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第2章 開かない箱

41 帰り道はあっというま

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 その後、俺たちはキシュヴァルドの街に戻ってそれぞれお土産を買うと、サンズベルク行きの馬車に乗った。

「で? 俺が診療所を飛び出したあと、何があったわけ?」

 馬車が走り出してしばらく経ってから。
 俺が診療所を飛び出した後、一体何があってジークさんの気が変わったのかをエミルに聞いてみた。

 エミルの説明はこうだ。


 俺が言いたい放題言って診療所を飛び出して行った後、残された三人はあ然として俺の出て行った扉を見つめていた。
 少しして、何かに耐えきれなくなったグラディスが、肩をふるわせて笑い始めた。

『ご、ごめんなさい、笑うところじゃないって分かってるんだけど、エドガーの言ってること滅茶苦茶なんだもん。ジークさんに失礼なこと言うなよって何度も言ってたの、エドガーの方なのに』

 やがて、俺が出て行った扉を見つめていたジークさんが、ぽつりと言った。

『彼は、正直な青年だな……』
『いいえジークさん、それは違います』

 即座に異議を唱えたのはエミルだった。

『エドガーさんは鹿なんですよ……』

 うんざりした顔でため息をつくエミルを見て、ジークさんは声を上げて笑ったそうだ。
 なんでもジークさんは、俺たちがミシェルさんのスキャンダルを探っている可能性を最後まで疑っていたとのことで。

『ミシェルはああ見えてかなりの修羅場をくぐり抜けて来ているから、そうそう簡単に騙されないだろうとは思っていたんだが、万が一ということもあったから……』

 でもエミル曰く馬鹿正直な俺を見て、あんな単純で直情的な青年が人を騙せるわけがないと確信し、話をしてくれる気になったらしい。


   *


「馬鹿正直って、なんだよそれ……。もうちょっといい話風にまとめてくれたっていいのに……」

 俺がぼやくと、エミルは澄ました顔で「僕は事実を言ったまでです」と言った。
 かっわいくないなあ、ほんと……。
 でも、ジークさんがずっと頑なな態度だったのは、結局ミシェルさんを守るためだったんだな……。

「それでね、私が連れ戻してくるって言ったら、ジークさんが「いいよ、私が行こう」って言って出て行ったの」

 グラディスが人の気も知らずに楽しそうに続ける。

「エミルと話してたんだよ。エドガー、びっくりするんじゃない?って。そしたら、おっかなびっくりな顔で診療所に入って来たからもう、笑いが堪えられなくなっちゃって」

 それでグラディスは俺が診療所に入ってきたとき噴き出してたのか。

「挙動不審でしたね。完全に」
「もう勘弁してよ。俺だって後悔してるんだから……」

 また恥ずかしさが込み上げてきてくしゃくしゃと髪をかき混ぜていると、グラディスが興味津々の顔を俺に向けた。

「ねえ。箱の中、何が入ってるのかなあ」
「励ましの手紙かなにかだろ? 夢を叶えたんならもう必要ないって言ってたし」

 そうだ、箱で思い出した。この後、ミシェルさんに報告しないといけないんだよな。

「ねえエミル。ミシェルさんにはなんて報告するの? 頼むから呪いだったとか言わないでよ?」
「僕だってそこまで野暮じゃありませんよ。ジークさんの悩みは無事解決した、箱の泣き声も止んでノエルも楽になった。それでいいでしょう」

 それならひと安心だ。
 俺は窓の外、流れていく景色に目をやった。
 でも……。

「本当に呪いだったのかな……」

 俺の中で何かが、魚の小骨のように引っかかっていた。それが何なのか、思い出せそうで思い出せなくて、村を出た時からずっともやもやした気持ちが続いていた。

「呼び方が違うだけだよエドガー。呪いじゃなくて、愛。気づいて会いに来て欲しいっていう愛……」

 胸の前で手を組み合わせたグラディスがほぅ、とため息をつく。

「もし二人が会えていたら一緒に逃避行してたかもしれないんだよ? ロマンチックじゃない……」

 うーん。
 なんか女の子って別の世界の生き物って感じがする。俺にはちょっと理解できそうにない。

 だいたい、気づいて会いに来て欲しいなら自分の故郷くらい明かすだろ。俺たちはエミルのお陰でジークさんを探し当てる事が出来たけど、たった一つのからくり箱からジークさんを探し当てるのは困難だ。普通なら探す前に諦め……。

 ……。
 …………。
 あれ?
 今、引っかかってる魚の小骨を思い出しそうな気がしたのに……。
 まあ、いいや。何かのきっかけで思い出すだろう。

「ねえ、エミルは? 本当に呪いだと思ってるの?」

 エミルは眺めていた地図から目を離すことなく言った。

「箱の泣き声を止めるという目的は果たせたので、もう興味ありません」
「ええー? ちょっと勝手すぎるんじゃない?」
「まあ、人の心なんていう形のない物を、言葉という形ある物で理路整然と説明しようだなんてそもそもが無理なんですよ。呪いだったのかもしれないし、そうじゃなかったのかもしれない。それでいいじゃないですか」

 エミルはもう本当に興味が失せたようだった。市場で買ったクッキーを頬張りながら、サンズベルクの地図を眺める事に夢中だ。

 そのとき、グラディスが身を乗り出してきて、俺に耳打ちした。

「ねえ、エミルって本当は何歳なの? 十一歳っていうけど、本当は年齢ごまかしてるでしょ? だって私のお父さんよりしっかりしてるもん」
「いや、中年のおじさんどころじゃないよ。中身おじいさんだろ。七十歳くらいの」

 聞き咎めたエミルが顔を上げた。口の端にクッキーの欠片がくっつけて。

「失礼だなあ。そういうのは聞こえないように言ってくださいよ」
「聞こえるように言ってるの!」
「エミル、口の端、ほらクッキーの屑がついてるよ」

 グラディスに指で指し示され、エミルが手でクッキーの屑を払い落とす。
 こんなところは年相応なんだけどなあ。

 馬車の窓の外は、だんだんと見慣れた景色に近づいて来ていた。
 旅って、なぜか帰り道はあっという間なんだよな。

「旅の終わり、か……」

 口の中で小さく呟いてみる。
 この旅が終わったら、俺もある決意をしなきゃいけない――。
 
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