古代ローマの英雄スキピオの物語〜歴史上最高の戦術家カルタゴの名将ハンニバル対ローマ史上最強の男〜本物の歴史ロマンを実感して下さい

秀策

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心の内

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 紀元前二一〇年、二十五歳になったプブリウスは、ついに指揮官として軍勢を率いることになった。しかし、長引く戦争に国力をすり減らしたローマは、軍の編成に苦労していた。三月に兵の編成が行われ、春には出征するのが通例だが、プブリウスがヒスパニアに出征したのは夏の終わりだった。
 プブリウスは歩兵一万と騎兵千を率いて、ヒスパニア戦線の作戦本部となっているタラゴナに到着した。タラゴナには、前年にネロに率いられた一万の兵と、父と叔父の元で戦った敗残兵七千が新しい指揮官の到着を待っていた。
 プブリウスは来年の春までは軍事行動を起こさないことを宣言し、兵に休息を与えた。一方で、ヒスパニアの地形、風土、地元部族、カルタゴ軍の動向など、あらゆる情報を集めた。情報収集の指揮はローマから帯同しているニーケーが担った。
 プブリウスは当初、ニーケーを帯同させるつもりはなかった。女性が出征軍に参加することは今までになかったからだ。軍には医師や書記官も帯同しているが、それも男性が担うのが普通だった。しかし、ニーケーは頑として、
「私もお供します。女性が戦争に行くなど聞いたことがないかもしれませんね。でも、二十五歳の若者が軍を率いて遠征するという話も、私は聞いたことがありません。前例がないからと言うのは、おかしな話です。どうかお連れください。必ず役に立って見せます」
 と、言って聞かなかった。ニーケーの必死さにプブリウスは折れた。そして、彼女はその言葉通りの活躍を見せた。
 ニーケーは人を使ってヒスパニアについての情報を集めるが、その情報量と質は他の者とは比べ物にならないほど緻密で正確なものであった。これにはプブリウスは脱帽するしかなかった。さらに、ニーケーはその情報を整理し、的確に分析をしてはプブリウスに伝えた。ときには私見を述べることもあり、ニーケーはまさに軍師としての役割を担うようになっていった。
「ニーケーには感謝しかないな」
 プブリウスは今更ながらに思った。タラゴナでの情報収集で大きく貢献しているだけではなかった。こうして指揮権を得られたのも、ニーケーの事前準備があってのものだったからだ。
「ラエリウス、それにニーケー。わたしは何としてもヒスパニアに赴き、父と叔父の仇を討ちたい。それには私自身が軍を指揮する必要がある。わたしは元老院議員でもなければ、執政官に必要な年齢資格すら有していない。戦場での経験も新兵に等しいだろう。到底無理なことはわかっているが、果たして本当に無理なことだろうかと、自分自身に問い質していた」
 ネロの指揮権はく奪を知ったその日、プブリウスはラエリウスとニーケーを自室に招き入れ、そこで二人に心の内を伝えた。
「共和制ローマでは、確かにこれまでの慣習を重んじる風潮がある。しかし、私が資格年齢に満たないにもかかわらず按察官になれたことでもわかるように、多くの人々の支持を得られれば、慣例は覆るということだ」
 と、前置きしたうえで、
「按察官の当選には市民の支持が必要だった。ニーケーが前もって市民の支持を集めてくれていたおかげだ。そして、今度は元老院議員の支持を得ることができれば、私の願いが叶うと思う」
 プブリウスは次に、議員の支持を得ることが不可能ではない根拠を三つ挙げた。
「父と叔父は市民に人気があった。そして、元老院議員の間でもそうだった。これまでの実績だけでなく、人格者としての人望もあった。そんな二人の血族の一人が、仇を討ちたいと言っている。情に訴えることができるのではないか」
 プブリウスは続ける。
「私やラエリウスには救国者伝説がついて回っている。ニーケーがこれを広めてくれたおかげで、私たちは多くの市民から支持を受けている。議員の中にも救国者伝説を信じる者がいてもおかしくはない」
 プブリウスは最後の根拠として、ローマが抱える問題点を挙げた。
「指揮権を持つ執政官や法務官の経験者は、皆がすでに重要な軍務に就いている。騎兵隊長級の経験者もローマには残っていないのが実情だ。父の後にネロ殿が派遣されたのでわかるように、元老院はヒスパニア前線を任せられる人材を嘱望しているが、それに見合う人材がいないことに困っている。適任者がいないのであれば、思い切った決断を下すことも考えられるのではないか」
 二人は納得した様子で頷いている。彼らの視線の先には、指揮官として軍を率いる若き主人の姿が思い浮かんでいるのだろう。
「ニーケーには、議員の懐柔をお願いしたい。おそらく、議員の過半数の支持が得られれば、私の願いが叶うはずだ。共和制ローマでは多数が絶対の権利を有する」
「わかりました。きっとご期待に応えてみせます」
「私を支持してくれそうな元老院議員には多少心当たりがある。まずは彼らに近づいて協力を仰いで欲しい。父や叔父、アエミリウス殿と懇意だった方々、私と戦場を共にした議員もきっと協力してくれるはずだ。ただ、スキピオ家には使える財がほとんどない。これはローマ中がそうだろうが、戦費として国庫に提供してしまったため、渡せる財がないんだ」
「大丈夫です。父に相談します。いえ、父に出させます。議員は同じように金欠状態ですから、お金で動く者もいるかもしれません。それに、私は人を使って情報を集めていますが、彼らにはローマとマッシリア、様々な都市間の交易をさせています。情報収集はついでとも言えるのです。私にも多少の蓄えはございます」
「好意に甘えてもよいのだろうか」
「よいのですよ。私が好きでやっていることですから。私も商売人ですから、最終的には自分の懐を膨らませますからご安心ください。私がプブリウス様に仕えているのも、打算からです。将来の執政官と仲良くしておいて悪いことはありません。プブリウス様が高い地位に上るのは、私にとっても利がありますから」
 ニーケーはプブリウスの両手を掴み、握りしめた。そこには意志の強さと自分を慕う気持ちが感じられた。
「ラエリウスには、信頼できる同士を集めてほしい。私のような若造の下で働くのに気が進まない者もいると思う。兵の指揮権があってもそれが機能しなければ意味がないどころか、皆を危険にさらすことになる。ニーケーと協力しながら、私たちを支持してくれそうな人と親交を深め、信頼できる味方を増やしてほしい。できればそれらの人たちに私の軍への参加に志願してもらいたい。兵の編成に携わる者を味方に引き入れることもやってもらいたい。物事をこちらの意図する方向に動かしたいんだ。按察官になったときには、選挙委員長から反対され、そのときには何とか押し切ることができたが、選挙委員長への根回しが足りなかったことは反省すべき点だろう」
 プブリウスは表情を引き締め、
「仮に指揮権を得ることに成功しても、信頼のできない兵では戦えない。ヒスパニアでの戦いでは一度の失敗も許されない。ネロ殿でも早急に見限られたのだからね。ヒスパニアでの勝利を得るまでの道筋を作っておくことが大切だ」
 プブリウスはこれまでのローマ軍の戦い方が行き当たりばったりのものだと感じていた。状況は刻々と変わるのだから、それも当然だとも思っていた。指揮官に求められるのは臨機応変に物事に対応することだと考えてきたし、そう教えられてきた。しかし、ハンニバルは違った。彼は勝利への道筋を事前に作り、勝つべくして勝っているのだ。ローマがハンニバルに勝てない理由がそこにあるように思えた。
 ラエリウスはニーケーと同じように、主人の手を取って快諾した。そして、力強く付け加えた。
「必ずあなた様を勝利に導きます」
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