それではまた、どこかでお会いしましょう。

スイ

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 高校を卒業した私は福岡で就職先を見つけました。車の部品を検査する道具を作る会社、と面接を受ける前も受けた後も結局どんな物を作っているのかあまりピンときていませんでしたが、あまりそこにこだわりはありませんでした。海が近い街で働く、というのが私にとっての大事な要素でした。

 卒業してから就職するまでの一ヶ月、私は引っ越しの準備を進めました。生きる場所を変えるというのはとても面倒です。身支度に引っ越し屋さんの手配、市役所で書類をとったり新居の手続きをしたり。私の場合は病気もありますので、いつも行っている鹿児島の大学病院で紹介状を書いてもらう必要がありました。

「本当に行っちゃうんだね」

 大学病院に行く車の中で、母さんはそう口にしました。ガラガラの高速道路で、左側には桜島と錦江湾が見えました。

「行っちゃうよ」

 と私は冗談っぽく言いました。母さんは何かを飲み込んだかのように唇をぎゅっと締めた後、

「ごめんね」

 と言いました。「何が?」と私が訊ねると母さんは「色々と」とだけ言いました。私は少しだけ涙がにじんできました。だけど母さんには知られたくなくて、窓の外に目を向けながら、

「こちらこそ、色々とありがとう」

 とだけ言いました。

 私は今になって、母さんが言った『色々』を聞いておけば良かったと後悔しています。その色々には、私を産んだ事を後悔した事も含まれているのか、とか。母さんと一緒に病院に行くことは、あまりに当たり前すぎていて気付いていませんでしたが、それが人生で最後の、病院に向かう母さんとの旅路だったのです。私が生まれてから何度も何度も通った道。片側二車線だけの狭い高速道路も、いくつもの山をくりぬいたトンネルも、紙コップのジュースを買ってもらったパーキングエリアも、ビルの上にドンと座る西郷さんも、桜島もそれを囲う海も、その後の人生で母さんと見ることの無い光景で、失われていく日常で、どれも、空っぽで満たして良い物ではありませんでした。

 :::

 引っ越しの準備をしている時、母さんは何か欲しいものが無いかと訊ねました。私はいいと言いましたが、どうしてもと引きません。色々考えて、私はニンテンドースイッチをお願いしました。高三の時に出て、だけどずっと品薄だったのがようやく電気屋さんでも並ぶようになっていたのです。

 母さんは「そんなのでいいの?」と言いました。服とか、イヤリングとか、化粧品とか、そういう女の子らしいものをイメージしていたようです。私は「それがいいの」と言って、スイッチとゼルダの伝説ブレスオブザワイルドを買って貰いました。

 一人暮らしを始めたら開けるつもりでしたが、やっぱり目の前にある未開封のゲームというのはあらがいがたい魅力があるものです。私は箱を開け、すっかり小さくなったカセットを差し込んでハイラルを救う冒険を始めました。おかげ、色々な準備が後回しになり、出発が近づいてもまだ手つかずの身支度が残っていました。

「本当、お父さんにそっくりね」

 と母さんが笑ってくれたのが、素直に嬉しかったです。車の中で満たさないと行けなかった何かの一部が、確かにそこにありました。

 :::

 私は家を出て福岡で暮らすようになりました。だけどそこでの日々は思い描いていた物とは違いました。私はアパートを選ぶ時に理想よりも実用性を重視してしまって、駅は近くても、海は電車を乗り継がないと行けない場所にありました。

 それに仕事。

 私は事務員として入ったはずですが、人手が足りないと言うことで設計の補助もやるようになりました。新卒三ヶ月目なのに。勿論何も知識は無くて、先輩からの指示も満足に分かりません。時に日付を超えるまで仕事をして、近くのネットカフェに泊まるなんて事もありました。

 繁忙期が特に忙しいだけで毎日がそうだったわけではありません。だけど一年、二年と経つ度に体が少しずつ不調を訴えてくるようになりました。疲れからか、何度か熱を出しました。

 そして三年目の二〇二○年の二月。仕事中に、急に気分が悪くなって、病院に行くと胆管炎と診断されました。そのまま入院し、栄養剤と抗生物質を点滴されながら、私はもう無理なのかもしれないと思いました。

 幸い一週間ほどの入院でよくなりましたが、結局、仕事は辞めました。ちょうど良く、と言ったらダメなのかもしれないですが、その時は中国で流行っている変な風邪が中国初のウィルスと分かり、世界的なパンデミックになった頃です。私の会社も山のようにあった仕事が激減して、すんなりと辞めることが出来ました。

 三ヶ月ほど、私は無職で過ごしました。幸い残業をたくさんしていたのでお金だけは少し余裕があったのです。世間は自粛ムードで、用も無いのに外をぶらつく人はとんでもない極悪人という風潮だった物ですから、部屋に引きこもりスイッチで山ほどゲームをしました。というか、あつ森で延々と自分の島を作っていました。新しいパソコンも買って久しぶりにニコ動を見ましたが、昔のように夢中で見れる動画には出会えませんでした。結局私も、YouTubeでつまらなくは無いけどさほど面白くも無い動画を、惰性で流すようになりました。

 母さんからは「帰ってきたらいい」と言われましたが、また宮崎で暮らす気にはなれませんでした。離れてしまうと、母さんと過ごした気まずい空気ばかり思い出して、その日常に戻る気にはなれなかったのです。それに、こっちですら就職が怪しいのに、宮崎でまた働く場所を見つけられるとは到底思えませんでした。

 口座の目減りが気になり始めた頃、私は流石に働こうと求人情報をチェックするようになりました。幸い若さと資格のおかげで入れそうな所はありましたが、それでも前の職場での激務が少しトラウマになって二の足を踏み続ける毎日でした。

 派遣でいいところが無いかと探し、軽い気持ちで派遣会社に登録しました。勿論、事務員としてです。けど私の経歴を見た担当者が「神戸で設計の仕事をしてみないか」と声をかけてきました。曰く、事務員は求人が少ないが設計は沢山あるし時給も高い、派遣先とはきっちり契約を結んでいるから無理な働き方をする事は無い、と。

 また引っ越すのか、と思いました。だけどGoogleマップで勤務地を見たら少し気持ちが変わりました。今住んでいる場所よりもずっと海に近い場所だったのです。

「海に近いところに住めますか?」

 私はそう訊ねると、担当者は、

「そういうアパートを探しますよ」

 と言ってくれました。信じられる物かは分かりませんでしたが信じました。結果的に、その担当者はとてもいい場所を見つけてくれました。

 私は神戸に行くことになり、そこで湊斗と出会いました。
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