krystallos

みけねこ

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97.秒針の音①

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 一つ息を吐き出せば、途端に身体に疲労が襲う。自分だからこの程度で済んでいる。顔を上げ周りを見渡しれみれば、誰も彼もすっかり疲弊してしまい膝に手を付いている者や座り込んでいる者もいた。
 そうなるのも仕方がない。なんせ南に位置しているシュタール国が山を超え、ひたすら我が国のプロクス国へ対する猛攻を続けている。かなりの兵士を投入して食い止めているもののこうも続くとこちらの身体が持たない。
 シュタール国はよく鉱石が採掘できるようで、戦う度に新しい武器防具を身に着けている。どんどん強力になっていくそれらは多少壊したところで一度は後方へと戻り、そしてまた新しい武器防具を身に着けて前線へやってくる。反してこちらの装備は心許ない。シュタール国のように大量に武器防具を生産できるわけでもなく、必死に修繕を繰り返して使っている程度だ。
 今や世界各地で戦争が勃発している。土地をめぐり優秀な人間をめぐり、力で勝ち得た者がそれらを手に入れることができるという認識がすべての国の中にあった。その最中で巻き添えにあった小さな村や街は数知れず。勝っては負けて、負けた者のは復讐心に駆られまた相手を倒しとそうして負の連鎖が生まれそれは留まるところを知らない。
 終わりの見えない戦いに兵士の体力精神力は確実に削られていく。しかもプロクス国は物量で勝てる相手ではない国と戦っている。しかしそうまでしても戦いをやめないのは、やめられない理由があるからだ。
「さっきは見事だったな」
 思考の海に沈みかけた頃にふとそんな言葉が降ってきた。いつの間にか俯けていた顔を上げ声のほうへと視線を向けると、自分と同じように甲冑を着て周りの者と比べて随分としっかりと立っている青年がそこにいた。
「やはり瞳の色は魔力量と関係しているんだろうか」
「さぁ……どうかな。そういう話が出てきているということは聞いたことがあるけれど」
「さっきの君の戦いは見事だった。前線で剣を振るい敵に臆さない姿は他の者にも勇気を与える。君は『赤』のようだが、それにしても見事だった」
「はは……どうだろう。『赤』の瞳をしている者は私の他にもたくさんいるけれど」
「その中でも群を抜いていた、ということだ。隣、いいか?」
「ああ、どうぞ」
 壁に寄りかかっている状態だったが、私に一つ断りを入れた彼は同じように壁に凭れかけ全体を見渡していた。どこをどう見ても疲弊している兵士ばかり。この状態じゃ士気もそう上がらないだろう。
「シュタール国は強いな」
「そうだね。倒れた彼らの防具を剥ぎ取りたいぐらいだよ」
「しかし先に向こうが仲間を連れて行くからそれも叶わないな。資源に恵まれていることをこれほど羨ましく思ったことはない」
「確かに」
 シュタール国は物量で押してきているが、兵士の練度はプロクス国ほどでもない。ただ防具のおかげで倒れる兵士も少なく負傷も小さいため、早く前線に戻ってくる。厄介だ、叩いたところでそれは焼け石に水。
「なぜ、ここまで執拗にプロクス国に攻めてくると思う?」
「それは……守護の炎目当てだろう」
 守護の炎と言われる、プロクス国の中心で常に灯っている炎がある。その炎は火の精霊の力を強く宿しており、炎が灯っている限りプロクス国が滅ぶことはないと言われている。実際その炎はひたすらにプロクス国のみならずこの大陸全体を守っていた。
 ではなぜシュタール国が守護の炎を狙っているのか。プロクス国の強固な守りとなっている炎だが、逆を返せばそれを失ってしまったら守りがなくなってしまうということ。そして何より。剣は鎧を作る時、必ずそこに必要になるものがある。
「……プロクス国の守りを解除させ、尚且つその炎で新しい武器防具を打つ。シュタール国にとっては美味しい話しかない」
「そういうことだろうね」
 だからプロクス国はシュタール国に対して負けを認めるわけにはいかなかった。負けた瞬間炎が奪われ国が滅ぶ。守護の炎で打った剣はさぞかし強いものになるだろう。その剣でプロクス国とはまた違う国に攻め入るに違いない。
 西にあるルスティッヒ国のある大陸はその東南地方はすでにシュタール国に攻め入られ壊滅的な状況になっていると聞いた。各地で戦争が勃発しているとはいえ、二つの国が戦っている最中に横から割って入り勝利を掻っ攫っていく。兵士の練度はそこそこだが、武器も防具も揃えることができるシュタール国だからこそできることだ。
「俺はこの戦でつくづく思っている。やはり、力こそすべてだ。力がなければすべて奪われていく。力のないものに容赦をする者などこの世界にはいない」
 青年の言葉通りだ。今のところ蹂躙されているところはすべて力のないところだった。反撃することも適わずあっという間に制圧されていく。こうして私たちが今のところ踏みとどまれているのは、先程彼も言っていたけれど我が国は他に比べて『赤』の瞳を持った者が多いからだ。
 恐らく今のところ国としてまだ成り立っているところは似たようなものなのだろう。最近瞳の色によって自身の中にある魔力量に差があるということを研究者が口にし始めていた。今まで特に瞳の色に関して誰もが気に留めるようなことはなかったけれど、その言葉に徐々に瞳の色を確認することが増えてきたような気がする。
「俺も、『赤』の瞳だったならもっと戦果を上げることができただろうに」
 そう言って私から視線を外した彼に、小さく笑みを向ける。彼の瞳は透き通るようなとても綺麗な『青』だ。ただ研究で『青』は一般的とされていた。
「それでも、君は今もしっかりと立っている。他の者たちよりも剣の腕がいいからだ。きっと君にとって瞳の色なんて関係ないんだよ。実力があるから、こうして立っていられる」
 他の一般的とされている瞳の色の持ち主たちは、みな疲れ切って立つことすらままならない。そんな中でも疲れを感じさせない、毅然と立っている姿は彼の実力を物語っていた。『赤』の瞳でも疲れが見え始めている者もいるというのに見事なものだ。
「……俺の名はアンビシオンだ。君の名を聞いてもいいだろうか」
 『青』の瞳を真っ直ぐに向けてきた彼に、笑みを浮かべ小さく頷く。
「私はルーファス。見たところ君と私はあまり歳が変わらない感じかな? よろしくね、アンビシオン」
「ああ、よろしく頼む。ルーファス」
 何度も前線で戦い何人もの人間との出会いを果たしたことはあるものの、アンビシオンとの出会いはこれが初めてだった。

 それからアンビシオンと行動を共にすることが増えていった。彼はどうやら『赤』の瞳の持ち主に関心があるようだ。今までも何人か見てきたけれど、ああして声をかけ会話することができたのは私が初めてだったと言う。確かに他の『赤』の瞳は少し話しかけづらい雰囲気はあるし、何より殆どが私たちよりも歳が上だ。戦場という場所でそう気軽に声をかけることは難しいかもしれない。
 けれど瞳の色を抜きにしても、アンビシオンは私に心を砕いてくれていたと思う。歳が近いのが大きい。そして何より彼は瞳の色に関係なく強かった。剣術は他の者よりもずっと優れており、だからこそこうして生き残っている。時と場合によってそれぞれ配置される場所は別々の時もあるけれど、一段落ついて後方に戻る時に彼の姿を見てホッとするのと同時に流石という気持ちもあった。
「強いな、アンビシオンは」
 彼と会う度にそう口にしてしまう。きっと剣術だけの勝負だとアンビシオンには敵わない。私がこうして生き残れているのは他の者たちよりも魔術に優れているからだ。
「いいや、強いのはお前だルーファス。距離があってもお前の活躍は耳に入ってくる」
「またまた、それを言うなら君のほうだろアンビシオン」
 互いにそんなことを口にして、そしてフフッと笑みをこぼす。戦いは相変わらず厳しいものの、活躍している者がいれば士気も上がる。この頃には私とアンビシオンがその役割を担っていた。
「最近シュタール国の兵士の進軍が徐々にだが遅くなっていってるらしい。武具の生産に追いついてないんだと」
 一度後方に戻り防具を外しながら口を動かす。武器防具の点検はプロクス国にとっては重要なことだ。その最中に軽くパンなどを口に運びつつも、どこか損傷がないかしっかりと確認していく。
「あれほど強い武器防具を作っておきながら?」
「その武器防具を作るには採掘も進めなければならない。人手不足に陥っているところ他所の国から連れてきた者たちを奴隷として利用していたようだが、そこで問題が発生したのだろうな」
「なるほど、ね」
 物量で押しているとはいえ、確実に兵力は削られていっている。武器防具を作れたとしてもそれを使う人間がいなければ何の役にも立たない。逆にまだ兵力はあるにしても戦いに出れば出るほど武器防具も消費されていく。それを作るには鉱石の発掘を滞らせることはできない。
 シュタール国の内状がどうなっているかはわからないが、侵略したところから人間を連れて使ったとなると何も問題が起こるはずもなく。どこもかしこも自分たちの国を街を村を、大切な人を守るために必死に抵抗していた。だからこそ、攻め込んだ人間たちに向ける感情が明るいものなわけがない。
「形勢逆転する好機はあるかもしれない」
 腕の防具を外しながらそう口にしたアンビシオンの『青』の瞳は、薄暗く輝いていた。
 その事が今の私にとって少し危惧しているところでもあった。初めて出会った時の、あんなにも真っ直ぐで澄んでいた『青』の瞳が戦いが続けば続くほど、どんどん淀んでいっているように思えてならない。
 それは決してめずらしいことではないけれど。周囲にもそういう人間はたくさんいる。けれど、私は綺麗だと思っていた『青』の色が変わっていっているような気がして、気が気でなかった。
 そんな私たちにとって、ある転機が訪れた。恐らくアンビシオンの言っていた「好機」というものだろう。それがどう転がってしまうのか、この頃の私たちにはまったく予想できないでいた。
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