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君と二十四のときを過ごす
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初めて立ったあの日、初めて彼女を見た。春一番に吹かれながら悲しそうに病室を見ている彼女を。見ているだけで辛かった。悲しかった。
初めて彼女のことを見かけてから二週間ほど立ったある日、雨水に濡れながらも笑う彼女を見つけた。降り積もった雪が溶け出すのを見ているように、僕にはそう見えるのに、その瞳には何も映っていない彼女を見た。
虫が穴を広げながら目覚めを告げているのを僕は食堂の窓越しに見ていた。
「きっと、大地が暖まったからですね」
突然話しかけられて驚き、振り返る。そこに彼女がいた。
「驚かせてしまいましたね、席ご一緒しても?」
すこし悲しそうな表情を浮かべながら聞いてくる。他に席はいくらでもあるのに何故ここに、と思いながらも
「えぇ、もちろん」
と答えた。気になっている人に誘われてイヤと言える男はいないだろう。思春期なら尚更だ。
昼と夜とが綺麗に分かれるその日、僕は彼女には会えなかった。そうではない、会わなかったのだ。その日は彼女にとって大切な日らしく、部外者の僕に無粋な真似ができる訳もなく……
一日中リハビリをして過ごした。そのせいで疲れていたのか、夜になるとすぐに寝てしまった。
夢の中でキミに会った。どこか彼女に似ている人。彼女より幼くて、彼女とは違い長い髪を後ろで束ねているとても綺麗な人。赤の他人とは思えないほど雰囲気がよく似ていた。
起きた時には何の会話をしたのか一切覚えていなかった。唯一覚えていたのはラベンダーの香りがしたということ。病室にも同じ匂いがしたので、僕は一瞬鼻がおかしくなったのかと思った。
リハビリの先生に相談してみた。そうしたら「それは深刻な病だ」と言われた。とても困り、看護師さんに聞いてみた。
「それは春ですね」
「恋の病ねー、青春って感じがして良いわね」
「青春のやり直しかしらね」
「やり直し?」
意味がわからず聞き返す。
「ごめんなさいね、この子ったら昨日見た恋愛ドラマの台詞をいうなんて」
そう言ってから看護師さん達は去って行った。昨日は恋愛ドラマの放送は無かったと思うのだけど……
「青年、リハビリの時間だよ」
考え事は先生の一言によって打ち切られた。
澄んだ青い空に映える桜の花が咲き、鳥が歌い、中庭では宴会が始まる。そんな日でも彼女は風に吹かれながら一人佇んでいた。
「あの、」
声を掛けようと彼女の元に駆け寄り、既の所で足を止める。
「望月さん」
そう言いながら彼女は泣いていた。
そうか、そうだよな。彼女の方が年上だしな。恋人くらいいても不思議じゃ…… 涙が止まらない。胸が痛い。息が出来ない。苦しくて辛い。分かっていたのに。
気付いたら、俺は走り出していた。彼女に背を向けて。
「望月さん、待って」
彼女が叫ぶ声が聞こえる。一瞬振り返ると彼女はこちらを向いて叫んでいた。なんで、そんなに悲しそうなんだ。なんでそんなに辛そうなんだ。なんでこっち向いてるんだよ。僕だって叫びたい。
またキミに会った。
大切そうに花束を抱えながら、こちらに微笑みを向けてくる。人に花を咲かせる笑顔の持ち主だと思った。彼女は白いツツジの花束を持っていて、僕は赤いツツジの花束を持っていた。
『この花、ずっと大切にするね』
そう言ったのは誰だっただろうか。
目を覚ますと俺は見慣れた病室にいて、身体は思うように動かなかった。あとできたリハビリの先生によると無理をし過ぎたらしい。事故の後遺症がまだ治っていないんだから、と言われたが俺にその時の記憶はない。事故の話を聞こうとしても誰も答えてはくれなかった。
しばらくの間、喪失感を抱えたままいつも通りの日々を過ごしていた。何をするにもやる気は出なかったが、リハビリをサボるのは良くないと思いリハビリだけは続けた。彼女を見かけることもなかった。思えば、俺は彼女のことを何も知らないのだ。名前も仕事も趣味も何もかも。
久々に彼女を見た。あの日から二週間くらい経っただろうか。俺は何事もなかったかのように彼女に話しかけることにした。
「あの、何をされてるんですか?」
緊張のせいか声がうわずった。
「花を見ているの。この時期に農作物の種を蒔くと雨に恵まれてよく育つらしいから、花はどうなのかなと思って」
「そうなんですね。花、お好きなんですか?」
もっといい話題は無かったのかと自分に失望する。
「えぇ。花がとても好きな人に教えてもらったの」
「そうなんですか」
きっとこの前叫んでいた「モチヅキ」と言う人のことなんだろうなと思う。
「望月さんと言って、とても仲の良い友人だったわ」
「友人?」
「えぇ、お友達」
友人、友人。心の中で何度もその言葉を繰り返す。恋人なんだと思っていた。
「恋人じゃ無かったんですね」
「えぇ、違いますよ」
なら何でそんなに辛そうなんですか。なら、俺を好きな人にしてくれ。恋人に…… そんなこと言えるわけない。恋人じゃなくてもそれに準ずる相手なのだろう。彼女は僕と同じような瞳をしている。絶対にかなわないと諦めながら存在しない希望を求めている。それを言葉にするなら「失恋」、「叶わぬ恋」、といったところだろうか。
「おーい。そろそろリハビリの時間だぞ。って、ハルちゃん」
「井原先生、お久しぶりです」
「ハルちゃん、きてるなら声かけてくれよ」
「ごめんなさい、長居する気はなくて」
先生と彼女は知り合いだったんだ。もしかして、この病院の
『紫悠』
誰?
「望月さん、望月さん」
「青年、おい、しっかりしろ、紫悠」
誰かの声がする。この声は、一体……「シユウ」って誰の……
世界に色が戻ってくる。鮮やかな綺麗な空の色。さっきの声は
「青年、大丈夫か?」
「大丈夫ですか?」
僕はどうして、白い空間にいるんだ。さっきと違い色が消えた空間。鮮やかな青がどこにも無い。ここは病室か。
「良かった、目が覚めて」
「青年、まだ無理したらダメだぞ。体調管理はもう少し頑張れ」
僕は、倒れたのか。また意識が薄れていく。あぁ、もっと話したかったのに……
また、彼女に会わない日が続いた。まともに立てる夏が来た。
「リハビリ頑張っているな、青年」
始まりは先生の一言だった。感謝を伝えたくて、反射的に立ち上がり、偶然通りかかった彼女を見つけ、呼び止めようと歩き出した。そこに手すりが無かった。ただ、それだけ。
「あの、名前を教えてください」
緊張でうまく話せているか分からなかった。自分の話した声が音がうまく拾えない。そんな中でも彼女の声は澄んでいて
「はるか、東雲はるか」
「はるか、さん?」
彼女は少しだけ嬉しそうに頬を緩める。僕は、心臓の音が彼女に聞こえていないか不安になる程ドキドキしていた。
「私はあなたの事を『朱夏の君』とでも呼ばせてもらおうかな。仲良くなった記念に」
そこは『青春の君』とかにしとけよ、とつっこむ先生の声が聞こえる。またふわふわする。身体が軽くて意識が薄れて世界から色が消える感覚。やっと名前を知れたのに、なんで……
甘いね、蜜みたい。いつの日か、大切な人に言われた言葉。大切な人って誰?何を僕は忘れている?
『安心する季節だー』
キミはそう言うが僕には意味がわからない。
『安心するって?』
そう聞き返すとキミは一言
『知らないの?』
と目を丸くしながら言う。
『あぁ』
『そっか、なら教えてあげましょう。「小満」って言ってね、この時期のことを指すんだよ。秋に蒔いた麦の穂がつく頃で少し満足するって意味があるんだ。少し満足するってことを安心するって言うんだ』
『勉強になったよ、ありがとう』
キミは頬を真っ赤にしながら普段通りの口調で
『こういう言葉、大好きなんだ。綺麗でしょ』
キミが使うからより綺麗になるんだよ。
「起きたか」
「せん、せい?」
「青年は無理しすぎだ。自分の限界を知れ。身体に悪すぎる」
これくらい大丈夫だと思ったのに、なんて言葉は言えないな。最近、身体に力が入らなかったり記憶が混濁して視界が暗転したり、同じ夢を見たり、おかしな事、多いしな。
「ゆっくり休めよ」
そう言って先生は病室の扉に手をかける。
「先生」
「どうした?」
「あ、いや、えっと、はるかさんにお礼を伝えていただけませんか」
「分かった。伝えておくから青年はゆっくり休め。体調が良くなるまではリハビリも禁止だ」
「えーー」
病室というのに大きな声をあげてしまった。まだ、一人部屋でよかった。病院にいる皆さんすいません、そう思いながら俺は何度目かもう分からない眠りについた。
『田植え、しませんか?』
キミはいつも突拍子の無いことを言うよね。
『そうだね、しよう』
キミと一緒なら普段は挑戦しないことにだって挑戦したいと思える。あぁ、また甘いって言われちゃうかな。
田植えをしながらキミと話す。
『一個聞いていい?』
『はい。どうしたんですか?』
『何で急に田植えをしたいって言い出したの?もしかして、「芒種」だから?』
キミは一瞬驚いた顔をしてから、平静を装い
『「芒種」は知っているんですか?』
『……実は、調べたんだ。「二十四節気」について』
キミはその表情ひとつで花を咲かせることが出来そうなほど微笑んで
『嬉しいです』
と呟いた。何回、僕を惚れさせるんだよ、ハル。
今日も、キミの「ハル」の出てくる夢を見た。先生に聞いてみようかな。でも、しばらくの間、リハビリ出来ないのかな?
「先生」
車椅子に乗って、廊下を進んでいる時に見つけて呼び止める。
「青年、どうしたんだ?」
先生は目を丸くして、聞き返してくる。
「聞きたいことっていうか、相談したいことっていうか」
なんて説明したらいいのか分からなくてうまく伝えられない。
「話なら、談話室行くか。今の時間なら人もそんなにいないだろう」
「あ、はい」
先生が車椅子を押して連れて行ってくれる。
「青年は初めてか?」
「初めてです」
そう、初めて来たはずなのに。何で懐かしく感じるんだ?
『せんせいー、見て見て、描いたの』
『ご本読んでー』
「青年、どうした?」
先生が顔を覗き込んでいた。
「ほんと、俺、どうしたんでしょうね」
さっきのは幻覚か?それとも幻聴?
「体調がやっぱり――」
「違うんです」
このままだとまた病室に返されそうで先生の言葉を遮るように話す。
「体調が悪いんじゃ無いです」
おかしな日本語だ。それでも、先生は俺の話に耳を傾けてくれる。
「おかしな、『夢』っていうんですかね。最近、夢に同じ子が出てくるんです。と言っても俺よりは年上みたいな感じですけど」
「その子は、青年の友達じゃ無いのか?」
「分からないんです。知っているような知ら無いような……」
「その子に特徴とかはあるのか?」
「綺麗です、すごく」
こんな抽象的な表現では伝わらないと思い、特徴を必死に思い出す。
「はるかさんにどことなく雰囲気が似ています。はるかさんより幼いし、髪も長いけど、すごく似ています」
「それは、ものすごい美人だな」
「はい、とっても」
「青年が気になっているのはその子のことか」
先生はどこかから紙を取り何かを書き出す。
「可能性は二つ、一個目は青年の理想」
「理想?」
「青年がハルちゃんと会いたいって願望と好みから作られた、君の理想の姿を夢で見てるってこと」
「理想」
さっきとは違い、その言葉を飲み込むために口に出す。
「二個目はその夢は青年の記憶、追憶するってこと。記憶喪失の人が記憶を取り戻した、とか何も無い人でも幼少期の記憶を思い出したとかだとよくある話だね」
理想って言われた時よりも納得できる。幼少期って感じの歳には見えなかったけど。
「なんか、きっかけとか無かったの?」
「きっかけですか」
「そう、きっかけ。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。まぁ五感に関する事柄かな」
「ラベンダー、ラベンダーの香りがしました」
「なるほどな、それなら何らかの記憶が呼び起こされた可能性が高いな。安心しろ、健康だ」
頭をわしゃわしゃされる。俺は犬か何かなのか?
今日はこれで話は終わりと強引に病室に返された。
『今日は長く遊べるね』
ハルが嬉しそうに声をかけてくる。
『今日はなんかあるのか?』
『梓栞(しおり)は相変わらず興味ないよね、こういうの』
『それは紫悠も同じだろ』
『紫悠は違うよ。「夏至」分かるよね』
『え、あ、あぁ』
『もう、ぼんやりしないでよ。せっかく三人で久々のお出かけしてるんだよ』
大分打ち解けてきて敬語を使わなくなったハルは頬を膨らましながら文句を言う。「夏至」、北半球で太陽が最も高く上る日。一年で最も昼が長いから明るくて安全なんだよな。
「シオ」
目を開けると視界が滲んでいた。涙、頬を伝う感触と視界の歪みからすぐに気付く。俺、泣いてるんだ。理由なんて分からない。わかりたくないのかも知れない。ただ、悲しくて、苦しくて、幸せで、懐かしくて、涙が止まらない。
何だかんだで最近は病室で過ごすか、談話室で本を読むか、たまに幼稚園くらいの子供と遊んでいる。先生に似ているのか、毎回のように先生、先生と呼んでくる。外に出たくならないのはだんだんと増している暑さのせいなのか、何なのか。まぁ、「小暑」だし仕方ないか。何で俺はこんなことを知っているんだ?
『問題、今日は何の日でしょうか』
『ハルちゃんの誕生日じゃないし、紫悠の誕生日でもないだろ。もちろん俺も違う』
『唐突だねー』
僕はのんびりお茶を入れながら二人に話しかける。
『うん、紫悠は答え言ったらダメだからね』
はいはいと空返事をして、目の前の書類の山の片付けを始める。
『また溜めてる』
いつも通りのハルの突っ込み。
『降参だ。それで答えは?』
『諦めるの早いよ。まぁ、梓栞らしいけど』
答えは、『大暑』です、とスケッチブックを見せてくる。「土用の丑の日」を意識しているのかうなぎの絵が描いてあった。
「立秋」、暦の上では秋というのに今年はやたら暑いなと誰かが言っていた。俺としては特に気にならないんだよな。それよりもリハビリの許可が出たのが嬉しくて暑さなんて気にならなかった。
リハビリが終わって、病室に帰ったら何故かうなぎの絵が描いてある「残暑見舞い」が机の上に置いてあった。近くにメモがあって、ハルちゃんからの、とだけ書いてあった。先生も意外と字が綺麗だった。絵まで似ているんだな。急いで返事を書き、先生に託した。
やっぱり理想なのかな。そんなことを思いながら目を閉じる。
『やっと涼しくなりだすな』
暑いのが嫌いなのかシオがそう呟く。
『やっと部屋が静かになるな』
冗談でそう告げる。夏はいつものように僕の部屋に来て涼むんだよな。リハビリの手伝いはどうした、と言えばいつものらりくらりとかわし誤魔化すんだよな。
『当たり前だよ、「処暑」だからね。その代わりに台風来るけどね』
『あぁ、嫌だ嫌だ。台風の時は怪我人とリハビリ患者が増えるんだよな』
『こっちは、急患が増えるんだが』
『私だって……大変だよ』
いつもの言い合いをしながらも台風対策を始める。大きな病院のため非常時のための設備は充実しているが備えておいた方がいい。自然災害は避けようがないからな。
「やっと秋らしくなりましたね」
食堂で寛いでいたらはるかさんが来た。
「そうですね。お久しぶりです」
「お久しぶりです。もう『白露』なんですよね」
秋が深まり草葉に朝露がつき始める時期か。
久しぶりに会った彼女はまた綺麗になっていて、上手く話せているか不安になる。仄かに香るラベンダーの香りとカレーの匂い。カレー?
「楽しそうだね、お二人さん」
「先生、何でカレーを三つも?」
「三人で食べるからだ」
そんな会話をして三人でカレーを食べて、その日は一瞬で過ぎていった。
今年二度目の昼夜の長さが同じになる日、「秋分」がやって来た。一度目、「春分」の時、はるかさんにははるかさんの名前も仕事も趣味も何もかも知らなかった。今も名前以外は何も知らない。それでもあの頃よりは親しくなれたのかな。
「寒っ」
こんな日に外に出るんじゃなかったと後悔する。たまには外で歩くのもリハビリになると勧められて中庭に出たが想像の数倍寒かった。草木に霜も降りているし、「寒露」と言うだけはあるな。 初めて聞いた時は「甘露」と勘違いして笑われたな。
『霜降らないんだな』
『霜?なんで?』
『何でって、「霜降」って言うんだろ』
『だからっていつも霜が降るわけじゃないよ』
『そうそう、ここは北の方の寒い場所でも無いしな』
僕たちの言葉を聞いて梓栞はつまらなさそうにしている。そんなに霜が見たかったのか?
夢も同じ季節なんだな、と思い妙に感心してしまう。最近は夢の中でも現実でも寒くて敵わないな。まぁ、秋色に染まった山は綺麗で良いんだけど。
「もう、冬ですね」
はるかさんに話しかけられた。
「『立冬』か。一年って案外早く過ぎるものですね」
はるかさんとの関係に何か進展があれば良かったのにと思いながら返事をする。俺は相変わらず子供で、告白すらしないでダラダラと友人と呼んで良いのかもわからない関係を続けていた。告白してこの関係が壊れるのが怖いなんて言ったら笑われるだろうな、そんなことを考えながら、はるかさんの方を見る。やっぱり、ハルに似てる。
「どうかしましたか?」
ついついじっと見てしまっていた。
「あ、えと夢によく出てくる人に似てるなぁと思って」
「どんな方なんですか?」
「はるかさんより髪は長くて、幼くて、雰囲気がはるかさんにとてもよく似ている『ハル』って呼ばれている子です」
「ハルちゃん。名前までよく似ていますね」
「そうですね」
言われてみればそうだ。何もかもが似ている。似すぎている。
「あっ、そろそろ行かないと遅刻しちゃう。ごめんなさい、友人と約束をしていて」
そう言ってからはるかさんは慌ただしく出ていく。ヒラリ、一枚の写真が床に落ちる。そこには眼鏡をかけ白衣を着た医者らしき人と髪の長いはるかさんと先生が写っていた。この人がモチヅキさん?写真の裏を見ると、『紫悠、梓栞、はるか』と書いてあった。はるかさんはもちろんのこと他の二人も見覚えがあった。誰だったか思い出そうとするが分からない。
『冬の入り口だよ。防寒対策始めないとですね』
『やっと「小雪」か。とはいえ、もうすぐ一年も終わりだな』
『そうだね。あっ、そうだ。紫悠、今度ドライブしよう』
『デートか、良いなぁ。俺も彼女が欲しい』
『良いでしょ。でも紫悠は譲らないから』
おい。それは僕の台詞だろ、と突っ込みながらもハルとのデートは楽しみだった。
動物たちは冬籠をはじめ、人間たちも家に閉じこもりたくなる季節がやってくる。今日は「大雪」か。
最近、紫悠さんが自分によく似ていることに気づいた。俺はコンタクトレンズだからかずっと気づかなかったがよく似ていた。はるかさんが俺に紫悠さんを感じたのも分かる気がした。俺も眼鏡をしていた頃があるのかな、なんてことを考える。先生によると事故の際に眼鏡が大破したらしくコンタクトレンズになったらしいが、俺にはその時の記憶がないからよく分からない。ただコンタクトレンズに慣れないと言った時に初めてだからそれはそうだと言われたことだけは覚えている。
今日は一年で最も夜が長い日だ、と先生が部屋に来た。「冬至」らしく柚子も用意したが病院のお風呂ではできないので美味しくいただくことにした。今まで意識したことはなかったが、先生の字がとても珍しかった。梓に栞でShioriとルビが振ってあった。どこかで聞いたような……
『紫悠、梓栞、二人ともあけましておめでとう』
もう、「小寒」だから遅くなっちゃたけど、と付け加えながら新年の挨拶をする。お節を食べて鍋を囲っていつものように騒いだ。
『そうだ、紫悠、今度の「春分」つまり紫悠の誕生日なんだけど、一緒に出かけよう。この前言ったみたいにドライブしたいなって』
同じ病院に勤めているおかげでお互いの休みはよくわかっているからこういう誘い方が出来るんだよな。
僕は一つ、決心をした。その日に彼女に求婚しよう。薔薇の花と指輪を買って彼女に結婚を申し込もう。またひとつ重ねる歳を過ごす時を彼女と共に過ごしたい。
はぁ、はぁ。悪夢を見たかと思うほど大量の汗をかいていた。先生が梓栞さんではるかさんがハルで紫悠は……
やっと思い出せた。あの日、僕は彼女と共に出かけていて、それで事故に遭って。もう、何年も経っていたんだな。いつまでも俺だけが春にいて、二人は先に夏に行っていたんだな。
「大寒」、この日さえ過ぎればハルがまたやって来る。彼女に恋してから二度目の春が。彼女には写真は返していたが、まだ話はしていなかった。
春が来る頃には退院できた。大事な話があると「春分」の日に二人をラベンダー畑に呼んだ。
やっと季節が動く。青い青い春は終わりを告げ、朱く染まった夏が訪れる。僕は指輪とカメラを片手に二人を待つ。大切な恋人と友人を。これから夏だけでなく、秋も冬も共時過ごすであろう大切な仲間を。
「ハル、梓栞」
ラベンダー畑の向こう側へ向き二人の名を呼んだ。
初めて彼女のことを見かけてから二週間ほど立ったある日、雨水に濡れながらも笑う彼女を見つけた。降り積もった雪が溶け出すのを見ているように、僕にはそう見えるのに、その瞳には何も映っていない彼女を見た。
虫が穴を広げながら目覚めを告げているのを僕は食堂の窓越しに見ていた。
「きっと、大地が暖まったからですね」
突然話しかけられて驚き、振り返る。そこに彼女がいた。
「驚かせてしまいましたね、席ご一緒しても?」
すこし悲しそうな表情を浮かべながら聞いてくる。他に席はいくらでもあるのに何故ここに、と思いながらも
「えぇ、もちろん」
と答えた。気になっている人に誘われてイヤと言える男はいないだろう。思春期なら尚更だ。
昼と夜とが綺麗に分かれるその日、僕は彼女には会えなかった。そうではない、会わなかったのだ。その日は彼女にとって大切な日らしく、部外者の僕に無粋な真似ができる訳もなく……
一日中リハビリをして過ごした。そのせいで疲れていたのか、夜になるとすぐに寝てしまった。
夢の中でキミに会った。どこか彼女に似ている人。彼女より幼くて、彼女とは違い長い髪を後ろで束ねているとても綺麗な人。赤の他人とは思えないほど雰囲気がよく似ていた。
起きた時には何の会話をしたのか一切覚えていなかった。唯一覚えていたのはラベンダーの香りがしたということ。病室にも同じ匂いがしたので、僕は一瞬鼻がおかしくなったのかと思った。
リハビリの先生に相談してみた。そうしたら「それは深刻な病だ」と言われた。とても困り、看護師さんに聞いてみた。
「それは春ですね」
「恋の病ねー、青春って感じがして良いわね」
「青春のやり直しかしらね」
「やり直し?」
意味がわからず聞き返す。
「ごめんなさいね、この子ったら昨日見た恋愛ドラマの台詞をいうなんて」
そう言ってから看護師さん達は去って行った。昨日は恋愛ドラマの放送は無かったと思うのだけど……
「青年、リハビリの時間だよ」
考え事は先生の一言によって打ち切られた。
澄んだ青い空に映える桜の花が咲き、鳥が歌い、中庭では宴会が始まる。そんな日でも彼女は風に吹かれながら一人佇んでいた。
「あの、」
声を掛けようと彼女の元に駆け寄り、既の所で足を止める。
「望月さん」
そう言いながら彼女は泣いていた。
そうか、そうだよな。彼女の方が年上だしな。恋人くらいいても不思議じゃ…… 涙が止まらない。胸が痛い。息が出来ない。苦しくて辛い。分かっていたのに。
気付いたら、俺は走り出していた。彼女に背を向けて。
「望月さん、待って」
彼女が叫ぶ声が聞こえる。一瞬振り返ると彼女はこちらを向いて叫んでいた。なんで、そんなに悲しそうなんだ。なんでそんなに辛そうなんだ。なんでこっち向いてるんだよ。僕だって叫びたい。
またキミに会った。
大切そうに花束を抱えながら、こちらに微笑みを向けてくる。人に花を咲かせる笑顔の持ち主だと思った。彼女は白いツツジの花束を持っていて、僕は赤いツツジの花束を持っていた。
『この花、ずっと大切にするね』
そう言ったのは誰だっただろうか。
目を覚ますと俺は見慣れた病室にいて、身体は思うように動かなかった。あとできたリハビリの先生によると無理をし過ぎたらしい。事故の後遺症がまだ治っていないんだから、と言われたが俺にその時の記憶はない。事故の話を聞こうとしても誰も答えてはくれなかった。
しばらくの間、喪失感を抱えたままいつも通りの日々を過ごしていた。何をするにもやる気は出なかったが、リハビリをサボるのは良くないと思いリハビリだけは続けた。彼女を見かけることもなかった。思えば、俺は彼女のことを何も知らないのだ。名前も仕事も趣味も何もかも。
久々に彼女を見た。あの日から二週間くらい経っただろうか。俺は何事もなかったかのように彼女に話しかけることにした。
「あの、何をされてるんですか?」
緊張のせいか声がうわずった。
「花を見ているの。この時期に農作物の種を蒔くと雨に恵まれてよく育つらしいから、花はどうなのかなと思って」
「そうなんですね。花、お好きなんですか?」
もっといい話題は無かったのかと自分に失望する。
「えぇ。花がとても好きな人に教えてもらったの」
「そうなんですか」
きっとこの前叫んでいた「モチヅキ」と言う人のことなんだろうなと思う。
「望月さんと言って、とても仲の良い友人だったわ」
「友人?」
「えぇ、お友達」
友人、友人。心の中で何度もその言葉を繰り返す。恋人なんだと思っていた。
「恋人じゃ無かったんですね」
「えぇ、違いますよ」
なら何でそんなに辛そうなんですか。なら、俺を好きな人にしてくれ。恋人に…… そんなこと言えるわけない。恋人じゃなくてもそれに準ずる相手なのだろう。彼女は僕と同じような瞳をしている。絶対にかなわないと諦めながら存在しない希望を求めている。それを言葉にするなら「失恋」、「叶わぬ恋」、といったところだろうか。
「おーい。そろそろリハビリの時間だぞ。って、ハルちゃん」
「井原先生、お久しぶりです」
「ハルちゃん、きてるなら声かけてくれよ」
「ごめんなさい、長居する気はなくて」
先生と彼女は知り合いだったんだ。もしかして、この病院の
『紫悠』
誰?
「望月さん、望月さん」
「青年、おい、しっかりしろ、紫悠」
誰かの声がする。この声は、一体……「シユウ」って誰の……
世界に色が戻ってくる。鮮やかな綺麗な空の色。さっきの声は
「青年、大丈夫か?」
「大丈夫ですか?」
僕はどうして、白い空間にいるんだ。さっきと違い色が消えた空間。鮮やかな青がどこにも無い。ここは病室か。
「良かった、目が覚めて」
「青年、まだ無理したらダメだぞ。体調管理はもう少し頑張れ」
僕は、倒れたのか。また意識が薄れていく。あぁ、もっと話したかったのに……
また、彼女に会わない日が続いた。まともに立てる夏が来た。
「リハビリ頑張っているな、青年」
始まりは先生の一言だった。感謝を伝えたくて、反射的に立ち上がり、偶然通りかかった彼女を見つけ、呼び止めようと歩き出した。そこに手すりが無かった。ただ、それだけ。
「あの、名前を教えてください」
緊張でうまく話せているか分からなかった。自分の話した声が音がうまく拾えない。そんな中でも彼女の声は澄んでいて
「はるか、東雲はるか」
「はるか、さん?」
彼女は少しだけ嬉しそうに頬を緩める。僕は、心臓の音が彼女に聞こえていないか不安になる程ドキドキしていた。
「私はあなたの事を『朱夏の君』とでも呼ばせてもらおうかな。仲良くなった記念に」
そこは『青春の君』とかにしとけよ、とつっこむ先生の声が聞こえる。またふわふわする。身体が軽くて意識が薄れて世界から色が消える感覚。やっと名前を知れたのに、なんで……
甘いね、蜜みたい。いつの日か、大切な人に言われた言葉。大切な人って誰?何を僕は忘れている?
『安心する季節だー』
キミはそう言うが僕には意味がわからない。
『安心するって?』
そう聞き返すとキミは一言
『知らないの?』
と目を丸くしながら言う。
『あぁ』
『そっか、なら教えてあげましょう。「小満」って言ってね、この時期のことを指すんだよ。秋に蒔いた麦の穂がつく頃で少し満足するって意味があるんだ。少し満足するってことを安心するって言うんだ』
『勉強になったよ、ありがとう』
キミは頬を真っ赤にしながら普段通りの口調で
『こういう言葉、大好きなんだ。綺麗でしょ』
キミが使うからより綺麗になるんだよ。
「起きたか」
「せん、せい?」
「青年は無理しすぎだ。自分の限界を知れ。身体に悪すぎる」
これくらい大丈夫だと思ったのに、なんて言葉は言えないな。最近、身体に力が入らなかったり記憶が混濁して視界が暗転したり、同じ夢を見たり、おかしな事、多いしな。
「ゆっくり休めよ」
そう言って先生は病室の扉に手をかける。
「先生」
「どうした?」
「あ、いや、えっと、はるかさんにお礼を伝えていただけませんか」
「分かった。伝えておくから青年はゆっくり休め。体調が良くなるまではリハビリも禁止だ」
「えーー」
病室というのに大きな声をあげてしまった。まだ、一人部屋でよかった。病院にいる皆さんすいません、そう思いながら俺は何度目かもう分からない眠りについた。
『田植え、しませんか?』
キミはいつも突拍子の無いことを言うよね。
『そうだね、しよう』
キミと一緒なら普段は挑戦しないことにだって挑戦したいと思える。あぁ、また甘いって言われちゃうかな。
田植えをしながらキミと話す。
『一個聞いていい?』
『はい。どうしたんですか?』
『何で急に田植えをしたいって言い出したの?もしかして、「芒種」だから?』
キミは一瞬驚いた顔をしてから、平静を装い
『「芒種」は知っているんですか?』
『……実は、調べたんだ。「二十四節気」について』
キミはその表情ひとつで花を咲かせることが出来そうなほど微笑んで
『嬉しいです』
と呟いた。何回、僕を惚れさせるんだよ、ハル。
今日も、キミの「ハル」の出てくる夢を見た。先生に聞いてみようかな。でも、しばらくの間、リハビリ出来ないのかな?
「先生」
車椅子に乗って、廊下を進んでいる時に見つけて呼び止める。
「青年、どうしたんだ?」
先生は目を丸くして、聞き返してくる。
「聞きたいことっていうか、相談したいことっていうか」
なんて説明したらいいのか分からなくてうまく伝えられない。
「話なら、談話室行くか。今の時間なら人もそんなにいないだろう」
「あ、はい」
先生が車椅子を押して連れて行ってくれる。
「青年は初めてか?」
「初めてです」
そう、初めて来たはずなのに。何で懐かしく感じるんだ?
『せんせいー、見て見て、描いたの』
『ご本読んでー』
「青年、どうした?」
先生が顔を覗き込んでいた。
「ほんと、俺、どうしたんでしょうね」
さっきのは幻覚か?それとも幻聴?
「体調がやっぱり――」
「違うんです」
このままだとまた病室に返されそうで先生の言葉を遮るように話す。
「体調が悪いんじゃ無いです」
おかしな日本語だ。それでも、先生は俺の話に耳を傾けてくれる。
「おかしな、『夢』っていうんですかね。最近、夢に同じ子が出てくるんです。と言っても俺よりは年上みたいな感じですけど」
「その子は、青年の友達じゃ無いのか?」
「分からないんです。知っているような知ら無いような……」
「その子に特徴とかはあるのか?」
「綺麗です、すごく」
こんな抽象的な表現では伝わらないと思い、特徴を必死に思い出す。
「はるかさんにどことなく雰囲気が似ています。はるかさんより幼いし、髪も長いけど、すごく似ています」
「それは、ものすごい美人だな」
「はい、とっても」
「青年が気になっているのはその子のことか」
先生はどこかから紙を取り何かを書き出す。
「可能性は二つ、一個目は青年の理想」
「理想?」
「青年がハルちゃんと会いたいって願望と好みから作られた、君の理想の姿を夢で見てるってこと」
「理想」
さっきとは違い、その言葉を飲み込むために口に出す。
「二個目はその夢は青年の記憶、追憶するってこと。記憶喪失の人が記憶を取り戻した、とか何も無い人でも幼少期の記憶を思い出したとかだとよくある話だね」
理想って言われた時よりも納得できる。幼少期って感じの歳には見えなかったけど。
「なんか、きっかけとか無かったの?」
「きっかけですか」
「そう、きっかけ。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。まぁ五感に関する事柄かな」
「ラベンダー、ラベンダーの香りがしました」
「なるほどな、それなら何らかの記憶が呼び起こされた可能性が高いな。安心しろ、健康だ」
頭をわしゃわしゃされる。俺は犬か何かなのか?
今日はこれで話は終わりと強引に病室に返された。
『今日は長く遊べるね』
ハルが嬉しそうに声をかけてくる。
『今日はなんかあるのか?』
『梓栞(しおり)は相変わらず興味ないよね、こういうの』
『それは紫悠も同じだろ』
『紫悠は違うよ。「夏至」分かるよね』
『え、あ、あぁ』
『もう、ぼんやりしないでよ。せっかく三人で久々のお出かけしてるんだよ』
大分打ち解けてきて敬語を使わなくなったハルは頬を膨らましながら文句を言う。「夏至」、北半球で太陽が最も高く上る日。一年で最も昼が長いから明るくて安全なんだよな。
「シオ」
目を開けると視界が滲んでいた。涙、頬を伝う感触と視界の歪みからすぐに気付く。俺、泣いてるんだ。理由なんて分からない。わかりたくないのかも知れない。ただ、悲しくて、苦しくて、幸せで、懐かしくて、涙が止まらない。
何だかんだで最近は病室で過ごすか、談話室で本を読むか、たまに幼稚園くらいの子供と遊んでいる。先生に似ているのか、毎回のように先生、先生と呼んでくる。外に出たくならないのはだんだんと増している暑さのせいなのか、何なのか。まぁ、「小暑」だし仕方ないか。何で俺はこんなことを知っているんだ?
『問題、今日は何の日でしょうか』
『ハルちゃんの誕生日じゃないし、紫悠の誕生日でもないだろ。もちろん俺も違う』
『唐突だねー』
僕はのんびりお茶を入れながら二人に話しかける。
『うん、紫悠は答え言ったらダメだからね』
はいはいと空返事をして、目の前の書類の山の片付けを始める。
『また溜めてる』
いつも通りのハルの突っ込み。
『降参だ。それで答えは?』
『諦めるの早いよ。まぁ、梓栞らしいけど』
答えは、『大暑』です、とスケッチブックを見せてくる。「土用の丑の日」を意識しているのかうなぎの絵が描いてあった。
「立秋」、暦の上では秋というのに今年はやたら暑いなと誰かが言っていた。俺としては特に気にならないんだよな。それよりもリハビリの許可が出たのが嬉しくて暑さなんて気にならなかった。
リハビリが終わって、病室に帰ったら何故かうなぎの絵が描いてある「残暑見舞い」が机の上に置いてあった。近くにメモがあって、ハルちゃんからの、とだけ書いてあった。先生も意外と字が綺麗だった。絵まで似ているんだな。急いで返事を書き、先生に託した。
やっぱり理想なのかな。そんなことを思いながら目を閉じる。
『やっと涼しくなりだすな』
暑いのが嫌いなのかシオがそう呟く。
『やっと部屋が静かになるな』
冗談でそう告げる。夏はいつものように僕の部屋に来て涼むんだよな。リハビリの手伝いはどうした、と言えばいつものらりくらりとかわし誤魔化すんだよな。
『当たり前だよ、「処暑」だからね。その代わりに台風来るけどね』
『あぁ、嫌だ嫌だ。台風の時は怪我人とリハビリ患者が増えるんだよな』
『こっちは、急患が増えるんだが』
『私だって……大変だよ』
いつもの言い合いをしながらも台風対策を始める。大きな病院のため非常時のための設備は充実しているが備えておいた方がいい。自然災害は避けようがないからな。
「やっと秋らしくなりましたね」
食堂で寛いでいたらはるかさんが来た。
「そうですね。お久しぶりです」
「お久しぶりです。もう『白露』なんですよね」
秋が深まり草葉に朝露がつき始める時期か。
久しぶりに会った彼女はまた綺麗になっていて、上手く話せているか不安になる。仄かに香るラベンダーの香りとカレーの匂い。カレー?
「楽しそうだね、お二人さん」
「先生、何でカレーを三つも?」
「三人で食べるからだ」
そんな会話をして三人でカレーを食べて、その日は一瞬で過ぎていった。
今年二度目の昼夜の長さが同じになる日、「秋分」がやって来た。一度目、「春分」の時、はるかさんにははるかさんの名前も仕事も趣味も何もかも知らなかった。今も名前以外は何も知らない。それでもあの頃よりは親しくなれたのかな。
「寒っ」
こんな日に外に出るんじゃなかったと後悔する。たまには外で歩くのもリハビリになると勧められて中庭に出たが想像の数倍寒かった。草木に霜も降りているし、「寒露」と言うだけはあるな。 初めて聞いた時は「甘露」と勘違いして笑われたな。
『霜降らないんだな』
『霜?なんで?』
『何でって、「霜降」って言うんだろ』
『だからっていつも霜が降るわけじゃないよ』
『そうそう、ここは北の方の寒い場所でも無いしな』
僕たちの言葉を聞いて梓栞はつまらなさそうにしている。そんなに霜が見たかったのか?
夢も同じ季節なんだな、と思い妙に感心してしまう。最近は夢の中でも現実でも寒くて敵わないな。まぁ、秋色に染まった山は綺麗で良いんだけど。
「もう、冬ですね」
はるかさんに話しかけられた。
「『立冬』か。一年って案外早く過ぎるものですね」
はるかさんとの関係に何か進展があれば良かったのにと思いながら返事をする。俺は相変わらず子供で、告白すらしないでダラダラと友人と呼んで良いのかもわからない関係を続けていた。告白してこの関係が壊れるのが怖いなんて言ったら笑われるだろうな、そんなことを考えながら、はるかさんの方を見る。やっぱり、ハルに似てる。
「どうかしましたか?」
ついついじっと見てしまっていた。
「あ、えと夢によく出てくる人に似てるなぁと思って」
「どんな方なんですか?」
「はるかさんより髪は長くて、幼くて、雰囲気がはるかさんにとてもよく似ている『ハル』って呼ばれている子です」
「ハルちゃん。名前までよく似ていますね」
「そうですね」
言われてみればそうだ。何もかもが似ている。似すぎている。
「あっ、そろそろ行かないと遅刻しちゃう。ごめんなさい、友人と約束をしていて」
そう言ってからはるかさんは慌ただしく出ていく。ヒラリ、一枚の写真が床に落ちる。そこには眼鏡をかけ白衣を着た医者らしき人と髪の長いはるかさんと先生が写っていた。この人がモチヅキさん?写真の裏を見ると、『紫悠、梓栞、はるか』と書いてあった。はるかさんはもちろんのこと他の二人も見覚えがあった。誰だったか思い出そうとするが分からない。
『冬の入り口だよ。防寒対策始めないとですね』
『やっと「小雪」か。とはいえ、もうすぐ一年も終わりだな』
『そうだね。あっ、そうだ。紫悠、今度ドライブしよう』
『デートか、良いなぁ。俺も彼女が欲しい』
『良いでしょ。でも紫悠は譲らないから』
おい。それは僕の台詞だろ、と突っ込みながらもハルとのデートは楽しみだった。
動物たちは冬籠をはじめ、人間たちも家に閉じこもりたくなる季節がやってくる。今日は「大雪」か。
最近、紫悠さんが自分によく似ていることに気づいた。俺はコンタクトレンズだからかずっと気づかなかったがよく似ていた。はるかさんが俺に紫悠さんを感じたのも分かる気がした。俺も眼鏡をしていた頃があるのかな、なんてことを考える。先生によると事故の際に眼鏡が大破したらしくコンタクトレンズになったらしいが、俺にはその時の記憶がないからよく分からない。ただコンタクトレンズに慣れないと言った時に初めてだからそれはそうだと言われたことだけは覚えている。
今日は一年で最も夜が長い日だ、と先生が部屋に来た。「冬至」らしく柚子も用意したが病院のお風呂ではできないので美味しくいただくことにした。今まで意識したことはなかったが、先生の字がとても珍しかった。梓に栞でShioriとルビが振ってあった。どこかで聞いたような……
『紫悠、梓栞、二人ともあけましておめでとう』
もう、「小寒」だから遅くなっちゃたけど、と付け加えながら新年の挨拶をする。お節を食べて鍋を囲っていつものように騒いだ。
『そうだ、紫悠、今度の「春分」つまり紫悠の誕生日なんだけど、一緒に出かけよう。この前言ったみたいにドライブしたいなって』
同じ病院に勤めているおかげでお互いの休みはよくわかっているからこういう誘い方が出来るんだよな。
僕は一つ、決心をした。その日に彼女に求婚しよう。薔薇の花と指輪を買って彼女に結婚を申し込もう。またひとつ重ねる歳を過ごす時を彼女と共に過ごしたい。
はぁ、はぁ。悪夢を見たかと思うほど大量の汗をかいていた。先生が梓栞さんではるかさんがハルで紫悠は……
やっと思い出せた。あの日、僕は彼女と共に出かけていて、それで事故に遭って。もう、何年も経っていたんだな。いつまでも俺だけが春にいて、二人は先に夏に行っていたんだな。
「大寒」、この日さえ過ぎればハルがまたやって来る。彼女に恋してから二度目の春が。彼女には写真は返していたが、まだ話はしていなかった。
春が来る頃には退院できた。大事な話があると「春分」の日に二人をラベンダー畑に呼んだ。
やっと季節が動く。青い青い春は終わりを告げ、朱く染まった夏が訪れる。僕は指輪とカメラを片手に二人を待つ。大切な恋人と友人を。これから夏だけでなく、秋も冬も共時過ごすであろう大切な仲間を。
「ハル、梓栞」
ラベンダー畑の向こう側へ向き二人の名を呼んだ。
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