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プロローグ「造りたかった酒」
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俺は水谷翔吾三十歳、つい先日まである酒蔵でブレンダーをしていた。勤めていた酒蔵は、北海道に酒蔵を構えていて、日本を代表するシングルモルトウイスキーを造っていた。そこで俺は異例の二十八歳という若さで、ブレンダーに抜擢された。理由としては、俺の味覚と嗅覚の鋭さ、そして酒蔵のウイスキーに対する深い理解が評価されてのことだった。
しかし、そんな名誉も長くは続かなかった。本来ブレンダーになれる人間は、十数年とウイスキーを勉強して、あらゆる香味を把握している年長者だ。それもそのはずで、ブレンダーはいわば会社の心臓といっても良い役職だ。毎日数百種類のウイスキーを味見して、その中からブレンダーが創り上げた、ウイスキーこそがその酒造の新商品になるからだ。しかも、ブレンダーは既存のウイスキーの品質保持も任されいて、まさに会社の伝統の守り手という大黒柱でもあるのだ。
そんな重役に、俺みたいな若造は大なり小なり嫉妬される。しかも、俺は運が悪い事に、ブレンダー室課長に目を付けられてしまい、ある理由をきっかけに退職に追いやられてしまった。
そう、酒が大好きな俺の皮肉な弱点。俺は酒を全く飲めないのである。
俺が、それでもなぜ酒が好きか。その理由は単純で、母親が大の酒好きだったからだ。小さい頃から、味覚と嗅覚が優れていた俺は、両親に将来は料理人になるかも知れないなどと言われてきた。実際に、料理は結構好きで高校も調理科のある学校に進学した。
そのせいもあって、ガキの頃から誕生日プレゼントは、有名なレストランや料亭に連れて行ってもらえた。そういう経験から、俺は料理人の凄さに感激しきりだった。俺もいつか食った人が、涙してしまうほど美味い飯が作りたい、そう思っていたのだが……。
「なにこれ、超苦いじゃん、マジー。母ちゃん、よくこんなもの美味そうに飲めるよね」
「アンタには、まだ早いかもねぇ。お酒は、忙しい大人のガソリンだもの。これを美味しいと思えるようになったら、アンタも一人前の社会人ね」
「こんな苦い飲み物が、上手く感じる日が来るだって?! ……あれ、何だか目がまわって……」
人生で初めて、目がまわった。そして気づいたら、眠りについていた。
「あらら、ビールを一口で沈んじゃったよ。やぁねぇ、お酒がダメなのは父さんに似ちゃったのね。可哀想に」
そう、俺が調理師免許をとった二十歳の時に知ったのだが、俺は下戸だった。母親は、酒を嗜む程度で、父親は一切酒を受け付けない体質なのだ。
しかし、人間とは不思議なもので、自分に出来ないものへの執着はなかな捨てられず、お酒への探究心が止まらなかった。料理にお酒は付き物で、その流れで色々なお酒を舐めていたら、段々と舌だけはお酒を受け入れてくれた。
そして気付けば、母親に最高に美味い酒を飲ませたくて、酒蔵に就職していた。酒も色々あったが、一番感動したのがウイスキーだった。ウイスキーの凄さは、年月とその香味の重厚さにある。数々の不思議が折り重なり、そこに底知れない作り手の情念と努力が加わって、時を超えて人々の元へ届けられる酒、それがウイスキーだ。
「まぁその分執念深い人間も多い業界なわけで、その所為でクビになっちゃたんだけどね。」
「えっ、店長!? 私クビですか?」
「えっ」
店の締め作業をしながら、物思いに耽けていたら、バイトの咲ちゃんに独り言を聞かれてしまった。咲ちゃん、歌舞伎町じゃ珍しく純粋な子だから、誤解とかないと。
「あぁ、ごめん! 今のは独り言! 咲ちゃん今日も頑張ってたし、クビじゃないです。むしろ、時給アップ検討します。はい」
「良かったぁ、もうびっくりせないで下さいよ。それじゃ私上がらせてもらいますね~~」
咲ちゃんは、胸をほっと撫で下ろし、リュックを背負って元気よく店から出て行こうとした。
「はい、ご苦労様でした。また、明日もよろしくね」
「はーい、お疲れ様でした」
彼女は、このノンアルカクテルバー水谷のバイトで、いつも終業時間まで働いてくれてる子だ。夢は、ミュージシャンのお上りさんでギターの練習を頑張っている。
こんな訳で酒蔵をクビになってから、料理人になろうかとも思ったが、一度ウイスキーに魅入られた俺は、中々その未練が断ち切れず、なにを思ったか天下の歌舞伎町でバーを開いていた。この店での、主な客層はアルコールは飲めないけど、歌舞伎町で騒ぎたい人らをターゲットにしている。
俺はバイトの子が全員帰ると、締め作業に入る。水回りの掃除、ガス元の確認、売り上げの計算といった作業だ。そんな作業を静かな店内でしていると、沸々と暗い感情が起き上がってくる。
「あの課長が流した変な噂のせいで、どこの酒蔵も雇ってくれないんだよなぁ。何が、酒樽に異物を混入した反逆者じゃ! 親の七光りで、課長になった癖に、どっちが糞虫だよ。これだから、一族経営は嫌いなんだ!!」
ふぅ、今更だな。思い切って、日本酒とかワインの酒蔵も考えたけど、どうしてもウイスキーを諦めきれないんだよなぁ。だからこうして、歌舞伎町で一発当てて! 自分の酒蔵を持とうと画策中なのである。幸い、経営は順調だし、実家の山にはウイスキー作りに不可欠なオーク、いわゆる日本産オークのミズナラが生えてる。あとは、金だけだ。
ウイスキーは、飲めるようになるまで、最低三年、良いものになれば十二年はかかるから……、最悪六十歳までには、自分の酒を樽に詰めて、七十二歳の時に飲めるとしても、俺生きてるのか?! 爺ちゃんと婆ちゃん何歳で死んだっけ?
「とにかく、俺には時間がない」
それか、金貯めて、イギリス行くか?ウイスキーといえば、イギリスだもんな~~。俺の大好きなウイスキーの一つに、松鶴がある。その創業者、松鶴さんは戦前にイギリスで、単身本場イギリスのウイスキー造りを学んで、北海道で酒蔵を持ったんだもんなぁ。
「よし、ここは本場イギリスに想いを馳せて、閉店後お疲れ様でした俺! のお酒はアイラモルトにします!」
俺は、ティースプーン一杯分をショットグラスに注いだ。それを舐めるように俺は飲む、なんていっても俺は下戸だから、アルコール度数40度は超強い酒の部類に入る。そして、これだけ飲む酒の量を調整しても俺は……。
「あぁんのぉハゲ。なぁにが、栄えあるブレンダー室にぃ、俺みたぁいな若造は不釣り合いである! なぁぁんって、抜かしやがってぇぇ、シングルモルトとラム酒の違いもぉ、わからねぇカスが黙ってろってんだぁよ!」
あぁ、酔っぱらったなぁ。今日も、今日とて歌舞伎町は賑やかだねぇ。あれぇ? 俺はいつの間に、店を出てきたんだ? あぁ、そっかぁ調子乗って飲みすぎたかぁ。ワハハハ、まぁいっか!
「人生なる様に、なるさ!」
そう言いながら、勢いよく道路を渡ると、けたたましいクラクションが鳴り響いた。しかも、すげぇハイビームで眩しいったらありゃぁしない。音のする方に、腕で目を覆いながら覗こうとしたら--。
「「「キャァァァァァアアア!!!」」」
「だ、誰か! 救急車を呼んでくれぇ!!」
「おえっ、ありぁ助からないぜ」
なんだ、やけに音が聞こえるし、視界に映るものが何重にも重なって見える。早く、帰って寝ようかな。あ、その前に風呂屋に行こう。いつもの店で、いつもの娘で、でもそう言えばあの娘、薬で飛んだんだっけ?
あれ……急に、眠くなった。風呂屋は、また、こ、んど。
次に俺が目が覚めると、俺はどこかの日本家屋の一室にいた。なぜか俺は、頭を抑えながら起き上がった。まるで、頭を強くぶつけた様な感覚に襲われたのだ。
「ん、ここは何処だ。新手の和風なお風呂屋さんか……。えっと、俺はさっきまで何してたんだっけ」
俺は、記憶を辿ろうとした。すると、咲ちゃんとバイバイして、いつもの酒を飲んで、あぁ結構飲んだなぁ。そして、気分良くなってていうかありゃ泥酔だわ。んで、歌舞伎町を出て、目の前の道路に飛び出て、トラックが俺に突っ込んだ……。ははは、俺がトラックに突っ込んだのか……。
「もしかして俺、死んだ!!!? え、でも、これは夢というにはリアルすぎじゃないか? こういう時は、ほっぺをつねって……痛く、ない。あはは、なんだ夢か。だってこんなに、ツネっても痛くないんだものぉ~~」
そんなことをしていたら、障子のガラス板から見える日本庭園の方から、ししおどしの音が鳴り響いた。それに、煙草の匂いも漂って来て、誰かの足音がする。何か布を引き摺って歩くような……。
「お、おばけ??」
独特の恐怖が月明かりの中漂った。そして次の瞬間--
--静かに、目の前の障子戸が開いた。大きな満月の月明かりが部屋に差し込んでくる。目に入ってくるのは、大きな池に、松、塀、そして十二単を着ているお姫様だ。その人は、煙管を片手に立っていて、後ろに侍っている法被姿の侍従が、片膝をついて煙草盆を抱えていた。
「目が覚めたか」
お姫様が、俺にそう話しかけてきた。月明かりを背にした彼女の姿は、惚れ惚れするような神々しさがあった。彼女の髪飾りは、月明かりでキラキラと反射して、顔の影の中で煙管の火種が赤く燃えていた。
「……」
「何をぼーっと、惚けておるのじゃ。」
「はっ?! すみません、あまりにも綺麗だったもので。つい」
お世辞じゃない。人とは思えない美しさが、この薄暗がりの中でも感じることができた。お姫様は、ほくそ笑みながら部屋の中に入ってきて、俺の正面に座った。彼女の体半分が月明かりで浮き彫りになった。まるで、京都の舞妓さんの様な化粧をしていた。白粉に、薄紅、銀色と金色の髪飾り、それに赤基調の十二単……。侍従は、一人分後ろに控えた。
「ふふふっ、褒めても浮世へは戻れんぞ」
「え、浮世って、もしかして!」
俺が、彼女の言った事に理解が及ぶ前に、お姫様は両の手を二回鳴らした。
お姫様が、手を叩くと黒子が続々と現れ、料理と酒を配膳してきた。あっという間に、居室は蝋燭などで明るくなり宴の用意が整った。お姫様が、僕にお酌をしてくれて、僕も彼女に酌を返した。そして絶世の着物美女と日本酒で一献を交わすと、この状況について説明を始めてくれた。
「お主も、混乱しているであろうから説明してやろうかの。一色」
「はっ」
そう言うとそばにいた侍従が、かしこまって返事を返し、俺に体を向けて丁寧に一礼した。侍従の顔は、薄い白い布で隠されていてわからなかった。それでも、声は少年のような高音で、おそらく男だ。
「我が名は一色。お姫様の僕でございます。主人に代わってご説明させていただきます」
「こちらこそ、どうかよろしくお願いします」
「それでは。水谷翔吾様、薄々お気づきかとお思いですが、貴方様はお亡くなりになられました」
「……」
そうか、やっぱり俺は死んだのか。儚い人生だったな。母ちゃんと父ちゃんに合わせる顔がないよ。親に逆縁を味わわせちまうなんて、とんだ親不孝者だよな。あぁーー死んだかーー! 俺は天を仰いだが見えるのは天井だった。それでも両親の顔がくっきりと目に浮かんだ。
そうやってしばらく天を仰ぎ、顔を洗う時のように両手で顔面を擦り前を見据えた。
「続けても、よろしいでしょうか?」
「はい」
半ば、上の空な生返事を返した。そんな俺を気にも止めず、淡々と目の前の面妖な存在は、語りを再開した。
「貴方様は亡くなる際に、強い未練をこの世にお残しになられ、輪廻転生は叶いませんでした。そこで貴方様を憐れにお思いなられました。我が主人クロノス様が、貴方様をお拾いになられました」
今なんて言った? その見た目で、横文字の名前だと? しかも、拾ったって言ってなかったか。どういう意味なんだ。俺は、引っ掛かった言葉を繰り返した。
「クロノス? 拾った?」
すると、お姫様が口を挟んできた。
「今、この姿は仮の姿、お主に馴染みある格好をしているだけじゃ」
なるほど、俺が日本人で和服に馴染みがあると思ったわけね。十二単って、教科書でしか見た事ないわ! あれ、ならなんで俺は見ただけで、これが十二単だとわかったんだろうか。そんなつまらない疑問に、つまづいていると、侍従が小さく咳払いをして、俺の注目を集めた。
「クロノス様と翔吾様の願いが一致したために、拾ったのでございます」
「願い……?」
俺、何か神様に願ったけ? 今年の初詣は確か……、全く思い出せない!俺が何に唸っているのか、見透かすようにこれまたお姫様が口を挟んできた。
「酒じゃよ。お主、酒が飲みたいのであろう? 酒が造りたいのであろう?」
酒……、そうだよ、俺まだ死ねないんだよ神様!!まだ、母ちゃんに最高のガソリンを飲ませてあげれて無いんだよ。こんなとこで、死んでる場合じゃ……。畳に、雫が溢れ落ちた。それは、夕立の様に最初は静かで、どんどんと激しいものとなった。
「うぁぁぁ…………」
この部屋では、時間の感覚がなかった。それでも、結構な時間泣いていたと思う。もう、涙も出ない。
俺は、生き返ることは出来ないんだと、お姫様の顔を見上げて悟った。すると、俺の心は驚くほど、軽くなって、それを悟った侍従が、再び話始める。
「クロノス様は、時を司る神で在られます」
「はぁ」
気の抜けた返事、正味現実味がない事実。そんな言葉を理解するためには、一色さんでは役不足だった。そんな時に、彼女が話をとって代わってくれた。
「一色ご苦労であった。あとは妾が話そう」
「はっ」
侍従が、また後ろに控えて空気のように座っている。
「どうじゃ翔吾。妾の話に乗らぬか? 妾も無類の酒好きでな、其方の未練を昇華するためにも、別の世界に行って酒を造ってみぬか?」
動くはずのない、俺の両耳が動いた気がした。果たせなかった、酒造の夢がまだ終わりじゃないかも知れない。それが、俺の中で計り知れないほど大きな希望になった。
「どういう意味ですか」
「簡単な話じゃ。妾は神で、其方は供物として酒を献上する。その代わり妾は、お主を別世界に転移させる。そこで、お主は好きな様に酒を造れば良い。酒造りに必要な体も、道具も用意してやる。だからどうじゃ、もう一度浮世へ舞い戻ってみぬか」
是非も無い、とはまさにこの事だった。ただ、自分の愚かさでおっ死んだだけの俺を、この神様は拾い上げ、チャンスをくれようとしている。誰もが夢見る光景……。俺は、迷わず彼女の手を取った。
「行きます。酒を造れるなら、どこだろうと」
こうして俺は、異世界転移した。
・作者後書き
拙作ですが、どうぞよろしくお願いします。
好きな酎ハイは、ほろ酔いの白いサワー、ビールはバドワイザー、焼酎は佐藤、日本酒は朝日鷹、ワインは貴腐ワイン、ウイスキーはScallywag、ラムはアニヴェルサリオ、ジンはシュタインヘーガー、ウオッカはズブロッカ、泡盛は忠孝、ブランデーはオタール、カクテルは雪國です!
しかし、そんな名誉も長くは続かなかった。本来ブレンダーになれる人間は、十数年とウイスキーを勉強して、あらゆる香味を把握している年長者だ。それもそのはずで、ブレンダーはいわば会社の心臓といっても良い役職だ。毎日数百種類のウイスキーを味見して、その中からブレンダーが創り上げた、ウイスキーこそがその酒造の新商品になるからだ。しかも、ブレンダーは既存のウイスキーの品質保持も任されいて、まさに会社の伝統の守り手という大黒柱でもあるのだ。
そんな重役に、俺みたいな若造は大なり小なり嫉妬される。しかも、俺は運が悪い事に、ブレンダー室課長に目を付けられてしまい、ある理由をきっかけに退職に追いやられてしまった。
そう、酒が大好きな俺の皮肉な弱点。俺は酒を全く飲めないのである。
俺が、それでもなぜ酒が好きか。その理由は単純で、母親が大の酒好きだったからだ。小さい頃から、味覚と嗅覚が優れていた俺は、両親に将来は料理人になるかも知れないなどと言われてきた。実際に、料理は結構好きで高校も調理科のある学校に進学した。
そのせいもあって、ガキの頃から誕生日プレゼントは、有名なレストランや料亭に連れて行ってもらえた。そういう経験から、俺は料理人の凄さに感激しきりだった。俺もいつか食った人が、涙してしまうほど美味い飯が作りたい、そう思っていたのだが……。
「なにこれ、超苦いじゃん、マジー。母ちゃん、よくこんなもの美味そうに飲めるよね」
「アンタには、まだ早いかもねぇ。お酒は、忙しい大人のガソリンだもの。これを美味しいと思えるようになったら、アンタも一人前の社会人ね」
「こんな苦い飲み物が、上手く感じる日が来るだって?! ……あれ、何だか目がまわって……」
人生で初めて、目がまわった。そして気づいたら、眠りについていた。
「あらら、ビールを一口で沈んじゃったよ。やぁねぇ、お酒がダメなのは父さんに似ちゃったのね。可哀想に」
そう、俺が調理師免許をとった二十歳の時に知ったのだが、俺は下戸だった。母親は、酒を嗜む程度で、父親は一切酒を受け付けない体質なのだ。
しかし、人間とは不思議なもので、自分に出来ないものへの執着はなかな捨てられず、お酒への探究心が止まらなかった。料理にお酒は付き物で、その流れで色々なお酒を舐めていたら、段々と舌だけはお酒を受け入れてくれた。
そして気付けば、母親に最高に美味い酒を飲ませたくて、酒蔵に就職していた。酒も色々あったが、一番感動したのがウイスキーだった。ウイスキーの凄さは、年月とその香味の重厚さにある。数々の不思議が折り重なり、そこに底知れない作り手の情念と努力が加わって、時を超えて人々の元へ届けられる酒、それがウイスキーだ。
「まぁその分執念深い人間も多い業界なわけで、その所為でクビになっちゃたんだけどね。」
「えっ、店長!? 私クビですか?」
「えっ」
店の締め作業をしながら、物思いに耽けていたら、バイトの咲ちゃんに独り言を聞かれてしまった。咲ちゃん、歌舞伎町じゃ珍しく純粋な子だから、誤解とかないと。
「あぁ、ごめん! 今のは独り言! 咲ちゃん今日も頑張ってたし、クビじゃないです。むしろ、時給アップ検討します。はい」
「良かったぁ、もうびっくりせないで下さいよ。それじゃ私上がらせてもらいますね~~」
咲ちゃんは、胸をほっと撫で下ろし、リュックを背負って元気よく店から出て行こうとした。
「はい、ご苦労様でした。また、明日もよろしくね」
「はーい、お疲れ様でした」
彼女は、このノンアルカクテルバー水谷のバイトで、いつも終業時間まで働いてくれてる子だ。夢は、ミュージシャンのお上りさんでギターの練習を頑張っている。
こんな訳で酒蔵をクビになってから、料理人になろうかとも思ったが、一度ウイスキーに魅入られた俺は、中々その未練が断ち切れず、なにを思ったか天下の歌舞伎町でバーを開いていた。この店での、主な客層はアルコールは飲めないけど、歌舞伎町で騒ぎたい人らをターゲットにしている。
俺はバイトの子が全員帰ると、締め作業に入る。水回りの掃除、ガス元の確認、売り上げの計算といった作業だ。そんな作業を静かな店内でしていると、沸々と暗い感情が起き上がってくる。
「あの課長が流した変な噂のせいで、どこの酒蔵も雇ってくれないんだよなぁ。何が、酒樽に異物を混入した反逆者じゃ! 親の七光りで、課長になった癖に、どっちが糞虫だよ。これだから、一族経営は嫌いなんだ!!」
ふぅ、今更だな。思い切って、日本酒とかワインの酒蔵も考えたけど、どうしてもウイスキーを諦めきれないんだよなぁ。だからこうして、歌舞伎町で一発当てて! 自分の酒蔵を持とうと画策中なのである。幸い、経営は順調だし、実家の山にはウイスキー作りに不可欠なオーク、いわゆる日本産オークのミズナラが生えてる。あとは、金だけだ。
ウイスキーは、飲めるようになるまで、最低三年、良いものになれば十二年はかかるから……、最悪六十歳までには、自分の酒を樽に詰めて、七十二歳の時に飲めるとしても、俺生きてるのか?! 爺ちゃんと婆ちゃん何歳で死んだっけ?
「とにかく、俺には時間がない」
それか、金貯めて、イギリス行くか?ウイスキーといえば、イギリスだもんな~~。俺の大好きなウイスキーの一つに、松鶴がある。その創業者、松鶴さんは戦前にイギリスで、単身本場イギリスのウイスキー造りを学んで、北海道で酒蔵を持ったんだもんなぁ。
「よし、ここは本場イギリスに想いを馳せて、閉店後お疲れ様でした俺! のお酒はアイラモルトにします!」
俺は、ティースプーン一杯分をショットグラスに注いだ。それを舐めるように俺は飲む、なんていっても俺は下戸だから、アルコール度数40度は超強い酒の部類に入る。そして、これだけ飲む酒の量を調整しても俺は……。
「あぁんのぉハゲ。なぁにが、栄えあるブレンダー室にぃ、俺みたぁいな若造は不釣り合いである! なぁぁんって、抜かしやがってぇぇ、シングルモルトとラム酒の違いもぉ、わからねぇカスが黙ってろってんだぁよ!」
あぁ、酔っぱらったなぁ。今日も、今日とて歌舞伎町は賑やかだねぇ。あれぇ? 俺はいつの間に、店を出てきたんだ? あぁ、そっかぁ調子乗って飲みすぎたかぁ。ワハハハ、まぁいっか!
「人生なる様に、なるさ!」
そう言いながら、勢いよく道路を渡ると、けたたましいクラクションが鳴り響いた。しかも、すげぇハイビームで眩しいったらありゃぁしない。音のする方に、腕で目を覆いながら覗こうとしたら--。
「「「キャァァァァァアアア!!!」」」
「だ、誰か! 救急車を呼んでくれぇ!!」
「おえっ、ありぁ助からないぜ」
なんだ、やけに音が聞こえるし、視界に映るものが何重にも重なって見える。早く、帰って寝ようかな。あ、その前に風呂屋に行こう。いつもの店で、いつもの娘で、でもそう言えばあの娘、薬で飛んだんだっけ?
あれ……急に、眠くなった。風呂屋は、また、こ、んど。
次に俺が目が覚めると、俺はどこかの日本家屋の一室にいた。なぜか俺は、頭を抑えながら起き上がった。まるで、頭を強くぶつけた様な感覚に襲われたのだ。
「ん、ここは何処だ。新手の和風なお風呂屋さんか……。えっと、俺はさっきまで何してたんだっけ」
俺は、記憶を辿ろうとした。すると、咲ちゃんとバイバイして、いつもの酒を飲んで、あぁ結構飲んだなぁ。そして、気分良くなってていうかありゃ泥酔だわ。んで、歌舞伎町を出て、目の前の道路に飛び出て、トラックが俺に突っ込んだ……。ははは、俺がトラックに突っ込んだのか……。
「もしかして俺、死んだ!!!? え、でも、これは夢というにはリアルすぎじゃないか? こういう時は、ほっぺをつねって……痛く、ない。あはは、なんだ夢か。だってこんなに、ツネっても痛くないんだものぉ~~」
そんなことをしていたら、障子のガラス板から見える日本庭園の方から、ししおどしの音が鳴り響いた。それに、煙草の匂いも漂って来て、誰かの足音がする。何か布を引き摺って歩くような……。
「お、おばけ??」
独特の恐怖が月明かりの中漂った。そして次の瞬間--
--静かに、目の前の障子戸が開いた。大きな満月の月明かりが部屋に差し込んでくる。目に入ってくるのは、大きな池に、松、塀、そして十二単を着ているお姫様だ。その人は、煙管を片手に立っていて、後ろに侍っている法被姿の侍従が、片膝をついて煙草盆を抱えていた。
「目が覚めたか」
お姫様が、俺にそう話しかけてきた。月明かりを背にした彼女の姿は、惚れ惚れするような神々しさがあった。彼女の髪飾りは、月明かりでキラキラと反射して、顔の影の中で煙管の火種が赤く燃えていた。
「……」
「何をぼーっと、惚けておるのじゃ。」
「はっ?! すみません、あまりにも綺麗だったもので。つい」
お世辞じゃない。人とは思えない美しさが、この薄暗がりの中でも感じることができた。お姫様は、ほくそ笑みながら部屋の中に入ってきて、俺の正面に座った。彼女の体半分が月明かりで浮き彫りになった。まるで、京都の舞妓さんの様な化粧をしていた。白粉に、薄紅、銀色と金色の髪飾り、それに赤基調の十二単……。侍従は、一人分後ろに控えた。
「ふふふっ、褒めても浮世へは戻れんぞ」
「え、浮世って、もしかして!」
俺が、彼女の言った事に理解が及ぶ前に、お姫様は両の手を二回鳴らした。
お姫様が、手を叩くと黒子が続々と現れ、料理と酒を配膳してきた。あっという間に、居室は蝋燭などで明るくなり宴の用意が整った。お姫様が、僕にお酌をしてくれて、僕も彼女に酌を返した。そして絶世の着物美女と日本酒で一献を交わすと、この状況について説明を始めてくれた。
「お主も、混乱しているであろうから説明してやろうかの。一色」
「はっ」
そう言うとそばにいた侍従が、かしこまって返事を返し、俺に体を向けて丁寧に一礼した。侍従の顔は、薄い白い布で隠されていてわからなかった。それでも、声は少年のような高音で、おそらく男だ。
「我が名は一色。お姫様の僕でございます。主人に代わってご説明させていただきます」
「こちらこそ、どうかよろしくお願いします」
「それでは。水谷翔吾様、薄々お気づきかとお思いですが、貴方様はお亡くなりになられました」
「……」
そうか、やっぱり俺は死んだのか。儚い人生だったな。母ちゃんと父ちゃんに合わせる顔がないよ。親に逆縁を味わわせちまうなんて、とんだ親不孝者だよな。あぁーー死んだかーー! 俺は天を仰いだが見えるのは天井だった。それでも両親の顔がくっきりと目に浮かんだ。
そうやってしばらく天を仰ぎ、顔を洗う時のように両手で顔面を擦り前を見据えた。
「続けても、よろしいでしょうか?」
「はい」
半ば、上の空な生返事を返した。そんな俺を気にも止めず、淡々と目の前の面妖な存在は、語りを再開した。
「貴方様は亡くなる際に、強い未練をこの世にお残しになられ、輪廻転生は叶いませんでした。そこで貴方様を憐れにお思いなられました。我が主人クロノス様が、貴方様をお拾いになられました」
今なんて言った? その見た目で、横文字の名前だと? しかも、拾ったって言ってなかったか。どういう意味なんだ。俺は、引っ掛かった言葉を繰り返した。
「クロノス? 拾った?」
すると、お姫様が口を挟んできた。
「今、この姿は仮の姿、お主に馴染みある格好をしているだけじゃ」
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「クロノス様と翔吾様の願いが一致したために、拾ったのでございます」
「願い……?」
俺、何か神様に願ったけ? 今年の初詣は確か……、全く思い出せない!俺が何に唸っているのか、見透かすようにこれまたお姫様が口を挟んできた。
「酒じゃよ。お主、酒が飲みたいのであろう? 酒が造りたいのであろう?」
酒……、そうだよ、俺まだ死ねないんだよ神様!!まだ、母ちゃんに最高のガソリンを飲ませてあげれて無いんだよ。こんなとこで、死んでる場合じゃ……。畳に、雫が溢れ落ちた。それは、夕立の様に最初は静かで、どんどんと激しいものとなった。
「うぁぁぁ…………」
この部屋では、時間の感覚がなかった。それでも、結構な時間泣いていたと思う。もう、涙も出ない。
俺は、生き返ることは出来ないんだと、お姫様の顔を見上げて悟った。すると、俺の心は驚くほど、軽くなって、それを悟った侍従が、再び話始める。
「クロノス様は、時を司る神で在られます」
「はぁ」
気の抜けた返事、正味現実味がない事実。そんな言葉を理解するためには、一色さんでは役不足だった。そんな時に、彼女が話をとって代わってくれた。
「一色ご苦労であった。あとは妾が話そう」
「はっ」
侍従が、また後ろに控えて空気のように座っている。
「どうじゃ翔吾。妾の話に乗らぬか? 妾も無類の酒好きでな、其方の未練を昇華するためにも、別の世界に行って酒を造ってみぬか?」
動くはずのない、俺の両耳が動いた気がした。果たせなかった、酒造の夢がまだ終わりじゃないかも知れない。それが、俺の中で計り知れないほど大きな希望になった。
「どういう意味ですか」
「簡単な話じゃ。妾は神で、其方は供物として酒を献上する。その代わり妾は、お主を別世界に転移させる。そこで、お主は好きな様に酒を造れば良い。酒造りに必要な体も、道具も用意してやる。だからどうじゃ、もう一度浮世へ舞い戻ってみぬか」
是非も無い、とはまさにこの事だった。ただ、自分の愚かさでおっ死んだだけの俺を、この神様は拾い上げ、チャンスをくれようとしている。誰もが夢見る光景……。俺は、迷わず彼女の手を取った。
「行きます。酒を造れるなら、どこだろうと」
こうして俺は、異世界転移した。
・作者後書き
拙作ですが、どうぞよろしくお願いします。
好きな酎ハイは、ほろ酔いの白いサワー、ビールはバドワイザー、焼酎は佐藤、日本酒は朝日鷹、ワインは貴腐ワイン、ウイスキーはScallywag、ラムはアニヴェルサリオ、ジンはシュタインヘーガー、ウオッカはズブロッカ、泡盛は忠孝、ブランデーはオタール、カクテルは雪國です!
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