あの日、北京の街角で

ゆまは なお

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第21章-3

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 一体これはどういう会話なんだ。
 男は恋愛対象じゃないと言いながら、孝弘はずっとあまく優しい声を出すし、目線は熱がこもっているし、体はさりげなく密着していて。
 夕食のビールと今のワインが一気に回ってきた気がする。
 ああもう。どうすりゃいいんだ、これ。
 理性では今すぐ立ちあがって部屋を出ていくべきだと思うが、とても出させてもらえそうにない。

「うん、だから祐樹は特別なんだって」
 名前を呼ばれた瞬間に心臓が跳ねた。
 そんな人をドキッとさせる口説き文句をさらっと告げて、孝弘は手を伸ばすとやわらかく頬に触れてくる。
 祐樹が顔をそむけても、そのまま後頭部をまるく包まれ、やさしく口づけられた。ちゅ、と音をたてていったん離れると、にっこり笑う。
 滅多に見せない無邪気な笑顔に、思わず目が引き寄せられた。

「あれ、ぞぞむだよ」
「ぞぞむって、佐々木くん?」
 留学生寮で一時期孝弘と同室だった男で、祐樹も何度か会ったことがある。
 大らかな性格で話題が豊富でよく話す男だった。人好きのする笑顔が明るくて、孝弘とかなり仲がよかったことを覚えている。

「そう、あいつ今、新疆葡萄酒を売り込もうとしてて。というか、ほかにもいろいろ扱ってるけど。このワインもその時もらったやつ。飲んで感想聞かせろって」
 ぞぞむは留学生仲間と中国雑貨などを扱う会社を興したのだという。大量生産の中国雑貨や日用品を日本に卸しているのだ。
 それ以外に少数民族の民芸品や中国の伝統工芸品などを扱っていて、なかなか海外に流通しない希少価値の高い商品を買い付けているらしい。

「そういえば昔、一緒に新疆に旅行してたよね」
 いつだったか孝弘の寮に遊びに行って、新疆旅行の写真を見せてもらった。
「ああ、あの時はまだぞぞむが民芸品好きだなんて知らなかったし、起業することになるとは思ってなかったけど」
 塔克拉瑪干沙漠(タクラマカンシャーモー)(タクラマカン砂漠)とは”一度入ったら出られない”とか”生命が生きられない”という意味のウイグル語だと教えてくれたのはぞぞむだ。
 その前年の夏休みに二人で列車と長距離バスを乗り継いで、はるばるカシュガルまでバザール巡りに行ったという話を聞いた。

「いいね、本当に北京と全然、風景が違うね」
 孝弘の説明で何枚もの写真を手に取りながら、祐樹の目は風景なんか見ていなかった。
 写真の中にはウイグル族の子どもたちと一緒に全開の笑顔の孝弘や、シャワー後なのかびしょ濡れで笑う上半身裸の孝弘や、ゴビ灘の中で夕日を背にたそがれる風の孝弘がたくさんいた。
 美しい緑のモザイクタイルのモスクの前で屈託なく笑っていたり、大きな羊の串焼き肉にかぶりついていたり、路上のベッドで気だるげに寝ていたり。

 いいな、おれも一緒に旅行してみたいなと羨ましくなったものだった。
 ぞぞむは民芸品や手工芸品が好きだと話し、どの町でもバザール巡りをして買い物をしていたらしいが、それが現在、こんなふうに仕事になっているのか。

 すごいなと素直に思った。
 企業に所属せずに、自分の才覚で商売しているというバイタリティや行動力が。
「あいつも中国各地、色んなとこに出入りしてるから、ちょくちょく情報交換してるんだ。北京で落ち合えるのなんて3カ月に1回くらいだけど。一緒に買付けに国内を回ったりもするし、まあ他にも色々つながりはあるよ」
 孝弘はぞぞむの仕事の手伝いもしているようで、その情報交換の場を、祐樹は目撃したのだ。
「安心した?」
 いたずらっぽい目で、祐樹をじっと見つめてくる。

 完全な口説きモードに入っているのがはっきり見て取れた。両手を握られて、ベッドに座ったまま向き合うかたちにされる。
「べつに安心とか……、そんなのじゃないよ」
「そう? 祐樹は? 誰かいるの?」
 孝弘は一気にたたみかけてきた。
 なんて答えるべきなんだ?
 正直にいないと言えばいいのか、いるからやめろと言えばいいのか。でも嘘をついても、つき通せる気がしなかった。

「どうだろうね」
 ためらいつつ苦し紛れにそう言っても、孝弘は平然としていた。
「いてもいいよ。口説くから、俺に落ちなよ」
 祐樹の逡巡をどう取ったのか、孝弘は腰に手を回すとやわらかく抱き寄せた。
「好きだ」
 再会してから初めて、好きだといわれた。

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