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第2章 開かない箱

26 テンプトン村 3

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 だけど世間話が途切れた今がチャンスだ。
 俺は身を乗り出すと、思い切って話を切り出すことにした。

「すみません、実は今日ジークさんを訪ねたのは、診療所見学ではなくて……」

 嘘をついてすみませんでしたと謝り、緊張しながらミシェルさんから預かってきた小箱をカバンから取り出した。
 からくり箱を見せたとたん、ジークさんの顔がさっとこわばった。
 この反応、やっぱり……。
 ミシェルさんに開かない箱を渡したのは、この人で間違いない。

「どうして君がこれを……?」
「ミシェルさんから預かってきました」

 俺は、ここへ来た理由を正直に話すことにした。
 ミシェルさんが道具屋へこのからくり箱を持ってきたこと。
 この箱を開けたいと思っていること。
 そして、エミルの妹ノエルが「箱に染みついた泣き声」を聞いてしまい、今つらい思いをしていること。
 泣き声の原因はおそらくジークさんにあること――。

 ひと通り話し終えると、ジークさんはの俺の手の中のからくり箱に視線を落とした。
 
「そうですか、王の御前で歌を……。ミシェルは夢を叶えたんですね。よかった……」

 そして小さく息をつくと嬉しそうな、それでいて悲しそうな何とも言えない表情で俯いた。
 その複雑な表情の下にどんな感情を隠しているのか、俺には読み取ることはできなかった。

 しばらくの間うつむいていたジークさんは、顔を上げもせずに言った。

「だけど夢を叶えたのなら、ミシェルにこの箱はもう必要ないはずだ。捨てて欲しいと伝えてもらえますか。私がミシェルに伝えたのはこうだ。もし君が完全に夢を諦めた時にこの箱を開けてほしい。ミシェルから聞いていないかい」
「い、いえ、聞いてます……」

 俺はそれ以上、何も言えなくなってしまった。
 ジークさんの口調には「これ以上話すことは何もない」という固い意志表示が込められていたからだ。

 そのとき俺の横に座っていたエミルが、口を開いた。

「ミシェルさんは挫けそうになったときに、その開かない箱を開けようとしては、もう少し頑張ろう、もう少し、と自分に言い聞かせていたそうです。おそらくですが夢が叶って、その縛りを解いてもいいんじゃないかと考えたのではないでしょうか」

 ジークさんが少し驚いたような顔でエミルを見つめた。
 はは、こんな小っちゃい子が、俺なんかよりもずっと大人びた口調で話すんだから、びっくりするよな。

 ジークさんはエミルを子どもだからといって軽んじることなく、真摯な顔を向けた。

「なるほど。でもね、私の答えは変わらない。夢が叶ったのなら、この箱はもうミシェルには必要ない。捨てて欲しいと伝えてください。それからおめでとう、と。それ以外に、部外者の君たちに話すことは何もない」
「それでは困るんです」

 エミルは引き下がらなかった。

「僕の妹が苦しんでいるんだ」

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