krystallos

みけねこ

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112.反撃の狼煙②

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「隊列を整えろ! 足並みが乱れると攻め込まれるぞ! 絶対に民に近寄らせるな‼」
「はっ!」
 突如として大量に現れた兵士たち。そいつらがどこの国の兵士なんぞ見ればすぐにわかる。何度も何度も、嫌というほど目にしたその鎧を着ている国は一つしかない。
 あちこちで上がる喧騒に辺りは一気に慌ただしくなる。今まで何度も攻め込まれはしたものの、こうして突如兵士が目の前に現れるのはこれが初めてだった。だが、初めてとはいえ狼狽える騎士など一人もない。
「ミストラル国で起こったことと同一だな」
 ミストラル国が強襲を受けたという報告は各国共有している。なぜイグニート国の兵士が今まで相手していた連中とは違い半ば屍のような姿をしているのか。なぜ突然こうも湧いてきたのか。そしてそれを可能としているのは一体誰なのか。ミストラル国は何一つ隠すことはせずこちらにも報告してきた。
 対処としては火の魔術を放つかこれを操っている赤髪の女を退けることができれば、イグニート国の屍となりながらも動かされている兵士たちの動きを止めることができる。ということだったが。
 前者はすでに魔術を得意としている者たちに任せてはいる。だが如何せん数が多い。魔術で対処できなかったものはこちらで対処しているようにはしているが、例え剣で腕を斬り落としたところで意思のない屍は恐れをなし歩みを止めることはしない。
「カヴァリエーレ団長! 西側が押され気味です!」
「第三騎士団と合流し連携しろ!」
「はっ!」
「団長! 民たちの避難は終えました!」
「ならば第一騎士団の後方支援を頼む!」
「はい!」
 部下たちに指示を飛ばしながら剣を横に振り払う。足が崩れ落ちたところ後方から火球が飛んできて屍は灰へと化した。屍が魔術によって動いているだけのせいか、イグニート国の兵士たちはそこまでの熟練度はない。連携も取れておらずただ剣を振り回しているだけにすぎない。
 ただ、通常ならば簡単に押し返せることができるものだが今回は圧倒的に向こうの数が多い。いくら倒したところで後方から次から次へと湧いて出てくる。ミストラル国が言っていたとおり大元である赤髪の女を倒す必要があるんだろう。
 だがどこを見渡しても女の姿は見当たらない。赤髪に『赤』というのだから誰かと見間違うわけもない。映像として送られてきた女の顔を思い返してはみるが、それに該当する外見はどこにもいない。
「このままではジリ貧だぞ……!」
 向こうは屍で痛みも感じない。だかこちらは生身の人間だ。剣を振り下ろされれば血も出るし動き続ければ体力も消耗する。まるでいくらでも換えはあると言わんばかりに湧き出てくる兵士に対し、時間がかかるとじわじわと押し進められてしまうのはこちらのほうだ。
 別の部隊が女の姿を探しているという報告は受けた。だがそれに続く吉報はまだ届いていない。それにこれだけの数であれば我が王は流石に他国に協力要請をしているだろうが、援軍が来ないところを見ると他国も同じような状況に陥っている可能性もある。
「だ、団長!」
「……!」
 部下の一人がめずらしく動揺した声色で俺の名を呼んだ。瞬時にそちらに視線を向け大きく表情を歪ませる。
「……チッ……イグニートの連中めッ……!」
 ゆらゆらと身体を揺らし、剣を握り締めた手をだらりと下ろした状態で近付いてくる姿に部下たちに緊張が走る。
 今目の前にいるのは、毛嫌いしているイグニート国の兵士の鎧ではない。苦楽を共にし、そして国のため大切な者を守るためにとその命を散らした同胞の鎧だ。
「ベイル……!」
「ジェームズまでっ」
 それは、故郷に連れ帰ることができなかった仲間たちの亡骸。部下たちの悲痛な声は相手には届かない。その亡骸が今は意思もなく彷徨い剣を片手にこちらに振り下ろしてくる。
「狼狽えるな! ここで引けば傷付くのはお前たちの家族だぞ‼」
「っ……はいッ」
「許せ……!」
 部下たちが剣を構え亡骸へと薙ぎ払う。どこを斬り落とそうとも戦うことをやめない亡骸に部下の目の端に涙が浮かんでいるのが見えた。だがここで亡き友を思い剣を下ろせば、大切なものは守れなくなってしまう。
 火の魔術が放たれ灰になっていく姿は意味で彼らに対する弔いでもあるのだろう。

 いくらでも剣を振るい、同胞を傷付けても尚、一向に敵が減る様子は見られない。日頃鍛錬している騎士たちの呼吸も段々と荒々しくなってくる。深い傷を負う者たちも出てきて後方では治癒に勤しむ者たちが慌ただしく動いているに違いない。だが騎士が傷を癒やしすぐに前線に出てこれるためにと後方に控えている治癒師だが、そこもいつまでも安全だとは言えない。
 赤髪の女の姿は相変わらず見当たらない。こちらが一方的に消耗させられている。今のところ国内に入り込んだきたという情報が一切入ってきていないのが幸いと言うべきか。それぞれの騎士団が奮闘しているが、終わりの見えない戦いは次第に騎士たちの精神をじわじわと疲弊させていく。
 ここは俺自身が更に奥に突っ込んで、打開するべきか。
 自身が無事でいる確率は低いだろうが、それでも他の騎士たちの負担が減るのであればそうすべきだろう。自分よりも若い騎士が生き残れるのであれば、上司である俺がこの身を挺するのは当然のことだ。
 少し離れた場所で戦っている部下の名を呼ぶ。そいつは第二騎士団の副団長だ。
「今から第二騎士団の指揮権はお前に譲る」
「っ……! カヴァリエーレ団長、それはっ……!」
「頼んだぞ」
「ッ……はい……!」
 肩を軽く叩き小さく口角を上げる。騎士団団長が指揮権を譲る意味を副団長がわからないわけがない。若干涙ぐむ部下にそんな顔をするなと言いたいところだが、そんなことを言う時間もなさそうだ。身を翻し部下に背を向け、大きく足を前に踏み出す。
 その直後、一瞬だけ風が顔の隣を通り過ぎた……ような気がした。それがどうでもよくなるほど、目の前でさっきまでとはまた違う意味で表情を大きく歪めることが起こったからだ。
「やぁカルディア。元気そうだね」
「貴様ッ……何をしにこの場に現れた!」
 目の前に現れたのは黒の装い、地味な色合いに対してその髪と目の色は随分と派手な男。その男が、決してこういう場に立つことはないと思っていた人間が転移魔術を使って目の前に現れた。ただでさえ腹を立てる相手だというのに緊迫したこの状況下で間抜けなそのツラを見ると尚更腹立たしくなる。
 だが俺の言葉に笑みを向けてきたかと思うとそいつは指を突き出し、自身の周囲に文字のようなものを次々に綴っていく。淡く浮かび上がるそれにさっきまで涙ぐんでいたはずの副団長の目も丸くなる。
 やがて書き始めた文字に繋げるように最後の文字が綴られた。バチンと音が鳴り、男が眼前を見据える。
「取りあえず、周辺は一気に済ませよう」
 その言葉を合図に、膨大な炎が現れた。これほどの炎は俺たちも焼き尽くすんじゃないかと思うほどのものだったが、火の粉は身体に降りかかることなくまた熱さも感じることはない。ただ屍となった者たちの身体のみを焼き尽くし灰に変えた。
「お前……魔術は使わないんじゃなかったのか」
 教会にいる時はもちろん戦うことなど滅多になく、俺と対峙した時も教会に対する結界と自身に対する強化魔術を施した程度。この男が攻撃魔術を使ったのをこの目で見たことは今まで一度もなかった。
「怪我人はラピス教会に運ぶよ。私の教え子たちがちゃんと待機してる」
「……! 治癒師たちに伝えろ。怪我人はこの男が運ぶと」
「はい! ルーファス神父、ありがとうございます!」
「いえいえ~。ラピス教会の役目は傷を負った人たちを癒やすことだからね。今すぐ治療が必要な人たちは私が転移魔術で運ぶから」
 ここからラピス教会までだと多少距離がある。ウィンドシア大陸には訓練として遠征で行くだけで早々に足を踏み入れることはしない。もし遠征以外でパブティスタ国の騎士がウィンドシア大陸に向かう場合は事前に申請を行う必要があるからだ。よって、もし怪我人を運べたとしてもそうスムーズにラピス教会へ向かうことは難しいと思っていた。
 それをこの男一人で解決できるのであれば、普段腹立たしく思っていても背に腹は代えられない。
 この男が辺りを一層してくれたおかげで一度しっかりと状況把握できるようになった。手が不足しているところ、怪我人が多いところ、被害が多いところを報告連絡しそれぞれの部隊がそれを互いに補っていく。
 怪我人は後方に下がらせていたためラピス教会に運ぶのにそう時間はかからなかったようだ。男が一度後方へと向かったかと思うとすぐに俺たちのいる前線へと戻ってきた。
「正直今どこも同じ状況だよ」
「やはりそうか……」
「あと、君たちが探しているであろうアイヴィー・アストゥは残念ながら前線にいない。イグニート国でじっくりと腰を据えているみたいだ」
「チッ……これだけの人数を一体どれだけの魔力で操っているんだ」
「彼女も『赤』だからねぇ」
 そう言って目の前にある『赤』は瞳を一度閉じ細く息を吐き出した。男曰く、例の赤髪の女は俺の部下も含む『人間兵器』一行が対処しに向かったそうだ。
 そいつが向こう側に付く可能性を考えなかったのかと眉間の皺を深くする。俺たちを欺き続けた男は元はイグニート国の『人間兵器』。今のこの状況も十年前と酷似している。あの男が向こう側に付くとなると戦いが厳しくなる、という生易しいものではなくなってしまう。
「ああ、それなら心配ないよ。あの子はきっと止めてくれるさ」
「なぜそう言い切れる」
「そうだなぁ……あの子がそれを望んでいたらきっと、十年前に成し遂げていたさ」
 よくも事もなげに。そんなふわふわの頭でヤツらをそのまま見送ったのかと荒々しく舌打ちをすれば、男はいつもと同じように、俺をからかうかのように楽しげに笑った。
「さて、私たちは私たちで頑張ろうか。イグニート国の兵士たちも問題だけど、この大地がそう長く保たない」
「……! また、地面が大きく揺れるということか」
「今は精霊たちが頑張ってくれるけどね。でも今回のでまた穢れが広がった。私には僅かであっても大きく穢れを祓うことはできない」
「次から次へと……!」
 長年イグニート国に頭を悩ませ続けたというのに、更に問題が生じるというのか。騎士にそう簡単に安らぎなど訪れるわけはないと思っていたが、だが一日ぐらい休むが欲しいものだとボヤいてしまっても仕方がない。
 ふと鎧越しだというのになぜか背中にぬくもりを感じた。忌々しげに僅かに顔を向けてみると『赤』と目が合う。
「大丈夫だよ、きっと」
 そう言って、男は目の前に屍の兵士たちが現れたらまた攻撃魔術を使うのだろう。いつも掴みどころのない、人をからかい飄々としているくせに。なぜこの男はいつもこうなんだ。
 いつも考えないようにしていた疑問が不意に頭に浮かぶ。この男は覚えていないだろう。二十年以上前のことなんざ。初めて訪れた大陸で親とはぐれ、迷子になっていた子どものことなんざ。その子どもに身を屈め手を差し伸べたことなんざ。
 その頃からずっと変わらない姿に、俺がなんの疑問も持っていないとでも思っているのだろうか。
 結局男は何一つ語ることなく誰かのために戦う道を選んでいる。
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