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魔の樹海2
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ペルルノアが魔の樹海に入ってまだ五日。
それなのにソブラリアから同行してきた国交を開くための使節団は樹海に入ってわずか三日で全員死亡、護衛として従って来た騎士団もこの数日で散り散りになってしまった。
さっきまで案内人兼護衛のウーヤンが一緒だったが、虎に似た妖魔の襲撃を避けるうちにいつの間にか彼ともはぐれてしまった。従者のセルリアも先ほどから姿が見えない。
トウレイ国へ赴けと父であるブラッシア二世からの命令を受けた時、ペルルノアが死ぬかもしれないと周りは噂した。それが現実になるとは思っていなかったけれど、もしかしてここで死ぬのか?
このまま樹海をさまよっていれば、妖魔に食われるか、数日で飢えて命をなくすかのどちらかだろう。
わずかに差しこむ太陽で方向を確認しながら歩いているうちに、ふと開けた場所に出た。大きな池が目の前にある。
(よく来てくれたわね)
水を目にしたペルルノアは、ふらふらと池に近づいた。予想よりもきれいな水で水底の小石が見えている。だが水辺は危険だ。そのくらいはわかっているし、ましてここは魔の樹海だ。
それなのに足が勝手に近づいていく。
(ねえ、ここよ)
少し先の水面に灰色の女の顔が見える。水から顔だけを出して、不気味な笑顔を浮かべてペルルノアが池に寄って行くのを待っている。
(ほら、ここにいらっしゃい)
いつから術にはまっていたのか。気づかないまま、妖魔に呼ばれていたことにようやく気づいた。
駄目だ、近づくな。あれは人を食う化け物だ。足を止めろっ。
頭の中で自分が喚いている。必死に抗って足を止めようとしても、体はまったくいうことを聞かなかった。
(喉が渇いたでしょう。この水を飲んで。そうすれば、ここに入って来れるわ)
やわらかな声が頭の中に響いてくる。ふらふらと足を踏み出すペルルノアに向かって、女が妖しく手招いた。
いや、行くな。死ぬだけだ。やめろっ。
何とか抗おうと足を突っ張った。しかし次の瞬間には、意志に反して右足が前に出てしまう。ペルルノアは思わず地面に剣を突き立てた。
すると女が悲鳴を上げた。ほっと体を引いたけれど、一瞬後には見えない力で思い切り体を引っ張られ、つんのめるように足が進んだ。
止まれッ。
もう一度、剣を地面に突き立てようとした時、
「やめろ、水妖め」
不意に聞こえた声に、呪縛が解けたようにペルルノアの足が止まった。池まではあと数歩の距離だ。女が歯をむき出して威嚇する。
振り向くと陽射しを反射する金の髪が目に飛び込んできた。太陽の光を背に、小柄な青年が両手の指を不思議な形に組んで立っている。
人の姿を目にしてペルルノアは目を瞬いた。魔の樹海に入って初めて会った異国人だ。
「下がってろッ」
叱りつけるように言われてペルルノアがとっさに身を引くと、彼が口の中で何かをつぶやいた。と同時に水妖は唸り声を上げて体を震わせ、悔しそうな声を残して水中に消えた。水しぶきが上がり、ばしゃんと水音が響く。
何だ、今のは。言葉で妖魔を倒したのか? 魔術師なのか?
あっけに取られて彼を見れば、翡翠のような緑の瞳がペルルノアの黒い瞳を見返している。大きな二重の目が印象的だ。
「何ぼさっとしてる。食われたいのか」
じろりと睨みつけられ、おまけに叱りつけられて、唖然とした。
きりっとした目元にすっと通った鼻筋の青年は、驚くほど整った顔立ちをしていた。もしかしてこれも魔の樹海の見せる幻か妖魔かと疑問がわく。
「きみは、人?」
思わず訊ねたのは、昨日も人の言葉を話す人妖に遭遇したからだ。もっとも人妖はこんなにも美しくはなかったし、どろりと濁った灰色の瞳で片言の「たすけてー」を繰り返すばかりだったが。
ペルルノアの問いかけに金の髪の青年は「は?」と眉をひそめた。そんな表情も絵画のように様になっていて、引き寄せられるように見つめてしまう。
「すごくきれいだから、人じゃないのかと思った」
口から本音が出てしまったが、彼はすこし目を丸くしたあと、あきれたように苦笑した。きれいな人形めいた顔にふいに血が通ったみたいに温かみのある笑顔が浮かんで、ペルルノアの心臓がドクンと大きく鳴った。
「人だよ。本物の」
声は落ち着いていて耳に快かった。なぜだか、とても安心するようなもっと聞いていたいような気持ちになる。何も知らない相手なのに、昔から知っているような懐かしいような気さえした。
向かい合うと青年からはふわりといい香りがした。爽やかなあまい香り。彼がつけている香水だろうか。香りを意識した途端、これまで感じたことのない高揚感を感じてペルルノアは戸惑った。
何だ、これは。体のどこか深いところが熱くなって震えるような感じがした。
その時、池の水面が大きく波打ち、水妖が滑るように襲ってきた。大きく構えた手には水かきと鋭い爪があり、開いた口には鋭い歯がびっしり並んでいる。
ペルルノアが剣に手をかけるより早く青年が動いた。無造作に腰の剣を抜くと横に払って、スッと弧を描いた。それだけで水妖の女はつんざくような悲鳴を上げた。
「ぎゃあああああああーーーーーーーーおおおおうううううーーーーー」
鼓膜が破れそうなわめき声にペルルノアはとっさに後ずさる。青年の剣からは魔術のようなすごい波動を感じた。
水妖は一瞬で真っ二つに引き裂かれ、叫び声を上げて水の中に沈んでいった。その様子をペルルノアは呆然と見ていたが、青年が何事もなかったかのように剣を鞘に納める音で我に返った。
「今のは魔術か?」
「いや、魔術じゃない。でもまあ似たようなものかな」
否定しかけて、青年は軽く首を振った。ペルルノアは青年に向かって胸に手を当てて礼をした。
「助けてくれて感謝する」
「うん」
軽くうなずいた彼は、目をすがめてペルルノアを見上げている。
向かい合うと青年はペルルノアの肩ほどの背だった。細身の体に立襟の上衣を着て、その上から革で作った鎧を着けている。ウーヤンも似たような革鎧を着けていたから、この彼も護衛だろうか。
しかしよく見れば衣裳にはびっしりと刺繍が施され、革鎧にも細かな装飾が刻まれている。波打つ金の髪を結い上げた装飾品や耳飾りから見ても、相当裕福な者だと見て取れた。
もしかしてトウレイ国の貴族か? それなら王宮への道を知っているかもしれない。いや、誰であろうと樹海で行きあう人は貴重だ。色々話を聞きたい。
ペルルノアが口を開こうとした矢先、彼が早口で言った。
「とにかく移動したほうがいいぞ。妖魔の死体は妖魔を呼ぶんだ」
ちらりと水面に浮かんだ水妖の死体に目をやった。
「あれを食べに来るってことか?」
これまでに見かけた獣の骨を思い出して問えば、青年はうなずいて踵を返した。
さっさと背を向けて歩き出す青年の背を、ペルルノアはあわてて追った。ようやく会えた人をここで見失うわけにはいかない。
ついてくるなとは言われなかったが、青年の足はとても速かった。岩や木の根をさっと飛び越えて森を抜けて行く。
「待ってくれ、少し話がしたいんだ」
はぐれると大変だとペルルノアが声をかけると、青年はちらりと振り返り「後でな」とひと言いった。どうやら話は聞いてくれるようだ。
ペルルノアは先を行く青年の背中を観察した。小柄だが全身がばねのようにキビキビ動く。
ペルルノアも狩りをするから森には慣れているが、体重を感じさせないような青年の体さばきに驚いた。これは樹海に慣れたトウレイ人だからか?
とにかく人に出会えてよかった。
明るい金の髪は薄暗い森の中でも目立っている。ペルルノアは何となく安心して揺れる金の髪を追った。
それなのにソブラリアから同行してきた国交を開くための使節団は樹海に入ってわずか三日で全員死亡、護衛として従って来た騎士団もこの数日で散り散りになってしまった。
さっきまで案内人兼護衛のウーヤンが一緒だったが、虎に似た妖魔の襲撃を避けるうちにいつの間にか彼ともはぐれてしまった。従者のセルリアも先ほどから姿が見えない。
トウレイ国へ赴けと父であるブラッシア二世からの命令を受けた時、ペルルノアが死ぬかもしれないと周りは噂した。それが現実になるとは思っていなかったけれど、もしかしてここで死ぬのか?
このまま樹海をさまよっていれば、妖魔に食われるか、数日で飢えて命をなくすかのどちらかだろう。
わずかに差しこむ太陽で方向を確認しながら歩いているうちに、ふと開けた場所に出た。大きな池が目の前にある。
(よく来てくれたわね)
水を目にしたペルルノアは、ふらふらと池に近づいた。予想よりもきれいな水で水底の小石が見えている。だが水辺は危険だ。そのくらいはわかっているし、ましてここは魔の樹海だ。
それなのに足が勝手に近づいていく。
(ねえ、ここよ)
少し先の水面に灰色の女の顔が見える。水から顔だけを出して、不気味な笑顔を浮かべてペルルノアが池に寄って行くのを待っている。
(ほら、ここにいらっしゃい)
いつから術にはまっていたのか。気づかないまま、妖魔に呼ばれていたことにようやく気づいた。
駄目だ、近づくな。あれは人を食う化け物だ。足を止めろっ。
頭の中で自分が喚いている。必死に抗って足を止めようとしても、体はまったくいうことを聞かなかった。
(喉が渇いたでしょう。この水を飲んで。そうすれば、ここに入って来れるわ)
やわらかな声が頭の中に響いてくる。ふらふらと足を踏み出すペルルノアに向かって、女が妖しく手招いた。
いや、行くな。死ぬだけだ。やめろっ。
何とか抗おうと足を突っ張った。しかし次の瞬間には、意志に反して右足が前に出てしまう。ペルルノアは思わず地面に剣を突き立てた。
すると女が悲鳴を上げた。ほっと体を引いたけれど、一瞬後には見えない力で思い切り体を引っ張られ、つんのめるように足が進んだ。
止まれッ。
もう一度、剣を地面に突き立てようとした時、
「やめろ、水妖め」
不意に聞こえた声に、呪縛が解けたようにペルルノアの足が止まった。池まではあと数歩の距離だ。女が歯をむき出して威嚇する。
振り向くと陽射しを反射する金の髪が目に飛び込んできた。太陽の光を背に、小柄な青年が両手の指を不思議な形に組んで立っている。
人の姿を目にしてペルルノアは目を瞬いた。魔の樹海に入って初めて会った異国人だ。
「下がってろッ」
叱りつけるように言われてペルルノアがとっさに身を引くと、彼が口の中で何かをつぶやいた。と同時に水妖は唸り声を上げて体を震わせ、悔しそうな声を残して水中に消えた。水しぶきが上がり、ばしゃんと水音が響く。
何だ、今のは。言葉で妖魔を倒したのか? 魔術師なのか?
あっけに取られて彼を見れば、翡翠のような緑の瞳がペルルノアの黒い瞳を見返している。大きな二重の目が印象的だ。
「何ぼさっとしてる。食われたいのか」
じろりと睨みつけられ、おまけに叱りつけられて、唖然とした。
きりっとした目元にすっと通った鼻筋の青年は、驚くほど整った顔立ちをしていた。もしかしてこれも魔の樹海の見せる幻か妖魔かと疑問がわく。
「きみは、人?」
思わず訊ねたのは、昨日も人の言葉を話す人妖に遭遇したからだ。もっとも人妖はこんなにも美しくはなかったし、どろりと濁った灰色の瞳で片言の「たすけてー」を繰り返すばかりだったが。
ペルルノアの問いかけに金の髪の青年は「は?」と眉をひそめた。そんな表情も絵画のように様になっていて、引き寄せられるように見つめてしまう。
「すごくきれいだから、人じゃないのかと思った」
口から本音が出てしまったが、彼はすこし目を丸くしたあと、あきれたように苦笑した。きれいな人形めいた顔にふいに血が通ったみたいに温かみのある笑顔が浮かんで、ペルルノアの心臓がドクンと大きく鳴った。
「人だよ。本物の」
声は落ち着いていて耳に快かった。なぜだか、とても安心するようなもっと聞いていたいような気持ちになる。何も知らない相手なのに、昔から知っているような懐かしいような気さえした。
向かい合うと青年からはふわりといい香りがした。爽やかなあまい香り。彼がつけている香水だろうか。香りを意識した途端、これまで感じたことのない高揚感を感じてペルルノアは戸惑った。
何だ、これは。体のどこか深いところが熱くなって震えるような感じがした。
その時、池の水面が大きく波打ち、水妖が滑るように襲ってきた。大きく構えた手には水かきと鋭い爪があり、開いた口には鋭い歯がびっしり並んでいる。
ペルルノアが剣に手をかけるより早く青年が動いた。無造作に腰の剣を抜くと横に払って、スッと弧を描いた。それだけで水妖の女はつんざくような悲鳴を上げた。
「ぎゃあああああああーーーーーーーーおおおおうううううーーーーー」
鼓膜が破れそうなわめき声にペルルノアはとっさに後ずさる。青年の剣からは魔術のようなすごい波動を感じた。
水妖は一瞬で真っ二つに引き裂かれ、叫び声を上げて水の中に沈んでいった。その様子をペルルノアは呆然と見ていたが、青年が何事もなかったかのように剣を鞘に納める音で我に返った。
「今のは魔術か?」
「いや、魔術じゃない。でもまあ似たようなものかな」
否定しかけて、青年は軽く首を振った。ペルルノアは青年に向かって胸に手を当てて礼をした。
「助けてくれて感謝する」
「うん」
軽くうなずいた彼は、目をすがめてペルルノアを見上げている。
向かい合うと青年はペルルノアの肩ほどの背だった。細身の体に立襟の上衣を着て、その上から革で作った鎧を着けている。ウーヤンも似たような革鎧を着けていたから、この彼も護衛だろうか。
しかしよく見れば衣裳にはびっしりと刺繍が施され、革鎧にも細かな装飾が刻まれている。波打つ金の髪を結い上げた装飾品や耳飾りから見ても、相当裕福な者だと見て取れた。
もしかしてトウレイ国の貴族か? それなら王宮への道を知っているかもしれない。いや、誰であろうと樹海で行きあう人は貴重だ。色々話を聞きたい。
ペルルノアが口を開こうとした矢先、彼が早口で言った。
「とにかく移動したほうがいいぞ。妖魔の死体は妖魔を呼ぶんだ」
ちらりと水面に浮かんだ水妖の死体に目をやった。
「あれを食べに来るってことか?」
これまでに見かけた獣の骨を思い出して問えば、青年はうなずいて踵を返した。
さっさと背を向けて歩き出す青年の背を、ペルルノアはあわてて追った。ようやく会えた人をここで見失うわけにはいかない。
ついてくるなとは言われなかったが、青年の足はとても速かった。岩や木の根をさっと飛び越えて森を抜けて行く。
「待ってくれ、少し話がしたいんだ」
はぐれると大変だとペルルノアが声をかけると、青年はちらりと振り返り「後でな」とひと言いった。どうやら話は聞いてくれるようだ。
ペルルノアは先を行く青年の背中を観察した。小柄だが全身がばねのようにキビキビ動く。
ペルルノアも狩りをするから森には慣れているが、体重を感じさせないような青年の体さばきに驚いた。これは樹海に慣れたトウレイ人だからか?
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