krystallos

みけねこ

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88.瀬戸際

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 周りは座り込んでいるヤツや怪我の手当て、応援で駆けつけてきた騎士たちはあちこちで状況を把握していた。場合によっては被害が大きかった義賊には国からの義援金が出るんだろう。ミストラル国に所属している義賊の中にはいないとは思うが、もしかしたら損害を偽造して多く掠め取ろうとするヤツらもいるかもしれない。騎士がしっかりと調査しようとしているのはその予防もある。
 視線を周囲から頭へと戻す。さっき治した腕はしっかりと繋がっている。治したばっかりだからそうブンブン動かすなと言いたいところだが、頭の腕がすっ飛んだのをラファーガのヤツらは見ていたから落ち着かせるためにわざと大きく動かしているんだろう。
 あちこちに転がっているイグニート国の兵士は動かない。中には原型を留めるのが難しくなっていたのか少し変形しているものもあった。あの女の術で無理矢理身体を留めさせられていたのがわかる。この大量にいる屍をどうするのかは、騎士の連中に任せるとしよう。
 頭を少し下げ短く息を吐き出す。一段落はついただろう。ならさっさとこのローブを取るかと自分の中にある魔力を封じ込めようとした、その時だった。
「――っ!」
 勢いよく顔を上げ視線を向ける。俺と同じ反応をしたのは魔力量が多い人間たち。アミィもエルダも、他にもそこそこに魔力量があるヤツは俺と同じほうに視線を向ける。
 方向からして場所はセイクレッド湖、ミストラル国から精霊の力が弱まりつつあるせいか水が濁っていると言っていたあの場所。
 まだ魔力を封じる前でよかったと咄嗟に離れていたフレイを引き寄せ転移魔術を使う。その場にいた全員を運ぶわけではなく、対処できる少人数で。つまり俺と行動を共にしていたアミィたちだ。他の連中は連れて行っても今は邪魔だ。
「こ、これは……⁈」
「そんな、湖がっ……!」
 セイクレッド湖に辿り着いた瞬間、目の前にある光景にウィルたちは絶句した。ウンディーネの住処となるよう常に浄化された状態であり続けた湖。濁ってはきていたもののそれはまだ人で浄化できる範囲でもあった。
 そしてその水はミストラル国に住む人間にとってはなくてはならないものだった。精霊の力が若干入っている水は「清き水」とされ祭事や病人の手当てなどによく使われていた。例え精霊の力が入っていなくてもここから流れてくる水は生活水にもなっている。
 その湖が、透明などとは程遠く、ドス黒く変色している。
「あっははははぁ! どうだ~? 精霊の力なんざ大したことねぇなぁ~? あっはぁ!」
 耳障りな声が耳につく。湖の真上でそいつは気持ち悪い笑い方をしながらご満悦そうにしている。
「なんで……セイクレッド湖は余所者は入れないはずだろう⁈」
「あぁ? なんだ赤髪……そんなもん、入る前に外から穢しちまえば簡単に入れたぜぇ? 入れないのは精霊の力のせいなんだろぉ? 弱めちまえば問題ねぇってなぁ」
 あの女が言っていたことはこういうことだったかと舌打ちをする。
『私の役目はこれで果たしただろう』
 ミストラル国に直接攻撃したのはただのブラフ、本命は国にとっての生命線であるこの湖を穢れで満たすこと。あの女はただの時間稼ぎをしたに過ぎない。
 今思えば力押しでミストラル国を攻め落とすのであれば、最初からコイツを前線に立たせておけばよかっただけの話だ。あれからコイツがどうなったかは知らないが前に立たないのは怪我の治療が遅れている、という考えのしたのが悪かった。
「なぁ見てろよカイム~、オレの力でここまで穢してやったんだぜぇ? すっげぇ手柄だと思わねぇ?」
「なんだ、湖に向かって大量に血でも流したか。そのままくたばれ」
「あっははぁ! ンなことしてねぇよ! カイムも面白ぇこと言うんだな!」
 ならどうやってこの湖を穢した。若干濁ってきたとはいえまだウンディーネの力は残っていた。それこそ余所者を立ち入らせないようにする程度には。ケタケタと何が面白いのかずっと笑っているそいつを睨みつければ、俺の視線に気付き恍惚な表情を浮かべた。
「あの女がさぁ、オレの身体をいじったんだよ。そしたら大量の穢れを身体に備蓄できるようになったってわけ。いやぁ大変だったぜぇ? 穢れを発生させて集めんのも。フェルド大陸の連中を次々に斬って血を流させるのもさぁ」
「ッ……! なんて非道な奴らなんだ……!」
 あの女は、赤髪の女だろう。そういえば新しい材料が手に入ったとも言っていた。なるほど元から身体をいじったヤツを更にいじってこの場を穢させたというわけか。そういう道筋を作ったヤツらの背後にいるヤツにはとことんヘドが出る。
 結局指示を出してやらせるだけやらして、自分は安全な場所でふんぞり返っているんだろう。穢れを集めるために犠牲になった普通の人間や、屍になっても身体を好き勝手に利用された兵士たちは所詮アイツにとってはただの道具というわけだ。
「まぁでもさぁ? ここが穢れたらミストラル国には大打撃なんだろ? いやぁ軟弱な国って大変だよなぁ? 弱いから簡単にしてやられるんだよ」
「何にも知らないアンタが好き勝手に言ってんじゃないよ! こっちからしたらそっちの国のほうがよっぽど弱い国だね! そうやって力振り回して威張ることしかできないんだから!」
「……はぁ? キャイキャイうるせぇ女だな」
 手をかざしたのが見えてローブを剥ぎ取り防御壁を張る。目の前に大量に放出されたのは黒い炎の塊だ。直撃していたら無事で済まされなかっただろう。
「カイム~、オレまぁた強くなったんだぜ? ちょっとオレと遊んでくれよ」
「テメェはとっととくたばれ」
「……あはっ、やっぱ堪んねぇなぁ。でももっと……もっとオレに殺意を向けてくれよ。あの時みたいに」
 ヤツが両腕を広げれば空中にどす黒い炎の塊がいくつも生まれる。穢れ混じりの魔術は普通に防いでも突破される可能性がある。だからといって穢れを浄化できる精霊の力はまだ弱いままだ。
 コイツらだけこの場から転移させて、俺一人で対処する。その手がいいかもしれない。
「あ?」
 ところがだ、アイツの後ろで空間が歪んだ。アイツも予期していなかったことなのか表情を歪めて後ろを振り返る。
 誰かが転移してくる――そう思ったのとそれはほぼ同時だった。
「ぁ、がっ……⁈」
 アイツの腹を剣が突き抜けた。突然のことにティエラとアミィからは悲鳴が上がり、フレイも若干引いている。だが剣が突き抜けたヤツの腹からは血は一滴も出ていない。その状況に心当たりがあった。俺の予想通りにヤツの身体から力が抜けていくのが見て取れる。
「な、んでッ……」
 剣から手に、そして腕から肩へ。ゆっくりとそいつは姿を現す。
「なんで、オレもなんだよッ……このクソジジィッ‼」
 見覚えのある姿に腹の底からどす黒い何かが迫り上がってきそうだった。アイツの腹に刺さっている可視化できる剣は、アイツの中にある魔力を奪っていっているんだろう。自分の中から魔力が消えていくのがわかるのか、忌々しく後ろを振り返ったヤツは構うことなく口汚く罵倒した。
「元はと言えばこちらが与えた魔力、お前の物ではない」
 低く重く響いた声に、アミィが俺の服の袖を掴む。指先が小さく震えていた。
「だがご苦労だったな、サースト」
「カハッ!」
 アイツの腹から剣が抜かれ、力なく崩れ落ちていく身体はそのまま穢れている湖へと落ちていった。
「まさか、アイツ……」
「……ああ」
 目の前に現れた男は、イグニート国の王だ。
 ヤツは落ちていったアイツの姿に目もくれずこっちに顔を向けてくる。アミィやエルダに向かっていた視線だったが最終的に俺のところに向けられた。
「……やはりお前は、桁違いだ。完成されたものはまた一味違う」
「はぁ……?」
 俺の認識があったのかよと内心毒づきつつ、何を言い出したんだこのジジィはと眉間に皺を寄せる。まさかこの場にイグニート国の王が現れるとは思っていなかったウィルだが、それでも剣を構える。フレイたちも同様にだ。それもそうだ、目の前に世界がこうなった原因と言えるヤツがいる。
「ぅ、あ……?」
 そんな小さな声と共にドサッと何かが倒れ込む音が聞こえた。視線をヤツから僅かに逸らし音のするほうへと目を向けてみると、アミィが喉を押さえ顔面を真っ青にしながら苦しそうに倒れている。
 それを皮切りに他の連中も苦しそうに表情を歪め膝を折り、倒れ、うずくまっている。一体何が起こった、そう思った瞬間に目の前が一瞬ぐらりと揺れる。
「この剣は『赤』に発明させたのだ――魔力を奪い吸い取る剣として、な」
「な……」
 身体が傾き地面に手を付く。あの剣は身体の中にある魔力の流れを止める、わけではなく奪うものだったのか。だがあれは直接人に触れさせる必要があったんじゃないかと揺れる視界で奥歯を噛みしめる。
 俺の時もさっきのアイツの時も、身体の中にある魔力に直接当てていた。だが今目の前にいるイグニート国の王はどうだ、ただ剣を掲げているだけ。もしかしてと段々鈍くなっていく思考に頭を振り耐えながらも、考えを巡らせる。あの赤髪の女、アイツがまた何か手を加えたのか。
「ぅ、うぅっ……」
 フレイはまだなんとか持ち堪えている、だが元から魔力量の多い人間……アミィとエルダはもう息も絶え絶えだ。このままだとあの剣に魔力を吸われっぱなしになってしまう。
「無駄な足掻きを。お前が一番身に堪えるだろう」
「ク、ソが……!」
 とうとう身体の力が入らなくなる。だがそうも言ってられない。朦朧とする意識の中指先を小さく動かした。身体が引っ張られる感覚、自分の下にはもう地面はない――そこまで認識はできた。その直後にブツンと意識が飛んだ。
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