それではまた、どこかでお会いしましょう。

スイ

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 私が働くことになったのは神戸の大きな造船会社の設計部門でした。門をくぐるのに通行証が必要で、ビルに入るにはICカードをタッチしなければならないような所です。派遣会社の人に連れられて面接に行った時、私の経歴が何か違って伝えられていないだろうか、と不安になったのを覚えています。設計の仕事と言っても、言われるがままに線を引いたりしていただけで、その部品がどこでどう使われるかも分かっていなかったのですから。

 けれどいざ働いてみると意外になんとかなりました。前の会社で事務員として設計をやったのと逆に、今回は設計者として入って事務員のような仕事をしていました。電話を取ったり、会議用の資料をまとめたり、紙で創られたマニュアルをエクセルに落とし込んだり、そんな仕事です。たまにCADを使って図面を作ることもありましたが、それもプロパーの設計者に言われるがままにやることであって、深い知識はいりませんでした。

 それに海。

 担当者が見つけてくれたアパートから海までは歩いて二〇分くらいと、少し遠い場所でした。けど駅からだとまた別の話です。何せ、駅が直接海岸に繋がっているのですから。初めてその駅に下りたときは本当に驚きました。北側には山を背後に携えた昔ながらの商店街、南側には一面に砂浜と海。遠くには防波堤が見え、小さくなった船が浮かんでいました。海水浴シーズンになると海の家が立ち、休日には人が沢山集まります。駅のコンビニには花火や浮き輪、水中ゴーグルまで並ぶんです。

 どれだけ仕事に疲れても、私は海を見る事を日課にしていました。特に残業で遅くなった夜、闇を飲み込んだ真っ暗な海を見ながら波の音を聞いていると、心の中にある雑多な感情が全て洗い流されるような感覚になりました。

 :::

 湊斗は、設計者としてその会社に勤めていました。

 背がすらりと高くて、細身で、頭のいい人でした。それに、とても穏やかな声をしていて、仕事の指示を聞いていても思わず目をつむってしまいたくなるほど心地よく、それに懐かしい気持ちになりました。どんなトラブルがあっても淡々処理する姿は頼もしく、きっと私よりずっと年上で、すごいベテランさんなんだろうと思っていました。

「そんなに老けて見える?」

 仕事中の雑談で私がそんな事を言うと、湊斗は笑いながら

「まだ二十三だよ。社会人二年目」

 とても驚きました。三つしか離れていないのに、こんなに仕事が出来るなんて。

 私と湊斗は同じ設計グループでしたが、そこまで多く話す機会はありませんでした。ずっと『湊斗』と書いていますが、その時の呼び方は『橘さん』で、湊斗もまた私を『澪』ではなく『白川さん』と呼んでいました。つまりは、一緒に働いている以外の共通点はありませんでした。

 それでも私は、ずっと湊斗と気になっていました。一目惚れした、という訳ではありません。何かがずっと頭の端に引っかかって、それがなんなのか分からないけど気になる、という状態です。だけど湊斗と、仕事以外で話す機会は中々訪れませんでした。なにせ当時はパンデミックまっただ中で出社すら控えるように言われていた時期です。飲み会はありませんし、知り合いと外で食べるというのも御法度です。それに、例え感染症が無くとも、私からご飯に誘ったりなんてとても出来ません。

 そんな日々が丸三年ほど過ぎました。言換えれば、私は丸三年間、仕事だけの日々を送っていました。あれだけ世間を包んでいた自粛ムードも、時と共に薄れていき、うちの会社でも飲み会という物が復活してきました。

 前の会社ではあれだけ忌み嫌っていた飲み会ですが、今は状況が違います。お酒の席ならば、湊斗と何か話せるのでは無いかと、私はその日をドキドキしながら迎えました。

 だけどいざその日になってみると私からはちっとも話しかけることが出来ません。皆、久しぶりのお酒の席と言うことで盛り上がっていますし、席も離れていたので、どう話しかけていいかも分かりませんでした。

 私はやけになってお酒を初めて飲みました。私の病気にとって、勿論いいことではありません。が、お酒の力を借りればもしかしたら話しかける勇気を持てるのでは無いかと思っていました。

 それで、今まで飲んだことが無かったので知らなかったのですが、私はとことんお酒に弱かったようです。一杯飲んだだけで、歩くのもおぼつかないほどに酔っ払ってしまいました。気持ち悪さで机に突っ伏している間に飲み会も終わりましたが、私はどうしても立ち上がることが出来ませんでした。

「大丈夫?」

 そう言って手を差しのばしてくれたのが湊斗でした。

 湊斗はおぼつかない私に「立てる?」「歩ける?」と訊ねてくれました。「駅はJR? 阪急?」という質問に、私は「JR」と言いました。湊斗はそのまま私の腕を持って、外に連れ出してくれました。「二次会はー?」と誰かが言い「自分たちは遠慮しときます」と湊斗が答えます。

 俯いていた私は、湊斗に抱えられながら次々に変わる地面ばかり見つめていました。居酒屋のお座敷から石畳に、そして地下からの階段を上って道路に出たのが分かりました。そのままお店がずらっと並ぶ高架下を、私は彼に寄り添って歩き続けました。金曜日の夜で、あたりは私のような酔っ払いや、これから飲みに行くのであろう人達で引き締めきあっていました。

 やがてJRの三ノ宮駅に辿り着き、そこでふと顔を上げた時、柱に貼られた広告が目に入りました。それは、発売を控えたゲームの広告でした。大空に浮かぶ空島をバックに、リンクが片膝を立ててしゃがみ込んでいる、水彩画のような絵。

「ティアキンだぁ」

 私は無意識にそう呟きました。その当時、ブレワイの続編が出るということでネットはざわついていた所ですし、私もそれを楽しみにしていたユーザーの一人でもありました。

 湊斗は脚を止めて、驚いたように私に話しかけました。

「白川さん、ゲームするの?」
「しますよー。ブレワイとか、あつ森も」

 湊斗は立ち止まって広告をじっと見つめました。まるでダムの底に沈んだ故郷を見るみたいに、切ない目で。

「僕も大好きなんだよね。今はすっかりやる時間なくなったけど」
「へぇー、意外」
「意外……そうかな? 昔はかなりやりこんでて、その、実況とかもやってて」

 私は湊斗を見上げました。その時の湊斗の表情は照れていて、まるで中学生の男の子のようでした。

「色んなゲームめっちゃやりこんでて、それを動画にしたら、たくさんの人が見てくれて」

 どうして気付かなかったんだろうと、その時つくづく思いました。

 確かに動画で聞いていた時よりも声は低くなっていて、しゃべり方もちょっとよそよそしくて、でも、聞けば聞くほどその声は私が生きる理由にしていた口調そのものでした。

「中坊がサクサク進める、って動画?」
「え?」

 と湊斗は心底驚いたように私を見つめました。そんな顔を見て、私はとても嬉しくなりました。驚くとこんな顔をするんだ、と。

「見てたの?」
「見てた。私の人生だった」

 湊斗は笑って、私も笑いました。
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