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第3章
針の筵
しおりを挟む馬車が到着したのは、前回参加した茶会の会場よりも一回りは大きく、立派な門構えの屋敷だった。
今回の主催者も同じ男爵位の夫人だが、その財力の差は歴然としており、集まっている馬車の数も格段に多い。
エリアスが馬車を降りた瞬間だった。
「あ……」
エントランスに集まっていた着飾った女性たち――オメガ、ベータ、アルファを問わず、そこにいた全ての貴族の奥方たちの視線が、一斉にエリアスへと突き刺さった。
以前、初めて茶会に参加した時も、珍しい男性オメガということで注目はされた。
だが、今の視線はそれとは質が違う。
値踏みするような、それでいて獲物を見つけた猛禽類のような、熱っぽく粘り気のある視線だ。
自分が今、貴族社会においてどのような存在になっているのか、まだ自覚のないエリアスは、その異様な空気に戸惑いながらも、背筋を伸ばして屋敷の中へと歩を進めた。
「奥様方はこちらへどうぞ。お付きの方は控室へ」
茶会のメイン会場である広間に入れるのは招待客のみだ。
アンナとはここで別れなければならない。
彼女の心配そうな視線を背に受けながら、エリアスは一人で広間の扉をくぐった。
中は前回の家庭的な雰囲気とは異なり、華やかなドレスや装飾品を身につけた女性たちで溢れかえっていた。
前回は3つのテーブルに5人ずつ程度だったが、今回はその倍近くの人数がいるだろうか。
広間に入った途端、ざわり、と室内の空気が揺れ、無数の視線が再びエリアスに集中する。
居心地の悪さに胃が縮みそうになりながらも、エリアスは使用人に案内されたテーブルの席へと静かに腰を下ろした。
すると、同席した女性たちが待っていましたとばかりに、勢いよく身を乗り出してきた。
「まあ、貴方様がエリアス・フォン・ハルトマン卿でいらっしゃいますか?」
「え?あ、はい。そうですが……」
なぜ名乗る前から知っているのか。
エリアスが目を瞬かせていると、女性たちは扇子で口元を隠しながら興奮した様子で囁き合った。
「やっぱり!今、貴族社会で貴方様のことを知らない者などおりませんわ」
「ええ、そうですとも。何十年ぶりかに行われた『決闘』の場で、あのバンガルド卿とハルトマン卿が、貴方様を賭けて戦ったことは皆知っておりますから!」
「えっ……」
女性たちの言葉に、エリアスは息を呑んだ。
そうか、そういうことだったのか。
ヒート期間という俗世から離れた時間を過ごしていたせいで、随分と昔のことのように感じていたが、あの決闘から実際にはまだ二週間ほどしか経っていない。
一人のオメガを巡って貴族同士が剣を交え、片や勝利し、片や断罪された大事件。
その「原因」となった人物がのこのこと茶会に現れたのだから、注目されないはずがなかったのだ。
ようやく自分の立場を理解し、エリアスは顔を引きつらせながらも、なんとか優雅な微笑みを浮かべた。
「……そうですか。あのような形にはなりましたが、私は最初からハルトマン家の妻ですから。それはずっと、変わらないことです」
ヴォルフへの変わらぬ愛と立場を強調し、それ以上の詮索を遠回しに拒絶する。
しかし、広まっている噂は、そんな美しいロマンスだけではなかったようだ。
「あら、でも……」
別のテーブルに座っていた一人の女性が、盛り上がっているこちらの空気を切り裂くように、冷ややかな声を上げた。
派手な扇子を揺らしながら、彼女は挑発的な視線をエリアスに向ける。
「巷で囁かれている噂とは少し違いますのね。上位貴族であるバンガルド卿が無理やり誘拐したのではなく……ハルトマン家が差し出した、とも言われていますけれど?」
「……はい?」
「だって、ハルトマン家は元々平民上がりの商人でしょう?商談のために、自分の奥方をバンガルド家に売り飛ばしたのではないかって。そう言っている方も多いですわよ」
その心ない言葉に、周りがざわつき始めた。
直接本人にぶつけたことへの驚きはあるものの、その噂自体は周知の事実であるかのように、誰も否定しようとはしない。
「そんな……っ」
エリアスはカッと頭に血が上りかけた。
自分への侮辱ならまだ耐えられる。だが、ヴォルフが金のために妻を売るような男だと言われたことは、断じて許せなかった。
「あ、あの……っ」
「あら、反論なさいませんのね?」
エリアスが言葉を選ぼうとして口籠った一瞬の隙を、その女性は見逃さなかった。
「即座に否定できないということは、やはり事実なのでしょうか。元々、ハルトマン家は爵位を金で買ったような家柄ですし、貴方様のことも没落寸前の実家から金で買ったという噂もありますものね」
「あ……」
畳み掛けるような悪意に、思考が追いつかない。
元々会話のテンポが早くないエリアスは、思慮深さが裏目に出て、言葉が出てこなくなってしまった。
ヴォルフはそんなエリアスを「思慮深くて優しい」と褒めてくれたが、この社交という戦場においては、沈黙は「肯定」と同じ意味を持つ。
(違う、違うのに……!)
ハルトマン家が自分を買ったように、バンガルド卿に売ったオメガ。
そんな汚名を着せられていることよりも、ヴォルフの誠実さと愛を、根拠のない噂のせいで汚されていることが悔しくてたまらない。
「う……っ」
言い返したい言葉はたくさんあるのに、喉が詰まって声にならない。
何も守れない自分の不甲斐なさに、エリアスの瞳にじわりと涙が滲んだ。
その涙すらも、図星を突かれた悔し涙だと誤解されていることに気づき、エリアスはさらに絶望的な気持ちで唇を噛み締めた。
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