迷犬騎士団長の優れた嗅覚 ~私の匂いを覚えないでください!~

采火

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魔獣の噂

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 翌日、アンジェは例の薬屋のお爺さんのところに顔を出した。
 数日里帰りで王都を離れることを伝えれば、お爺さんは目を細めて快くはなむけの言葉を贈ってくれた。

「そういえばアンジェ。昨日、近所の奴らがいつもの騎士団長様がお前と会っていたと聞いたんじゃが、本当かの?」
「本当だけど……やっぱり噂になってる?」
「そうさなぁ。ここらの奴らはここ二年、騎士団長様のお声を目覚まし代わりに聞い取ったからなぁ。それがいつもの時間に聞こえないわ、お前の家を通りかかればアンジェが騎士団長にすがられとるわで、なかなか見物だったと話し取ったぞ」

 アンジェは乾いた笑みしか出てこなかった。
 やっぱり噂されてしまったかと思いつつも、薬屋のお爺さんとそれからしばらく他愛ない話を続けた。
 そろそろお暇をしようかとアンジェが店を出ようとした時、見覚えのある男が店に入ってきた。

「すみません、薬が欲しいんですが」
「ロランド?」
「あ、アン……ドレア」

 ロランドもアンジェに気がつき声をかける。
 一瞬油断して「アンジェ」と呼ぼうとしたのを途中で言い換えたのもバッチリ聞こえた。

「ロランド。この人は大丈夫。私のこと知ってる」
「あ、そうなの?」

 後見人であった前騎士団長が、もしアンジェが万が一怪我をしたり病気になったりした時に、騎士団の医務官では都合が悪いだろうと、かかりつけ医として色々と手を回してくれたのである。
 薬屋のお爺さんは、アンジェが女の身で騎士団に入っていたことをよく知っている。
 アンジェの言葉に、ロランドが取り繕わらなくていいと、ロランドは肩から力を抜いた。

「それにしてもアンジェは何してるの? またお手伝い?」
「違う。挨拶回り。孤児院に行くからしばらく来れないって」
「いいね。いつ出立?」
「明日」

 そっかそっかとロランドは頷くと、そのまま薬屋へと入り、お爺さんに打ち身と切り傷用の薬を頼む。

「怪我?」
「僕じゃないけどね。騎士団用に」

 なるほどとアンジェは頷いた。
 騎士団にいれば怪我はどうしてもこしらえる。
 医務室もあるが、いちいち医務室に行くのも煩わしい時用に、騎士達は薬を買い置きしている。
 アンジェも医務室に厄介になれない身の上、騎士の時にはこの薬屋のお爺さんにお世話になったものだった。
 薬が用意されるまでの間、ロランドがアンジェに話をふる。

「孤児院に行くなら道中気をつけなよ。昨日も魔獣目撃の報告があったから」
「連日?」
「そう。昨日は人を襲ってはこなかったみたいだけどね。もしかしたら繁殖期かもしれないって噂。近々、討伐部隊編成するらしいしね」

 ユルバンも最近魔獣が増えてきているようなことを言っていた気がする。
 アンジェは一つ頷くと、握りこぶしを作った。

「腕がなるね」
「そういう反応? 会ったら逃げてって意味なんだけど」
「逃げるより殺した方が早いし安全」
「君、そんな脳筋だったっけ??」

 ロランドが疑問符を飛ばすけど、アンジェは涼しい顔でそれを受け流した。
 二人で話していると、奥からお爺さんが戻ってくる。

「ほれ、薬じゃ」
「ありがとうございます。お代はこちらで」
「あいよ」

 ロランドはお爺さんから薬の入っている袋を受けとると、お代をお爺さんに握らせた。
 用が終わったロランドは、そのままあっさりと店を出ていく。

「それじゃ、またねアンジェ。皆によろしく」
「こっちこそ。団長の目をうまくそらしておいて」
「はは、善処する」

 挨拶を交わし、アンジェはロランドと分かれた。
 そしてそのまま、明日からの旅に必要な手配を整えるべく、町へと繰り出していった。





 孤児院のある村へは、馬を借りれば一日でつく。
 だが騎士の時ならいざ知らず、ただのアンドレアとなった今では、馬なんて持っているわけがなかった。
 かといって荷物もあるので、一人で歩くのは避けたいところ。
 アンジェは商業ギルドに行くと、目的地である孤児院のある村・カヤック村方面へ行く小隊がないかを聞いた。
 お金はかかるが、彼らは荷物と一緒に人を運ぶ。
 馬の入手が困難ならば、こういった乗り合い馬車を使わない手はない……のだが。

「申し訳ありません。最近街道沿いで魔獣の目撃情報が多発しておりまして……護衛強化のため、数日の間、出発を見送るそうです」
「そんな」

 受付嬢の言葉に、アンジェは天井を仰いだ。
 商隊には基本的に護衛が付いている。それこそ魔獣や野盗が出ても商品が守れるようにだ。
 だから基本、魔獣の目撃情報が少々出たぐらいでは通商に影響はでないのだが。

「魔獣の出没って、そんなに増えてるんですか?」
「そうですね……全体的に増えてはいるんですが、特にお客様が向かわれる南方面の森に隣接する街道や村では目撃情報や痕跡情報等が多く寄せられております」
「そうですか」

 アンジェは眉をひそめた。
 そんなに魔獣が増えているのなら、余計に村が心配だった。
 ロランドが騎士になったということは、村に今、騎士レベルの強い人間がいないということ。
 カヤック村は、受付嬢が話していた南の森に近い。それは、今でこそ目撃くらいで留まっていても、常に魔獣に襲われる危険と隣り合わせであるということ。
 あの村に今、戦力と呼べるような戦力はあるのだろうか。
 故郷の村に思いを馳せていると、不意にアンジェの側に近寄る影が二つ。

「あー! 魔獣を倒したおねーちゃん!」
「ん?」

 すぐ側で大きな声をあげられて、アンジェはそちらを向いた。
 十歳くらいの男の子と、その父親らしき人物が、アンジェの方を見ている。
 特に男の子の方は、アンジェのことをまっすぐに指差していて。

「……あっ、一昨日の?」
「とーちゃん! このおねーちゃんだよ! おれを助けてくれたの!」

 元気に父親の袖を引いて声をあげる男の子。
 アンジェの記憶にも新しい、見覚えのあるこの少年は、森に行った時に助けた男の子だった。

「初めまして。商人のガルムと申します。息子のカールが大変お世話になったようで」
「アンドレアって言います。大したことは何も」

 丁寧に頭を下げた商人・ガルムに、アンジェは謙遜した。
 ガルムは顔をあげると、アンジェに笑いかけた。

「あなたにとってはそうでも、私にとっては大したことだったんですよ。是非、お礼をさせていただきたいのです」
「そんな、お礼なんて」

 アンジェが困った顔でガルムに遠慮をすると、アンジェのワンピースの裾をカールが握った。

「おねーちゃん、どこかに行くとこだったんでしょ? どこ?」
「カヤック村。でもそっち方面の商隊が今止まっているみたいで」
「とーちゃん!」

 カールが顔を輝かせる。
 ガルムがカールの言いたいことを察したようで、頷いた。

「アンドレアさん、うちの商隊の馬車に乗っていきますか?」
「え?」

 ガルムの言葉に、アンジェは目を瞬いた。

「行きと帰りの往復切符なんてどうです? カールの恩人だ。是非、それくらいさせてください。もちろん、馬車代は要りませんよ」
「そんな、悪いですよ」
「悪くなんてないですよ。まぁ欲を言えば、カヤック村でちょいと口利きしてくれるとありがたいですが」

 商魂たくましく、ガルムは笑ってそう付け足す。
 ガルムの申し出はありがたいが、アンジェには少し懸念があった。

「馬車を出してくださるのはありがたいですが、魔獣のこともあります。無理して私を運ばなくとも……」
「おねーちゃん強いじゃん! 魔獣なんてへっちゃらでしょ!」

 カールが目を輝かせてそう言う。
 アンジェは肯定するか否定するか一瞬迷っていると、ガルムが少しだけ申し訳なさそうに肩をすくめた。

「護衛に関して心もとないですかね……? 一応うちもそれなりに腕の立つ奴が揃っていますが……」
「いえ、その、私的には問題ないんですけど……なんかその、そんな至れり尽くせりは申し訳なくなると言いますか……」

 まごつくアンジェに、「そんなことは」とガルムが笑う。

「息子の命には変えられないですよ。こいつ、何を思ったのか、危険だと分かっていて一人で森に行って……本当なら魔獣に骨まで食べられていたところを助けてもらったんですからね。なぁ、カール?」
「だって、あの森の木の実が食べたいってかーちゃん言ってたから」
「お前なぁ、商人の息子ならそれくらい買えるってことを知っておけ」

 ガルムがカールの頭をこづく。
 カールが拗ねたように唇を尖らせるけれど、ガルムは全く取り合わない。
 その様子を見ていたアンジェは、結局ガルムの気が済むならと甘えることにする。
  
「そこまで仰るなら、お願いしてもいいですか? ただ、魔獣対策は念入りに。私もいますが、パニックになると現場での声が聞こえなくなってしまいがちですから」
「もちろんですとも」
「よろしくお願いします」

 アンジェはそうしてカヤック村に里帰りをする数日の間、ガルムの率いる商隊にお世話になることになった。

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