SCRAP

都槻郁稀

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本編 18.12 - 19.03

屁理屈/621/エッセイ・随筆

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 暗い。と、よく言われる。性格の話ではない。作品が、だ。思い返せば、心情的に重いものを主題にしたり、暗い描写をしたり、バッドエンドに持ち込んだり、ということは多々あった。「作品が暗い」と言われても仕方がないし、事実、何の問題もない。
 なら、何故指摘されるのか。「暗い」は、少なくとも褒めるときに使うような言葉ではないと思う。結論の述語が「良い」であるなら話は別なのだが。

 結局のところ、彼らは私の作品が「暗い」ことに、一定量以上の不快感、嫌悪感を抱いているのだろう。でなければ、「暗い」ことを指摘などはしないはずだ。

 さて、開き直りをしたいと思う。そもそも、「暗くない」則ち「明るい」作品は、一貫して楽しいと言えるのだろうか。主人公が楽しいまま楽しいことをして、楽しく終わる。名作として知られる作品の中で、作品を通して「明るい」作品を私は知らない。

 主人公は、少なくとも冒頭では、不幸で不運でなければならないと思っている。自分の財産量に満足している人が、それ以上富を独占しよう、などと思うだろうか。主観的に幸福な主人公ならば、ストーリーは自然に発生し得ないのではないか。
 人生に障壁が存在し、それを乗り越えてもまた新たな障壁が現れる。人生とは本質的に苦悩と乗り越えた時の満足感との連続であり、それなしに充実した人生はあり得ないのでは。

 ならば、人の負の感情を主題として描き、「主人公は幸福になる」という潜在的な裏打ちを壊す私は、何も間違ってはいないだろう。
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