krystallos

みけねこ

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69.リーテンの村②

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 父と母の言う通り事前にちゃんと連絡しておけばよかったな、と思うほど少しパタパタしている両親に申し訳なく思いつつわたしも出来る範囲で手伝いをする。とは言ってもこじんまりとしている実家には来客用の部屋などなく、アミィちゃんはわたしの部屋で一緒に休むということになったけれど問題はウィルさんが休む部屋がない。
 ウィルさんはどこでも寝れるから構わないって言っていたけれど、それだと身体を休めることができない。だから急遽物置にしている部屋を片付けているのだけれど。
「予備にある簡易ベッドしかないが、ないよりはマシだろう」
「ごめんね……ちゃんと連絡すればよかった」
「それだけ忙しかったのだろう? 彼には申し訳ないが、そう気にするな」
「うん……」
 父の手伝いをしたあとはリビングで寛いでいるアミィちゃんをわたしの部屋に案内する。かなり久しぶりに帰ってきたけれど、わたしの部屋は母が掃除をしていてくれていたみたいであまり埃っぽくない。窓を開ければ爽やかな風が吹いて、アミィちゃんを中に招き入れた。
「ここティエラの部屋? 本がいっぱいあるね!」
「読書が好きですし勉強にも使っていましたからね。アミィちゃん、気になる本があったら読んでいいですよ?」
「本当っ? へへっ、ありがとうティエラ!」
 ベッドも一緒ですよと告げれば彼女は嬉しそうな顔で頷いて、そして本棚に並んでいる本の背表紙を目をキラキラさせながら見つめていた。小さい頃読んだ絵本から学びのために読んでいた精霊にまつわる話まで。系統は少し偏っているかもしれないけれど、それでもアミィちゃんが少しでも楽しんでもらえたらなとその様子を見て微笑む。
 すると下からわたしを呼ぶ声が聞こえて、窓から覗き込んでみると母がわたしを呼んでいた。母が今いる場所は家の裏にある小さな畑。
「今行くー!」
 そう返事をして部屋から出ようとすれば、早速一冊の本を手にとってベッドの縁に座っていたアミィちゃんが顔を上げた。
「どこかお出かけに行くの?」
「いいえ? 家の庭に行くんです。基本庭で育った野菜を食べているので」
 今からだと夕食分ですね、と付け加えればさっき本棚に向かっていたキラキラとした目が今度はわたしに向かう。
「お野菜収穫するの? アミィも手伝う!」
 微笑ましいその様子につい笑みを浮かべてしまう。見るものすべてが目新しく、とても楽しいとその表情が物語っていた。
「わかりました、そしたらアミィちゃんにも手伝ってもらいますね」
「うん! アミィいっぱい採るから!」
「あ、あの、今日の夕食分だけでいいですからね?」
 元気いっぱいなのはいいとこなのだけれど、いっぱい採られてしまうと今後の食料がなくなってしまう。保存できるものならばいいけれど、そうでないものは腐ってしまうから。
 ともあれ、アミィちゃんと一緒に庭へ行き母にアミィちゃんも手伝うのだと説明すると、母も母で嬉しそうな顔をしてほんわかと頷いた。基本のんびりな母はその仕草もどこかゆっくりだ。ただアミィちゃんに野菜の収穫の仕方を教えている母はもしかしたら昔のわたしを思い出しているのかもしれないし、そんな二人の様子を見てわたしも子どもの頃を思い出していた。
 三人で収穫した野菜をキッチンへと運び、料理はするからあとはゆっくりしておいてとの母の言葉に甘えた。部屋に戻ってアミィちゃんと一緒に本を読んだり、その頃ウィルさんは父の手伝いをしているようで二人の話し声がたまに聞こえてきていた。ウィルさんにもゆっくりしてほしくて、一度部屋を出て当人に直接伝える。
「しばらくお世話になるし、手伝いくらいはしないとね」
「でも……」
「それに身体が鈍ったらいけないから」
 そう言って微笑む彼は、根っからの騎士と言えばいいのか。わたしも毎日女神エーテルや精霊たちに祈りを捧げているから、それと同じだと言われてしまえば何も言えなくなる。ただ、無理だけはしないでくださいと眉を下げれば彼は頷き返した。
 日が徐々に傾き、食卓には母の手料理が並ぶ。こうして食卓を家族で囲むのも母の手料理も本当に久しぶりだった。
「それじゃあ」
 父の言葉に手を組み目を閉じる。
「女神エーテル、大地を育むあなたの慈悲に感謝します」
 祈りを捧げて、目を開けそして食事を始める。わたしたち親子のそんな行動にアミィちゃんはキョトンとした顔をしていて、そんなアミィちゃんにウィルさんは優しい声色でそういう風習があることを説明した。
「あらあらアミィちゃんの土地にはなかったのね」
「うん」
「昔はどの土地でも祈りは捧げていたようだが、それもどんどん減っていったようでな。もう一部分しか残っていない」
「そうなんだ……」
 両親の説明に眉を下げたアミィちゃんだけど、母はアミィちゃんに「温かいうちにお食べ」と食事を促した。野菜スープにパン、そして庭の木になっていた果実というありきたりな食事だけれど、アミィちゃんはスープを口にした瞬間目をキラキラと輝かせた。
「おいしい!」
「あらそう? ふふっ、いっぱいお食べなさいな」
「子どもはたくさん食べるのが仕事だからな」
「うん!」
「ティエラも子どもの頃これだけ食べていたらねぇ。あなた食の細い子だったから」
「もう……今はちゃんと食べてるから……」
 そんな、ウィルさんとアミィちゃんがいるところで子どもの頃の話を持ち出さなくても。確かに美味しそうにいっぱい頬張っているアミィちゃんに比べて、このくらいの年齢の時はそんなに食べれなかったけれど。
 そうしてのんびりとした中食事は続き、本当にアミィちゃんはびっくりするぐらいたくさん食べていた。でも成長期なのだからこれぐらい食べるのはきっと普通で、初めて会った時の身体の細さを比べると今のほうがずっといい。
 食事を終えて母と一緒に片付けている中、父がこっそりとアミィちゃんにお菓子をあげているところを見てしまった。一瞬だけ顔を顰めたカイムさんが脳裏を過ぎってつい笑みがこぼれる。次に会った時に彼が「太ったな」と言わないことを願っておこう。
 片付けが終えればアミィちゃんと一緒に温かい湯船に浸かる。こうして誰かと一緒に湯船に浸かることがなかったのか、お湯でパチャパチャと遊んでいるアミィちゃんの姿はとても可愛らしい。
「ひゃ~!」
「目は大丈夫ですか? アミィちゃん」
「うん! ちゃんとギュってつむったよ!」
 髪を洗ってあげて、泡を洗い流すためにお湯をかけるとアミィちゃんから悲鳴が上がる。大丈夫って言っていたけれど泡が目に入っちゃったのかなって心配になって顔を覗き込んでみれば、単純に上からお湯をかけてもらったことが楽しかったみたい。両手で顔をごしごししている姿が小動物みたいだった。
 温かい湯船から上がり、髪をしっかりと乾かしてベッドに横になる。お腹いっぱい食べて、温かいお湯に使って疲れを癒やしたアミィちゃんはすでに半分夢の中に入っている。
「ふふっ、楽しかったですか?」
「うん、ご飯おいしかったし、ティエラのお父さんとお母さんもすごく優しかった」
「よかったです」
 ブランケットをかけて、トントンと軽く胸を叩いているとアミィちゃんのまぶたが徐々に落ちていく。少し待っているとすーすーととても穏やかな寝息が聞こえてわたしは横にしていた身体を起こした。
「……お父さん、お母、さ……」
 小さく聞こえた寝言に、ツキッとした痛みが胸に走る。
 アミィちゃんが起きないようゆっくりとベッドから降りて、静かに扉を閉じる。階段を下ると母の部屋から明かりが漏れているのが見えた。きっとアミィちゃんに合う服を、わたしが小さい頃着ていた服で繕ってくれているんだと思う。
 アミィちゃんの詳しい話は父と母には話していない。でも二人とも何も言えなくてもどことなく察してくれているようで、より踏み込んだ話をしようとはしてこなかった。そんな両親に感謝しつつ、ショールを肩にかけ外に出る。
 日が暮れていて少し気温が下がっていたけれど、家の外に設置しているベンチに腰を下ろし小さく息を吐きだした。
 本当は怖かった。アミィちゃんを傷付けるんじゃないかって。
 クロウカシスでアミィちゃんのご両親がどうなったかを知って。そんなアミィちゃんに『家族』というものを見せて、大丈夫なのかどうか不安だった。アミィちゃんは楽しそうにしてくれていたけれど、でもその心は果たしてどうだろう?
 両手で顔を覆い隠し息を細く吐き出したけれど、その息は情けなく震えている。
「風邪を引くよ」
 優しい声が頭上から降ってくる。おずおずと顔を上げるとウィルさんがその声色と同じ表情で立っていた。少しだけ隣にずれると、空いたスペースにウィルさんが腰を下ろす。
「浮かない顔だね……アミィのことかな」
「っ……! そ、れは……」
 図星を突かれ、言葉が詰まる。両手をギュッと握り締め無意識に視線は地面へと落ちた。
「……わたしの両親は、健在です」
 十年前、色んな人が大切なものを失った。でもわたしの両親は健在だ。わたしの父は治癒魔術を得意としていたため、数年前まで治癒師として治療に携わっていた。十年前もそうだ。母はそんな父の手伝いをしていた。
 ここリーテンは戦場から遠く、被害もほぼなかったと言っていい。父が治療に携わっていた場所もバプティスタ国から離れた所に設置された治療室だったため、父が傷付くこともなかった。
 わたしは多くの人の傷を癒やした父と母を誇りに思い、また両親のようになりたいとラピス教会で勉学に励むようになった。人々の傷を少しでも癒せるように。それは外傷もだけれど、心の傷も。寄り添うことで手当てをすることで癒せるようになりたいと、ずっとそう思って生きてきた。
「でも、アミィちゃんの言葉に頭を思いきり殴られた気分だったんです」
 あの時のアミィちゃんの悲鳴にも似た声を今でも思い出す。幸せは平等にあるべき、どんな人にも必ず訪れる。そう信じてきた、けれど。
 でもそれは、何も失ったことのない人間が放つ言葉だった。
 色んなものを失ったアミィちゃんにその言葉が伝わるはずがない。泣き叫んだ彼女に、謝罪の言葉しか口にできなかった。何も失ったことのない人間が、当たり障りのない上辺だけの言葉で失った人の心の傷を癒せるわけがない。
 なんて自分が情けないんだろう。人の傷を癒せる人間になりたい、そんな自分勝手で思い上がりな考えでアミィちゃんを更に傷付けてしまった。アミィちゃんは翌日謝ってきたけれど、本当に謝らなければならないのはわたしのほう。
「わたし、こんな自分が嫌いで……どうやったらアミィちゃんの傷を癒やしてあげれるのか、わからなくて」
 傍にいて、元気付けてもらってるのはわたしのほう。アミィちゃんの屈託のない笑顔にわたしは心からホッとして、自分の不甲斐なさに唇を噛み締めた。いくら考えても答えが見つからなくて、見えてこなくて、一人で勝手にぐるぐると考え込んでいる。
「……僕たちが、アミィのことを心から理解してあげられるのは無理かもしれない」
 静かにぽつりとこぼされた言葉は、まっすぐにわたしの耳に届く。
「それはきっとカイムだってそうだ。彼は両親を失ったアミィの悲しみを理解しているようには見えなかった。アミィのことを本当に理解できるのは、同じ状況に立たされた人間だけだ。そして、そんな人間はきっと出てこない」
 それはきっと、アミィちゃんのように両親を奪われ『人間兵器』としての被験体になる人間は、現れないということ。アミィちゃんの存在で各国の王は『人間兵器』を新たに作り上げようとしている研究者に難色を示していた。もし次があったとしても、きっと先に国が動く。
 だからウィルさんの言うように、アミィちゃんと同じ状況に立たされる人間は出てこない。
「でも、完璧に理解してあげられることは難しくても、寄り添うことはできるんじゃないかな」
 ゆるゆると顔を上げ、彼に視線を向ける。村を見ていた彼の視線がゆっくりとわたしへと向かった。
「ティエラは優しいから、君のその優しさで傷も癒える。僕はそう思うよ」
 君に今まで何度も傷を癒やしてもらったからね、と微笑んで言葉を続けてくれた彼に鼻の奥がツンと痛くなる。彼もとても悩んでいたというのに、わたしの知らないものをきっと抱え込んでいるというのに。
 それでも彼のその言葉に、ふっと心が軽くなる自分がいた。わたしの、微力とも言えるこの力で、それでも誰かの傷を癒やすことができるのだろうか。
 アミィちゃんの傷を、癒やすことができるのだろうか。
 できるできないじゃない、きっとやらなければいけないこと。今までとても弱気になっていた自分に気が付いた。恐れていては何も始まらない。ずっと前に突き進んできていた人たちをわたしは知っている。
「ウィルさん……ありがとう、ございます……」
「お礼を言うのはこちらのほうだよ。いつもありがとう、ティエラ」
 彼の言葉に顔を上げ、今度こそしっかりと前を見つめる。いつ連絡があるかはわからないけれど、それでもアミィちゃんに少しでも分け与えるものがあったなら。教えることができるのなら。その傷を、少しでも癒やしてあげることができるのなら。
 わたしにできることを少しずつでもやろう、そう思ってギュッと自分の手を握り締めた。
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