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前騎士団長が帰ってきたぞ

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 魔獣の件は一段落し、ユルバンは王都へと戻った。
 繁殖期はまだしばらく続くが、各村に常駐騎士を置いたのでこれで乗り切れるだろう。
 遠征から帰り、執務室に戻ったユルバンだが、そんな彼の目に今まさに会いたかった人物がいた。

「ヒューゴー様……!?」
「よっ、ユルバン。元気にしてたか?」

 ケヴィンにお茶をいれてもらい、来客用のソファでゆったりとしている前騎士団長の姿に、ユルバンは驚いた。

「いつ戻られたんですか」
「つい今しがたですよ。ほら団長、戻られたならこれとこれとこれよサインだけでもお願いします。提出期限ギリギリなんで」

 ケヴィンがそう言って、机の上の書類の山を指差した。
 だが、ユルバンにとってはそれを差し抜いてヒューゴーの方に用があった。

「ケヴィン、書類は後でやる。ヒューゴー様と話をするから部屋を出ろ」
「はぁ? ですがまだ私の方も仕事が」
「頼む」

 真剣な表情で言い募るユルバンに、ケヴィンがため息をついた。

「半刻ほど出ます」
「すまない」

 ケヴィンは一礼すると、執務室を出て言った。
 ユルバンがローテーブルを挟んでヒューゴーの正面のソファに座る。

「ヒューゴー様。久しぶりですね。今までどちらにいらっしゃったんですか」
「国中をあちこちな。とはいっても、年一くらいで帰って来てはいたが」
「そのわりには騎士団には顔を出されませんでした」
「騎士団はもう俺の居場所じゃねぇからな。いたずらに遊びに来るもんじゃねぇだろ」

 ユルバンの言葉に、ヒューゴーは飄々と返す。
 そろそろ五十近いはずのヒューゴーだが、その佇まいは今だ衰えを知らなさそうだった。

「あなたは変わりませんね。俺を、まだ青二才だった俺を騎士団長に指名した時からずっと」
「お前は変わったな。騎士団長としての面構えになった。やっぱ早い内からそれらしく振る舞えば、嫌でも身につくもんなんだな。ネイトとかだとそれまでの経験値で無難にこなすだろうが、それだけだな。お前みたいな目にはならなかっただろうよ」

 ヒューゴーはからかうようにユルバンを見据えた。
 ヒューゴーのいう騎士団長としての面構えとやらは自分では分からないが、ユルバンは前騎士団長に認められたという事実だけは受け取っておくべきだろうと前向きに考える。
 その上で、ユルバンは本題を鋭く切り出した。

「アンジェがやめたことは知ってますか」
「知ってる。去年帰った時に聞いた」
「アンジェはヒューゴー様が連れてきた者です。勝手にやめて、良いのですか」

 やはりヒューゴーはアンジェが騎士をやめていたことを知っていた。
 ユルバンがそう問えば、ヒューゴーはお茶をずずっとすすり、片目を瞑った。

「あいつの人生だ。騎士団に入れたのは俺だが、あとは知らん。騎士を続けるのも、やめるのも、あいつ次第だ」

 ヒューゴーの言葉は正しい。
 正しいが、その言葉はアンジェに限って当てはまらない。

「普通ならばそれでいいでしょう。だがアンジェには無理だ」
「なぜそう決めつける」
「とぼけるな! アンジェが、アンジェが女だと分かっていて騎士団にいれたのは貴方だ! アンジェが騎士でいられないと分かっていて、なぜいれた!」

 怒鳴るユルバンに、ヒューゴーは涼しい顔で言葉を返す。

「まぁ、そうだな。アンジェは第三にはいられないだろうなとは思っていた。誰かにバレるか、自分で気づくかは分からなかったが……あいつは自分の意思で辞めたな。見込みがあると思ったんだが」

 しれっと言ってのけるヒューゴーに、ユルバンは顔をしかめる。

「女だろうが、騎士になりたいならなればいいというのに、あいつは騎士を辞めた。それだけだろう」
「だがそれは規律違反だったからだ。規律がなければアンジェは騎士を続けていられた。……女は騎士になれないゆえ」
「そうだなぁ。そうだったな?」

 にまにまと笑いながら、煽るようにユルバンに答えるヒューゴー。
 ユルバンはヒューゴーがいったい何を考えているのかさっぱり分からなかった。

「何を笑っているんです」
「いーや。女嫌いだったお前が、アンジェのことを認めていたんだと思うと、ちょいと嬉しくて」
「別に女が嫌いな訳じゃないです。女の振り撒く化粧と香水の匂いが嫌いなだけで……」
「ならアンジェも駄目だろ。あいつもそろそろ年頃だ。化粧の一つくらい覚えているだろ」

 ヒューゴーが何気なく言った言葉に、ユルバンは腕を組んで胸を張った。

「アンジェは化粧なんてしませんよ。素のままで可愛い顔をしているのに、化粧をする意味が分からない」

 誇らしげにするユルバンに、ヒューゴーがぶはっと吹き出した。

「ははは! お前相当アンジェを気に入ってるな!」
「当然です。アンジェの剣は見ていて好ましいし、人柄も良い。何より彼女の持つ匂いは俺に苦痛を与えない。アンジェは俺にとって貴重な人材です」
「そこまで言うとは恐れ入ったなぁ。なんだお前、そこまでアンジェのことが好きなら結婚してしまえ。女だから騎士になれんって言うのなら、女としての幸せをお前が与えてやればいいじゃないか」
「女としての、幸せ……」

 まさに目から鱗だった。
 ヒューゴーの唐突な言葉に、ユルバンは呆けたような顔になる。
 ユルバンが呆けている間にも、ヒューゴーは一人頷いて勝手に話を進めようとする。

「うんうん、それがいいかもな。騎士にはなれないとお前が言う以上、あいつは女の幸せを得られるくらいしか後はないんだもんな」
「い、いや、待ってくださいヒューゴー様! だからと言って結婚は早急では……!?」

 ソファから腰をあげ、動揺しながら詰めるユルバンに、ヒューゴーはとぼけたような顔をして見せる。

「早急? 何言っているんだ? 今年であいつも十六になる。結婚適齢期に入るんだ。早すぎるなんてこともない。うかうかしてると取られるかもな、ロランドに」
「なぜそこでロランドの名前が出るんですか」

 顔をしかめ、苦い顔をするユルバンに、ヒューゴーはあっけらかんと言う。

「ロランドはアンジェに惚れてるからな。八年間の片想いだ。あいつはすごかったぞ。アンジェが去った後、惚れた女を守りたい一心で強くなった。俺が、騎士に推薦できるくらいにな」

 にんまりと笑うヒューゴーに、ユルバンは不愉快そうな顔になる。

「……ロランドがアンジェと結婚したとして、俺には関係ありませんが」
「いや、あるね。断言する。まずお前はアンジェとの接触が断たれる。匂いを嗅ごうとする男なんざ、自分の嫁に近づけたくないのは誰しも同じだろ」

 ヒューゴーの手酷い言い様に、ユルバンはショックを受けた。

「そ……そんな私が変態かのような言い草!」
「否定できてないぞ。なんだお前、やっぱりアンジェの体臭が目的なのか? ん?」

 どうなんだと聞くヒューゴーの言葉も酷いが、聞かれる方のユルバンも悪い。
 ヒューゴーの言葉はかなり悪意があるようにも聞こえるが、客観的に見れば言ってることはありのままの事実には違いないのだから。
 たとえユルバンにその気がなくとも、周りから得られる評価はヒューゴーと同じものなのだろうから。

「……百万歩譲って、俺から遠ざけられたとしても、それはアンジェが騎士にならない理由にはなりません」
「じゃあもう一つ。ロランドは真面目な男だが、ああ見えて我が強い。普通に考えて、男だらけの騎士団にアンジェを放り込むとは思えんな。女だから騎士になれないという事実をふりかざして止めるだろうよ」

 ユルバンは黙る。
 結局は、そこなのだ。
 女だから騎士になれない、という不文律が、アンジェを騎士にさせてくれないのだ。
 ぐっと唇を噛みしめた時、ふと目の前のヒューゴーが楽しそうに目を細めていることに気づいた。
 ユルバンがこんなにも悩んでいるのに不釣り合いなその表情に、抗議の声をあげたくなるが。
 何かがおかしい、と思った。
 最初に騎士団にアンジェを放り込んだのはヒューゴーだ。
 その彼が、アンジェが騎士になることを否定するのは矛盾している。

「何を、企んでいるんですか」
「企むなんて人聞きの悪い。だがまぁ、俺から言えることはそうだなぁ……アンジェを騎士にできるのはお前だけってことくらいか」

 そう言うと、ヒューゴーは立ち上がった。
 ユルバンにひらりと手を振って、部屋を出ようとする。

「それじゃ、また近い内に。あ、アンジェとの結婚、真面目に考えてくれてもいいからな」
「なっ……!?」
「じゃあな。がんばれ、騎士団長」

 ユルバンが引き留める前に、無情にも扉が閉められた。
 ユルバンは脱力して、四肢を投げ出すようにソファに座り込む。
 それから数秒後、頭を抱えて唸った。

「アンジェと結婚……!?」

 アンジェが女だという実感が、ようやくぐっと沸き起こってくる。
 顔から火が出てきそうになるくらい体温が上がったユルバンは、ケヴィンが戻ってくるまでずっとヒューゴーの最後の言葉を反芻し、頭を抱えていた。





「あれ? ヒューゴー様、帰ってきてたんですね」
「おう。飯作ってあるぞー」

 カヤック村から戻ってきたアンジェを出迎えたのは、恩師であり、保護者でもある、風来坊のヒューゴーだった。
 アンジェは荷物を自室に置いてくると、ダイニングに戻り、ヒューゴーが作った具材がごろごろと大きく入っているスープを椀によそった。

「パンはあります?」
「無かったから買ってきた」
「ありがとうございます」

 約一年ぶりの再会だというのに、二人して当たり前のように食事の支度を整えると、少し早いが夕食の時間が始まった。

「この一年、変わりはなかったか」
「特には。……ああ、いえ。ユルバン様に、女だってことがバレました。退職届が受理されてなかったんで、それじゃ規律違反で処分してくださいって言いました」
「ぶはっ、まじか!? なんだお前、思いきりが良いな!」
「ずるずる引きづられるのも嫌ですし。私も、未練がましく居座るつもりもないですし。分相応のところで生きるつもりですよ」

 ケラケラ笑うヒューゴーにアンジェは澄まし顔で答えた。

「あーあー、もったいねぇなぁ。お前ほどの腕があれば、騎士団の質も良くなるのになぁ」
「女は騎士になれないですから」
「本当にそう思うか?」

 不思議な事を言いだしたヒューゴーに、アンジェはスープをすくう匙を止めた。
 本当にそう思うも何も、規律として決まっている以上、女は騎士になれない。
 アンジェは思ったことをそっくりそのまま言えば、ヒューゴーは匙を行儀悪くぴこぴこと振りながら話し始めた。

「駄目だねぇ、視野が狭いぞ。隣国行ってみろ、最近じゃ、女王族や高位の貴族令嬢のために女騎士団が新設された。これがなかなか良い腕をしているし、それを見習った辺境伯のとこには私設の女兵団もできていたな。元々、冒険者には女もいるんだ。女が騎士になっても力量的には問題はないんだよ」
「はぁ……」

 ヒューゴーはただうろうろと国を回っていただけではないらしい。
 あらゆる場所に赴いて、情報を仕入れているということは知っているが、それで知ったことの話なのだろう。

「現実問題、アンジェの腕はそこらの並みの騎士以上の力量があると俺は踏んでいる。なんたって俺の弟子だからな!」
「師匠は一年も稽古をつけてくれませんでしたけど?」

 アンジェがヒューゴーから習ったのは基本中の基本だけ。
 後は騎士団の先輩や、それこそユルバンに稽古をしてもらったという方が正しい。
 澄ましたアンジェの言葉に、ヒューゴーが匙をゆっくりとスープにおろした。
 そのまましれっとスープを飲む。うまい。

「それで? 力量に問題がないとして。だからといって私が騎士になるには無茶でしょうよ。ユルバン様にもバレたので、もうアンジェの顔をした私はどちみち騎士団にいられません」
「まぁそう言うなって。実はな、そんなお前に良い話があるんだよ」

 既視感のあるヒューゴーの言葉に、アンジェは顔をあげた。
 どこで聞いた言葉だったのかとおぼろ気に思い出そうとして、ヒューゴーの顔を見てくっきり思い出した。
 あれだ。
 ヒューゴーがアンジェを騎士にするべく誘った時と同じだ。

「何を企んでいるんですか」
「お前も酷いな。上司が上司なら、部下も似るもんなのか」

 アンジェが胡乱な顔でヒューゴーを見れば、ヒューゴーはぶつぶうと一人で何事かを呟く。
 だがそれもほんの僅かな間で、すぐにヒューゴーは気を取り直したかのようにアンジェをまっすぐに見据えた。

「騎士になるつもりがあるならサインしろ。だが、契約事項はよく読め。お前は始まりの試金石だ。それにサインをしたら、途中で挫折することは許されない。女としての幸せすらも剥奪される覚悟でやれ」

 ヒューゴーが机の端から数枚の紙を手繰り寄せて、アンジェに渡した。
 紙を受け取ったアンジェが何気なく視線を落とし───まず最初に目に飛び込んできた言葉に思わず声をもらした。

「第四騎士団設立の稟議書……?」
「そうだ。その初代騎士団長に、お前を指名する」

 ヒューゴーの言葉に、アンジェは大きく目を見開いた。

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