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1章 怪盗デュークと至宝のアクアマリン
24.僕は断じて奥方ではありません
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廊下を歩くたびに、使用人の人たちから驚愕の眼で見られる。どうにも担当エリアや職種によって当主に殺到してくるエリアもあれば、遠くからこっそり伺う人たちもいて、こういう一つの邸宅にもいろんな社会が形成されてるんだという発見をした。「へっぽこ探偵」と子供に指を差されて馬鹿にされていたユーロイス帝国とは大違いの扱いである。
食事を取るために向かっていると、初老の品のいい男性が近づいてきた。
「当主様、ご用意出来ました」
「ああ、ご苦労」
この方が執事なのだろう。モノクルをつけて、ところどころ白髪の入った髪をオールバックにしている。燕尾服も皴一つなく、丁寧な性格が伺える。
けれど、話ではこの人がトンチキ翻訳をしている人ではなかっただろうか。こんな仕事が出来そうな人になんてことをさせてるんだ。
「では私共は外しておりますので、夫婦ごゆっくりお過ごしください」
「いや夫婦じゃないです」
翻訳したなら僕たちは本当にただの他人って分かるはずなんだけどなあ。僕の発言に執事は驚いた顔でこちらを見る。この人あれだ。現実と自分の妄想の境目が分からなくなってる人だ。
食堂は親族一同を招くことを想定しているのか、想像以上に広い場所だった。けれど料理はそんな大きな机の一角に二人分置かれている。
「夕食の時はフルコースになるのだけれど、昼間は基本私は執務しているからね。予めすべての皿を置いてもらってなるべく早く食していくんだよ」
「昼間多忙なのになんで喫茶店に来てたんですか・・・?」
「食後のデザートというやつだよ。良ければこの家でも君が淹れてくれると嬉しいな」
質問の答えになっていない。なんかこの人とは微妙に会話がずれるよなあ。もういいや。
ディアさんに誘導され、僕は席に着く。テーブルマナーは知識としてはマスターしているが、いかんせん仕事以外の場で披露することはなかった。ましてやここは異国。ディアさんしかいないのは幸いだ。僕はディアさんの挙動をじっと観察する。
「ひょっとしてこの国でのマナーについて気にしているのかな?ここには僕たちしかいないからゆっくりしてくれてかまわないよ」
「ありがとうございます」
確かに僕は捕虜なのでマナー云々は深く考えなくてもいいのかもしれない。
目の前にはサーモンのカルパッチョ、コンソメスープ、スズキのビネガーソテー、パンが並べられており一皿一皿見栄えがいいように丁寧に盛り付けと飾り付けがされている。
まずはカルパッチョを頂いてみる。お酢の酸味が野菜をさらに引き立てていてとてもおいしい。スープは食べやすいように野菜をブロック切りにして丁寧に煮込んでおり、雑味がない。どれも、どれも大変美味しい。ユーロイス帝国は食文化があまり発達しなかったこともあり、あまりの感動に食べる手が止まらない。
「ふふ、気に入ってくれたようでうれしいよ。実はこの国も食文化は未発達だから、周辺の国で経験を積んできたシェフを何人も雇っていてね。存分に楽しんでいってほしい」
美味しい食事、ふかふかのベッド、気持ちがいい浴室、綺麗な庭園、ここにはすべてが揃っている。なんならへっぽこと言われることもない。ここは最高だ。
・・・待て待て待て、ユーロイス帝国には親交の深い人たちも多い。やっぱりここに留まるわけにはいかない。何よりデュークに飼い殺されるのが嫌だ。僕は女性が好きなので、ちゃんと探偵業で自立して暖かい家庭を築く方が幸せなんだ。こんなおいしいご飯で簡単に懐柔できると思わないで欲しい。
僕はじっとディアさんを見た。
「・・・?僕の顔に何かついてるかい?」
そうして食事は穏やかに終わった。
するとディアさんは何やら呟き、おそらく食事を用意する場所である隣室から複数人の使用人が現れる。頭を下げ、食器を全て下げていく。迅速な動きではあるが、しかしてきぱき動く使用人たちが僕の視界から外れると、何やら視線は感じた。非常に視線を感じた。
「コホン」
ディアさんの咳払いによって、慌てて撤収していく。
「さて、ここで君にはコーヒーを淹れてもらいたいと思っているのだけれど・・・。・・・おや」
ディアさんの会話の途中で部屋の外からノックの音がする。先ほど食事前に会った執事が食堂に入ってきた。僕たちに一礼し、ディアさんに近づいて何やら耳打ちをする。ディアさんは無言で首を振ったのち、しかし執事も引き下がらないため小さくため息をついた。
「シアン君、僕は少々執務に戻っているよ。君は引き続き寛いでいてくれたまえ。ゼル」
「承知しました。シアン様、貴方様には私がおつき致します」
「いえ、一人で大丈夫です」
「そうおっしゃらず」
ディアさんは「仲良くね」とだけ言い残してその場を去って行った。こういうのは明らかに筆頭そうなこのゼルと呼ばれる執事が当主を補佐して、僕のような捕虜には他の執事をつけるのが普通ではないだろうか。
ここから脱走を考えるのに、こういう隙のなさそうな人では相性が悪い。メルがこちらに連れてこられたのは安心である反面、脱走を考えた場合幼い女の子を抱えながらということを考えると相当動きづらい。
・・・ディアさんがいないチャンスとはいえ仕方がない。今日は情報収集に徹しよう。
「ではシアン様、ここから先は私めが邸宅のご案内をいたします。よろしくお願いします」
深々と頭を下げられる。こちらはただの庶民なのでそういうことは本当に慣れずに居心地が悪い。けれど、ディアさんから命令を受けているだろう人に「やめて」というのも二重命令になってそれもまた迷惑だろう。僕はただ苦笑いでうなずいた。
執事のゼルさんに案内されて客室、使用人室、遊戯室といった場所を見せられていく。
「・・・あの。捕虜にこういう邸宅の構造って教えていいんですかね」
僕が客人であっても使用人室の案内は流石におかしい。そういった場所は普通は隠すはずだ。
「捕虜?あなたはこの邸宅の奥方なのですから、予め知っておいてください」
「いやいやいや、僕は捕虜です」
「いえいえいえ、奥方様です」
認識の齟齬が生じている。主人が主人なら執事も執事というやつか。僕たちは困惑の中、ただ無言で視線を交差させる。こう、互いに「何を言ってるんだろうこの人は」という疑問を抱えながら。
「あの、本日の僕はどこに寝泊ればいいでしょうか」
「もちろん当主様のベッドで一緒に就寝いたしてください」
「話は変わるのですが、この邸宅って牢ってありますか?」
「ええ、地下牢がございます」
突然の話の切り替わりにゼルさんは戸惑う。
「そちらへ僕を案内いただけますか?」
「いえいえ、貴方様をそんなところへは連れていけません」
「いやいや、そういう場所もきちっと見ておく義務が僕にはあるんですよ」
再び無言。向こうはこちらの意図が全然読めていない。その隙を僕は見逃さなかった。
「僕の今日の寝泊まり、地下牢が空いていればそこがいいのですけれど」
「絶対駄目です。どうしてでしょうか、ベッドの素材が合わなかったのでしょうか」
「いえ、地下牢の方が絶対に快眠が取れる自信があります。大丈夫ですから」
あの気持ち悪い壁と天井に包まれながら、犯罪者と一緒のベッドで寝ろということだろう?絶対地下牢の方が100倍快適でしょうが。
「シアン様、失念しておりました。地下牢は昨日封鎖しておりまして、申し訳ございませんが当主様の許可抜きに立ち入りは出来ません」
「今僕の真偽センサーがかかったのですが、まあ、でしたら掃除の迷惑をお掛けしますが客室でお願いします」
「駄目です。当主様と奥方様を客室に寝かせる邸宅は存在しません」
「なんで僕があの人と一緒のベッドを使う前提なんでしょうね!?」
平行線になっているこの議論、僕たちはまるでカバディでもしているかのように心の距離があった。一旦協定を結んで、案内を終え一度当主の部屋へ戻ることになった。
「お茶が欲しい時は遠慮せずこちらの鈴でお呼びください。では私は外で控えておりますので」
そうか、廊下が長いせいでドアのすぐ外に待機していないと聞こえないのか。僕のために廊下で棒立ちさせるのは心が痛い。
「ゼルさんも座って下さい。暇なのでお話して欲しいです」
「いえいえ、邸宅の主の部屋の椅子に腰かける使用人はございません」
「でしたら中でお話ししましょう」
「もし奥方様が客室への移動を断念していただけましたら是非とも」
「奥方様という不名誉な呼び方も込みで検討お願いします」
またもや無言の空間。ゼルさんは肩の力を抜く。
「かしこまりましたシアン様。ただ、私は立ったままでよろしいでしょうか」
「はい」
一応解決の道に収まった。
ゼルさんは一度廊下の外に話かけ、しばらくすると別の使用人が紅茶を持ってきた。僕一人分だ。執事として勤務中に飲むわけにはいかないのだろう。
テーブルに置かれた品のいい茶器を手に取り、口に含む。ダージリンだ。シンプルな味ではあるが全く雑味がない。食後の舌にはこれくらいの茶が一番楽しめるのだとよくわかっている。町子さんの喫茶店では紅茶は邪道だったため、久々の香りに僕はリラックスしていた。
「さて、何からお話いたしましょう」
ゼルさんは僕の斜め後ろに立ちながら、尋ねてきた。聞きたいことは山ほどある。一つずつ疑問を解消していこう。
「『至宝のアクアマリンと事件簿』のこの国の翻訳版は、貴方が執筆したのですか?」
「・・・・・」
ゼルさんはさっそく静かになった。僕は茶器をテーブルに置き、斜め後ろのゼルさんの顔を伺う。彼は顔を背けており、心なしか顔が赤い。
「僕は先ほど原作の存在を知ったばかりですので、何も知らないんですけれど、沈黙は肯定ということでよろしいでしょうか?」
「まだ読まれていない。なるほど。はい、確かに私が翻訳しました」
僕の言葉に安堵したのか、顔を戻す。
「当主様の命令で翻訳したのですが、その際に『助手の下りは全部カットしなさい』と命令を頂きました。私としましても一読者として貴方様の活躍のパートはとても楽しかったのですが、助手パートについてはファンタジー要素が多いと判断し、修正作業を致しました」
「なんか僕とディアさんのロマンス要素っていう噂を聞いたんですが、よりファンタジー度増してませんか」
「そんなことはありません。けれど貴方様は読むのは控えていただけますと私が嬉しいです」
ゼルさんはもじもじしながら答える。「そんなことはない」という部分に僕の嘘サーチは反応したぞ。まだ読んでないのに、多大な風評被害が浸透していないだろうかこの本のせいで。あとで寝室にあるやつをこっそり読もう。貴重だろうが何だろうがもう知らない。というか僕はあの本のために体をディアさんに捧げたのだから読む権利はあるだろう。
ゼルさんはまだもじもじしている。初老の男性のもじもじは流石に初めて見たなあ。
「ディアさんはどうして怪盗なんてやっているんですか?」
「それにつきましては、あなたもある程度は推理を終えているのではないでしょうか」
ゼルさんは先ほどのもじもじを改め、咳ばらいをしてそう答えた。そう、彼の動機は推理を終えている。けれど、それが怪盗でなくてはならない理由が分からない。
「さて、この公爵家の一族は、世界各地の呪いの品を保有していたことはご存じでしょうか」
「はい、噂程度ですが聞きました」
「ディアウィンド様の二代前の当主様が呪物コレクターでした。一品集まるごとに一族の有する能力は強化され、例えば二代前の当主様も、本当に手品に、近い小さな能力でした。それが孫までできるほどの年月が経ち、集まりきったときには現当主のディアウィンド様は国すら簡単に渡れるほど強化されたのです」
一品集まるほどに子孫にまで能力が強化されていくのなら、誰だって集めたくなるだろう。けれど世の中そんな美味い話は無い。必ず代償を払うことになる。
「そう、病死、不審死、事故死。それらが先代夫婦、ディアウィンド様のご兄弟を襲いました。一人、また一人と不思議な死を遂げていき、けれどもおじい様は決してコレクションを手放しませんでした」
「そんなことが起こっているのに?家族が亡くなっていくのにですか?」
ゼルさんはこくんと頷く。
そのディアさんのおじいさんがどんな人かは存じない。けれど、せっかく大金と時間を使って集めたものを手放すことは出来なかったのだろう。一人、二人の死であれば偶然と認識し、三人四人の段階でやっと疑いだす。けれど能力が強化される事実を前に宝を手放したくなかったのか、それとも自分のコレクションのせいで家族が死ぬという現実を直視できなかったのか。
「当時10代のディアウィンド様にも呪いの矛先は向かいました。不眠症と重い頭痛です。死に直結するものでなかったのは不幸中の幸いでしたが、しかし頭痛というのは重いものになると自死を考えるほど辛いものです。ディアウィンド様はご両親を亡くされ、呪いの品々を祓うことを配下に指示しました」
「そのまま捨てては駄目なのでしょうか。彼なら遠い海の底でも土の中でも飛ばせますよね」
「怨念に距離はございません。確かに遠ざければ効力は弱りますが、きちっと祓わねば、呪いは解けないのです。けれど、一つ一つの品は領地の年収に匹敵するほどの品々。効率よく祓おうとしてディアウィンド様は別荘から運ばせ一か所に集めましたが、しかし目の前に宝の山があるのに手を出さない人がいるでしょうか」
使用人もしくは業者の誰かの盗みにあい、各地に売却された。呪いの品が誰のものなのか、噂になるほど有名であれば公爵家に見つからないよう闇オークションを経由した可能性が高い。すると利用した者たちは前の持ち主が誰かを知っていたうえで後ろめたいことをしたことになる。
そこに「大公」を名乗る怪盗が現れれば、報復を恐れて誰もが口を閉ざすだろう。それであればただ品を奪われるだけの方が100倍マシだ。
「ディアさんは、呪いがほかの人に移らないようにするために盗みを?」
「それもございますが、売却して持ち主がほかに移ったとて、彼を悩ます症状は依然、改善しなかったためです。呪いの品々は手放してなお払われるまでディアウィンド様のことを主と認識しているのです」
集めなおして、また祓う。
そのために彼は怪盗として盗みを繰り返した。
資金を貯めて買い戻せばいい?言うは易しだが実際はそんな大金は簡単に集まらない。足元だって見られるだろう。
けれどデュークの名が広まれば、いずれは心当たりのある者たちはそれぞれアクションを取る。故に予告状で警告を送っていたのだ。
「いえ、あの方が予告状を送っていたのは警告のためではありません。もっと別の理由です」
「別の理由?」
「ええ、シアン様。貴方と巡り合うためです」
ここでようやく僕が登場してきた。けれど、殺人事件に特化している僕が、ディアさんの一件と何のかかわりがあるのだろうか。
「ディアウィンド様は各地の情報を集め呪いの品の座標の特定をしておりました。不眠症や頭痛に依然悩まされながら。そんなある日、貴方の記事を見かけた時、頭の靄がすべて晴れていったそうです。それはもう、運命の番を見つけたとか」
おっと・・・。
先ほどまで真面目な話をしてたのに流れが変わったぞ。
「ディアウィンド様は貴方の記事を食い入るように見ておりました。貴方のことを考えているときだけ頭痛は癒え、新聞は何冊も何冊も購入し、壁や天井に貼っては楽しそうに眺めておりました。元々天蓋部分にも枕元にも写真を貼っていたのですが、いずれはシアン様を招くとのことで数か月前に撤去したのです」
そのまま壁のところもさっさと撤去しておくれよと思ったが、しかし彼にも事情があってそうせざるを得なかった。本当に気持ち悪い光景だったけれど、理由の一端が分かったため少しだけ心の整理が付いた。
「怪盗を名乗っていれば、必ず貴方と相まみえることが出来る。そのための予告状です。あれは、貴方に向けた謂わばラブレター」
そんなはた迷惑なラブレターを聞いたことないんですけど・・・。
とはいえ彼は、僕と戦って勝っても負けてもどっちでもよかったのだろう。暴かれてもそれでよし。いや、それどころかいつか自分の正体を暴いてくれるのだと、楽しみに待っていた。どんな結末になったとしても、僕のことは記事になるのだから。
それをあんなしょうもない場面で暴いてしまったと思うと、逆に申し訳なくなってきた。本当に、裸で真実を突き付ける探偵がどこにいるんだ。
デュークのことは嫌いだ。けれどその真相の一端は理解できた。僕は紅茶を飲みながら、しばし自分の思考を整理していたのであった。
いやでも、僕視点では彼のことは別に運命とか直感で思わないから、やっぱ迷惑だな怪盗デューク。
食事を取るために向かっていると、初老の品のいい男性が近づいてきた。
「当主様、ご用意出来ました」
「ああ、ご苦労」
この方が執事なのだろう。モノクルをつけて、ところどころ白髪の入った髪をオールバックにしている。燕尾服も皴一つなく、丁寧な性格が伺える。
けれど、話ではこの人がトンチキ翻訳をしている人ではなかっただろうか。こんな仕事が出来そうな人になんてことをさせてるんだ。
「では私共は外しておりますので、夫婦ごゆっくりお過ごしください」
「いや夫婦じゃないです」
翻訳したなら僕たちは本当にただの他人って分かるはずなんだけどなあ。僕の発言に執事は驚いた顔でこちらを見る。この人あれだ。現実と自分の妄想の境目が分からなくなってる人だ。
食堂は親族一同を招くことを想定しているのか、想像以上に広い場所だった。けれど料理はそんな大きな机の一角に二人分置かれている。
「夕食の時はフルコースになるのだけれど、昼間は基本私は執務しているからね。予めすべての皿を置いてもらってなるべく早く食していくんだよ」
「昼間多忙なのになんで喫茶店に来てたんですか・・・?」
「食後のデザートというやつだよ。良ければこの家でも君が淹れてくれると嬉しいな」
質問の答えになっていない。なんかこの人とは微妙に会話がずれるよなあ。もういいや。
ディアさんに誘導され、僕は席に着く。テーブルマナーは知識としてはマスターしているが、いかんせん仕事以外の場で披露することはなかった。ましてやここは異国。ディアさんしかいないのは幸いだ。僕はディアさんの挙動をじっと観察する。
「ひょっとしてこの国でのマナーについて気にしているのかな?ここには僕たちしかいないからゆっくりしてくれてかまわないよ」
「ありがとうございます」
確かに僕は捕虜なのでマナー云々は深く考えなくてもいいのかもしれない。
目の前にはサーモンのカルパッチョ、コンソメスープ、スズキのビネガーソテー、パンが並べられており一皿一皿見栄えがいいように丁寧に盛り付けと飾り付けがされている。
まずはカルパッチョを頂いてみる。お酢の酸味が野菜をさらに引き立てていてとてもおいしい。スープは食べやすいように野菜をブロック切りにして丁寧に煮込んでおり、雑味がない。どれも、どれも大変美味しい。ユーロイス帝国は食文化があまり発達しなかったこともあり、あまりの感動に食べる手が止まらない。
「ふふ、気に入ってくれたようでうれしいよ。実はこの国も食文化は未発達だから、周辺の国で経験を積んできたシェフを何人も雇っていてね。存分に楽しんでいってほしい」
美味しい食事、ふかふかのベッド、気持ちがいい浴室、綺麗な庭園、ここにはすべてが揃っている。なんならへっぽこと言われることもない。ここは最高だ。
・・・待て待て待て、ユーロイス帝国には親交の深い人たちも多い。やっぱりここに留まるわけにはいかない。何よりデュークに飼い殺されるのが嫌だ。僕は女性が好きなので、ちゃんと探偵業で自立して暖かい家庭を築く方が幸せなんだ。こんなおいしいご飯で簡単に懐柔できると思わないで欲しい。
僕はじっとディアさんを見た。
「・・・?僕の顔に何かついてるかい?」
そうして食事は穏やかに終わった。
するとディアさんは何やら呟き、おそらく食事を用意する場所である隣室から複数人の使用人が現れる。頭を下げ、食器を全て下げていく。迅速な動きではあるが、しかしてきぱき動く使用人たちが僕の視界から外れると、何やら視線は感じた。非常に視線を感じた。
「コホン」
ディアさんの咳払いによって、慌てて撤収していく。
「さて、ここで君にはコーヒーを淹れてもらいたいと思っているのだけれど・・・。・・・おや」
ディアさんの会話の途中で部屋の外からノックの音がする。先ほど食事前に会った執事が食堂に入ってきた。僕たちに一礼し、ディアさんに近づいて何やら耳打ちをする。ディアさんは無言で首を振ったのち、しかし執事も引き下がらないため小さくため息をついた。
「シアン君、僕は少々執務に戻っているよ。君は引き続き寛いでいてくれたまえ。ゼル」
「承知しました。シアン様、貴方様には私がおつき致します」
「いえ、一人で大丈夫です」
「そうおっしゃらず」
ディアさんは「仲良くね」とだけ言い残してその場を去って行った。こういうのは明らかに筆頭そうなこのゼルと呼ばれる執事が当主を補佐して、僕のような捕虜には他の執事をつけるのが普通ではないだろうか。
ここから脱走を考えるのに、こういう隙のなさそうな人では相性が悪い。メルがこちらに連れてこられたのは安心である反面、脱走を考えた場合幼い女の子を抱えながらということを考えると相当動きづらい。
・・・ディアさんがいないチャンスとはいえ仕方がない。今日は情報収集に徹しよう。
「ではシアン様、ここから先は私めが邸宅のご案内をいたします。よろしくお願いします」
深々と頭を下げられる。こちらはただの庶民なのでそういうことは本当に慣れずに居心地が悪い。けれど、ディアさんから命令を受けているだろう人に「やめて」というのも二重命令になってそれもまた迷惑だろう。僕はただ苦笑いでうなずいた。
執事のゼルさんに案内されて客室、使用人室、遊戯室といった場所を見せられていく。
「・・・あの。捕虜にこういう邸宅の構造って教えていいんですかね」
僕が客人であっても使用人室の案内は流石におかしい。そういった場所は普通は隠すはずだ。
「捕虜?あなたはこの邸宅の奥方なのですから、予め知っておいてください」
「いやいやいや、僕は捕虜です」
「いえいえいえ、奥方様です」
認識の齟齬が生じている。主人が主人なら執事も執事というやつか。僕たちは困惑の中、ただ無言で視線を交差させる。こう、互いに「何を言ってるんだろうこの人は」という疑問を抱えながら。
「あの、本日の僕はどこに寝泊ればいいでしょうか」
「もちろん当主様のベッドで一緒に就寝いたしてください」
「話は変わるのですが、この邸宅って牢ってありますか?」
「ええ、地下牢がございます」
突然の話の切り替わりにゼルさんは戸惑う。
「そちらへ僕を案内いただけますか?」
「いえいえ、貴方様をそんなところへは連れていけません」
「いやいや、そういう場所もきちっと見ておく義務が僕にはあるんですよ」
再び無言。向こうはこちらの意図が全然読めていない。その隙を僕は見逃さなかった。
「僕の今日の寝泊まり、地下牢が空いていればそこがいいのですけれど」
「絶対駄目です。どうしてでしょうか、ベッドの素材が合わなかったのでしょうか」
「いえ、地下牢の方が絶対に快眠が取れる自信があります。大丈夫ですから」
あの気持ち悪い壁と天井に包まれながら、犯罪者と一緒のベッドで寝ろということだろう?絶対地下牢の方が100倍快適でしょうが。
「シアン様、失念しておりました。地下牢は昨日封鎖しておりまして、申し訳ございませんが当主様の許可抜きに立ち入りは出来ません」
「今僕の真偽センサーがかかったのですが、まあ、でしたら掃除の迷惑をお掛けしますが客室でお願いします」
「駄目です。当主様と奥方様を客室に寝かせる邸宅は存在しません」
「なんで僕があの人と一緒のベッドを使う前提なんでしょうね!?」
平行線になっているこの議論、僕たちはまるでカバディでもしているかのように心の距離があった。一旦協定を結んで、案内を終え一度当主の部屋へ戻ることになった。
「お茶が欲しい時は遠慮せずこちらの鈴でお呼びください。では私は外で控えておりますので」
そうか、廊下が長いせいでドアのすぐ外に待機していないと聞こえないのか。僕のために廊下で棒立ちさせるのは心が痛い。
「ゼルさんも座って下さい。暇なのでお話して欲しいです」
「いえいえ、邸宅の主の部屋の椅子に腰かける使用人はございません」
「でしたら中でお話ししましょう」
「もし奥方様が客室への移動を断念していただけましたら是非とも」
「奥方様という不名誉な呼び方も込みで検討お願いします」
またもや無言の空間。ゼルさんは肩の力を抜く。
「かしこまりましたシアン様。ただ、私は立ったままでよろしいでしょうか」
「はい」
一応解決の道に収まった。
ゼルさんは一度廊下の外に話かけ、しばらくすると別の使用人が紅茶を持ってきた。僕一人分だ。執事として勤務中に飲むわけにはいかないのだろう。
テーブルに置かれた品のいい茶器を手に取り、口に含む。ダージリンだ。シンプルな味ではあるが全く雑味がない。食後の舌にはこれくらいの茶が一番楽しめるのだとよくわかっている。町子さんの喫茶店では紅茶は邪道だったため、久々の香りに僕はリラックスしていた。
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「まだ読まれていない。なるほど。はい、確かに私が翻訳しました」
僕の言葉に安堵したのか、顔を戻す。
「当主様の命令で翻訳したのですが、その際に『助手の下りは全部カットしなさい』と命令を頂きました。私としましても一読者として貴方様の活躍のパートはとても楽しかったのですが、助手パートについてはファンタジー要素が多いと判断し、修正作業を致しました」
「なんか僕とディアさんのロマンス要素っていう噂を聞いたんですが、よりファンタジー度増してませんか」
「そんなことはありません。けれど貴方様は読むのは控えていただけますと私が嬉しいです」
ゼルさんはもじもじしながら答える。「そんなことはない」という部分に僕の嘘サーチは反応したぞ。まだ読んでないのに、多大な風評被害が浸透していないだろうかこの本のせいで。あとで寝室にあるやつをこっそり読もう。貴重だろうが何だろうがもう知らない。というか僕はあの本のために体をディアさんに捧げたのだから読む権利はあるだろう。
ゼルさんはまだもじもじしている。初老の男性のもじもじは流石に初めて見たなあ。
「ディアさんはどうして怪盗なんてやっているんですか?」
「それにつきましては、あなたもある程度は推理を終えているのではないでしょうか」
ゼルさんは先ほどのもじもじを改め、咳ばらいをしてそう答えた。そう、彼の動機は推理を終えている。けれど、それが怪盗でなくてはならない理由が分からない。
「さて、この公爵家の一族は、世界各地の呪いの品を保有していたことはご存じでしょうか」
「はい、噂程度ですが聞きました」
「ディアウィンド様の二代前の当主様が呪物コレクターでした。一品集まるごとに一族の有する能力は強化され、例えば二代前の当主様も、本当に手品に、近い小さな能力でした。それが孫までできるほどの年月が経ち、集まりきったときには現当主のディアウィンド様は国すら簡単に渡れるほど強化されたのです」
一品集まるほどに子孫にまで能力が強化されていくのなら、誰だって集めたくなるだろう。けれど世の中そんな美味い話は無い。必ず代償を払うことになる。
「そう、病死、不審死、事故死。それらが先代夫婦、ディアウィンド様のご兄弟を襲いました。一人、また一人と不思議な死を遂げていき、けれどもおじい様は決してコレクションを手放しませんでした」
「そんなことが起こっているのに?家族が亡くなっていくのにですか?」
ゼルさんはこくんと頷く。
そのディアさんのおじいさんがどんな人かは存じない。けれど、せっかく大金と時間を使って集めたものを手放すことは出来なかったのだろう。一人、二人の死であれば偶然と認識し、三人四人の段階でやっと疑いだす。けれど能力が強化される事実を前に宝を手放したくなかったのか、それとも自分のコレクションのせいで家族が死ぬという現実を直視できなかったのか。
「当時10代のディアウィンド様にも呪いの矛先は向かいました。不眠症と重い頭痛です。死に直結するものでなかったのは不幸中の幸いでしたが、しかし頭痛というのは重いものになると自死を考えるほど辛いものです。ディアウィンド様はご両親を亡くされ、呪いの品々を祓うことを配下に指示しました」
「そのまま捨てては駄目なのでしょうか。彼なら遠い海の底でも土の中でも飛ばせますよね」
「怨念に距離はございません。確かに遠ざければ効力は弱りますが、きちっと祓わねば、呪いは解けないのです。けれど、一つ一つの品は領地の年収に匹敵するほどの品々。効率よく祓おうとしてディアウィンド様は別荘から運ばせ一か所に集めましたが、しかし目の前に宝の山があるのに手を出さない人がいるでしょうか」
使用人もしくは業者の誰かの盗みにあい、各地に売却された。呪いの品が誰のものなのか、噂になるほど有名であれば公爵家に見つからないよう闇オークションを経由した可能性が高い。すると利用した者たちは前の持ち主が誰かを知っていたうえで後ろめたいことをしたことになる。
そこに「大公」を名乗る怪盗が現れれば、報復を恐れて誰もが口を閉ざすだろう。それであればただ品を奪われるだけの方が100倍マシだ。
「ディアさんは、呪いがほかの人に移らないようにするために盗みを?」
「それもございますが、売却して持ち主がほかに移ったとて、彼を悩ます症状は依然、改善しなかったためです。呪いの品々は手放してなお払われるまでディアウィンド様のことを主と認識しているのです」
集めなおして、また祓う。
そのために彼は怪盗として盗みを繰り返した。
資金を貯めて買い戻せばいい?言うは易しだが実際はそんな大金は簡単に集まらない。足元だって見られるだろう。
けれどデュークの名が広まれば、いずれは心当たりのある者たちはそれぞれアクションを取る。故に予告状で警告を送っていたのだ。
「いえ、あの方が予告状を送っていたのは警告のためではありません。もっと別の理由です」
「別の理由?」
「ええ、シアン様。貴方と巡り合うためです」
ここでようやく僕が登場してきた。けれど、殺人事件に特化している僕が、ディアさんの一件と何のかかわりがあるのだろうか。
「ディアウィンド様は各地の情報を集め呪いの品の座標の特定をしておりました。不眠症や頭痛に依然悩まされながら。そんなある日、貴方の記事を見かけた時、頭の靄がすべて晴れていったそうです。それはもう、運命の番を見つけたとか」
おっと・・・。
先ほどまで真面目な話をしてたのに流れが変わったぞ。
「ディアウィンド様は貴方の記事を食い入るように見ておりました。貴方のことを考えているときだけ頭痛は癒え、新聞は何冊も何冊も購入し、壁や天井に貼っては楽しそうに眺めておりました。元々天蓋部分にも枕元にも写真を貼っていたのですが、いずれはシアン様を招くとのことで数か月前に撤去したのです」
そのまま壁のところもさっさと撤去しておくれよと思ったが、しかし彼にも事情があってそうせざるを得なかった。本当に気持ち悪い光景だったけれど、理由の一端が分かったため少しだけ心の整理が付いた。
「怪盗を名乗っていれば、必ず貴方と相まみえることが出来る。そのための予告状です。あれは、貴方に向けた謂わばラブレター」
そんなはた迷惑なラブレターを聞いたことないんですけど・・・。
とはいえ彼は、僕と戦って勝っても負けてもどっちでもよかったのだろう。暴かれてもそれでよし。いや、それどころかいつか自分の正体を暴いてくれるのだと、楽しみに待っていた。どんな結末になったとしても、僕のことは記事になるのだから。
それをあんなしょうもない場面で暴いてしまったと思うと、逆に申し訳なくなってきた。本当に、裸で真実を突き付ける探偵がどこにいるんだ。
デュークのことは嫌いだ。けれどその真相の一端は理解できた。僕は紅茶を飲みながら、しばし自分の思考を整理していたのであった。
いやでも、僕視点では彼のことは別に運命とか直感で思わないから、やっぱ迷惑だな怪盗デューク。
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すれ違う運命の番が家族になるまでの海外ドラマ風オメガバースBLストーリー。
※奇数話が攻め視点で、偶数話が受け視点です。
※エブリスタ、ムーンライトノベルズ、ネオページにも掲載しています。
当たり前の幸せ
ヒイロ
BL
結婚4年目で別れを決意する。長い間愛があると思っていた結婚だったが嫌われてるとは気付かずいたから。すれ違いからのハッピーエンド。オメガバース。よくある話。
初投稿なので色々矛盾などご容赦を。
ゆっくり更新します。
すみません名前変えました。
運命じゃない人
万里
BL
旭は、7年間連れ添った相手から突然別れを告げられる。「運命の番に出会ったんだ」と語る彼の言葉は、旭の心を深く傷つけた。積み重ねた日々も未来の約束も、その一言で崩れ去り、番を解消される。残された部屋には彼の痕跡はなく、孤独と喪失感だけが残った。
理解しようと努めるも、涙は止まらず、食事も眠りもままならない。やがて「番に捨てられたΩは死ぬ」という言葉が頭を支配し、旭は絶望の中で自らの手首を切る。意識が遠のき、次に目覚めたのは病院のベッドの上だった。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
流れる星、どうかお願い
ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる)
オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年
高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼
そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ
”要が幸せになりますように”
オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ
王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに!
一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので
ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが
お付き合いください!
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
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