王国戦国物語

遠野 時松

文字の大きさ
146 / 148
本編前のエピソード

世の流れ 15 表情

しおりを挟む
 小川の近くにある平地ではあるが、木々までの距離はそう遠くない。胸は相変わらず呼吸をするたびに痛むが、腹を踏まれた痛みは引いてきた。
 ファトストは自分へと近付いてくるカッシュから視線を外し、森までの最短経路を探す。直ぐに、この場から走って逃げたとしても無駄だということを悟る。障害物となるものはなく、なにより距離が遠すぎる。
 運良く森へと辿り着けたとしても、この体で逃げおおせるわけがない。無駄なことはせず、回復に専念するために体を動かさない方がいいだろう。
 平地の窪みに体を横たえて、ファトストはカッシュの動向を注視する。
「おい、おい。そんなに睨むなよ」
 手に持っている串の先をクルクルと回しながら、カッシュは首を傾げながら片眉を上げて嫌らしく笑う。
 ファトストの近くまで歩いてくると、カッシュは暫くのあいだ半笑いで見下してから、立膝でしゃがむ。
「ほれ、お前が大事にしていた大切な肉だ」
 カッシュは手に持っている串をファトストに見せる。「全部食っちまうのは申し訳ないから、これだけでも食えよ」
 ファトストは何も答えず、ただただ睨め上げる。
「遠慮すんなって」
 なおもカッシュは肉を近付ける。それに対してファトストは、顔を背けて拒絶を示す。
「ほら、食いてえんだろ?」
 カッシュはそのまま、真横まで顔を向けたファトストの頬に肉を押し付ける。
「どうした、腹の調子でも悪いのか?」
 心配を装ってカッシュは立ち上がる。ファトストはその隙に、頬についた肉汁を手で拭う。
「元気そうなんだけどな」
 カッシュは冷たく笑いながら、右足を軽く後ろに引く。
「こうすれば、良くなるらしいぞ」
 カッシュの目線がファトストの腹部へと移る。
 まずい。
 ファトストは咄嗟に腕で腹を守る。次の瞬間、口の中が鉄の味で満たされる。
「わるいな、足が滑った」
 カッシュは笑う。「今度はちゃんと腹にしてやるよ」
 カッシュは再び右足を軽く浮かせる。
 咄嗟にファトストは右腕で顔と頭を、左手で腹を守るようにして丸まる。それを見たカッシュは嘲笑いながら、上げた足をファトストの肩に乗せる。それから、勢いのまま蹴転がす。
「ほれ」
 カッシュは再びしゃがみ込み、仰向けになったファトストに肉を差し出す。ファトストは口を固く閉じて、カッシュの目を見つめ返す。
「まだ心が折れないか。いいね」
 カッシュは楽しそうに笑う。
 ファトストは口に溜まった血を、手で隠しながら近くに吐き出す。
「それは差し上げますので、許してください」
「それには及ばない。すでにこれは、どう考えても俺のものだろ」
「その通りです」
「だろう?」
「はい」
 カッシュは何も言わずに、ファトストを見つめ返す。
「許してください」
 何を考えているのか分からないが、沈黙が恐ろしい。どうせろくなことを考えていないだろう。
 それよりも口の中が痛い。もう、しゃべるのも億劫になってきた。
 先ほど、『まだ心が折れないか』と、言っていたが勘違いしてもらっては困る。心はとっくに挫けている。
 肋骨はたぶん折れているだろうし、踏まれた腹は重く痛い。熱を持った左頬はジンジンと焼けるように痛むし、奥歯は浮いたような感覚だ。そして何よりも、この状況で睨むことしかできない自分が情けない。しかしそれも、恐怖で本気で睨み付けているわけではない。
 勝てる相手ではないのは分かっている。痛みとともに、カッシュが動くたびに体が反応してしまう。相手にはそれがバレバレなのに強がってしまう。
 カッシュに睨まれるたびに、全身が粟立つを感じている。自分が惨めで情けない。悔しい。逃げ出したい。なぜこんなことになってしまったんだと、さっきからずっと思っている。
 ファトストは表情から悟られないように、顔を手で隠す。
「あいつら帰って来ねえな」
 腹が満たされて満足したのか、ファトストとカッシュの遣り取りが滞ったからか、コルビはダットが向かった先に顔を向ける。
「そういやそうだな」
 興味なさそうにラオルフは、食事を続けながら答える。
「おい、飯はもういいのか?」
 少し離れた場所の為、声を大きくしてウマルがカッシュに尋ねる。カッシュは振り返りもせず、左手を振って応える。
「そうかい。それなら残りはダットに残しておくか」
 ウマルは近くにある皮の水筒に口を付ける。
「お楽しみのところ悪いが、今後、どうなるか分からないから早めに済ませろよ」
 リックが不機嫌そうに言い放つ。
「だそうだ」
 カッシュはそう言いながら串を投げ捨て、腰に携えている剣の握りに手を掛ける。
 革の鞘から光る剣身がのぞくと、ファトストの全身に悪寒が走る。
「……さい」
 蚊の鳴くようなファトストの声に、カッシュの手が止まる。ニヤリと笑ってから、カッシュは耳をファトストに向ける。
「……いで下さい」
「何だって?」
「殺さないで下さい」
「あぁ?」
「殺さないで下さい!」
 楽しそうに、カッシュの眉がぴくりと動く。
「それが人にものを頼む態度か?」
「お願いします。死にたくありません。助けて下さい!」
 なぜだろう、涙が滲んでくる。それなのに心は冷たい。
「それだよ、それ」
 カッシュは声を出して笑う。「だが残念だ。それはできない。お前は俺たちの秘密を知ってしまったからな」
 カッシュはファトストの髪を掴む。
「でも死にたくないよな?」
 ファトストは髪を掴まれたまま、首を小さく縦に振る。
「そうだよな」
 人が変わったように、カッシュは優しく微笑む。「心配するな、初めから殺そうとはしていない。その代わりに、目と指と舌は諦めろ。俺たちの情報を漏らさせないためには、しょうがないことだ」
「誰にも言いません」
「それを信じられると思うか?」
「信じてください」
 必死に訴えるファトストに、カッシュは小さく首を振る。
「俺ならそんな約束を守らない。命を取らないのは、肉を食べさせてくれたお礼だ。どれからがいい。目か? 指か?」
 カッシュが尋ねる。「舌は肉を味わうために最後まで取っておいてやる」
 今度はファトストが首を振る。
「そんな顔をするな、生きていれば良いことはある」
 優しく微笑むと、カッシュはファトストの頭を地面に叩きつける。
 その衝撃で意識が飛びそうになるのを、ファトストは必死に堪える。
 もう考えるのが面倒だ。こうなったらバレてもかまわない。
「なんだその顔?」
 なんだと言われても困る。こんな状況なのに、いや、こんな状況だからなのかこんな顔になってしまう。
「何が面白いんだ?」
 面白い? 幼い頃からこんなことをしてきたから、そうなのかもしれない。
「頭がおかしくなったのか?」
 おかしい? そんなことはない。お前と出会ってから、常に頭は冴え渡っている。
「おい、小僧。答えろ」
 答えろ? 答えられるわけがない。さっきから顔がニヤけてしまう理由など、自分でも理解できていないのだから。
 ファトストは口の中に溜まった血を、ダットに見せつけるように吐き出す。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

ハズレ職業の料理人で始まった俺のVR冒険記、気づけば最強アタッカーに!ついでに、女の子とVチューバー始めました

グミ食べたい
ファンタジー
現実に疲れた俺が辿り着いたのは、自由度抜群のVRMMORPG『アナザーワールド・オンライン』。 選んだ職業は“料理人”。 だがそれは、戦闘とは無縁の完全な負け組職業だった。 地味な日々の中、レベル上げ中にネームドモンスター「猛き猪」が出現。 勝てないと判断したアタッカーはログアウトし、残されたのは三人だけ。 熊型獣人のタンク、ヒーラー、そして非戦闘職の俺。 絶体絶命の状況で包丁を構えた瞬間――料理スキルが覚醒し、常識外のダメージを叩き出す! そこから始まる、料理人の大逆転。 ギルド設立、仲間との出会い、意外な秘密、そしてVチューバーとしての活動。 リアルでは無職、ゲームでは負け組。 そんな男が奇跡を起こしていくVRMMO物語。

勇者パーティのサポートをする代わりに姉の様なアラサーの粗雑な女闘士を貰いました。

石のやっさん
ファンタジー
年上の女性が好きな俺には勇者パーティの中に好みのタイプの女性は居ません 俺の名前はリヒト、ジムナ村に生まれ、15歳になった時にスキルを貰う儀式で上級剣士のジョブを貰った。 本来なら素晴らしいジョブなのだが、今年はジョブが豊作だったらしく、幼馴染はもっと凄いジョブばかりだった。 幼馴染のカイトは勇者、マリアは聖女、リタは剣聖、そしてリアは賢者だった。 そんな訳で充分に上位職の上級剣士だが、四職が出た事で影が薄れた。 彼等は色々と問題があるので、俺にサポーターとしてついて行って欲しいと頼まれたのだが…ハーレムパーティに俺は要らないし面倒くさいから断ったのだが…しつこく頼むので、条件を飲んでくれればと条件をつけた。 それは『27歳の女闘志レイラを借金の権利ごと無償で貰う事』 今度もまた年上ヒロインです。 セルフレイティングは、話しの中でそう言った描写を書いたら追加します。 カクヨムにも投稿中です

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

処理中です...