愛されることが……夢みたいです」
「エリアス……愛している」
「私も、愛しています」
エリアスはヴォルフの首に腕を回し、自分から唇を重ねた。
深く、甘く、互いの存在を確かめ合うようなキス。
舌が絡み合い、唾液を交換する。
そこにはもう、他人に侵入された不快感など微塵もなく、ただ愛する人に満たされる喜びだけがあった。
「はぁ、んっ……、は、……」
お互い、怪我をしている身だ。これ以上の行為は控えるべきだと頭では分かっている。
けれど、興奮が止まらない。
やっと伴侶に再会できたのだ。
しかもその前は、一週間も会うことを禁じられていた。
渇望していた身体と心が、理性を超えて求め合ってしまう。
「ふぅ……っ、ヴォルフ……」
息を荒げ、互いの怪我を気遣いながらも、唇だけは離れることができない。
静かな部屋に、濡れた水音がいやらしく響き、その音がさらに二人の熱を煽っていく。
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