krystallos

みけねこ

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70.その手を拝借

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 定期便に乗ってスピリアル島に移動、そこまでは問題ない。ただ研究所には身分証明と許可証がいるらしく、流石にそれを偽造する時間はない。
「確認しました、お通りください」
「ご苦労様です」
 そういってすんなり通されたのはエルダだ。そして、検問を通って中に入ってしまえばこっちのもん。検問が見えなくなるまで中に進むとエルダが軽く手を横に振る。
「ここまで入れば問題ないでしょう」
 身分証などを持っていない俺たちにはエルダがフレイの船に施した術と同じものを施した。そうして姿が見えなくなった俺たちはエルダの後ろからすんなり入れた、ということだ。
 上からしか見たことがなく、アミィを助けた時もあまり地面に降りていなかったため改めて下から見ると随分と馬鹿でかい塔がニョキニョキ生えている。
「便利な術だよねぇ。あたしも使えたらよかったのに」
「この術はセンスが問われますからね。貴女はまぁ、攻撃力増加といった方面がお似合いですよ」
「腹立つけど騒ぎを起こすわけにもいかないからね。ただし戻ったら覚えときな」
 忍び込むにはまぁこの三人だろうとは思ったが、三人しかいねぇんだから今ぐらい仲良くしろよとひとりごちる。売り言葉に買い言葉、口も頭もよく回るエルダに堪え性のないフレイはとことん相性がよくない。
 ジッとフレイに視線を向ければそれに気付いたフレイが小さく細く息を吐きだし、怒りを外に逃がしている。確かに堪え性はないが咄嗟に冷静になることができるのはフレイの美点だ。フレイの怒りが収まったのに気付いたのか、エルダも興味を失せたように前を向いて歩き出す。
「なんならお二人とも白衣でも着ますか? それっぽく見えますよ」
「絶対ぇ似合わねぇわ」
「あたしたちに似合わない服装ナンバーワンなんじゃないのかい?」
「はっはっは、それもそうですね」
 最初っから似合わねぇって思ってたんじゃねぇか。眉間に皺を寄せれば同じような表情にフレイもなっており、こっちに背中を向けているにも関わらずエルダはまるで俺たちの表情がわかると言わんばかりに楽しげに笑ってやがる。
 そうこうしながらも前を歩くエルダの足取りに迷いはない。ミストラル島には様々な塔が立っており、場所によって研究内容もまったく違うとか。ただこのミストラル島で研究しているエルダにとっては大体どの塔でどの研究が行われているのかわかっているのかもしれない。
「塔によっては立ち入れない場所もあるんですが。いやぁ彼の研究室が私も入れる場所でよかったです」
 そう言いながら扉の前に立ちボタンを押す。しばらく待っていると音が鳴り、目の前に止まったのか同時にその音も止んだ。扉が開き、箱のような場所にエルダは足を進めたため俺たちも同じように箱に入る。
 ボタンを押せば動き出したような感覚に、恐らくこれは魔術で作られた道具かもしくはガジェットなのだと察した。似たようなものがべーチェル国にもあったことを思い出す。チン、と軽い音が鳴ったかと思えば扉が開き箱の外に出る。
 廊下を歩けばあちこちの部屋で行われている研究、それと行き交う人間。だがどいつもこいつもまったくこっちを気にする素振りは見せない。ただただ自分の研究に没頭している様子は、外の人間からしたら異様な光景に見えないこともない。
「おっと。お二人は隠れておいてください」
 順調に進んでいるかと思いきや、そんな声が前から聞こえすぐに物陰へと隠れる。
「おや、誰かと思ったらクルエルダ・ハーシーじゃないか。こんなところで会うとは奇遇だな」
「これはこれはアストゥさん」
 咄嗟にフレイの口を手で塞ぎ様子を探る。目の前から歩いてきた白衣姿の女はくすんだ赤髪に、眼鏡の奥は『赤』だった。女の姿が見えた瞬間エルダは俺たちに魔術を施したが、相手が『赤』となるとその魔術もすぐに見破られる。だから隠れろと言ったんだろうが、女がすぐさま気配を感知できるタイプとなると面倒なことになる。
 一応万が一のことを考えエルダが時間稼ぎをするつもりなんだろうが、取りあえず今のところは息をひそめるしかない。隠れている物陰から顔を出すこともなくその場でじっと待機する。
「しばらく君の姿を見ていなかったけれど、遊びにでも行っていたのかい?」
「遊びにとは人聞きの悪い。そそられるものがあったら研究者として動いてしまうものでしょう? 今回もそれだったんですよ」
「にしては随分と遠出だったようだね? 余程君の食指が動くものがあったんだね。それが何か気になるよ」
「いえいえ、貴女の興味を刺激するものではありませんよ。私と貴女は研究内容まったく違いますからね」
「それもそうだ。それじゃ、私は引き続き研究しなければならないことがあるから、これで失礼するよ。君とお喋りできて楽しかった」
「私も楽しかったですよ。それでは」
 こっちに近付いてくる足音が聞こえ、フレイの口を押さえつつもじりじりと後退する。流石に見つかるとまずいっていうことをわかっているためフレイも大人しい。ただ女がこっちに曲がってきたら最悪なわけだが、さてどう進むのかその動きを目で追う。
 女はこっちに曲がってくることなく、そのまま真っ直ぐに進み俺たちが乗ってきた箱に乗り込んでいった。きっちりと扉が閉まるのを確認しつつ、完璧に姿が見えなくなってようやく立ち上がる。それと同時に俺たちに施された術も解かれた。
「研究者にも『赤』っているもんだね」
「ああ、俺も初めて見た」
「いやぁ、お二人のことバレなくてよかったですよ。彼女ちょっと変わり者でしてね、見つかると大変でした」
「アンタが『変わり者』って言うなんて……本当やばい人間なんだね」
 どこを判断基準にしているんだとウィルがいたら言っていただろうが、だがこのエルダがそこまで言うのならそうなんだろう。見つからなかったのはただ運がよかっただけか、はたまたあの女が研究以外にまったく興味がないかのどっちかだ。
「さて、先に進みましょうか。彼の研究室はもう少しですよ」
 パン、と手を軽く叩いたエルダは再び歩き出した。あの女と鉢合わせしたものだから他の研究者からも声をかけられるのかと思っていたが、すれ違う人間はほとんど手元の資料に視線を落とすため人が歩いていることにすら気付いていない。ブツブツと何かを呟きながら、はたまた焦点の合っていない目でフラフラ歩いてたり。しっかりと前を向いて歩いていたあの女がこのスピリアル島ではめずらしい部類に入りそうだ。
 それからエルダが言っていたように、そこまで奥に進むことなく手前の部屋でその足がピタリと止まり向きを変えた。エルダはノックをすることなく勝手に扉を開け中に進む。
「おや、彼はいないようですね。これは好都合」
 そう言いつつ勝手知ったるなんとやら、部屋の奥まで進み何やらゴソゴソと探し始めた。部屋の中は随分と乱雑に散らかっている。足の踏み場があるだけまだマシなのか、取りあえず何か触れば発動しそうなものばかりでエルダのように動くわけにはいかなかった。
「きったない部屋だねぇ……」
「お前んとこの野郎にもいるだろ、こういう部屋のヤツ」
「……いるね。いくら掃除しなって言っても、掃除したらすぐ散らかるヤツ。一体どうしてあそこまで散らかるんだか」
 取りあえずエルダが探し終わるまで雑談するしかない。なるべく何も触らず辺りを見渡すだけにしていると、ようやく奥で屈んでいた身体がスクッと起き上がった。
「ああありました、これですね」
 そうして手のひらにあるやつをこっちに見せてくるエルダに、取りあえずヤバそうなものは踏まないように、それ以外の研究の紙とかは容赦なく踏んで奥に進んだ。
「懐中時計?」
「一見普通の懐中時計ですが、この中には転移に必要な術式がびっしりと刻まれているんです。恐らく……ああ、このボタンですね。これを押せば発動するものだと思われます」
「ふーん」
 そうして手渡された懐中時計をさっき言っていたボタンを押さないように手のひらに乗せる。確かに普通の懐中時計だが、もし元の姿に戻ってこれを見るとそこに刻まれている術式がはっきりと見えるんだろう。
 俺の隣から覗き込むように見てきたフレイも、「普通だね」とこぼしながらまじまじと見ている。そんな俺たちの隣でエルダがまた何やらガサゴソと探し始めた。
「あ、もう一つありました。これも拝借しちゃいましょう」
「誰だ、部屋に勝手に入った奴は!」
 そこで第三者の声が聞こえ、三人で振り返る。丁度部屋の扉の前で白衣姿の男がこっちを見ながら目を丸め、口をパクパクと動かしていた。その目が一番奥にいたエルダへと向かう。
「ハーシー⁈ お前、俺の研究所で何をしているんだ⁈」
「いやはや、以前言っていた研究を見せてもらおうと思いましてね」
「だからって勝手に入る奴がいるか! ロックまで解除して! それにお前、前に言った時は俺の研究に特に興味なさそうな顔して……って、その手に持っているものは何だ⁈」
「なんだって、貴方が一番よく知っているのでは?」
 俺と、そしてエルダの手に持っているものを見た途端、男の顔がサッと青くなる。どうやら状況がわかったらしい。
「お前ー⁈ 何を勝手に取ってるんだーッ⁈」
「いえいえ、少し拝借しようと思いまして」
「しかも二個も取ってやがる! 人がせっせと研究し開発したものを勝手に取るな! それは今から量産しようと考えていたところだぞ⁈」
「考えたものの、これだけの術式を物一つに刻むのかかなりの労力と時間を使う。今のところ割に合わないようですねぇ。いやいや大変そうで何よりです」
「そう思うのならそれを置けッ!」
 研究したものを取り戻そうと、男がズカズカと大股で近付いてきたところ。
「おっと手が」
 わざとらしくそう声に出し、エルダは迷うことなくボタンを押した。懐中時計に刻まれていた術式が展開し辺りは術を使う時と同じ光りが灯る。
 俺たちの姿が消える前に、悲鳴にも似た雄叫びが聞こえたがその男がその後どうなったのか知る由もない。
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