ピータバロ~青年画家とお嬢様のハートフル美術系ストーリー

RIKO

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第2章 12番目の肖像画

第6話 少女の願いは

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 12月25日、クリスマスの朝
 
 何か風邪気味だ。それに、ふらふらする。

 鼻をすすりながらキースは、キャンパスに向かい続けていた。朝の光を嫌ってか、アンナの姿は辺りには見えない。パトラッシュは相変わらず、彼の傍に寝そべっている。

 昨日は、あのまま、眠っちまったもんなあ。絵は描けなかったし、そういや、クリスマスケーキを食べるのも忘れてる。とはいっても、肖像画はあと少しで完成のところまできていた。最後の一筆を入れた時、キースは
「出来たっ!」と、いつにない大声をあげてしまった。ところが、
「アンナ、出来たぞ。出てこいよっ」

 何回呼んでも返事がない。何でだよ、あんなに待っていた肖像画なのに……。

 俺の絵に文句でもあるのかと館の大広間に飾ってある11枚の肖像画をじっと見つめてみる。それでも、さっぱり分からない。やっぱり、この絵でも、気に入らなかったとか……。
 それにしても、気分が悪い。何だか体まで熱くなってきた。おまけにひどい眩暈がする。部屋の壁にかけてある鏡にふと目をやると、顔が凄く蒼白い。

 “キース、顔色が悪いわよ。何だか蒼ざめてる感じ”

 ミルドレッドに言われた言葉を思い出し、ぞくりと背筋に冷たいモノが走る。
そういえば、悉くアンナの気に召さなかった今までの彼女の肖像画は、どこへいったんだ? そして、それを描いた画家たちは……?

 まさか、みんな、憑り殺されてしまったとか……。

 すると、頭の中に昨日聞いた、洋館の周りで起こった血なまぐさい殺人事件が浮かび上がってきた。あれも、もしかしたら……。
 
 いや、あり得ない! アンナが悪霊のわけがない。

 その時、パトラッシュがくわんと強く鳴いて、埃だらけのクリスマスツリーの下へ走っていった。

「パトラッシュ?」

 この声に誘われるように、クリスマスツリーの下に歩いて行ったキース。そのとたんに天井がぐるりとまわった。

 駄目だ……本当に熱っぽい。

 思わず、その場に膝をつき、手を床につけて四つんばいになった時、埃にまみれて落ちている人形に気がついた。

 これ、昨日、エクソシストの教会から持ってきた人形だ……。

 それを拾い上げてから、ふと、もう一度、壁に掛けられた11枚の肖像画に目をやると、

 クリスマスツリーの飾りが……

「これか! そうだ、きっと、これを忘れていたんだ」

 具合が悪いなんて言ってらんない! 急いで、キャンパスに向かうと、もう一度、絵筆をそれに向けて動かした。11枚の肖像画の背景にいつもあったクリスマスツリー、そこにいつも飾られていた、この人形。

「アンナ、出て来いよ。出てきて、これを見てくれよ。“12番目の肖像画”がやっと、完成したんだ」

 キースがそう言い終わるか終わらないかのうちに、小さな少女の幽霊が彼の前に姿を現した。

「そう、あのエクソシストが私を祓うために持っていってしまった、その人形は私の大のお気に入りだったの。キースはそれを取り戻してくれた上に、今までの画家が、誰も描いてくれなかったその人形をクリスマスツリーに描いてくれたわ。ありがとう、それに気付いてくれて」

 ……でもね、でも、本当はそれだけじゃなかったの。このお兄さんはちっとも分かっちゃいないみたいだけど。

 にこりと微笑むアンナに向けて、キースは無言で描きあげた肖像画を差し出した。

「これ壁に掛けていい?」

 少女の問いに、何だか寂しいような気分でうなづく。なぜなら、この先の展開が少し見えてきてしまったから。

 アンナの後姿が薄れてゆく。

 壁に掛けられた12番目の肖像画に向かいながら、少女は一度だけ、キースの方を振り向いた。

「あのね、もう一つだけ、私のお願いを聞いてくれる?」

「……もう一つだけって?」

「この館にかけられた11枚の肖像画は、実は幻なの。本物は1枚1枚が別にされて、収集家たちに売りさばかれて……けれど、その1枚はロンドン郊外のグレンって男爵の館にあるらしいの。……あのエクソシストにしても、もしかしたら、私の肖像画を不法に売り飛ばそうとする者たちが、沢山いるのかもしれない。そんな事に大事な肖像画を使われるのは、絶対に嫌! だから、探して。そして、集めて。私はその肖像画をあなたに持っていて欲しい。それが、私の最後の願い!」

 キースは、ややこしくなりそうな展開に眉をひそめる。けれども、これだけは聞いておかねばと思い、

「……アンナ、今、町で噂になってる件で、あの外国人を殺ったのってお前?」
「は? 何のこと」

 ぽかんと口をあけた少女の表情がめちゃめちゃに可愛い。そうだよな、どう考えたって、この娘がそんな事をするはずがない。それにしても……

 肖像画を描いたら、こんな幽霊とは、きれいさっぱり、おさらばしようと思っていたのに、最後のお願いなんて言われてしまったら、断れるはずがないじゃないか。

「分かった……」

 キースはもっとこの少女と話をしていたいと思ったが、みるみるうちに薄れてゆくアンナの姿に、もうそんな時間はない事を悟ってしまった。本当にお別れの時が来てしまったのだ。何だか泣いちゃいそうだ。少し翳った彼の琥珀色の瞳。すると、幽霊の少女は、
「あの……もう一つだけ、お願いしていい?」

 おぃ! さっきのが最後のお願いじゃなかったのかよ。

 盛り上がっていた青年画家は、彼女の言葉に拍子抜けしてしまった。

「えっと……とりあえず、言ってみて」
「……あの、キス……」
「キス?」
「あっ、あっ、もちろん、頬にでいいからっ!」

 そう言ってから、アンナは、少し後悔した。この際だから、頬なんて制約はつかけなかった方が良かったかもしれない。
 けれども、琥珀色の瞳の青年は、はにかんだようなアンナの表情に少し心を奪われて、
「眠り姫は王子さまのキスで眼を覚ますんだっけ? けれども、幽霊の女の子は、売れない画家のキスで永遠に眠りにつくのか。本当にそれでいいの? 俺は王子様にはほど遠いけど」

 こくんと何度も頷いた少女に、柔らかな笑みを浮かべる。そして、キースはアンナの頬に軽くキスをした。

「ありがとう。ほんとうに……」

 消えてゆく。

 メリークリスマス

 鈴のようなその声と姿が完全に消えてしまった時、

 やっぱり、最後はこういう事かよ。

 何もない荒地の中に、キースとパトラッシュはぽつんと、座り込んでいた。彼らの前に残されていた物は、食べそこねのクリスマスケーキと、自分が描いた12番目の肖像画。それ以外は、幽霊のアンナの姿も、あの古い洋館でさえもその場所には何も残ってはいなかった。はぁと息を吐き、キースはつまらなそうにクリスマスケーキの入った箱に手を伸ばした。

 幽霊でも、別に良かったのに。

 それは、寒い12月の空気の中に消え入りそうな声だった。けれども、白い息をはずませると、にこりと笑い、キースは傍らにいたパトラッシュに言った。

「よぅし、家に帰って、一人と一匹でケーキでも食うか!」

*   *

 クリスマスの街を歩く、キースとパトラッシュ。大聖堂からは、高らかな聖歌隊の賛美歌が響いてくる。

「レイチェルに言われた絵の模写を終えてないけど、もう、今日は帰ってゆっくりするか。やっぱり風邪をひいたみたいで、気分がよくないや」

 けれども、くしゅんと鼻をすすりパトラッシュの頭をなぜた時に、キースはふとその場に立ち止まって、耳をすませた。街角から絹のような繊細な旋律が響いてきたからだ。

 歌……? 

 高々と鳴り響く賛美歌の間を縫って聞こえてくる、物憂げな声の方に目を向ける。すると、聖堂美術館通りの階段に座って、歌を口ずさんでいる若い男の姿が視線に入って来た。

 黒いレザージャケットとブーツ。丹精な顔にかかる亜麻色の髪。


 ―― それでも僕は待っている。
    
    だから愛して 僕を愛して

    ミカエル  



「ストリートミュージシャンか何かか……?」

 けど、クリスマスにしては哀しげな歌だ……それに、あの男って、どこかで見たことがあるぞ。
 聖なる夜の清らかな空気が、その男のいる場所だけ、暗く重い。
 キースは、彼のいる場所へ歩いて行こうとする。けれども、その時、大聖堂から午後のミサを告げる鐘の音が響いてきたのだ。

 いけねぇ、あいつを忘れてた。

 突然、教会の懺悔室に閉じ込めたエクソシストを思い出し、キースは、ポケットをごそごそと探った。通りで寄付金集めをしていたボーイスカウトの少年に5ポンドを差し出して言う。

「街外れの教会で神父さまが助けを待ってる。俺が行ってあげたいけど、ちょっと忙しいんだ。クリスマスの奉仕してんだろ? その5ポンドで有料奉仕だ、さっさと行ってやれよ」

「えー、嫌だよ。街外れの教会って、あの怪しいエクソシストの教会……」

 だが、ボーイスカウトの少年が、そう言い終わる前に、キースとパトラッシュは、お役ご免と、その場から、そそくさと逃げ出してしまっていた。

「ちぇ……、仕方ないなあ」

 少年が、手に握らされた5ポンドに目をやり、所在なさげに教会に向けて歩いてゆく。

 ちらちらと、雪が降ってきた。天使の羽のようにふわりふわりと舞い降りてくる純白の輝きに、若い画家は琥珀色の瞳を輝かせた。

「クリスマスが過ぎれば、すぐ大晦日だ。そして、新年がやってくる」

 雪の結晶に彩られた空に湧き上がる大聖堂からの鐘の音は、これまでのどのクリスマスの夜よりも、美しく荘厳に青年画家の耳に響いてきた。先ほどの男のことなど、すっかり忘れて、キースは、横を歩く中型犬に目をやり、にこりと微笑んだ。

「色々あると思うけど、来年もよろしくなっ。パトラッシュ」

 その答えに、彼の相棒は、くわんっと元気に一声、鳴いた。



 【 ピータバロ第2章~12番目の肖像画 】 ― 完 ―

 第3章【贋作師のテクニック】に続く~
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