夏の思い出

遠野 時松

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初めての川釣り(上)

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「やっぱり良いポイントは取られちゃってるな」

 川沿いの空いたスペースに一旦車を停めたおじちゃんは、釣り人の姿を見ながら残念そうに呟いた。

「あそこにある、水面からほんの少し顔を出している岩の近くがよかったんだけれど、まあこの時間じゃ取られてるな」

 おじちゃんの視線の先にいる釣り人の竿先が、クンとしなう。

「おっ!いいしなりだ、あれは型が良さそうだな」

 堤防釣りで使うようなものとは違い、長くてリールの無い竿が綺麗にしなっている。僕とおじちゃんは鮎が釣れるまでその様子を見守る。
 竿を右へ左へと振った後に、釣り人が竿を後ろに掲げると二匹の鮎がタモ網の中に収まった。

「あれが友釣り?」
「そうだ。さっき買った囮の鮎を使って野鮎を釣るんだよ」
「餌もルアーもは使わないって言ってたけれど、本当に使わないんだね」
「そうなんだよ。おっと、こんなこと話してる場合じゃね」

 おじちゃんは軽トラックのギアを操作する。

「残念だけど、約束だからしょうがないな」
「うん」

 おじちゃんとの約束だから諦めるしかない。
 鮎釣りに僕も連れて行ってとお願いしたら「約束を守るなら」と条件をつけて了解してくれた。この釣りは日和の鮎が食べたいというわがままからだから、これ以上はおじちゃんをもっと困らせてしまうことになる。日和のためにしてくれているんだから、僕は日和のお兄ちゃんとして約束は絶対に守らなければならない。

「川に入ることになるから、この場所じゃなけりゃヒロ君には危ないから、友釣りはまたの機会にしよう」
「うん」

 ここに着くまでに話していたことを再確認するように、おじちゃんは僕に言い聞かせた。
 お盆に入ったら殺生はしてはいけないとさっき言っていた。またの機会に、ということは今年は無理だということだ。
 海釣りなら黒鯛だってスズキだって釣ったことがある。鮎を釣ったらあっちゃんに自慢できると思っていたのに。……悔しい。

「よし、良い子だ」
「…うん」

 キュッと口を結んだ僕の頭を、おじちゃんは優しく撫でてくれた。
 黒鯛釣りの仕掛けはあっちゃんが作ってくれたし、シーバスロッドやルアーはあっちゃんから借りた。今回の友釣りはおじちゃんから教えてもらえるかもしれなかった。でも僕が小さいから、この場所以外だと川の流れが急だから危ないらしい。

 自分がまだ子供なのが悔しい。

 同じような距離を保って竿を操っている大人たちの姿を、僕はおじちゃん越しに目で追い続けた。



 おじちゃんの運転する軽トラックはアスファルトの道からガタガタ道に入って、広くなった場所で停まった。
 すぐ近くから川の音が聞こえてくる。

「ここはおんちゃんの秘密の場所だから誰にも言うなよ」

 笑いながら唇に人差し指を当てるおじちゃんに向かって、僕はさっきと違う「うん」を返した。

 おじちゃんの準備が完了すると、「ヒロ君」と渡された札のついた帽子を被る。

「これがさっき話してたテンカラだ」
「おーーー!」

 渡された竿を慎重に受け取る。
 リールがないのはおじちゃんが持っている竿と一緒だけれど、糸の先には虫を真似した毛鉤が取り付けられている。

「覚えているかい?釣り方はさっき教えた通りにやれば、上手くいったら川魚が食いついてくるぞ」

 水に落ちた虫を真似して魚を食いつかせるのはフライフィッシングと同じだけれど、フライフィッシングは糸の送り出しが難しいらしい。近くで教えられないからと、こうなることを見越しておじちゃんは僕にも出来る釣りを用意してくれた。
 ビールを注ぐのに失敗した日和を笑顔にさせたのは伊達じゃなかった。
 おじちゃんてカッコいい。
 
「ここから少し歩くから、足元には気を付けてな」
「分かった」

 海のゴロタ場と似ている。これなら大丈夫だと思う。岩が動かないか確かめながら、おじちゃんの後をウキウキしながらついて行く。
 岩の横を踏むと滑るから、岩のてっぺんや岩と岩が合わさっているところを選んで歩いていると「ヒロ君は歩くのが上手な」とおじちゃんに褒められた。僕は得意になってゴロタ場と似ていることを説明すると「物知りだな」とまた褒められた。

 おじちゃんに認められたかもしれないと思った。もしかしたら鮎釣りを教えてくれるかもしれないと、この時は思っていた。

「あーヒロ君、苔は踏んじゃダメだ」

 海藻に覆われた岩が滑りやすいのは、海の近くに住んでれば大体の人は知っている。テトラポットや常に波に濡れているコンクリートの部分も藻が生えていて滑りやすくなっている。
 おじちゃんはそれについて言っているのだと思った。

「滑るからだよね」

 さっきの話の続きじゃないけれど、僕は元気よく答えた。
 川でもおんなじだと思ってそう答えた。でも、おじちゃんは首を横に振った。

「人間からしたらそうかもしれないけれど、苔がそこまで大きくなるのには何年もかかる。俺たちは山の恵みを貰いにきてる身だ。自然は大切にしなけりゃダメだぞ」

 そう言われて振り返ると、苔が生えている場所に僕の足跡が残されていた。

「ごめんなさい」

 苔が痛そうにしている気がした。

「やっちまったことはしょうがない。今度から気を付けるんだよ」
「うん。ごめんなさい」

 思い出してみると、おじちゃんは草木をなるべく傷付けないように歩いていた。
 あっちゃんとカブトムシを捕りに行った時のことを思い出した。

「よし、良い子だ。そうやって素直に謝れる子なら、山の神様も許してくれるはずだ」
「許してくれるかな?」
「それは山の神様しか分からないなー」

 そう言いつつもおじちゃんは、安心して良いぞと笑顔を浮かべてくれている。

 僕は何をやっているんだろう。
 カブトムシを捕りに行った時に山の神様に認められたのに、これだと全て台無しになってしまう。おじちゃんは日和のために釣りに来て、僕のためにテンカラを用意してくれて、山のことを考えていたのに、僕は結局自分の事しか考えていなかった。
 散々あっちゃんに「ガキ」だって馬鹿にされていたのに。早くカッコいい大人になりたかったのに。こんなんじゃ全然ダメだ。

 自分がまだ子供なのが本当に悔しい。

 僕は再び踏んでしまった苔と自分の靴を見た後に、おじちゃんの顔を見つめた。

「ほれ、そんな暗い顔をするな。笑って笑って。笑う門には福来るだ」
「うん」
「よし、上出来。ポイントはすぐそこだ。元気出して行くぞ」
「分かった」

 僕は歩き出したおじちゃんの後をついて行った。
 おじちゃんと話をしながら歩いていると、不思議と僕は本当の笑顔になっていた。

 おじちゃんて本当に仙人なのかもしれない。
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