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第4章
ひとりにしないで
しおりを挟むエリアスの言葉が出てくるのを十分な時間待ち、それが叶わないことを悟ると、ヴォルフがついに重い口を開いた。
「……エリアス。君が……何を考えて、どんな覚悟を決めてハルトマン家を出たのか。その悲痛さを、私が全て知ることはできないかもしれない」
静かで、けれど芯のある声だった。
エリアスは、涙を流したまま、身動き一つせずにヴォルフの言葉を大人しく聞いていた。
「王宮へ行き、あの医師に直接、君が何を聞いたのかを教えてもらったんだ。……だから、君がどういう経緯で、自ら出ていったのかは分かる」
そう、告げられた。
(……そうか)
エリアスは、ストンと腑に落ちた。
ヴォルフは知ってしまったのだ。自分の妻が、生殖機能を完全に失った可能性があるという事実を。
今こそ、「だったら」と言うべきだった。
『だったら、ヒート期間も迎えることのないエリアスの番を解消しても、私にリスクはありません。だから、貴方の子どもを産める正しい妻を娶って、番い直しても問題ないのです』と。
どこまでも優しく誠実で、責任感の強い彼に、そう言って解放してあげるべきだった。
だが、その言葉は喉の奥で凍りつき、どうしても出てこなかった。
言うべきだと思う理性と、それを拒絶してヴォルフを求める本能が激しく衝突し、身体がこれ以上、自分を傷つける言葉を紡ぐことを拒んでいるかのようだった。
ヴォルフは、エリアスの沈黙を責めることなく、優しく言葉を続けた。
「エリアス……私は、君の覚悟と、私への深い愛を察して……君を迎えに来て良いのか、私にその資格があるのかを、酷く悩んだ」
ヴォルフの声が震えている。暗闇の中でも、エリアスにはっきりと分かるほどに。
「だが……私を愛してくれているからこそ、こういう選択をした君を……追いかけることも、抱きしめることも、夫である私にしか出来ない。……君を、孤独の中で一人にしたくない」
ヴォルフは、ついに耐えきれないという様子で、エリアスの身体を抱きしめた。
壊れ物を扱うように、けれど絶対に離さないという意志のこもった、すごく優しい力だった。
エリアスは抵抗もせず、ただヴォルフの言葉を聞いている。目からは涙が溢れ続け、止まる気配がない。
「私の我儘でもいい。……君の覚悟を無駄にしたとしても、……私は、君を愛しているんだ」
耳元で、ヴォルフの悲痛な囁きが響く。
「ひとりにしないでくれ……エリアス……ッ」
その時、エリアスの肩に、ポタポタと熱い雫が落ちた。
ヴォルフが、泣いている。
あの強く理性的だったヴォルフが、子供のように震えて泣いているのだ。
ヴォルフの言葉と涙は、乾ききったエリアスの心にゆっくりと染み渡っていった。
彼のためにとエリアスが選択した別れを、ヴォルフは理解し受け入れながらも、それでもエリアスを愛していると告げた。
エリアスの死ぬほどの覚悟を無駄にしたとしても、ヴォルフの我儘だと言われても構わない。
『ひとりにしないでくれ』と。
ヴォルフの飾り気のない、あまりに素直な言葉を、エリアスはゆっくりと噛み締めた。
ヨハンが言った通りだった。
エリアスは「貴族として」正しい選択をしたのかもしれない。
だが、彼を愛する妻、彼に愛される妻としては、どうだったのか。
こんなにも愛してくれていることが分かっているのに、彼を置き去りにして、一人にしてしまった。それは本当に正しいことだったのか。
愛する人を孤独にさせることの、どこが正義なのか。
静かに、エリアスはヴォルフの想いを受け入れた。
凍っていた指先が動き出す。
エリアスは、ゆっくりと、自分を抱きしめてくれているヴォルフの広い背中に手を回し、しがみつくように力を込めた。
「……ッ」
背中に回された手の温かさを感じ、ヴォルフが息を呑む気配がした。
ヴォルフはそれ以上言葉を発することなく、ただ強くエリアスを抱きしめ、静かに泣いていた。
薄暗い部屋の中で、二人は離れていた空白の時間を埋めるように、互いの存在と体温を確かめ合いながら、ただ静かに涙を流し続けた。
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