それではまた、どこかでお会いしましょう。

スイ

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 私は、少しずつ家の手伝いをするようになりました。学校から帰ると真っ先に掃除機をかけ、洗い物を片付け、お風呂を掃除し、洗濯物をたたみました。宿題も、学校の準備も、言われる前にやりました。料理の本を読んで晩ご飯も作るようになりました。

 全て母さんがやっていた事の真似事です。母さんはそうやって色んな事が出来るようになった私を褒めてくれましたが、あまり嬉しくはありませんでした。オレンジ色の夕日が作る濃い影の中で、仕事前のお昼寝をする母さんを見ながら、産んでよかったでしょ? と毎日胸の中で問いかけました。

 :::

 日々は、驚くほど穏やかに過ぎていきました。私の体も安定していて、日に二回、胆汁が流れやすくする薬を飲む事以外、自分が病気であるという事も忘れてしまうほどです。

 いつの頃からか、私は母さんと一緒にいるより、一人でいる方がずっと楽に思えるようになりました。母さんといると、不機嫌なときは勿論ですが、例えご機嫌なときであっても、ぴりぴりと肌が焼け付くような感覚があって落ち着きません。だけど家事をやっている時だけは、そういうぴりぴりはありませんでした。

 普通の子だったらそういう時、友達の家に行ったりするのかもしれません。でも、私にはあまり友達がいませんでした。別にクラスで孤立していた訳ではありませんし、休憩時間にお話しするような子や、忘れた教科書を借りれるような子はいました。だけど、例えば夏休みに学校のプールへ行くような友達は、ついぞ出来ませんでした。

 今もそうですが、小学校の頃は特に友達作りが下手くそだったのです。ゲーム機に囲まれて育ったせいでしょうか? だけど当時の子供達の会話なんてゲームが中心です。やっぱりこれは、私の生まれながらの性格なのでしょう。そんな子達を羨ましいと思ってしまうのも含めて。

 だから、その頃の楽しみは父さんが残した任天堂のゲームか、それかパソコンでニコニコ動画を見ることでした。

 さっき、母さんといると落ち着かないと言いましたが、それでも夜、母さんがパートに出かけると、空っぽになった家はそら恐ろしく感じていました。私だけがいるお家の、誰もいない真っ暗な部屋は、はまるでお腹を空かせたお化けの大口のように思えたのです。

 そんなある日、私はふと、父さんが残したパソコンに目がとまりました。確か七月の終わりで、昼に雨が降ったおかげで網戸から涼しい夜風が吹いていたのを覚えています。

 父さんのパソコンはWiiやDSと重ねてテレビ台に置かれていました。ゲームの方はいつも遊んでいましたが、パソコンはその時まで触ろうとすら思いませんでした。まだ父さんが元気だった時、勝手に触ってはいけないと言われていたからです。

 だけど、テレビ番組でテロップが右から左に流れた時、ふと、父さんが病院で見ていた動画を思い出したのです。ゲームをプレイする画面にたくさんの文字が流れてくる動画。途端にあのサイトが気になり始め、するとパソコンに触ってみたいという欲求が溢れてきました。衝動に突き動かされた、なんて言うと大げさですが、まさにそんな感じです。

 長い間置き去りにされていたノートパソコンは、うっすらと埃が掛かっていて表面を撫でると手の平が灰色になりました。レンガみたいなACアダプタを繋いで二つ折りになっていた筐体を開くと、途端に心臓がドキドキし始めました。電源を立ち上げる時は核ミサイルの発射ボタンを押すくらいの緊張です。すぐにファンが回り始め、Windowsの青い画面が映りました。

 起動時のパスワード入力は無くて、これは今に至るまで私の人生における謎になっています。確かに父さんは、パソコンを立ち上げる度に必ずパスワードを入力していました。だけど私が立ち上げた時は、何一つキーを押すこと無く、デスクトップまで辿り着いたのです。パスワードを入力していた、というのが私の記憶違いだったのか、もしくは、父さんがいつかこういう日を見越してパスワードを無くしていたのか。どちらにせよ、確認する手段は今となってはもうありません。その時立ち上げた父さんのダイナブックは、私自身がたたき壊してしまったのですから。

 でも、もし、と思います。もし、この時パスワードに阻まれていたら。そしたら幼い私の興味関心は違うところに向いて、結果的に湊斗を死に追いやることも無かったのではと。もしくは、電子レンジでタイムリープする大学生のように、結局どの道を辿っても避けられなかったのでしょうか? 

 こんな文章を書いたせいでまた考えがぐるぐる回ります。私じゃない私を、違う世界線で幸せに暮らしているかもしれない自分自身を想像してしまいます。ふと、ドラえもんみたいだななんて思ってしまいました。ドラえもんの第一話を昔、たぶんネットで読んだことがあるのですけど、ちょっとした疑問があるのです。

 子孫のセワシ君は未来でのび太が残した借金に苦しんでいて、だからのび太をマシな人間にするためにドラえもんを送り込んだのです。その説明の中で、のび太が『未来が変わるとセワシが生まれなくなるんじゃないか?』と訊ねます。それに対してセワシは『新幹線に乗ろうが車に乗ろうが大阪に行けるから大丈夫』と説明をします。つまり、のび太はジャイ子と結婚するはずなんですが、その未来を変えても、どこかでジャイ子と子供とのび太の子供が結婚して、セワシが生まれる。だからのび太は何の心配もせず、借金の無い人生を歩んでほしいと、そういう意味合いです。

 セワシの『新幹線か車か』という答えは単なるたとえ話に過ぎません。だけどその上で、私は、もし行き先はどうでも良くて車に乗ることが旅の目的だったらどうなるんだろうと思ってしまいました。父さんが生きているころは家族三人で出掛ける事も多かったのですが、私は三人分のわくわくが満ちた車と、窓を流れていく景色が大好きでした。

 もし、ノートパソコンへのアクセスをパスワードで阻まれたとして、その時変わるのは大阪へ行く手段なのか、大阪という目的地なのか。もしくはもっと大きくて根本的な物か、もっと小さくて些細な何かなのか。私の人生で、湊斗は大きすぎて、全てと言って良くて、そこが無くなった人生が上手く想像できません。

 すみません、また話がそれてしまいました。ただ人生を書き起こすだけなのに、こんな脱線が頭の中で何度も起きてしまいます。

 何にせよ、その時の私は無事パソコンを立ち上げ、朧気な記憶を頼りにFire Foxを起動しました。

 ここでも前回のタブがそのままになっていて、画面にはニコニコ動画のトップページが表示されました。一面に表示されるサムネイルに私は圧倒され、同時に知らない場所に行く時みたいなワクワクが生まれました。ページの上の方に沢山並ぶカテゴリータブから『アニメ・ゲーム』をクリックすると、サムネイルはアニメやゲームのそれに代わり、私は手当たり次第に再生し始めました。

 その頃の動画サイトと言ったらニコニコ動画が名実ともに一番でした。

 玉石混交というか、良い意味で色んな人が好きな動画を投稿しているぐちゃぐちゃとした場所で、私はその雑多な感じがとても好きでした。違法にアップされては消されるアニメ本編も、一気に広まる同じフレーズを繰り返す動画も、動画の冒頭に流れる『うぽつ』も、一人の寂しさを埋めてくれました。当時はまだインターネットで動画を見るということ自体が始まったばかりで、ルールやマナーもまだ定まってなく、ニコ生なんかはすごく無法地帯だったと思います。私は怖くてあまり見たことはありませんが。

 多感な時期の私に一番影響を与えたのは、間違いなくニコ動にあふれかえる動画達です。小、中学時代を思い出すと学校の出来事よりもずっと、その時々に見た動画の方が浮かびます。音楽に合わせて移り変わるMAD動画、手書きの東方二次創作、流行っては廃れていくネットスラングにプロ顔負けのVOCALOIDの音楽、地方では見れない深夜アニメのネット配信、それに、なんと言ってもゲームの実況動画。

 特に私がお気に入りだったのはホラーゲームの実況で、私一人じゃ怖くてとても出来ないゲームを、何でも無いという風にサクサク進めていく実況がとても好きでした。

 中でも、一番好きだった実況者がいます。

 その人は、『チューボー』という名前で色んなゲームを実況している人でした。チューボーは『中坊』で、中学生という意味です。『中坊がサクサク進める○○』というタイトルで、色んなゲームの実況動画をアップしていました。

 当時は初めてやるゲームの新鮮なリアクションを動画にする人が多い中、淡々と攻略法やストーリーを解説する人は珍しかったと思います。ましては自称とは言え中学生で、声も語り口も年齢詐称というタグがつくほどに大人びていたチューボーは当時の実況界隈でも結構な人気でした。今でも鮮明に覚えています。バイオハザードの爆発で終わる爽快で少しB級な結末、サイレントヒルやSIRENのどこまでも解釈の余地が生まれる物語、零シリーズの恐ろしくも切ない余韻、リンクの冒険にドラクエの大団円、FFの壮大なエンディングムービー。どれもチューボーの淡々とした、ゲームを邪魔しないタイミングに入る解説が脳裏に響きます。『初めまして、お久しぶり、こんにちは、こんばんは』という動画冒頭の挨拶、それに『それではまたどこかでお会いましょう』というちょっと格好つけた終わりの言葉は、今でもすぐに頭に浮かびます。

 とても大げさな言い方をすれば、ニコ動は私の居場所であり、チューボーは生きる理由そのものでした。

 :::

 母さんに、私が父さんのパソコンで動画を見ていると知られたのは小六の時でした。

 特に何の前触れも無く、夕方、夜からの仕事の支度をしていた母が、

「お父さんのパソコンで何してるの?」

 怒っている風では無く、ただ単純に疑問を口にしている感じでした。だけど私はこの上なく驚いてしまい、お好み焼きの具材を混ぜていたボールを落としてしまいました。流し場に敷いていたマットとフローリングに、豚肉や卵やキャベツを混ぜた白いドロドロが広がりました。

 母さんは「あらあら」と言いながら、流しの下の取っ手に掛けていたタオルで掬い集めました。私はゴミ箱を持ってきて、

「どうして知ってるの?」

 と私は訊ねました。よほど声が震えていたのでしょう、母さんは「そんな怯えなくても」と笑いました。

「パソコンの置き場所がちょっとずれてたから。別に、気になっただけよ。ダメなんて言わないから。ただそれだけ」

 私はなんと答えていいのか分かりませんでした。別に悪い事をしているわけではありません。黙っているだけじゃ疑われるかもしれません。それでも、私はニコ動を見ていると、ただそれだけの事が言えませんでした。

 母さんも同じです。私が何も言わないのに、それ以上追求することもありませんでした。一生懸命、私が落としたお好み焼きになるはずだった物を片付けていました。

 そんな母を見ていると、不意に家庭科の調理実習を思い出していました。五人一組で豚汁とご飯と卵焼きを作るという物で、最初は皆で役割分担をしていたのですが、いつの間にか私一人で豚汁を作り、他の四人はおしゃべりをしていました。最初、盛んに会話に入れようとしてくれていたのに上手くは入れず、結果として一人黙々と野菜と肉を切って味噌を溶かしていたのです。

 その時の私は、きっと今の母さんのような顔をしていたのだろうと思いました。心のもやもやを覆い隠す笑みを浮かべ、向こうが何を考えているか、私を嫌っていないか気になって仕方が無いのに、興味ないというふりをして目の前の仕事を一生懸命にこなす。父さんがいなくなって三年が経っていました。私と母さんの距離は他人と言えるくらいに離れてしまいました。

「これはもう捨てるわね」

 母さんは白いのがべったりへばりついたマットを丸め、ゴミ箱に入れました。「ごめんなさい」と私が言うと、ただ笑って首を横に振りました。
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